瞼を開く。少しだけ埃っぽい部屋の隅にはポーチ付きのベルトが転がっていた。そうだ、昨日は邪魔だから外したままログアウトしたんだっけ。
話は変わるが、推奨されるログアウト方法が幾つか存在するが、基本的にログインとログアウトは横になったまま行うのが推奨される。なぜなら、ログイン直後の感覚というのは、安定性に欠くからだ。横になってログインするのにログイン後は立っている。そんな状態では、バランスを崩してその場で転んでしまうことも珍しくない。
横たわっていたからか、髪がくしゃくしゃになって、ポニーテールを留めていた黒のリボンが枕元に落ちている。
「……どうやって留めるんだろう、これ」
手を後ろにやり、髪を纏めて適当に結ぶ。
なんだか少し巻き込んでいるというか、髪の位置に違和感があるが、多少は仕方ないだろう。
テーブルの上には、街で買い込んだ串肉の串や、パンの欠片らしきものが散乱していた。――また散らかしたな、コレット。
コレットには生活力がなかった。というか基本的に駄目人間……いや、駄目ヴァンパイア、略して駄パイアだったのだ。そもそもの話、特定のこと以外をひっじょーうに軽視するのだ。大事なことと、それ以外。非常にシンプルな駄パイアだ。
「まったくほんとにもう……」
上下に開く木製の窓を押し、部屋の空気を入れ替えると、面倒なのでその窓から外に飛び出す。体が小さいことはこういう時にだけは便利だ。
壊れた噴水近くのボロボロの小屋の中にある井戸から桶に水を汲み上げては水入りの桶をストレージに収納していく。こうすることで桶を水の入った桶としてシステムに認識させて楽が出来るのだ。
クラウスさんのお店に水に関する道具が幾つかあったのだが、使い捨てであったり、ちょっとお値段が張るものだったので保留。いつかは欲しいけど、今は要らない。
埃を掃き、汚れを水に浸けたボロ布で拭き、ゴミを片づける。
次に廊下に出て、同じことを繰り返す。次に食堂と少しずつ、少しづつ片づけているのが功を奏したのか、最初に比べれば大分マシになった。
ダンスホールとかは除いて、使いそうな場所くらいは最低限綺麗にしておきたいものだ。
次に、外に出て植えておいた薬草の類を幾らか収穫し、ついでに水を撒いておく。かなり雑な扱いなのにじりじりと生息域を増やしている下級薬草の生命力は凄いと思う。ぶっちゃけ、個人レベルで使うならリジェネレーションポーションは使い放題レベルだ。
「……いつか灰になる日まで結うって言ってたのに、アホコウモリ」
溜息を一つ。
こんなんじゃ駄目だなぁ。昔と同じ、繰り返しになってしまう。感情移入しては、お別れして。感情移入しては、お別れする。――この世界もいずれ終わる。だからこそ、ボクはオフラインゲームという終わりのない世界を好んだ。そのはずだったんだけどなぁ。それでもこの世界を嫌いになれそうにもない。――楽しんで、楽しんで、遊び尽くして……。最期に笑って終われれば、それ以上はない。
視界の端でウインドウが小さく光を放っていた。
フレンドからメッセージが一件あります。
タッチすれば、フレンドリストが展開され、同時にメッセージ内容が広がった。まっさらだったフレンドリストに刻まれたスイの文字がログイン中を示す緑色になっていた。
どうやらイベント攻略の準備が整ったようで、ワールドゲート前に来てほしいとのことだった。なんか今のボク、凄くVRMMOしてる気がする。なんだろう、新鮮。
◇
「やっほー! 巫女っち! 踏んでー!」
「もう一回埋めてからでいいですか?」
「いや、服の中に土が入るんで……冗談です。許してください……」
ベレー帽を両手で抑えて、わざとらしく震えるスイさん。またまたご冗談を。きっと精神的に大分余裕があるに違いない。コレットだって泥濘の陣で溺れながら蹴られても平気だったし。
「まぁ、こんな美少女スイさんのウィットに富んだジョークは置いておいて……」
「……美少女って」
――自分で言っちゃうんですか?
