比企谷八幡は猫である   作:T・A・P

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比企谷八にゃんの人間ごっこ

 

 

 比企谷八幡は猫である

 名前は八にゃんと言う

 

 野良として生まれた八にゃんは、一匹で生きてきた。親猫は早々に八にゃんを見捨てて、他の子猫を優先に育てていた。

最初の頃の八にゃんは、それでも親猫にすがりついていたが、親猫は毎回前脚で八にゃんを弾き飛ばしていた。それが何回目だったか、それとも八にゃんが母乳に頼らなくてよくなった頃だったか、今までしまっていた爪を出し八にゃんに攻撃しようとした。

 その頃の八にゃんにはすでに危機回避能力が育ってきており、ギリギリではあったが避ける事ができた。

 その日から、八にゃんは一匹になった。

 八にゃんの日々はそこから、意外と幸せだっただろう。

 家猫にはならなかったが、それでも商店街を練り歩くだけで餌が貰えた。商店街を縄張りにしていたメスの白猫は八にゃんの行動を知ってはいたみたいだが、八にゃんを縄張りから追い出すようなことはせず見守っていた。

そして、八にゃん以外の猫が縄張りに入ってくることがあれば全力で追い出していた。

 

 一匹ではあったが特に不自由なく暮らしていた八にゃんは、人間と言う生き物に興味を持っていた。

 屋根の上から人間が右往左往する姿を観察していると、大人数で歩く人間や、一人で俯いて歩く人間。大人数で話している人間たちの後ろで、たくさんの鞄を一人で持っている人間。夜にはフラフラと倒れそうな人間もいた。

 様々な人間の行き来を眺め、たまに人間たちが住んでいる家の中を窓から覗いたりして人間を観察していた。

 人間観察が趣味になってどれくらい経っただろう、突然商店街を縄張りにしていた白猫が屋根の上に居た八にゃんに会いに来た。

「ふむ、立派に成長したようだな」

「えっと、ありがとうございます」

 八にゃんはその白猫に頭を下げてお礼を言う。自分が見逃されていたことはかなり前から知っていたからだ。

「なに、お前みたいなやつはどうも放っておけないたちでな。まぁ、今日はこの縄張りをお前に譲ろうと思ってね」

「……なぜ、俺に」

「お前だからだよ」

 白猫はフッと笑って八にゃんの頭を撫でた。

「どういう……」

 八にゃんは白猫の後ろで揺れる尻尾に気がついた。

「見ての通り、私は猫又になったようでね。これから少々、人間社会で人間の勉強をしたいと思う」

 白猫の尻尾は二本揺れており、それは白猫が猫又になった証明だった。

「お前は私と同じで人間に興味を持っている、期待しているぞ」

 そう言って白猫は人気のない路地裏に降り、くるんと宙返りすると一人の人間女性がいた。その女性はスーツに白衣を着た女性で、一度屋根の上から覗いている八にゃんに笑みを向け路地裏から表通りに歩いていってしまった。

 八にゃんは唖然としていたが、少し笑った。

 

 

 八にゃんが新しい商店街のボスになってから数年が過ぎた。八にゃんは白猫が言っていたことの訳が分かった。

 八にゃんの尻尾はいつの間にか、二本に増えていた。どうやら、この商店街のボスになれば猫又になれると言うことらしい。そして、あの白猫は同じく人間社会に来いと言っていたのだ。

 八にゃんは次のボスに自分と同じ毛色のメス猫のもとに向かった。

「よう、今いいか」

「なに、お兄ちゃん」

 そのメス猫はなぜか八にゃんをお兄ちゃんと呼んでいる。

「俺は今日でこの縄張りのボスを辞め、お前に譲ろうと思う」

「お兄ちゃん、どっか行っちゃうの」

 あの時の白猫のように、寂しそうなメス猫の頭を撫でる。

「大丈夫だ、お前がこれから人間に興味を持ち続ければまた会える」

「ほんと、お兄ちゃん」

「ああ、本当だ」

 八にゃんは二本の尻尾を振って、屋根の上から路地裏に降りた。降りる途中にくるりと宙返りすると路地裏に目が腐っている一人の男子高校生が立っていた。八にゃんは屋根の上に居るメス猫に笑いかけた後、同じように表通りに歩き出した。

 

 

 

 比企谷八幡は猫である

 名前は八にゃんと言う

 

 比企谷八幡が猫であると言うことは、総武高校2-Fに限らず総武高校全体の周知の事実ではあるが、学校の誰もが知らないことになっている。

 猫又になったとはいえ、まだ猫又レベル1である八にゃんの変化はまだ完全からは程遠い。先代のボスであった白猫でさえ数年間訓練し、変化が安定してきてようやく人間社会に紛れ込むことができたのだ。猫又になってすぐ人間社会に紛れようとした八にゃんの正体がすぐにばれるのは、当たり前と言える。

