図書館前では、拮抗した小競り合いが繰り広げられていた。
襲撃者は、CAD以外にもナイフや飛び道具を持ち込んでいる。一部に生徒も混じっているようだが、ほとんどが部外者――侵入者だった。
三年生を中心とする応戦側は、CADこそ持たないが、魔法力で圧倒的に上回っていた。その混戦の中、司波達也は武装一体型のCADを使い応戦している生徒に目を向けていた。
「パンツァァー!」
そんな中、西条は雄叫びを上げ乱戦の中に突っ込んでいった。その咆哮には、西条なりの意味があった。
「音声認識とはまたレアな物を……」
「お兄様、今、展開と構成が同時進行していませんでしたか?」
「ああ、逐次展開だ。十年前に流行った技術だな」
「アイツって、魔法までアナクロだったのね……」
手甲のように前腕を覆う幅広で分厚いCADで、振り下ろされた棍棒を受け止め、殴り返す。
プロテクターを兼ねたCADなら、可動部分やセンサーの露出が必要ない音声認識を採用するのは当然だろう。
とは言うものの……
「あんな使い方して、よく壊れないわね」
「あれは、CAD自体にも硬化魔法が掛けられているんだ」
硬化魔法とは、物質を構成する『分子』の相対位置を固定する魔法である。つまり分子の位置が動かなければ、物質の形状に変化は起きない。西条のCADは外装が破られない限り、壊れることはないということだ。
「どんだけ乱暴に扱っても壊れないってわけか。
ホントに、お似合いの魔法ね」
乱戦の中、西条は何かの鬱憤を晴らすかの如く暴れまわる。
黒い手袋に包まれた両手は、飛来する石礫や氷塊を粉砕し、金属や炭素樹脂の棍棒をへし折っていく。
時折火花が上がるのは、スタンバトンが混じっている為だろう。
かわしきれず突っ込んでくるナイフも、袖の下からだまし討ちで射掛けられるバネ仕掛けのダーツも、白と緑のブレザーを貫くことは無い。
「なるほど、身につけているもの全てを硬化しているのか。
全身を覆うプレートアーマーを着込んでいるようなものだな」
起動式の展開と魔法式の構築・発動が並列的に行われる逐次展開の技法により、継続される西条の硬化魔法相手には、素人に毛が生えた程度の駆けだしテロリストではその鎧を貫くことはできないだろう。
そして、純粋な身体能力で振るわれる西条の拳は、移動術式や加速術式を使っているのと遜色は無い破壊力を生みだしていた。
「レオ、先に行くぞ!」
「おうよ、引き受けた!」
司波達也は、この場を、西条に任せて先を急いだ。
「なんつー破壊力だよ……」
そんな西条の戦闘スタイルを材木座の近くから眺めながら、比企谷は漏らすようにため息をついた。
「ぬ、八幡か」
本来の消失魔法であれば姿形、音すら認識不可能となるのだが、比企谷は少しの間だけ音の相殺する術式を切っていた。
材木座に話しかけるために切ったのだが、つい洩れた言葉に材木座が反応し、手を止めず後ろに向かって声をかけてきた。
「ああ、俺だ。悪いなこんな時に」
「ふん、こんな奴ら我の敵ではないわ!」
「おい、もう少し声のボリュームを落とせ。ばれるだろうが」
周りには見えていないが、比企谷は苦い顔を浮かべて材木座に苦言を呈した。
「そうだったな。それでどうしたのだ?」
「もうすぐ沈静するがろうが、それまでお前が持つかどうかを見に来ただけだ」
そんな比企谷の言葉に、材木座はフッと口元に笑顔を浮かべた。
「当たり前だろう! 我が名は剣豪将軍、材木座義輝であるぞ! この程度造作もないわ!」
そんな材木座を見て比企谷は苦笑を浮かべつつ、術式を戻し図書館内に入って行った司波達也たちを追った。
