「イジメられる側にも問題があるんじゃないのか?」
バカの一つ覚えみたいなことを言うな、俺に何の問題があったんだ。 俺はただ、あの子に言っただけなんだ、好きだって。
無い勇気を振り絞り、一世一代、産まれて初めての真剣で甘酸っぱい告白をしただけなんだ。 別にフラれるくらいなら構わなかった、自分の中でも悲しみと同時にスッキリとした憑き物が落ちた気が沸き起こり、これが大人になっていくことなんだと理解出来たからだ。
だが、どうして。 どうして誰もほっといてくれない、どうして余計に掘り返す。
俺にとっては終わったことなのに何故。 何故こんな目に遭わなければならない。
イジメられる側の問題だと? 人を好きになった行為になんの問題がある?
お前達大人はいつも言ってるじゃないか、人に愛情を持って接しましょうと。 人が人を好きになって何が悪いッ! こんな想いをするくらいなら、もう誰も好きにならない。
大人は卑怯だ、誰一人信じられない。
信じてなるものか。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
現在時刻、午後5時半前。 降り頻る雨の中を歩きながら辿り着いたのは、一軒の民家。
表札に宇佐と書かれたその家に訪れた俺は、震える手で呼び鈴を押した。 出てくるのは四十代半ばの女性、宇佐……美々の母親だろう、新しく赴任してきた教師であると軽く自己紹介と突然の訪問に謝罪を加えて、今回訪れた用件を伝える。
無論、宇佐の不登校についてだ。 母親は家にいれた後、自分の娘を呼ぼうとするが俺がそれを止めて出来れば二人っきりで話したいと言う。
よーし、ここまでは平塚先生の指示通りに上手くいった。 …だが、問題はこのあとである。
あの人家庭訪問のやり方教えてくれたけど、生徒に対して何を言って良いのかは教えてくれなかった。 君ならわかるって…貴女は俺ですか?
控えめにノックでドアを叩き、返事を待つが返してこない。 あれれ? 無視されてる?
とりあえずこのまま待っていてもいけないと思い、ゆっくりと開けると…いるじゃん! 普通に部屋に真ん中にちょこんって! うつむき加減に正座してるじゃん!
度が強そうな眼鏡をかけており、九重みたいにフワフワした長い髪で二つ結びにしている。 違いといえば三つ編みで若干天然パーマがかかっているとこか。 身長は恐らくクラスの中でもトップに位置する程成長しており、全体的に大人っぽいがその表情は怯える子供そのものである。
ええい、大丈夫だ俺の硝子ハート、無視なんて今まで何回も味わってきたじゃないか。 それによく見ろ、宇佐の手には携帯が握られている、しかも震えながら。
中村に酷いことをされた恐怖が甦っているのか、いざという時は九重達に助けを求めようと思っているに違いない。 …全く、羨ましい限りだ。
さて、何から話したら良いことか。
「は、初めまして、新しく君の先生になった、比企谷八幡だ。 よろしく、な?」
何故だろう、なんか納得いかない。 いや、自己紹介は大切だけどもっと言わなきゃいけないことがある、はず…。
「成績は優秀だって聞いたぞ、オール5とかスゲェな!」
やっぱ違う、こんなことじゃない。 言わなきゃいけないこと、彼女が言われたいことを、言ってあげなきゃ…。
俺は、なんて言われたかったのだろう。 学校でイジメられて登校するのが嫌で嫌で仕方なかった時、何をしてほしかった?