 例えば、机にうつ伏せになって寝ている時には頭から耳がぴょこんと生え、腰のあたりから窮屈そうに二本の尻尾がズボンとシャツの間から顔を出す。ふわふわな耳はぴくぴくと動き、シュッとした尻尾はゆらゆらと揺れたりたまに後ろの席の戸塚くんの頬を撫でたりする。

 そして、起きる時にハッとして耳をピンッと尖らせ、尻尾を隠すそぶりをして周りをそっと盗み見る。その時クラスメイトは必ず八にゃんから目を逸らし、ホッとしてまた眠りにつく八にゃんを温かい目で見守るのがクラスの暗黙のルールである。

 

 

 さて、一年の間は帰宅部として放課後は猫の姿で人間観察をしていた八にゃんは、担任であり猫又の先輩である平塚静教諭に呼ばれた。

「どうだ、比企谷。人間の学校と言う物は」

「そうっすね、まだよく分かりませんね」

「ふむ、それはそうか。なら、私が顧問をしている部活に入ってみるか?」

「部活、ですか」

 どうだ、と言わんばかりの笑顔を八にゃんに向ける静にゃん。

「分かりました、入らせていただきます」

 八にゃんとしては恩がある静にゃんの提案は極力断るようなことはしない。と言うか、したくないと言った方がいいのかもしれない。

「それじゃあ、ついてこい」

「はい」

 静にゃんは立ち上がり八にゃんはその後に続いた。普通ならこれほど静かな廊下にでは足音が響くのだが、そこは元猫である二人だ、一切の足音が聞こえてこなかった。

「ここだ」

 静にゃんは何の変哲もない教室の前で立ち止まった。ドアの上についているプレートには何も書かれておらず、完全な空き教室だと分かる。

「邪魔するぞ、雪ノ下」

 そう言って教室のドアを開ける静にゃん、八にゃんはこっそりと教室内を見ると一人の少女がそこに居た。

「平塚先生。入る時にはノックを、とお願いしていたはずですが」

 端正な顔立ち、流れる黒髪。今まで見た人間の少女の誰よりも美しい少女が椅子に座って本を読んでいた。人間の顔の区別がまだ少し判別付かない八にゃんが認識できる数少ない人間の一人、雪ノ下雪乃だった。

「ああ、すまない。次からはするとしよう」

「その言葉、前回も言ってましたけれど」

「ん、そうだったか?」

 頭を抱える少女はため息をついた。

「それで、今日は何の用ですか?」

「なに、新入部員を連れてきた」

「遠慮しておきます」

 話はそれで終わりとばかりに、目線を本の方に戻した。

「ふむ、そうか。すまないな、比企谷。そう言うことらしい」

「平塚先生、待ってください」

 さて、ここで必要な情報を整理しておこう。比企谷八幡が猫であることは、総武高校の常識である。そして、温かくなれば日当たりのいい場所でほぼ毎日のように八にゃんは日向ぼっこをしており、ネコミミ尻尾の八にゃんが目撃されている。そして運が良ければ、熟睡して完全に猫に戻ったレア八にゃんが寝ぼけてゴロゴロしている姿を見る事ができ、もっと運が良ければ撫でる事ができる。

 そして、これが一番大切な事だが、雪ノ下雪乃は猫が大好きなのである。

「ん、どうした雪ノ下。他の部員はいらないんじゃないのか?」

 ニヤニヤと、いたずらっぽい表情で静にゃんは雪ノ下を見る。

「いいえ、別にそうは言っていません。せっかく来てもらったので、一応会うくらいはさせていただきます」

「そうか、雪ノ下がそう言うのなら。比企谷、入って来い」

「えっと、失礼します」

 先程まで非歓迎だった空気から、八にゃんはおずおずと教室内に入るとニヤニヤしている静にゃんと、目をキラキラさせている雪ノ下が八にゃんを見ていた。

「あ~、えっと、比企谷八にゃ……八幡です。よろしく」

「私は雪ノ下雪乃、歓迎するわ」

「あの、それで、ここは何部なんっすか?」

 何もない教室で、たった一人本読んでいる少女。まだ人間社会に疎い八にゃんであるが、どんな部活か思いつかない。八にゃんは連れてきた静にゃんに聞く。

「ここは奉仕部よ。依頼人を助けるのではなく、手伝う事がこの部の方針と言えば分かるかしら」

「あ~、はい、何となく」

「では、比企谷を頼んだぞ雪ノ下」

 静にゃんはそう言って部室を後にした。

「あ~えっと、改めてよろしく」

「ええ、こちらこそ」

 

 これから比企谷八にゃんは人間を知るために、人間の悩みを解決して、人間を理解していく。

 

「……………………」

「……比企谷君、比企谷君。…………寝ているわね」

「…………………………」

「ふふふ、モフモフだわ」

 

 たぶん、おそらく、できるかぎり。

 


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