――トラックに轢かれた。
そう頭で理解するのに、一体どれくらいの時間がかかっただろうか。
学校の帰りにちょっとGE○に寄ってアベンジャーズ借りて帰ろうとウキウキしていた俺がふと前を見ると、なんと信号無視で、突っ込んできたトラックに子猫が轢かれそうになっているではないか。
普通の人なら見捨てるか、これから起こるであろう惨劇に目を覆っていたことだろう。だが、俺は…俺達は違う。愛しのキャップならきっと子猫を助けるはずだ。
足に力を込めて前方へ駆け出す。身体能力は良い方ではないが、やるしかない。
伸ばされる手。
華麗に避けるネコ。
一人吹っ飛ばされる俺。
まっすぐ家に帰らず寄り道をしたバチでも当たったのだろうか。こうして俺は子猫を救った英雄から、奇声をあげてトラックに突っ込んで行った変態へとジョブチェンジを果たしたのだった。
ぼんやりとした意識の中で、これまでの人生の記憶がスローで流れていく。
へぇ、走馬灯ってこんな感じなんだ……。
小さい頃に他界した両親との少ない思い出、家族とバカな話で笑いあった記憶。
そのどれもが思い浮かんでは泡のように消えていった。
待ってくれよ、それは大事な物なんだ。
必死に手を伸ばそうとしても、届かない。
最後に浮かんだのは姉さんの顔だった。
厳しいくて口うるさいけど、その何百倍も優しい俺の自慢の姉。
姉さんは悲しそうな顔でこっちをじっと見ていた。
ああ、悲しまないで、姉さん。
生まれ変わったら俺、銀髪オッドアイのイケメンのチート能力持ちにしてもらうんだ。やべっ、新しい名前も考えとこ。なんか米国風のかっこいいの。
おーい、神様ー?
そろそろなんかやたらフランクな口調で現れるんじゃないのー?
あっ、なんか天から白い光が降ってきた!これ死なない感じのやつだ!
やったー神様だぁ!ねぇ、俺が死んだのは手違いなんてしょ?
あっ、違うあれ天使だ。完全にお迎えだわこれ。
***
「全治2週間ですね」
「…はい、先生」
事故った翌日、なんとか天使を振り払って現世に蘇った俺を待っていたのは病院の無機質なベッドの感触と、主治医の石田先生の冷たい宣告だった。
先生はカルテを手に持ちながら、俺の今の状態についてあれこれと聞いてきた。当然、一番聞かれたくない事も…。
「それで、どうしてこんな事になったの?」
「……キャプテン・アメリカになりたかったんです…」
「……はぁ」
先生、患者の前で露骨に溜め息をつくのはやめてください。
「私がわざわざ言わなくても分かってると思うけど、お姉さんのこともあるのよ? やんちゃするなとまでは言わないけど、無茶なことをするのはやめなさい」
「はい、ごめんなさい……」
「もういいわ。それよりもお友達が来ていますよ」
「お友達?」
体を起こそうとすると、脇腹の辺りに激痛が走る。
やばい、これめっちゃ痛い。
というか、友達って誰だ?
「こんにちはー」
「お邪魔します。楓くん、お見舞いに来たよ」
お友達の正体は同じクラスのアリサ・バニングスさんと月村すずかさんだった。
正直、クラスで何度か話したことがあるくらいで、そこまで親しいわけじゃなかったから、2人が来てくれた事は意外だった。
普段は高町さんとよく一緒に行動してる2人だけど…どうやら今日はいないみたいだ。
「アンタ事故ったんだって? ホームルームで聞いてびっくりしたわよ。よく生きてたわね」
「ああ、うん…」
…ホームルームで言われたのか、俺のこと。
多分、初めて俺がクラスの話題の中心になったんだろうけど、多分自分からトラックに突っ込んだアホだとか言われてんだろうなぁ…。あぁ、なんか目頭が熱くなってきた。
「…やっぱり神様なんていなかったね」
「ちょっと、あんた大丈夫? 頭打った?」
気にしないで、バニングスさん。ちょっと世界の残酷さに気付いただけだから。あと、神様はいなかったけど天使ならいたよ。
「やっぱりまだ体は痛むの?」
「まぁ、一応トラックに轢かれたわけだからね。でも、なんてゆーか…ちょっと感動したかも。バニングスさん達って、すごく優しい人だったんだね。わざわざ、お見舞いに来てくれるなんてさ…」
「ん?ああ、ちょっと怪我したフェレット拾ってね。ついで?」
「ついで!? 俺、フェレットのついで!?」
「ちょっとアリサちゃん!」
今明かされる衝撃の真実! 俺、フェレット以下!!