「────九重から聞いた。 お前が中村先生にイジメを受けたことを」
話しを聞いている様子がなかった宇佐に初めて反応が見られる。 ビクリと肩を揺らし、少しずつ嗚咽が聞こえてきた。
「…信じて、くれるんですか?」
「え?」
「お母さんに言っても、校長先生に言っても、信じてくれなくて…わ、私が悪いんじゃないかって…」
確かに、イジメにはイジメられる側にも問題があると言われるが、それは人間の本質を理解していない奴らが簡単に言う言葉だ。 誰だってイジメられたくない、友達と仲良くしたい、そう思っている。
だから人は良い人でいようとする、人から離れたくないがために。 それでも尚イジメが起こるのは、あいつが気に入らないことをしたとか、そりが合わなくて仲が良くないからとか、そんな本人に悪気は無いのに思想が違うという理由で発生するのだ。
果たしてそれでもイジメられる側が悪いと言えるのか? 答えは否、そんなもんは己の度量の狭さを言い訳に、見て見ぬフリをしている本当の悪だ。
「信じるよ」
「…本当に?」
俺は信じない。 こんなに小さな体を一生懸命震わせながら、大粒の涙を流している女の子に、お前が悪いんじゃないのかと平気に言える奴らの言葉なんて、俺は絶対に信じない。
「信じる」
「ひぐっ……えぐっ……!」
「…もう、お前を傷つける中村はいない。 落ち着いたら学校来いよ、宇佐は一人じゃないんだから」
それは、俺が幼い頃、言われたかった言葉だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
次の朝。 驚いたことに登校してくる生徒達の中に宇佐の姿が見えた。
九重や鑑と交じって、笑顔の彼女を見ると……リア充、末永く爆発しろと思う。
もしかしたら、俺が想像していたよりもあの子はずっと強いかもしれない。
ま、子供なんてー、単純だしー、別に気にしてなんかないんだけどねー。
「……」
ん、なんですか九重さん、ジーっとこっちを見て。 やらしいことなんて考えてないからな!
「あ、おはよう先生!」
「おおおおはよう宇佐。 来れたんだな、偉いぞ」
「何キョドってんの、キモッ」
鑑、お前は黙れ。
「先生あのね、私…先生がお兄ちゃんだったら良かったなぁって思っていたんだ」
「なん……だと……!?」
宇佐から突然のお兄ちゃん発言。 素晴らしい、思わず思考がストロベリーみたいに停止してしまったではないか、寧ろ言って良いぞー。
比企谷お兄ちゃんとか八幡お兄ちゃんとか先生兄ちゃんとか、間違ってもゴミぃちゃんは無しな、実妹が懐かしくて会いたくなるから。
「うへぇ…だってコイツ、ゾンビみたいだよ。 吐き気がする!」
だから黙れって言ってんだろうがチビ。 それとお前か、俺をゾンビって言った奴!
此方にあっかんべーを向けながら宇佐の手を引き、校舎へと入って行った鏡。 九重だけは後で向かうと伝えて残る。
うわぁ、絶対何か言うつもりだよこの子。 怖いよー恐ろしいよー小町助けてー。
「美々ちゃんに何を言ったの?」
「フツーに学校来いって言っただけなんだが…」
要は中村がいなければ良かったんだ。 辞職した段階で既に問題は解決されており、後は宇佐の背中を押すだけ、本当に簡単な仕事である。
まぁ、それだけの理由じゃなければまだ難しいんだがな、例えば中村にイジメられる前からクラスにそういった傾向があるなど。 …単に宇佐から中村へターゲットが移っただけだったとか。 あるだろうなぁ、きっとあるだろうなぁ、絶対ある。
「そう」
なんとも冷たい一言だ。 九重は聞きたいことだけ聞いてさっさと踵を返す。
今のような、とてもガキとは思えない達観している時もあれば、初日に俺をからかった無邪気な面を見せる。 友達を思いやる優しさもあれば、恐ろしい残忍さで大人を陥れる狡猾さも持つ。
あれが九重りんという人間の本質なのだろうか。 俺の知る悪と善をストレートに合わせ持ち、変に隠そうとしないあたり素直と感じてしまい、ぶっちゃけ……嫌いじゃない。
まぁ、もう少しで教師を辞めようと考えている今となっては、どうでもいいことであるが。
……とか思っていた次期が私にもあったんですよ!
