クエストだらけのVRMMOはお好きですか?   作:薄いの

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ExtraQuest「Alice」

 かしゅり、と空気の抜けるような音が聞こえる。

 それと同時に意識が徐々に浮上していく。

 ぼんやりとした意識の中、手を伸ばせば小さなウインドウが展開される。ボクはそこに表示されている"OPEN"をタッチする。

 半球状のカプセルのカバーが軽い響きを残して開かれた。

 

 沈んでいた意識の残滓が纏わりついているようで少し気持ち悪い。

 

「うへ、VR酔いなんて久しぶりだ」

 

 ボクは背中を起こし、隣に置いてあったペットボトルからスポーツドリンクを一口呷った。

 

「……ふぅ」

 

 ふと、振り返るとカプセルの側面に「RD-2500」と刻まれている文字列に目が行った。刻まれた文字自体は経年劣化のメタリックシルバーの傷に埋もれている。

 

 「RD-2500」との付き合いもあと数年すれば十年になる。もっとも、もうそろそろ限界かもしれないけど。

 

――長い付き合いになったものだ。

 

 技術の進化は早い。

 当時一千万近くした「RD-2500」というハイエンドモデルの性能が今では数万円台の汎用ヘッドギア型で発揮出来てしまうのだ。

 数年毎にパーツ替えとCPUの交換を繰り返してきたがそろそろ限界が近い。同系統のモデルが最近になって生産されなくなったことも大きいだろう。 

 パーツ替え毎にモニターの例を見ながら必死にあれこれ付け替えていた時期が懐かしい。

 

「もう少し、もう少し頑張ってね」

 

 なんともなしに声を掛ける。"本来の持ち主"が「RD-2500」を使うことはもうない。きっと「RD-2500」が本格的に使えなくなってしまってもボクはこれを捨てることが出来そうにないだろう。

 

 誰も居ない、閑散とした部屋でボクは一人ぼんやりと本来の持ち主のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 子供の頃のボクはぼんやりとした子供だった。

 両親は仕事人間で、殆どの期間、家を空けていた。発達した世界は無数のAIを生み出し、人類はその恩恵を受けている。

 多少のことは家庭用AI任せ、それが当たり前であり、普通だ。

 ボクは自然に実家近くの祖父や祖母に頼ることが多くなった。

 

「ごめんね、由良」

 

 祖母はよく謝る人で、ボクはなぜ祖母が謝っているのか分からなかった。

 ただ、祖母は前時代的な人で、愛情、愛情と繰り返し言うことが多い人だった。ホロキーボードよりも紙と鉛筆を、冷凍食品より手料理を好む人だった。便利ならばそれでいいし、美味しければどうでもいいというボクはいつもそれを不思議に思っていた。

 

 そして、祖父は廃ゲーマーだった。

 なに言ってんだコイツと思われるかもしれないが、本当に廃ゲーマーだったのだ。

 彼は四六時中モニターを眺めて、コントローラーを握る人間だった。

 

「……見てるだけで面白いのか、由良?」

「うん」

「そうか」

 

 モニタ―の正面に陣取っている祖父の隣はいつもボクの席だった。

 祖父はどんなゲームでも見境なくプレイするタイプのゲーマーだった。アクション、RPG、シューティング、スポーツ、パズル、双六、FPS、果ては美少女ゲームや乙女ゲームまで。雑食にも程がある。

 

「こんの馬鹿っ! 馬鹿ジジィ! 子供の前でなにをっ! やっているんですかっ!」

 

 いつもは穏やかな祖母も祖父がボクの前で血みどろFPSや美少女ゲームをプレイしている時などは修羅と化した。祖母は足技が上手で、足払いからの踵落としを得意としていた。

 

「……落ち着け、これはシューティングゲームと美少女ゲームの複合型という画期的な――」

 

 翌日、祖父が病院に行っていた。

 祖父は「腰を強く打った」と言っていたが腰に踵落としを受けるのも「腰を強く打った」に入るのか軽く疑問を感じたのは覚えている。

 

「由良、やってみるか」

 

