ボクは扉を開く。
ぎしぎしと音を立てながら扉が口を開いたその先に見えたのはこちらに背を向けた一人の女性の姿。女性はゆっくりとこちらを振り返る。
「……貴女、いや、貴方か。私をこの忌々しい呪縛から解放してくれるのは」
鮮やかな金色だった。手入れも碌にされていないだろうにその髪は鮮やかな色を保って彼女の背中までを彩っている。そして吸い込まれそうな真紅の瞳、彼女はまるで人外のような美しさを持っていた。
「……綺麗だ」
彼女は真っ赤なドレスをベースにして、いくつかの金属パーツをはめ込んだかのような不思議な服を纏っている。
「ふふ、貴方は私を殺しに来たのだろう。しかし、子供の割りには口が達者だ」
「う、うっさいです。そこまで子供ではないです」
つい、言い返してしまう。同時に彼女へと向けたボクの瞳がありえないものを映し出した。
リビングドール:ヴァンパイア Lv58 状態:警戒
ちょっと強すぎやしませんかね!?
ボクの五倍近くレベルあるんだけどこれ、プレイヤースキルうんぬんでどうにかなるの!? というかヴァンパイア!?
「逃げるか」
無理無理。これは勝てない。ぜっっったい勝てない。
「そういう思い切りの良い所は好ましいのだが、――無理だな。ここはダンジョンだからな」
背後へとダッシュしようとしたボクは扉の閉まる大音響に心臓を締め付けられるような痺れを感じた。――閉じ込められた。
「……貴女は、誰ですか」
「なに、しがないリビングドールさ」
「そんなことを聞いた覚えはありません。コレット・テスタリア」
「なんだ、分かっているじゃないか。ということはあの手帳を見たということか」
「思い出しただけです。アレには「永き時を生き」、とありましたが、なるほど。貴女はヒューマンではなかったんですね」
「その通り。私は焔蛇の巫女姫に命を救われたヴァンパイアさ。もっとも、その守らねばならぬものも守れなかったがな」
コレットは掌で真っ赤な宝石のようなものを弄ぶように転がす。
思わずボクはそれに向けて視線を向けてしまう。
向けてしまったのだ。
リリア・エルアリアの魔道魂核 Rank8 女神の寵愛を受けし炎蛇の巫女姫リリア・エルアリアの魂を秘めた魂核。用いた者にリリア・エルアリアの力を授けるが、用いた者の格が足りなければ相応の代償を負うだろう。
「……リリア・エルアリアの魔道魂核?」
「わ、分かるのか? これは少し驚いたな。貴方はトクベツなのだろうか」
「魂に相応の代償……?」
「そうだ。リビングドールとは最終的にはリリア様の魔道魂核を埋め込むために生み出された肉人形だったんだ。もっとも、誰もリリア様の魂を受け入れられた者は居なかったがな」
「リリア・エルアリアの肉体は?」
「……魔道魂核を抽出した段階で消えたらしい。彼女はヒューマンでありながら、ヒューマンという種族を超えた先に居たからな。そして、コレが死霊術師アルクス。彼は焔蛇の巫女姫という至高の人形を諦め、自身の矜持まで曲げて自らに魔道魂核を用いて力を得ようとしたんだ。彼は自信家だった。まぁ、結果はこのザマだが」
コレットは足元に転がる頭蓋骨を蹴り飛ばした。
からんからんと軽い音を立てて頭蓋が転がる。
――魔道魂核の相応の代償、やっぱりそれは命だったのか。躯が永き時を経て骨と化した。それだけの話のはずだ。これが人形遣いアルクスの最後。
「……でも、貴女からは理性も心も残っているように見受けられます」
「……私はヴァンパイアだ。いや、「だった」か。敗北し、危うく魂を砕かれる所だったが、ヤツでは高位のヴァンパイアである私の魂を砕くことは出来なかったのだろう、存在そのものを悪魔の眷属、魔物へと堕とされるだけで済んだ。まさにヤツの持つ力は悪魔の力だったよ。……しかし、ヴァンパイアならば種族だ。だが、リビングドールは人形遣いアルクスの下僕、女神に弓引く魔物なんだよ。討伐されるべき存在。死してなお、私を縛る命令は「この場所を訪れた者を皆殺しにせよ」だ。私は二重に隷属する化け物。最上位に今は亡きリリア様。そして二番目に、邪悪な人形遣いアルクスの下僕」