と言いかけた時だった。
「び、美少女だし! 現役大学生だって少女の範囲だし! ちょっと見た目は若返らせてるけど美少女だし! 就活ももう内定貰ったし!」
「……だ、大学生……? 就活……?」
てっきりちょっと年上くらいかと思ってたけどもっと上だった。
もしかしたらもう成人してるのかもしれない。
「……あっ」
「……」
気まずい沈黙が落ちる。
心なしか、周囲の気温が一気に下がったような気がする。
「おっす、女子大生さん。なに、誰だって若い頃の自分に焦がれるものさ。分かる、分かるぜぇ……」
「自称JDパイセンちぃーっす!」
「若返っても巫女姫より歳喰って見えるJDおばさん、元気出そうぜ!」
「悪いな女子大生。俺のストライクゾーンは十五歳以下なんだ」
「若返りJDさんお疲れ様っす! あっ、JDさんの顔、中学の頃の卒業写真で見た! おっ、何年ぶりっすか? なんてうっそー! 冗談でしたー!」
通りすがりのプレイヤーたちが各々励ましの言葉という体で煽っていく。スイさんの肩がぷるぷると震え、顔を紅潮させる。
というか、最後のは正直殺されても仕方ない煽りだと思う。まったく関係ないボクですらイラっとしたし。
「――アイツラコロス」
この後、黒色の弩を掲げた悪魔をワールドゲートに無理やり引きずり込んだボクは褒められるべきだと思う。
◇
「……全部修理した」
「あっ、はい」
スイさんがむっつりとした表情のまま、ボクの装備が並べていく。疾風の大盾と防具一式。そして投擲用のナイフまでもが在りし日の輝きを取り戻していた。
「……凄い」
疾風の大盾なんて、あれだけ傷だらけだったのに今となってはひっかき傷一つない。深めの傷も跡形も残っていないし、腕がいいんだろう。
「ふふーん、たいしたもんでしょ?」
ドヤ顔だった。
先ほどまでむくれていたのに立ち直りが早い。
「……まぁまぁですね」
「嘘だ! さっき凄いって言った!」
「素直に認めるのも癪……じゃなくて、スイさんは叩いて伸びるタイプと見ました」
「癪って言ってるじゃん! スイさんは叩いてへこむタイプだし!」
「植えて伸びるタイプかもしれません」
「私は球根かなにかか!」
「水仙と一緒に植えますか?」
「スイさんと水仙の間には山よりも高く海よりも深い隔たりがあると思うんだけどそこのところどう思う?」
「コピー商品はどうかと思います」
「コピーじゃないよ! 私は私でオリジナルだよ!」
「……本当にそうでしょうか?」
「ど、どういうこと……?」
スイさんの喉が鳴り、瞳が空を彷徨う。
「今居るスイさんは現実世界のスイさんの模倣品。ほら、思いだしてください……。丸々一年前同じ日のお昼、なにを食べたか。ほら、思い出せないでしょう? それは貴女が実は模倣品、AIだからなのです」
「……お、思い出せない……というか、三日前のお昼の内容も怪しい……まさか、本当に……ってんな訳あるかっ! むしろ思い出せる方が凄いよ!」
「お茶目なジョークですよ。水仙」
「スイさんだよっ!」
水仙、じゃなくてスイさんが息を荒げながら叫ぶ。
リラックス出来たようでなによりだ。
「み、巫女っちが虐める……」
「大人なんですから、もうちょっとしっかりしてくださいね」
「昔の巫女っちはもっと私を甘やかしてくれた……」
「勝手に過去を捏造しないでください」
「昔の巫女っちはトップアイドルを目指すって一生懸命だった……。私はプロデューサーで二人三脚で駆け抜けてきたじゃん!」
「勝手にアイドルプロデュースを始めないでください」
「ちょっと待って! 今、丁度私の脳内でタイトルコールが始まったところだから」
「知ったこっちゃないので先に行きますね」
「あぁ、待ってぇ!」
後ろからスイさんが駆け足で追いかけてくる。
ボクはストレージからキングツノウサギの角を出現させ、握り込む。そのまま背後へと投擲した。
「ぎゃにょわっ!?」
スイさんを背後から狙って低空飛行してきた【シャドウホーク】へとボクが投擲し、スイさんの真横を飛翔したキングツノウサギの角が【シャドウホーク】の全身を貫いた。
「……ちょっと狙ってやったよね? ね? 心臓が止まるかと思ったんだけど」
「危ないところでしたね、スイさん」
「よぅし、巫女っち、そこを動いたら駄目だよ。」
スイさんが矢を番えた弩を持ちながら黒い笑みを浮かべている。
……当てないよね? 本当には当てないよね?
「ひっ……」
小さな悲鳴が聞こえると同時。
葉擦れの音と共に、茂みからなにかが転げ出てきた。
「シ、シロを殺さないでくださいぃ……」
小さな女の子だった。
ブルーのエプロンドレスに金の髪、小柄な身長に潤んだ瞳。
思わずボクの表情筋がヒクつく。
なぜって、逆に気づかない訳がないだろう。
なぜなら彼女がアリス、白のアリス。彼女はかつての「Alice」と全く同じアバターだった。クロのような2Pカラー感などまったくない、本物のアリス。
アリス Lv30 状態:警戒 ◇:Special Character