それから一週間、ここ一週間の話しだ。 新たなイジメのターゲットが生まれたのである。
その子は上履きに葉っぱを入れられ、椅子にボンドを塗られ、立ち上がった瞬間にスカートが脱げたり、水風船をわざとぶつけられ、ずぶ濡れになったりと散々な目にあっていた。 イジメていた奴がイジメられる側になるのはわかっていたが、実際にあの恐ろしい“九重”がイジメられるとはなぁ。
流石さ〇なクンやでぇ、彼の言う通りになるとは…。
新たな問題がこうも早く出来ると、残念ながら辞めようにも辞められない。 幸いにも宇佐や鑑が味方でアイツが不登校になるようなことはなく、九重自身そこまで気にしている様子はないが、一応本人に直接は聞いてみた。
「お前、どうすんの」
「別に。 こうなることはわかっていたし、美々ちゃんには被害がないから良いんじゃない?」
お前には被害が出てるだろ。
「つってもなぁ、ほったらかしにしていると後々面倒なんだよ。 主に俺が」
「あはは、先生ってひねくれているのに正直だね!」
90度の捻りも2回あれば真っ直ぐだしな。 座布団一枚!
「大丈夫よ先生。 これは私への罰なんだから」
「……」
罰ね、まさかお前、中村のことを後悔しているのか。 微笑みながら言われると、こちらとしては言葉に詰まる。 斜に構えるには早すぎなんだよ、可愛げがねぇ。 つか罰とかなんだよ、ドMか。
これ以上九重と語ることは無くなったが、数日後、今度は彼女とは別の子達が職員室に待機していた俺のもとへとやってきたのである。 九重の唯一味方である宇佐と鑑だ。
「えぇー、このゾンビに頼むのぉ?」
「で、でも…他に頼れる人いないし…。 これでも先生だから…」
鑑、ゾンビは止めろ。 それと宇佐さん? 貴女これでもってなんですか?
鑑より破壊力あるんですけど、意外と黒い発言しますね。
「お前らの頼み事は九重のことだろ」
「なんだ、気付いていたんなら早くなんとかしてよ!」
むきー! 本当に可愛くねぇなぁ、お前!
「俺だって色々考えていたんだ、でも教材やら宿題とかの準備があったからな。 良い案を思い付くのに時間がかかった」
家に帰っても明日の授業の準備で時間が潰れる。 ろくに頭を回す余裕は少なかった。
「え、それじゃあ良い方法があるの!?」
「勿論だ、最高に効率が良い。 だが、この作戦を実行するには3つの条件がある」
「「条件?」」
「1つは俺のやることには絶対口を出さないこと」
余計なことをされて作戦が失敗されてはもともこもない、これは俺独断であるからこそ効果を発揮する、俺十八番だ。
「2つ目は九重には何も言わないこと」
これは1つ目の条件に近いな、アイツは妙に鋭いところがあるし、作戦を妨害させられる可能性がある。
「そして、3つ目。 これは特に重要だ」
俺が周りに聞こえないよう声を小さく、低く抑えたことで宇佐と鑑はゴクリと喉を鳴らす。 心なしか額には汗が見えた。
「宇佐、お前は1日1回必ず俺をお兄ちゃんと呼ぶんだ」
「え…」
「キモッ! キモッキモッ! マジキモい!」
「バッてめっ、ちょっ、鑑! 声が大きい! 静かにしろ!」
ほら、白井先生がメッチャ睨んでる! 怖い!