 ある時は唐突にコントローラーを渡された。当時のボクの小さな手ではうまくコントローラー全体をカバー出来なかった。祖父はそれを見て笑っていた。

 

「お前がもっと大きくなればコントローラーが上手く握れるぞ」

 

 この日、ボクは大きくなればコントローラーが上手く握れるようになると学習した。

 

「……弱いな」

 

 ボクが必死に床に置いたコントローラーを弄り回してレースゲームに挑んだ結果の一言がこれである。二週遅れでの敗北。生まれて初めてここまでイラッとしたボクは三ヶ月の間、同じレースゲーム、同じコースにこだわり、勝負を挑み続けた。結局勝てこそしなかったが、僅差には持っていけるようになっていた。

 

「見ろ、由良。ちょろいもんだな。キルデスレートで言えばこれでトップだ」

 

 画面では軍服に身を包んだ中年が時折、銃声を鳴らしては血飛沫を生み出して、十人抜きを達成していた。

 

 翌日の祖父は腰痛で寝込んでいた。

 どうやらまた腰に踵落としを受けたらしい。

 

「お爺ちゃんもこれで反省してくれたかしらね」

 

 祖母が溜息を吐きながらぼやいた。

 だが、ボクは知っている。祖父が頭から毛布を被っている時は別に反省している訳ではないことを。

 

「ちがうよ、おばあちゃん」

「あら、なにが違うんですか、由良」

「今日はけいたいげーむきの日だよ」

 

 祖母は無言で祖父の寝室の灯りを消した。

 毛布が内側からディスプレイの光を蛍のように灯していた。

 翌日、祖父は本当に寝込んだ。原因は知らないが、まぁ、腰痛だろう。

 

「見ろ、これが夢にまで見た「RD-2500」だ。これ一台で一千万円以上するんだぞ」

「お金、どうしたの?」

「ん? ……あぁ、俺が学生の頃から溜めてたVR貯金からだな。俺が死ぬまでにはVRは実現するんだ実現するんだと自分に言い聞かせながら必死で溜めてたのが功を奏したな。何十年も我慢した甲斐があった」

「なんじゅうねん、すごい」

 

 当時の一桁年齢のボクには十年の時の長さすらも理解出来なくて、曖昧に凄いとしか言えなかった。

 

「……ふぉぉ」

 

 そこには、空き部屋を丸々一つ潰したVR部屋が広がっていた。

 中央にはカプセルのような形をした「RD-2500」とやらが鎮座している。

 

「あら、若い頃はマイホーム資金も全くなかったのにこんなものを買うお金は残っていたんですね」

 

 その日のことをボクは覚えていない。

 ただなんとなく、とても恐ろしいことがあったのだということだけはズタボロの祖父を見て理解した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 カプセルの中に祖父が寝そべっている。

 ボクは居場所をVRに奪われてしまっていた。

 VRという世界において、ボクの居場所はない。祖父の隣に座り込むことは出来ない。なんだか自分が空虚ななにかになってしまった気分だった。

 

――だからこそ、ボクは敢行したのだ。

 

 深夜零時。

 寄る年波には勝てなかったのか、祖父もこの頃には午後十一時には眠るようになっていた。徹夜でゲームをすることが出来ないことを涙を流して悔やんでいた。

 ボクは棚に収められているものから簡単そうなファンシーな絵柄のものを丁寧に抜き出すと「RD-2500」へと挿入する。そして、スリッパを丁寧に置いて、「RD-2500」を起動し、その中に潜り込んだ。

 

――ボクはこの日、初めてVRに潜った。祖父が入れ込むほどの価値がこの世界にあるのかを確かめるために。

 

 少し時間を置いて、世界が純白に包まれる。

 それと同時にボクの目前に無数のウインドウが展開された。

 

――初期設定、及び、アバター設定を開始します。

 

「さいてきか」

 

――了解しました。全身スキャンを開始……終了しました。これをベースにアバター詳細設定とキャラクター設定を開始します。

 

「さいてきか」

 

 当時のボクには難しいことは分からなかったが、最適化と言っておけば大体なんとかなると自宅で普段からAIに触れているボクは理解していた。AIは優秀である。

 

――ベースキャラクターセレクトを開始……

 