比企谷は司波達也たちが図書館の中に入ってから少し遅れ、図書館内に入らず入口から中の様子をうかがっていると、不意に見られているような感覚を受けていた。
「使っているな」
どうも誰かが、いや、十中八九の確率で司波達也が知覚系魔法を使ったのだろう。他人がイデアに干渉している感覚は、比企谷にとって手に取るように分かる。
少しの間その感覚が続き、フッツリと感覚が消えた後少し間が開き、司波達也たちは行動を起こしていた。
おそらく受け付け用に作られていたカウンターの陰から、千葉が飛び出てきた。音もなく、気配もなく、すべるように階段への急迫。
手に持っている柄にCADを仕込んだ伸縮警棒はすでに進展済みで、待ち伏せていたであろう敵は逆に奇襲を受けた。
振り下ろされる警棒は、打ちこまれた瞬間、背後へ翻っている。
一瞬の間に、千葉は二人の敵を打ち倒した。
その音で、階上にいた二人の待ち伏せ要員が千葉に気が付き、一人が階段を駆け下り、もう一人がその背後で起動式を展開していた。
しかしその起動式は、サイオンの閃きと共に砕け散った。状況を把握しきれず呆然と立ち尽くす魔法師の卵は不自然に硬直したかと思うと、バランスを崩して階段を転げ落ちていった。
どうやらいつの間にかカウンターから出ていた司波兄妹が起動式の破壊と、動きを強制停止させ階段から転がしたようだ。
そんな中もう一人の伏兵は階段を駆け下り終わり、脇差のような本身の刀を振るって千葉に斬りかかった。
「ちっ……
達也くん! ここはあたしに任せて先へ行って!」
「分かった」
司波達也は力強く床を蹴り、司波深雪は軽やかに床を蹴った。
司波達也の身体は壁を跳ね、司波深雪の身体は宙を舞った。
二人は、一気に階上へ降り立ち突き当たりにある特別閲覧室に向かった。
「ひゅ~」
その姿を目にし、千葉は口真似で口笛を吹き、呆気に取られた同盟の生徒は目を見開いていた。
「さて、俺も行くか」
入口で一部始終を覗いていた比企谷もようやく図書館内に入り、二人の横をすり抜けて階上へ上がって行った。
特別閲覧室では「ブランシュ」のメンバーが端末にハッキングをしかけていた。
壬生紗耶香は目の前で行われているその作業を、複雑な心境で見つめていた。
半年以上前に司甲の仲介である人物に引き合わされた。それが司甲の義理の兄、反魔法活動団体『ブランシュ』日本支部リーダー、司一。
その司一から魔法研究の重要文献を持ち出す手伝いを言われ、壬生紗耶香はここにいる。
本当であれば討論会の方に参加したかった。だが、こちらの方が適役だと司一に説得され、鍵を無断で持ち出し、ハッキングの片棒を担いで……自分のしたかったことが分からなくなってきていた。
こんな事をして本当に差別撤廃につながるのか――と。
「……よし、開いた」
三人の間で小さくざわめきが走った。
慌ただしく記録用ソリッドキューブが準備される。
そんな彼らの顔に、確かに「欲」が過った気がした壬生は、彼らから目を逸らした。
目を、扉の方へ。
だから、気がついたのは、彼女が一番早かった。
比企谷は柱の陰に隠れつつ、目の前の二人の動向を観察していた。
無駄のない動きで特別閲覧室に急ぐ二人を追うのは、比企谷でも容易ではなかった。消失魔法を使っているとはいえ、慎重に慎重を重ねなければ見破られてしまう可能性がある。ただ幸運だったのは、それほど長い距離ではなかったというところか。