「美々ちゃんに何言わせてんのよ! 前々からキモいと思っていたけど本当にキモいわ!」
「これは所謂取引だ。 俺の働きに対し、お前達は代価を払う必要がある!」
ただ働きなんて死んでもごめんだ。
「お前達────まさか私にも言わせる気!?」
「安心しろ、鑑のはいらん」
「それはそれで腹立つ!」
「私、良いよ…」
「み、美々ちゃん!?」
ほっほっほ、お主はわかってくれるか美々よ。 ふひひ、素直な娘は好きじゃぞー。
「じゃ、じゃあ…おねがいします、お兄…ちゃん」
「もうちょっと、怒っているような感じで」
「もう、おねがいね! お兄ちゃん!」
「今度はセクシーに」
「お兄、ちゃん…おね…がい…!」
「3度も言わせてんじゃねぇえええ!!」
いかん、意外とノリが良い宇佐のおかげで調子に乗ってしまった。 だが、冗談抜きで最初の2つさえクリア出来ていれば、この依頼既に達成されたも同然。
手段は俺の得意分野だ、ハッキリ言って宇佐の家に行った時より楽勝。 決行は明日、この一日に全てを賭ける。
見せてやるぜ本当の“敗者”ってのがどんなもんかな。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
三日後。 教室にある自分の教卓の引き出しを開けた俺は、己の敗北……いや、勝利……いやどっちだ? とにかく、宇佐達の依頼、九重の救出を完了させたことを確信した。
俺の教材には馬鹿、死ね、学校辞めろ、と無惨に落書きされた跡が…。 八幡悲しくないもん。
朝の会を開いてもクラスのみんなは大人しく聞いている様子はなく、騒いでいる様子もない。 異質な空気、宇佐と鑑と九重以外の生徒全員が俺に対して敵意を剥き出しにして睨み付けている。
「出席を取るぞ、相田」
「……」
返事はないがいるな。
「飯塚」
「……」
はいはい、丸っと。
「宇佐美々」
「は、はい!」
ここ暫く出席簿に丸が続くところを見ると、これが中々嬉しいもんだ。
「鑑黒」
「へーい」
「へいじゃない、はいだろ」
「はいはい、うるさいなー」
はいは1回で御願いします。
「九重りん」
「──はい」
妙な間があった気がしたが無視だ、無視。 続けて別の生徒の出席を取っていくと、不意にどこからかこんな声が聞こえてきた。
「マジ比企谷うぜぇ…」
「あいつ、中村が何されたか知ってんのに…自分は大丈夫と思ったんじゃね?」
「いつもイミフなことしか言わねぇし、わかってないでしょ」
俺にギリギリ聞こえる音量の陰口。 わざとだな。
宇佐の依頼をクリアするために俺のとった行動は、至ってシンプル。 中村と全く同じことをしただけだ。
彼方が悪業を犯したことでこのクラスは一致団結(笑)し、大義名分のもと正義の鉄槌を下していたが、その対象者がいなくなったので新たなターゲットとして恐らく主犯核の九重が選ばれたのだろう。 あの子はやり過ぎた、だから悪い子だ、アイツは悪い奴だ、次に罰を受けるべきはアイツだと。
そして俺が九重を相手に、宇佐が中村にやられたことをしただけでご覧の有り様。 あっという間に生徒達は九重の味方となり、俺は悪の親玉となった。
まさに人間の闇、いや…生物としての闇か。 さ〇なクンだって言っていた。
イジメられていたメダカを他の水槽に移しても、また別のメダカがイジメられるだけだと。
ああ、ならば私は貝になりたい。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
放課後、体育館の裏で鏡と宇佐に呼び出された。 てっきりボコられんのかと思ったが宇佐が泣きそうで、鏡は苦い表情をしていたため違うことに気付く。
「やっぱり止めよう、先生。 私、先生が悪くないのにイジメられてるとこ見たくないよ…!」
「オイオイ、それじゃあ意味ないだろ。 九重がまたイジメられたらどうする」
「美々ちゃんが言いたいのはそんなことじゃない! アンタ、大人で教師のくせになんでこんな頭悪いやり方しか思いつかないのよ!」
「頭悪いとは心外だな。 これが一番効率良いだろ」
「ア・ン・タにとってはね! でも事情を知ってる此方からすればイライラするの!」
だから言ったのに、俺が何をしようと口を出すなって。 約束とか完全に無意味である。
「あーもう! 思い出したら腹立ってきた! アイツらボコボコにしてやる!」
「ちょっと待てって。 お前が暴れると俺にとばっちりがくる、だいたいお前もアイツらと同じだろ」
主犯である九重の親友で宇佐の友達だ。 性格もキツい鏡が中村イジメをやらないわけがない。
であれば、同じことをした鏡がアイツらの行動に反感を持つこと自体、あってはならないのだ。
「だから何」
「え、いや…だから鏡にそんな資格ないだろ?」
あれ、動揺している様子がない。 なんでそんなに堂々してるの?
