僅かな浮遊感、これが恐らくチューちゃんの言っていた転移っぽいなにかなのだろう。そして景色が変わった瞬間。
ボクの眼前にはのっぺらぼうが居た。ゆらゆらと揺れる無機質なのっぺらぼうの両腕。剥きだしの球体関節っぽい肩。かくんと斜め前に傾くのっぺらぼうの頭。
「ぎゃにゃぁぁぁぁぁぁ!?」
奇声を上げながらボクはそれを殴った。
それはもう、のっぺらぼうの頭部を思いっきり、渾身の力を込めて殴った。
ぐしゃっと嫌な音を立ててのっぺらぼうが吹っ飛んだ。きっと現実世界だったらボクは拳を痛めていたであろう殴り方だった。
『トルス村と異界の少年』内包クエスト、『怪しい人形』達成!
ウインドウが浮かぶ。
はい? よく見ればボクが殴ったのっぺらぼう、いや、マネキンのような人形は首から上がぐしゃぐしゃに壊れていた。暫く茫然と眺めていると人形は空気に溶けるように消え、その近くには一本のナイフが落ちていた。拾い上げてみる。
大きなナイフ Rank2 とても肉厚で丈夫そうなナイフ。 耐久:50/50。
これは、いわゆるドロップ品なのだろうか。判断に悩む。でもよくよく考えてみればボク、装備持ってないんだよね。インベントリも空っぽだし所謂チュートリアル武器なのかもしれない、これ。なにかを踏んずけた感覚に足元を見れば丁度中くらいの木刀のような大きさの木の枝が落ちていた。もしかしてこれ、この木の枝使って倒せってやつだったんじゃないだろうか。ボク、怖くて殴っちゃったけど。当たり所が良かっただけで頭以外の部位を殴ってたら逆にやられてたかも。
「あ、あのっ!」
背中からかかった声に思わず背筋がピンとなった。
振り帰ると厳つい門のような建築物の下に立っていたボクと同じくらいの歳の少女からジッと見られていた。
「助けてくれて、あ、ありがとうございます!」
少女はぺこりと頭を下げる。でも正直なんの話だか分からない。
「さっきの人形がゆらゆら近ずいてきて……凄く遅かったのに、わたし、腰が抜けちゃって……」
よく見れば彼女のスカートのお尻に砂がついている。
どうやらあの人形に襲われていたのが彼女で飛ばされたボクが割って入ったって話みたいだ。
確かに怖いよねあれ。
ボクだって普通に怖かったもん。全然彼女を笑えない。
「は、はいぃ……。そうしたら門が光ってあなたがぴかって出てきたのでビックリしました」
彼女の背後の門は今は沈黙している。
門が光る。一体なんでだろう。ご都合主義なのかそれとも理由があるのか。
「う、嘘じゃないんですぅ! 門がぴかぁーって!」
涙目で彼女はボクの襟首を掴んで揺さぶる。
「い、いや、信じてる! 信じてるから!」
彼女の頭上にカーソルが浮かばない、要するに彼女はNPCのはず……なんだけど。
君、本当にNPC? とか聞けない! 聞けないよ! そんな世界観壊すようなこと言えない。それに世界観に取り込まれるくらいがRPGは一番楽しい。
「良かったぁ。本当に良かったですぅ」
彼女は肩まで伸ばした栗色の髪をだらんと前に垂らして大きな溜息を吐いた。
ふと、彼女の掌に目が行った。地面で擦ったのか真っ赤になって血が滲んでいる。こりゃ痛そう。よく見ればあの無駄にでかい門に手をついたのか、門に薄く血がこびりついている。
しかも、彼女の掌には小さな砂の欠片が張り付いている。ゲームなんだし薬草とかポーションとかそれっぽいの落ちてないだろうかと考えた時、ソイツ、一枚のウインドウは現れたのだ。
祝福された血液 Rank5 不純物を多く含んだ女神に連なる血族の血液。女神の力の残滓を宿している。
どういうことなんだこれ……。これ、この子が女神の血族ってことだよね。
彼女、邪教集団かなんかに拉致されてたりしないよね?