なにこれ? いじめ? 優しさを装った新手のいぢめですか?
というか、その「あっ、やべっ」みたいな顔やめろ。
「もう帰れよ、あんたら…」
「アンタなにカッカしてんのよ?
これだからコミュ障は…。何でキレるか分かったもんじゃないわね」
「き、きっと入院しててお友達に会えなかったらからちょっと機嫌が悪いんだよね?」
「ははっ、やぁねぇすずか。だったらこいつは年中機嫌が悪いことになるじゃない」
「帰れェッ!!」
というか、今まで俺をどんな目で見てたんだよバニングスさん。
「でも、実際あんた友達いないじゃない? クラスで誰かに話しかけられたことある?」
―――っ!
「…はは、やだなぁバニングスさん。
確かにクラスじゃ目立たない方だけど、俺だって友達の一人や二人…」
「例えば?」
「……虎吉とか」
「それって近所の野良猫でしょ?
こういう猫と壁しか友達のいない人間にはなりたくないわねぇ」
「ねぇ、もしかして俺嫌われてんの!?」
あと壁を友達にした覚えはねぇよ。時々話し相手になってもらうだけで。あれ? なんか死にたくなってきた。
「そ、そんなことないよアリサちゃん!
わっ、私は楓くんのこと友達だと思ってるよ!」
そうだそうだ月村さん、もっと言ってやれ。そして俺をこのイエローデビルから救っておくれ。というか俺これからクラスでどんな顔してバニングスさんと過ごせばいいんだよ。無理だろ、もうなんか怖いわこの人。
「あら、もうこんな時間。
すずか、そろそろ戻らないと習い事のバイオリンに遅れちゃうわ」
「あ、ほんと…。あの…今日は邪魔しちゃってごめんね。…また、来ても良いかな?」
「…まぁ、俺が暇なときならね」
「つまりいつでもOKだそうよ」
そうは言ってねぇよ。もう嫌だこの人…
「じゃあまたね、バイバイ。
…ああ、アンタにとっては未知の領域だろうけど、日本人は別れる時にこういう挨拶をするのよ」
「俺だってするよ!?」
こうして嵐のような女は悪魔の微笑を浮かべながら去っていった。何であいつに友達がいて俺にはいないんだよチクショウ。もう退院しても学校行きたくねーよ。
次にお見舞いに来てくれたのは近所に住むオバハンだった。所謂カミナリババアとは違い、この人は普段から何かと気にかけてくれる人の良いババアだ。時々夕食なんかもウチに持ってきてくれる非常に頼れるババアだ。
「それにしても楓ちゃんも運が良かったわね。打ち所が偶然よかったおかげで助かったんですってね」
「そうですねぇ。本当に運が良ければそもそも轢かれない気もしますけどね」
いや、まぁ9割方自分の責任なんですけどね。
「そういえばお姉さんはまだお見舞いに来ないのかい?」
「あー…姉さん。姉さんね…」
軽くこめかみの辺りを押さえる。
「実は俺…姉さんには教えてないんですよね、病室」
「はぁ?」
おばさんが素っ頓狂な声を上げる。そりゃそうなるよね。
もちろん、俺だって別に意地悪でこんな事をしたわけじゃない。ちゃんとそれなりの理由があってのことだ。…本当なら入院、ひいては事故のことそのものを隠したいところだったけど。
なぜなら…
「姉さんの趣味は俺の身を心配することだからね。この事を姉さんが知ったらどうなるか…」
「どうなるって言うの?」
「楓ぇぇぇぇえええぇぇえぇぇぇえええぇぇええ!!」
「こうなるんだよ」
車椅子でF1カーのような加速とドリフトを華麗に決めながら、病室に小柄な女の子飛び込んでくる。
俺と同じ顔、同じ体格、同じ声。言うまでもなく、我が双子の姉、八神はやてだ。
おばさんには目もくれず、華麗なスピンでベッドの真横に車椅子を停止させる。
もう俺の知ってる車椅子じゃねぇなこれ。つかどうやったの?