「資格とか意味わかんないんだけど。 私は私のやりたいようにやるだけよ! 許さないと思ったら許さないし、例え自分が同じことをしていても、だから何よ!」
えー!? 理不尽すぎるだろ!
反抗的すぎるというか、鏡さん独善すぐる。 大人の都合とか理屈とか全然通じない。
「アンタは本当の意味で美々ちゃんを助けてくれたわ。 だからこそ頼んだのに、何よこの結果! ホント使えないわ、このゾンビ! アホ童貞!」
酷い、あんまりだ。 八幡のライフはとっくにゼロよ!
「このまま学校辞めないの!」
「はぁ!? 辞めたら生活出来ねぇだろうが」
まだヒモ相手も見つかっていないのに路頭に迷うわ。 鏡は俺を精神的だけでなく、肉体的にも殺す気か。
「中村は辞めた、アンタも辞めたら楽じゃない!」
楽ね……ああ、なるほど。 鏡は、この子は俺を助けようとしているのか。
喋りはかなりキツい子だけど、よく考えてみれば九重がイジメられていた時もこの子はクラスのわだかまりなんて気にしないで、常に九重の味方だった。
皮の面が厚いというか、本当はそういう子なんだろう、凄いツンデレだ。
「それともなに? 辞めたら逃げたと思われるから? 本っ当、無駄にプライド高くしてるとキモいんですけど」
「別に逃げることは悪いことじゃないだろ。 宇佐は自分を守るために学校から家に逃げたわけだし、それは臆病者じゃなくて勝者なんじゃねぇの」
「私が勝者、ですか…?」
「おう。 自分を守れたんだから宇佐の勝ち」
本当の敗者は己の立場を変える勇気もなく、ただズルズルと引きずり、そして堕ち続ける奴だ。 そんな奴の末路は、完全に俺である。
「じゃあ、ゾンビ。 アンタも逃げなさいよ…」
「ゾンビ言うな。 まぁ、俺も最初は適当なとこで退場しようかと考えていたんだがな…」
思い出されるのは九重の言葉。 自分は悪いことをしたのだから罰を受けるべきだと。
大人のように達観、いや諦観か。 子供のくせに高二病なんて十年早いんだよ、それは俺の特権だ。
「やっぱこれが一番効率良いだろ? 生徒同士の信頼関係(笑)も築けるし、何より負けることに関しては、俺が最強! 唯一の俺TUEEEEEを邪魔されてたまるか」
「馬っ鹿みたい」
その時、俺や鏡、宇佐とは違う別の人間の声が聞こえた。 え、まさか…。
「こ、九重…」
猫みたいな大きな目で此方を威圧する九重さん。 雪ノ下さんとほぼ互角を持つ冷たい雰囲気は、俺達全員の空気を凍り付かせた。 ご本人登場とかモノマネ歌合戦かよ!
「……」
うわぁ、黙りだ。 何がくるかわからない一番怖いパターン。
「先生、友達いないでしょ」
いきなりエグいのきたな! しかも全然関係ない話し!