特別閲覧室の前に着くと扉は硬くしまっており、司波達也はおもむろにホルスターから拳銃形態のCADを取りだし、扉に向け引き金を引いた。するとさっきまで開く気配が微塵もなかった扉は、すんなりと、倒れた。
「……ちっ、マジかよ」
そう、比企谷は心の奥底から呟いた。
「ドアが!」
中から女生徒のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。
「バカな!」
常識外の光景を目の当たりにしている男たちは、意識も動作も凍りついたように動けず、持っていた記録キューブが砕け散った。続けて、ハッキング用の携帯端末が製造工程を高速逆回転させたかの如く分解した。
銀色に輝く拳銃形態の特化型CADを司波達也は右手に構えている。
「司波君……」
呟いた壬生の隣で、右腕を上げる動きが目に映った。
降参のサインではなく、実弾銃を向ける。その光景に、壬生は無言の悲鳴を上げた。
だが、その拳銃から弾丸が飛び出ることは無かった。拳銃を構えていた男は声を出す事ができないほどの激痛に、のたうち回っていた。その右手には拳銃を握ったまま、いや、拳銃がその手に張り付いていた。右手を紫色に腫れ上げながら。
「愚かな真似はおやめなさい。わたしが、お兄様に向けられた害意を見逃すなどとは、思わないことです」
その口調は静かで、丁寧で……威厳に満ち溢れていた。
「おいおい、兄妹そろって厄介すぎるだろ。敵に回したくねぇぞ、おい」
比企谷はすでに笑うしかなかった。
「壬生先輩。これが、現実です」
「えっ……?」
「誰しもが等しく優遇される、平等な世界などありえません。才能も適性も無視して平等な世界があるとすれば、それは誰もが等しく冷遇された世界。
本当は分かっているんでしょう?」
壬生は、焦点の合っていなかった瞳の、焦点を結ぶ。
「壬生先輩、あなたは魔法大学の非公開技術を盗み出す為に利用されたんです」
「どうしてよ!
なんでこうなるのよっ?」
そう感じた瞬間、壬生の中で、彼女さえよく分からない感情が、爆発した。
「差別をなくそうとしたのが間違いだったの!
平等を目指したのが間違いだったというの!
差別は確かにあるじゃない!
貴方だって同じでしょう!
そこにいる優等生の妹といつも比べられていたはずよ!
そして不当な侮辱を受けてきたはず!
誰からも馬鹿にされてきたはずよ!」
それは比企谷八幡がいる場所まで届いてきた。そして、比企谷八幡は呟き、
「だから、あまえるなっての」
心底どうでもいいかのようにため息を付く。
「わたしはお兄様を蔑んだりはしません」
静かな声だった。静かな声で、怒りを込められた声だった。
「たとえ、わたし以外の全人類がお兄様を中傷し、誹謗し、蔑んだとしても。わたしはお兄様に変わらない敬愛をささげます。
私の敬愛は、魔法の力故ではありません。
魔法の力ならば、わたしはお兄様よりも数段上。しかしそれは、わたしのお兄様への想いになんの影響も持ち得ません。
そんなものはお兄様の、ほんの一部に過ぎないと知っているからです。
誰もがお兄様を侮辱した?
それこそが許し難い侮辱です。
お兄様を侮辱する無知な者どもは、確かに存在します。ですがそのような有象無象の輩以上に、お兄様の素晴らしさを認めてくれている人たちがいるのです。
壬生先輩、貴方は可哀想な人です」
「なんですって!」
声だけは、大きかった。だがそれは反射的に口が動いただけで、その声には力も想いも感情も、空っぽだった。
「貴方には、貴方を認めてくれる人がいなかったのですか?
魔法だけが、貴方を測る全てだったのですか?
違うでしょう?