「楓! 怪我痛ない?
ババアになんか変なことされてへんか!?」
「おい姉さん!そんな言い方したらババアに失礼だろ!!」
「あんたもね」
「ごめんな、楓。お姉ちゃん、楓が痛い思いしてる時になんもしてあげれんかった…お姉ちゃんのこと嫌わんといて!!」
いや、嫌わないし。ちょっとウゼェけど。
「それと何でお姉ちゃんに場所教えてくれへんかったん!? お姉ちゃん心配で心配で昨日はお風呂もご飯もトイレも行けんかってんよ!?」
「いや、それまぁ…ごめん。姉さんに心配かけたくなかったんだ」
あと、今まさに起きてる姉さんの暴走を食い止めたかったんだけどなぁ…。でも確かに唯一の肉親としては不義理な態度だったかもしれない。
いや、まぁ、あんなしょうもない理由で事故ったからどんな顔して会えばいいのか分からないっていうのもあったんだけどさ。
「というか、風呂と飯はともかくトイレには行こうよ…。ねぇ、姉さん。これから俺の入院中は自分のことは自分でしなきゃ駄目なんだよ?」
「…えっ?」
姉さんの表情がピシリと凍る。まるで世界の終わりでも聞いたような顔だ。
そして、姉さんがおもむろに携帯電話を取り出して誰かに電話をかけはじめた。何秒かのコール音の後、相手につながった様だ。
「石田先生、恋の病がひどいんで入院したいですぅ」
『ごめんね、バカにつける薬はちょうど切らしてるの』
ブチッと、電話が切られる。
そらそうだろうよ。俺も今兄弟の縁を切りたくなったもん。
「いややぁ! いややぁ! 楓のいない生活なんて耐えれへん!!」
車椅子に乗ったまま手を放したまま車椅子を動かすという奇妙な駄々のこねかたをする。何だよそれ? 何がしたいんだよ? どうなってんだよ?
「分かった。分かったから! 姉さんがお見舞いに来てるうちは相手するから! ね?」
「うう…分かった……。あっ」
さっきとは一転、姉さんは何故かやたらニコニコしながら俺を見ていた。いや、正確には俺と、ベッドの近くに備え付けられた車椅子を見てだろうか。別に姉さんにとっては車椅子なんてさほど珍しくもないだろうに。
「おそろいやね!」
うん、嬉しくないね。というか車椅子がおそろいで喜ぶ兄弟とか気持ち悪いわ。
「それよりも楓、またそないな喋り方して…。そんなに方言が嫌なん? お姉ちゃんホンマ悲しいわ…。お姉ちゃんのこと、嫌いになってもうたんか?」
「ああもうめんどくせぇよこの姉!! でも大好き!!」
「私も愛してる! でも、それならなんで喋り方変えたん?」
「それは…っ!」
言っていいものか一瞬迷う。
でも、姉さんの表情からして、言わないと絶対に納得しないんだろうなぁ…。ああ、分かったよ、言うよ。言いますよ。
「…だってさ姉さん、俺が関西弁使うたんびクラスの奴らにからかわれるんやもん! いや、別にそれだけならええねんで? でもな? あいつら面白がって似てもないへったくそなな関西弁のマネしだすんやもん! 耐えられへわ!!」
『~~やねんで!』 とか言ってとけば関西弁になると思っているやつとかはかなりイラッと来る。馬鹿か。あと姉さん、俺、別に愛してるとは言ってないです。
まぁそんでもって、案の定姉さんは日中ずっと病院に入り浸るようになった。
日本よ、これが姉だ。