「いつも黒ちゃんと美々ちゃんと一緒にいる私が、二人の怪しい行動に気づかないわけがない。 あとをつけられるって考えなかったの?」
ぐっ、確かに仰る通り。 友達いないからそんなこと全く考えられなかったわ。
「おのれ。 貴様ら、つけられたな…!」
「アンタが悪いんじゃない! 全部アンタが悪い!」
くそ、鏡め! 理不尽なのに何故か納得してしまう自分がいる。 兎に角、九重をどうやって言いくるめれば良いか考えないと。
「九重、このことは…」
「嫌よ。 これ以上先生に勝手なことをされるのは御免だわ」
とは言っても、もう手遅れだけどな。 この状況をすぐにひっくり返すなんて難しい、フハハ俺の勝ち越しは揺るがない。
「いくよ、美々ちゃん、黒ちゃん。 私を本気にさせたらどうなるか、先生に教えてやる」
しかし、九重りんはやけに落ち着いている。 先に帰ろうとした彼女を鏡と宇佐は泣きべそかきながら、置いてかないで!と後に続く。
な、何。 なんなの…滅茶苦茶怖ぇよあの子、実は一番敵に回しちゃいけないヤツに宣戦布告されたんじゃね?
ていうか、なんで俺が敵意向けられてんだよ。 普通逆だろ、感謝されるだろ。
今まで感じたことのない意味不明な怒りに困惑。 恐怖で身体を震わせながら午後の授業に入った。
「いいか、ここの式はだな────」
俺の解説に耳を貸さない3─1。 皆さん、ワイワイガヤガヤとお喋りしたり、ゲームをしたり、漫画読んだり、俺のことは全く無視だ。
完全に舐められている。 舐められんの慣れてるから良いが、流石にこの状況はいかんな、算数なんかは遅れると取り戻すのも大変だろうし、さて…どうしたものか。
なんとかしようと知恵を捻っていた、その時だった。
ダンッ!と、生徒達の雑音さえかき消す程、大きな物音がしたのだ。 一気にクラスがシンっと静まりかえり、みんなが何事かと見れば、自分の机を思いっきり蹴り飛ばした九重が、クラス中を冷たい眼差しで睨み付けていたのである。 周りポカン、勿論俺もポカン。
気づけば生徒達は黙り込んで、此方に向かってノートを取っている。 これはまさかと九重をチラリと見たら、案の定コイツ……俺に向かって笑顔でウインクを投げてきた。 おいおい。
これにより最後までスムーズに授業は進み、次の授業も九重が俺を罵倒して皆の同情を俺に向けさせることで進行の阻害を防いだのだ。 間違いない、九重は俺と全く同じことをしようとしている。
俺の敵意をまた自分に向けさせていた。 此方の苦労が水の泡じゃねぇか。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
放課後、職員室に戻った俺は一つのことに頭を悩ませた。 九重りん、アイツのことが全くわからない。
普段は他の生徒と同等、無邪気で明るい。 だが、時折見せる何処か世の中を斜めに見た達観した様子があり、冷静沈着、更に知恵が回り、それでいて大人を陥れる残忍さを持っている。
俺の知り合いで一番近いと思うのは、一色か? いや、違うな。
全ての人物に当てはまるのだ。 由比ヶ浜のような明るさ、あーしさんのような唯我独尊ぶり、川崎のように斜に構え、小町や一色みたいに甘え上手であざとい、雪ノ下のように冷静沈着で知恵が回り、平塚先生並みの手の速さ、そして雪ノ下姉のような残忍さを持つ。 うわー、ナニコレ怖い。
全部合わさって無敵じゃねぇか、海老名さん助けて…。
「ゾンビ大変! りんちゃんが!」
鏡ー! お前は職員室に来るなり、ゾンビ呼ばわり止めろー!
青木先生がは?って顔した後、あぁって納得してる。 色々許せんが、先ずはお前を許せん!
「ふざけてる場合じゃないんだって! りんちゃん助けてよ!」
…どうやらマジでヤバいらしい。 アイツ、今度は何やらかした。
鏡に連れられる形で現場に向かうと、体育館の裏で宇佐が上に向きながら危ないよ!と叫んでいた。 嫌な予感がして仰ぎ見ると、九重が10メートルはあろうかという大きな木の上によじ登っていたのである。
アイツ何やってんだよ…! 背筋がゾッと寒くなったが、改めて状況整理した。
九重の見つめる先には体育館の裏で飼っていたニャーがジッと動けない様子で固まっており、つまりはこうか、あの猫を助けるためにわざわざ登ったといったところか。 いつも冷静沈着はどうしたんだ、普通に考えて危ねぇのに!