お兄様は貴方を認めていましたよ。その美しさと、剣士としての強さを。
結局、誰よりも貴方のことを劣等生と――『雑草』(ウィード)と蔑んでいたのは、貴方自身です」
壬生は、反論できなかった。
いや、そもそも反論しようとする考え自体が浮かばなかった。
人は考えることを放棄した時、自らの意思も放棄する。棄てられた意思の抜け殻に、悪魔の囁きは忍び込む。この場合は、傀儡師の囁きか。
「壬生、アンティナイトの指輪を使え!」
今の今まで、無様にも、十六歳の少女の背中に隠れていた男が突如叫んだ。
悲鳴にも似た叫びと共に、床に向かって腕を振り下ろした。
小さな発火音が聞こえ、部屋に白い煙が充満する。それと同時に、耳障りな不可聴の騒音が響いた。
それはサイオンのノイズ――キャスト・ジャミングのはどうだった。
三つの足音が煙の中から聞こえ、司波達也は手を突き出した。
煙の中の掌底打ち。司波達也の目は閉じられていた。
鈍い、肉を打つ音が、床を叩く音が聞こえてきた。
「深雪」
司波達也は司波深雪に合図を出し、司波深雪はその合図の意図を分かっているのか、白い煙を吸い込んで行き、最後にはピンポン球くらいまで圧縮し視界はクリアになっていた。
視界が回復した部屋には、三人の男が横たわっていた。
「お兄様、壬生先輩を拘束せずとも良かったのですか?」
司波深雪は不思議そうに訊ねた。
「不十分な視界の中で無理をする必要はない。
それに――ここから出入口への最短ルートを考えてみろ、今の壬生先輩に他のルートを選択している余裕はない。必ず一階ホールに通じる階段下に出るはずだ。
そこにはエリカがいる」
それよりも、と司波達也は後ろを振り返る。
「いつまで見ているつもりだ、比企谷」
そう、誰もいないように見える廊下の先へ目線を向け、声をかけた。
「お兄様、どういうことですか?」
司波深雪は兄から目線を外し、司波達也と同じ方に目を向けるがそこには誰もいなかった。
「俺が気がついていないとでも思ったか」
そう廊下に先に向かって呼びかけるが、誰も姿を現す様子を見せなかった。
「……」
「……」
二人はそのまま無言で立ちつくしているが、なにも起こらず時間だけが過ぎていた。
「やはり、食えない奴だ」
何があっても対処できるように入れていた体の力を抜き、少し息を吐いた。
「誰もいないように見えましたが」
「おそらく、さっきまで比企谷がそこにいただろう。
いや、あいつのことだ、いなければおかしい」
その声、口調には確信がふくまれていた。
「俺の想像だが、あいつはなんらかの隠形魔法を得意としている。そしてこの状況を見逃すはずがないといすれば、俺を偵察する為にいなければおかしい」
「どうしてそんな事をするのでしょう」
「あいつも守るべき者がいると言うだけだ」
転がしていた三人の男たちを拘束し終えた後、司波達也と司波深雪は一階ホールに向かって歩き始めた。
「いつまでも見ているつもりだ、比企谷」
そう、司波達也の声が聞こえてきた。
「ちっ、やはり気がつかれたか」
比企谷はその場から動かず、より慎重に柱の陰から様子をうかがっていた。
「俺が気がついていないとでも思ったか」
今すぐにその場を離れるべきか、それとも姿を現すべきか。
無言でこちらに顔を向けている司波達也からどうやって逃げようかと頭の中で算段を比企谷は立てながら、意識が離れる隙を窺いながら司波達也を観察していると、ある事に気がついた。
「……いや、ハッタリか?」
司波達也はその顔を比企谷の方へ向けてはいるものの、目線や視線は比企谷がいる場所に向いてはいなかった。司波達也は自身の勘や推論でいい当てたにすぎないと、比企谷は判断した。
「普通に逃げるか」
比企谷はその場からごくごく普通に、しかし、慎重に離れた。どうやら予想通り、姿が見えていた訳ではなかったようだ。
図書館を出る途中、千葉と壬生が打ち合いをしており、ちょうど勝負が決まるタイミングだった。しかし、比企谷はそんな事に目もくれず脇を通り過ぎ、いち早く図書館の中から出て行った。
ただ、途中に落ちていたアンティナイトの指輪を回収して。