Unique Questとやらが発生してる現状、不安要素しかない。
「あ、あの……どうかしましたか?」
「あ、ううん。なんでもないんだ。気にしないで」
この子、もしかしなくても重要人物なんじゃないだろうか。
脳筋思想で魔物狩ってればいいと思ってたけど思った以上に背景が凝っているというか色々と興味が沸いてきた。
ボクは静かに目を瞑る。
どうやらここはトルス村の端っこに位置するようで、少し遠くに目を移せばぽつぽつと住居が建っている。
「そういえば、キミの名前を教えてくれるかな? ボクはユラ、なんだかよく分からないうちに飛ばされちゃった冒険者!……志望だよ」
「あっ、すみません。こういう狭い村に住んでいると名前を聞く習慣がつかなくて……えへへ。わたし、ラティアっていいます。よろしくおねがいします」
彼女、ラティアはえへえへと頬をかいて笑う。
本当に表情のコロコロ変わる子だ。
「あのあの、もしかしてユラさんは"渡りびと"なんですか?」
「"渡りびと"?」
「はい! 異なる世界から渡り、顕現する人たちです。えっと、ちょっと前に聞いただけなんですけど」
ちょっと前。
あぁ、クローズドβテストのことかもしれない。
多分三か月ほど前に行われたクローズドβテスト参加キャラクターたちのことだと思う。クローズドβテスト当選者は千人程度で当然ボクは落ちた。
下手な宝くじより倍率低いとかどうなってんだ。ばーかばーか。
「な、なんで泣きそうな顔してるんですか。怖くない。人形は倒しました。もう居ません。怖くないですよぉ!」
違うんだ。ボクの中のささやかなゲーマー魂が泣いているんだ。というか倒したのボクだよね。
いいんだ。自分で手探りで情報収集するのも乙なものですよ。
βテスターのネタばらしは規約違反だったしね! あっても見なかったし、全然悔しくなんてないんだからね!
「……確かにボクは渡りびとだけどなんで分かったの?」
「よく分からないことがあったら大体渡りびとの仕業です。門が光るなんていじょーじたいなのですよ。つまーり! ユラさんは渡りびと、です!」
ビシィ! と効果音が付きそうなほどに勢いよくボクに指先を突き出す。
「こら、人を指さしちゃいけません」
「あ、ごめんなさいお母さん」
「誰がお母さんか」
「わたし、お母さんもお父さんも居なくて、そういうの憧れてたんです。えへへ、顔も覚えてないんですよ」
ボクは別にキミの重たい過去が知りたかった訳じゃないんだ……。
どうしよう、なんか少しモチベーション下がった。冷水を喰らった気分だ。
「でもでも、ちょっと垢抜けた感じの可愛らしいお顔してますよ!」
「ちょっと、ちょっと待って。キミにはボクが女の子にでも見えてるの!?」
「……はい? だって男の人ってもっと体ががっしりしてて大きいんですよね。ユラさんはちょっとお胸が……ふぁいとっ! ですっ!」
万が一、億が一、ボクの胸が大きくなったらそれはボクが首を括る時だ。
そもそもゲーマーするのに筋肉も身長もがっしりとした体つきも不要なのだ。
「……いや、もうボクの胸がどうだこうだとかは割りとどうでもいいんだ」
別に女性アバターでも冒険は出来るのだ。全然問題ないね。いや、そういう問題じゃないか。割りかし投げやりな性格をしているのでそういう辺りボクの認識が雑なのかもしれない。こう女装モノのお約束の「ボクは男だぁー!」ってヤツも嫌いじゃないけど。……他人様のを見ている分にはね!
「そう、ボクが男の子だろうと女の子だろうとそこにさしたる違いはない。そうだろう?」
「いえ、大アリだと思うんですけど……ユラさんってもしかして変な人ですか?」
正直キミに変な人って言われると中々胸に来るものがあるね。