「比企谷先生。 俺、脚立持ってきます!」
青木先生が急いで走る。 その間にも九重がしがみついている枝はミシミシと音を発て今にも折れそうだ。
なのにアイツはそんなこと気にも止めないで、枝の先にいるニャーに近づこうとする。
「バカ! 動くな!」
「でも、助けないと…!」
九重は此方の言うことを聞かない。 何故そこまで必死になる。
「“この子”、みんなにずっとイジメられて…。 信じられなくなってるから助けないと…! 優しい人間もいるんだって!」
泣きそうな九重の言葉に俺の思考が止まった。 なら、お前が宇佐を助けたのは、俺を助けようとしたのは、そのためだったのか?
彼女の手がニャーに届こうとした瞬間、バキリと最悪の音が鳴る。 枝が折れ、ニャーと共に落下した九重はすぐにニャーを捕まえ、その胸に抱き締めた。
俺は考えるより先に動く。 最近運動してなかったせいか身体少々重たかったが、受け止めるまでにはなんとか間に合った。
ギリギリでキャッチ出来たが、九重の肘が俺の土手っ腹に直撃し、視界がブラックアウト。 うわ、こんなんで気絶とか最後までカッコつかない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
気絶して保健室に運ばれた比企谷先生。 長くて軟らかそうなまつ毛に、私の指が触れる。
むず痒そうに、イヤイヤと無意識に指から逃げようとした比企谷先生は妙に可愛い。 もっと意地悪したくなる。
「りんちゃん、私ね、比企谷先生なら信じられる。 だって、信じるって言ったから。 それに、言った時の先生が泣きそうだったから…」
「うん」
知ってた。 だって、先生嘘つかないもん。
自分が嘘つきで卑怯だって、正直に言ってくれる。 まるで猫みたいな人。
私に対して急に冷たく当たり出したのも、なにかあるってすぐに気づいた。
「りんちゃん、そろそろ帰らないとレイジさん心配するよ。 看病は青木先生がしてくれるって」
「わかった。 美々ちゃん先に戻っていいよ、私はすぐに行くから」
ランドセルを背負い、退出する。 私はそれを確認してから先生の顔に近寄った。
こうして目を閉じていると、改めて比企谷先生が結構なイケメンだと実感する。 意外な美形に黒ちゃんも絶句して逃げ出したのは驚いた。
「先生、色々ありがとう。 ご褒美あげるね」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
真っ白い意識の世界。 何かが刹那に浮かび上がって、何かが一瞬で消えるそんな世界。
俺の嫌な思い出、トラウマが現れるが、すぐに消滅し、最終的に現れたのは九重の泣きそうな言葉だった。
ああ、そうか。 九重も信じられなかったのだ、大人を。
もし、俺が小学生の時、コイツと出逢っていれば一体どんな人生を送ったのだろう。
『え、先生がそんなこと言ったの!? うわ、ホンっト最低』
『ちょっとアンタ達! 告白したこともないヘタレのくせに適当なこと言ってんじゃない!』
『マジであの子に告白したの? 止めといた方が良いって、絶対将来ヤリマンだから。 数年にはア〇コ真っ黒よ』
『アハハ! 大丈夫だって! そのうち比企谷にもピッタリな彼女出来るからさ!』
『ほら、行こう! 比企谷!』
明るくて我が儘で、誰にも怖じけづかないで、でも大人ッぽい冷静沈着な性格で残忍、だけど本当はとても優しい女の子。 最高だな、お前。 生まれるの、遅すぎ。
「────先生。 先生は私が初めて信じられた大人なんだよ」
ふと、目を覚ました。 知らない天井でベットに横たわる俺。
此処は保健室か? 周りには誰もいないので、看病とか一切されなかったようだ、クソ。
つーか唇がデローンと濡れてる。 涎溢しすぎだろ、寧ろこれは見られなくてラッキーと思うべきか。
手で拭うと微かに甘い香りがした。
「あ、比企谷先生。 目を覚ましたんですね」
青木先生がやってきて保健室の窓を開けながら此方へ近寄る。 なんで男なんだよ、宝院先生呼んでこい。
「九重は?」
「あの子なら貴方のおかげで無事ですよ。 ほら」
窓から指を指す。 見れば校門を潜ろうとした鏡黒、宇佐美々、九重りんが笑いながら下校する様子が。
全く、人の気も知らないで呑気なもんだ。
「俺、正直、比企谷先生が羨ましいです」
は? お前何言ってんの。
「あんなに可愛い生徒達に慕われるなんて、教師の冥利に尽きますよ」
いやいや、アレは天使に見えるけど中身悪魔だから。 鏡や九重もそうだが、最近では宇佐もその傾向があるからね。
ああいう大人しい子がサラリと毒を吐くのは怖い。 ノーガードにダブルクリティカルだからな?