コレットの姿が霞む。ドレスの紅の残滓だけがボクの瞳に残る。
息を吐く前にすでに彼女はボクの目の前に居た。
「遅いな」
右足を踏み出したコレットが三十センチほどまで伸びた爪でボクの首を掻き切ろうとする。
しかし、コレットの右足は強く床を、いや、正確には床に仕掛けられた陣を踏みしめたままズブズブと沈んでいく。
「なっ!?」
「アサルトストライク!」
十分な手ごたえと共にコレットが吹き飛んでいく。
だけど、威力が足りないという実感はあった。なぜならボクは膝上辺りまで陣の中に沈んでいるから。力がうまく入らないのは仕方ないと思う。
「陣術かっ!」
「……自分ごと陣に沈めるのは初めてです。でも、近づいてくるのが確実ならこれも効果的ですよね。それにしても、格下に一撃貰っちゃって良かったんですか?」
陣から足を引っこ抜く。あ、左足のブーツがすっぽ抜けた。ぐぬぬ、よしっ、抜けた。
ボクのコメディーチックな仕草にコレットは僅かに苛立ちの表情を浮かべた。
「……くぅっ!」
怒れ。怒ってくれ。涼しい顔をしながら、まぁ、内心では必死なのだが、攻撃を流し、躱し、いなし続ける。焦りからか、コレットの思考が段々とマリオネットのように単純になっていく。――正拳突き、爪を用いた右薙ぎ払い、振り下ろし。合わせるだけ合わせて流せ。大盾から感じる衝撃も凄いけど慎重にならなくちゃ一瞬で負ける。それだけの差が彼女とボクの間にはある。
極度の緊張で息が上がる。考えろ考えろ。どこだ、どこに攻略法はある。
真紅の瞳とボクの視線がぶつかる。コレットは大きく溜息を吐くと、ボクに背中を向けた。
これは背後から殴っていいのか。駄目なのか。
「貴方を甘く見すぎていたようだ」
そんなことを考えているとコレットは壁に立てかけられていた巨大な大剣へと視線を向けた。それに釣られてボクもその大剣へと目を向ける。
紅の精霊大剣 Rank5 火の精霊の強い力を浴び続けた魔剣が変異したもの。既に精霊の力は失われている。 耐久350/350
ランクは高いけど精霊の力は失われているってことは特殊効果はないみたいだ。
コレットが大剣を掴んだ瞬間、ウインドウが霧散する。やはりシステムで覗けるのは装備されていないアイテムと魔物だけなのか。村の人のステータスも見えなかったし。いや、まぁ、プレイヤーは見えるかもしれないけど。未だにボク、プレイヤーに会ったことないんだよね。
大盾を構え、防御の構えを取る。とりあえず初撃を凌いで……。そもそも、強さに敬意を払って本気を出してやろうっていう態度がボクは気に喰わない―――。
ふと、気づくとボクは空を舞っていた。両腕を鈍い痺れが襲う。
意味が分からない。ボクは、斬られたのか?
「済まない」
「…………あ、ぅ」
盾が、ボクの盾がない。
鈍い音を立ててボクは地面に落ちる。体中が痺れる。腹部からぼたぼたと赤黒い液体が零れ落ちている。きっとHPも三割を切っているだろう。なんだかんだいってここまで追い詰められたのは初めてかもしれない。
「巧妙の……陣」
陣の上でリジェネレーションポーションをありったけ口に含む。口の端からいくらか液体が零れ落ちる感触がした。
頭がくらくらする。これがレベル58。違いすぎる。
一体なんのスキルを使われたのかさえ分からなかった。もしかしたらスキルさえ使っていなかったのかもしれない。
隣に落ちていた疾風の大盾には横一文字に傷が刻まれていた。
なんつー攻撃力だ。いや、ここは浅い傷で済んでいる盾という装備に驚くべきなのだろうか。絶望的だ。焔蛇に纏わりつかれて隷属を迫られた時のコレットもこんな気持ちだったのだろうか。きっとリリア・エルアリアも才能に恵まれた女神に愛された側の人間だったのだろう。……ん。女神……?
いやでも、頑張ればどうにか……あー、やっぱり最後は度胸と根性かなぁ。でも、まぁ―――。
「やってみる価値はあるかも」
少なくともこのままむざむざやられるよりはマシなハズだ。マシ……だったらいいな。いや、問題しかないな、これ。