元が上等なものだったのだろう。長い時を経て尚、独特の味ともいうべきものを醸し出している木製のテーブルに手を突き、溜息を一つ。多少は片付いたホーム、つまり【吸血姫の屋敷】のうちの一部屋でくつろぐ。べったりと机の上に上半身を倒す。机の木目で頬に変な跡が付きそうだが、そこは無視しておく。
一旦落ち着けば、すぐにあの憎たらしいシロのドヤ顔が浮かんでくる。
正直に言えば、シロを舐めていた。基本的にアホっぽいので、ゴリ押しでなんとでもなると心のどこかで思っていたことは否めない。
「……結果だけで言えば負けてはいないと思うんだけどね」
結論から言えば、間に合った。コレットがワールドゲートに飛び込み、外に出た後に世界は消滅し、クロトさんと聖剣ティーリアも無事だったらしい。黒アリスこと、クロが外の世界に連れ出されたことも合わせれば目的は達したといっていいだろう。だが、ゲーマーとしての矜持がボクを納得させない。ぐぬぬぬ。クリアじゃ。完全無欠なクリアを余は欲しておるのじゃ。……なんて。結局のところ、だ。
――最善を逃した。
これに尽きる。
魔導魂核は早期に回収を阻止出来たほうだと思う。下手すれば万単位で回収されていても全然おかしくなかったし。クロも外に出すことに成功した。問題は残りの魔導魂核を持たせたまま逃がしたことだろうか。恐らく、結局は今回のイベントは前哨戦なのだ、今後訪れるであろう悪魔絡みの大規模なイベントの。魔導魂核を収集していたのは恐らくコレだろう。今回は成功、つまりは収集した魔導魂核は少ないはずなのだ。問題は、この収集数が少なかったことがタイムリミットの延長になるか、それとも難易度の緩和になるかだ。……もし、数十万個も魔導魂核が集まってたらと想像すると、全然笑えない。本気で世界滅ぶぞ。
「主、私は納得いっていないぞ。あの場面で私が主を連れて逃げることも出来た」
コレットはどこか寂しそうに頭を振って、声を絞り出した。
「……仕方ないでしょ。あそこで世界が滅ぶからクロトさんだけでも連れ出してってボクが言ったらどうする?」」
「主を連れて逃げるな」
「……コレット」
迷いなき断言だった。
これがヴァンパイアの価値観というやつなのだろうか。大切なモノとそれ以外、分けるのはいいのだが、いくらなんでも格差が酷い。今回の場合はイベントステージ故かデスペナルティそのものがなかったが、通常、死んでも多少のペナルティがあるだけの渡りびとは取り返しようがある。ボクだってNPCとはいえ、知り合いをむざむざ見殺しにはしたくはない。
「……主の言いたいことは分かっている。だがな、私も二度も同じことを繰り返したくなどない。それだけは分かって欲しい」
真剣な光を宿した真紅の瞳に真っ直ぐに射抜かれて、少しだけ狼狽えそうになる。ここまで真剣なコレットは初めて、いや、最初の頃のコレットはこんな感じだった気がする。
「コレット、コレット」
ボクが手招きすればコレットがこちらに顔を寄せてくる。
そっとのその頬に触れ。指先で摘み、横に引っ張る。
「うりうり」
「……ひっふぁいらんろふおりらあうい」
おぉ、もちもちの柔らか。
こんなこと他人には出来ないけど、コレットならまぁいいかと思える。これも仁徳なのだろうか。……なんて微妙な仁徳なんだ。
「これはコミュニケーションなのです」
「……こみゅひゅけーひょんららひははらいら」
ボクにほっぺたを弄ばれているコレットが小さく笑みを作った気がする。
◇
翌日、ボクはリデアの街のギルドに居た。
なぜかというと簡単な話、渡りびとが新たな機能を解放したのだ。
ギルドホーム:ギルドホームに設定された場所にはシステムコマンド、盟友の扉を用いると帰還することが出来るようになります。帰還中に盟友の扉を使用すると前回盟友の扉を用いた場所に戻ることが出来ます。盟友の扉を用いた帰還を行った場合はギルドホームの敷地外に出ることが不可能になります。盟友の扉の召喚には発動から十五分の発動時間が必要になります。一部の場所では使用することが出来ません。ギルドホーム所有ギルドのみ使用可能です。ギルドホームの規模をギルドメンバーの人数が上回った場合、盟友の扉、盟主の扉は使用不可能になります。ギルドホーム所有者はギルドマスターでなければなりません。
盟主の扉:盟友の扉と同様の機能に加え、ギルドメンバーの現在地点へと扉を開くことが出来るようになります。展開中の盟主の扉はギルドメンバーが利用することが可能です。他のギルドメンバーの現在地点に扉を開く機能は一週間に一度しか使用出来ません。