「俺、頼れるお兄さんみたいな先生になりたかったんです。 比企谷先生は同じ時期で新任なのに、もう頼られているじゃないですか。 わざわざ職員室に訪れたり」
「舐められているだけですよ」
ホント、糞生意気な程に。 別の窓に映った俺の顔がチラリと見える、不思議なことに口角が僅かに上がっていた。
次の日の朝。 当校してくる生徒達の中に、何時もの三人組が現れる。
「あ! せんせー!」
「は?」
九重は俺を見つけた瞬間、パァっと顔を輝かせて走り出すと、勢い良く飛び付いてきた。 突然のことに反応出来ない此方は素直に受け止めるしかない。
「えへへ! おはよー!」
「お、おい離れろ…」
周りの先生とか生徒とかメッチャ見てる、ヤバいヤバい。 俺がロリコン扱いされるようになったらどうするつもりだ。
「比企谷先生、私考えたんだ!」
無視か。
「先生が私をイジメてみんなに嫌われるでしょ、そしたら今度は私が先生をイジメてみんなから嫌われるの! これを繰り返していたら良いと思わない?」
「何言ってんだよ」
それは昨日、九重がやっていたことだ。 しかしその行為は問題の解決にならず、ましてや解消にもならない、ただの停滞、ズルズルと負け続ける最悪のやり方だ。
だが、この子は何を言ってもやるだろう。 そういう子だというのは痛い程理解した。
「りんちゃんばっちい! 比企谷から離れないと!」
鏡が怒りながら宇佐と共に此方へ走ってくる。 本当にお前は俺を嫌いすぎるな。
しかし、まぁ…これで良かったのかもしれない。 あのままだと絶対に辞めていた教師、別に楽しいとか遣り甲斐を見出だしたとか、そんなプラス面な理由ではないにしろ、辞める気力もないし、何より辞められない訳が出来た。
相も変わらずぼっちで誰かからイジメられる日常。 子供の頃から何一つ成長していない俺の生き方。
生きているのか死んでいるのかわからない、ゾンビのような人生。 嘘でまみれた汚い世界を見続けることになるだろうが、その褒美がこの甘い香りなら、充分だ。 これからも俺にはこれで、充分だ。
「先生、大好き!」
──そして比企谷八幡は、再びぼっちのじかんを歩む。
END
これにてお仕舞いです。
本当はレイジや青木先生、白井先生の絡みやら、九重を通して救われる比企谷を書きたかったですが、終わりが見えないので原作1巻で締めました。
感想を御覧になった方なら既に御存じかと思いますが、この話しは私が『こどものじかん』好きで宣伝するために書きました。
九重の過去や黒くなった理由を知りたい方は是非読んでください、基本ロリコンホイホイな内容ですが、大人達が良い性格してます。