「さいてきか」

 

――いえ、ベースキャラクターとは選んで頂いて……

 

「さいてきか」

 

――あっ、はい。キャラクタータイプ「アリス」、スキャンデータを最適化して適用します。……完了しました。

 

「さいてきか」

 

――あ、いえ、申し訳ありません。もう終わっています。これより転送を開始します。

 

―――ようこそ「Alice」。Fancy Shooter Adventureへ。新たな世界をお楽しみください。

 

 

 次の瞬間、ボクの周囲から眩い光が広がって、一瞬の暗転。

 

「……これは」

 

 純白の世界は消え去り、ボクはレースの掛かったベッドやウサギのぬいぐるみ、全体的にピンク色のファンシーな部屋の中心に立っていた。

 

「こんにちは、いや、こんばんはかな。……はぁ、なるほどなるほど。キミのような子供がプレイするにはちょっとこの世界はバイオレンスすぎるんだけどね。そもそも、よくこのゲームが全年齢で通ったものだよ」

「……っ!」

 

 ぬいぐるみだと思っていたウサギが二本足で立っていた。

 黒のシルクハットを被り、燕尾服を着たウサギがステッキを突いている。

 

「紹介が遅れたね。私の名前はシロウサギ、キミのサポート役を仰せつかっているよ。「Alice」、よろしく頼むよ」

 

 ぬいぐるみ、いや、シロウサギがぺこりと頭を下げる。

 同時にへにゃりと長い耳が床に垂れる。

 

「……「Alice」?」

 

 ふと、自分の姿を振り返ってみると黒の髪は金に、服は青のエプロンドレスに変わっていた。体の感覚自体は殆ど変らない。

 

――その時、唐突な閃きがボクに舞い降りた。

 

「おじいちゃんはVRで女の子になりたかった……?」

 

――そういえば、前におじいちゃんが女の子がたくさんの男の人とれんあいするゲームやってるの見た。

 

 子供の前でも遠慮のない祖父であったのだ。

 

「いや、キミのお爺さんのことは知らないけど、多分冤罪だよ……それ……」

 

 一人納得するボクに向けてシロウサギが何事かを呟いていた。

 

「……シロウサギ」

「なんだい? なんでも聞いてくれていいよ?」

「このゲームは、くそげ?」

 

 空気が凍る、というのは恐らくこの状況を指すのだろう。

 

「ふ、ふふふふふ。いいよ、「Alice」。それは私への挑戦状なんだね? 子供だからって手加減はしないよ。さぁ、始めようか「Alice」。―――楽しい楽しいゲームの時間だよ」

 

 この後何年にも渡って、ボクは深夜になると決まってこの世界に潜り続けることになる。

 

 ボクがちっこいのは子供の頃から深夜にこんなことばっかりやってたからなんじゃないかと今のボクはある種の確信を持っている。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「……ごめんね、私の説明が足りなかったね。「Alice」、もうこの世界はお終いだ。何年にも渡ってご愛顧ありがとうございましたってヤツだよ。お願いだ、泣かないでよ「Alice」」

 

 延々と延々と仮想世界で涙を流していた。

 今日でこの世界は終わる。長い長い時間だった。オフラインからオンラインへ。三桁以上のアップデートを重ねて時代を追いかけてきた。それでもいつかは終わる。この世界は終わってしまう。

 

「キミは中々手の掛かる子だったけど、楽しかったよ「Alice」。酷いことを言うかもしれないけど、懲りずにまたVRという世界に挑んでほしい。VRという世界はまだ始まったばかりだ。ほら、運営からキミ宛てのメッセージが来ている。次回作はファンタジーVRMMOだってさ。なんか、月額料金三ヶ月無料のシリアルコードが付いてるよ。キミがやらかした結果生まれた利益を考えれば安い気もするけどね。「RD-2500」に転送しておくよ」

 

 シロウサギはシルクハットを深く被りなおしながらぬいぐるみの口元に笑みを作った。

 

「ばいばい「Alice」、また会おう」

 

 この日、一つの小さな世界が終わりを迎えた。




二章終了。
明日は三章の現行部分まで。

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