どうやら、ボクの他にもホーム所有者が出たらしい。それもギルドホームとして利用する形で。クエストで手に入れたものなのか、流れで手に入れたのか、それとも金銭で入手したのかは分からないが、正直言って凄く便利だと思う。
特に盟主の扉だ。これの利便性には計り知れないものがある。現状最も有用な移動手段と言ってもいいかもしれない。大規模なギルドならば一度ギルドホームに帰還し、そこからギルドマスターの盟主の扉を用いてギルドメンバーに使用させれば、大規模な移動が出来る。一週間に一度という縛りがキツいが。あとは、人数が増えれば増えるほどギルドホームの規模を広げないといけないのもデメリットか。なんかもう、数十人規模のギルドはちょっとしたアパートくらいの規模がないと駄目なんじゃないだろうか。普通の一軒家くらいじゃ無理だと思う。まぁ、ボクには基準が分からないけど。
「ギルドの作成自体は可能ですが、作成時点で多少の金額が掛かります。お二人で旅をするならギルドは不要かとも思いますが、本当に作成して宜しいんですか?」
ミーアさんは怪訝な表情を浮かべている。
まぁ、そうなるよね。コレットは使役魔物枠なので、ボクがやっているのは一人ぼっちのぼっちギルドの作成だ。
「構いません」
「……分かりました。それではギルド名をどうぞ」
「"トーチ"でお願いします」
トーチ、つまりはたいまつだ。割りと思いつきで決めたが、灯火の巫女姫なのだからこれはこれで丁度いいのかもしれない。
現在【吸血姫の屋敷】の所有権を保有しています。
所属設定をギルドホームへの変更が可能です。変更しますか?
尚、この設定はいつでも変更することが出来ます。 Y/N
現れたシステムウインドウを承認する。
これで【吸血姫の屋敷】はギルドホームに変更された訳だ。ミーアさんから返却されたギルドカードには新たにトーチの名前が刻まれている。
ユラ Lv28 性別:男 称号:なし
所属ギルド:トーチ(Master)
【陣術】Lv22 【テイミング】Lv16 【自衛の心得】 Lv18 【盾】Lv20 【投擲】Lv17 【調薬】Lv6
使役魔物:リビングドール:ヴァンパイア
称号欄がなしになっている辺りに違和感を感じるが、それをなんとか飲み下す。そういえばギルドカードの方は巫女姫関連のワードは消したんだっけ。すっかり忘れてた。
「ありがとうございます」
「お気になさらず。……しかし、もう行かれるんですか?」
いきなり確信を突かれたことに少しだけ驚く。やっぱりこの人、鋭いな。
「……そうですね。よく分かりましたね」
「街から街へ渡る冒険者たちは決まって旅立つ前に、いつも似たような顔をしていますからね」
少しだけ憂鬱そうな表情を浮かべるミーアさん。
「……はぁ。せっかく腕が立って扱いやす……久しぶりに有望そうな冒険者だったんですけど残念ですね」
今、扱いやすいって言った! 絶対扱いやすいって言った!
物理的に強い人よりこういう人の方が厄介な気がする。荒くれ者を毎日相手しているだけあって精神的に図太い。
「冗談ですよ。これからどちらへ行かれるんですか?」
「幻想の森、ですかね」
「……それはまた、面白いところに行こうとしていますね」
「そんなに面白いところなんですか?」
「テイミング持ちの方はそこそこ向かわれる場所ですね。あの辺りは珍しい魔物も多いですから。知性ある魔物ならば力のない者でも気に入られる可能性もありますしね。……まぁ、結構な割合でその……ねぇ? 頭からぱっくんと……」
「そんな恐いこと言うのやめてください」
「そうですね。脅かすのもこのくらいにしておきましょう」
ミーアさんはさらさらとペンを走らせ、一枚の手紙らしきものをしたためると、封筒に入れて丁寧に封をした。
「道中でここに向かうことがあれば、行ってみて貰えませんか。この手紙があれば多少は融通して貰えるでしょう。向かわないようなら千切って捨ててください」
「……この手紙の内容は?」
「勿論秘密です」
ですよねー。なんとなくそんな気もしてた。
ボクが幾つかの頼みごとをしてから、礼を告げて外に出ようとするとミーアさんに小さく呼び止められた。ミーアさんは長い髪を搔き上げると耳元を晒して見せた。
「―――行ってらっしゃいませ、我らが姫様」
綺麗な青の髪に隠れていたミーアさんの耳は尖っていた。
わぁい、次回掲示板回で三章終わりです。