Quest1
視界が歪む。
滲むように歪んだ世界は一瞬の沈黙の後、姿を変えた。
全身をプールに飛び込んだ後のような浮遊感で包まれたのは感じられた。
――アカウントの認証中。認証確認。ようこそ。Secondary World Onlineへ。
眼前に小さなウインドウがゆっくりと滲み出てくる。
意図せず頬が緩む。
全身をウォーターベッドに沈めているような不思議な感覚に思わず両の拳を握りしめた。
それと同時に周囲の空間が捻じ曲がり、鏡のようにボクの今の姿、アバターを映し出した。全体的に小柄で若干幼げな顔つき、あまり男らしいとは言えない外見であり、殆ど外観データは弄っていないが髪の色だけは少しだけくすんだ赤色に染め上げてみた。ボクのささやかなカッコつけだ。
昨今では現実の姿とかけ離れたアバターを用いると全身に違和感を感じる人や、長時間のダイブによって現実の体に逆に違和感を感じてしまうという人が後を絶たないことは有名だ。そしてそれにボクが含まれるというだけの話、前に長身のアバターを作成した時など、アバターでも現実でも転げまわったものだ。
しかし、流石に性別までは変更出来ないが、『なりたい自分』へとお手軽になれるという意味ではもう少し顔くらいは弄っても良かったかもしれない。
――現時点で挙動に違和感を感じる場合、プレイヤーネーム:ユラのアバターの作成へと戻ることが出来ます。問題がなければウインドウの"YES"をタッチしてください。
ボクは肩を押さえて軽くストレッチをすると、"YES"をタッチした。
――これより、チュートリアルを開始します。
◇
VR技術が進歩し、人が安心して仮想世界にダイブするようになるのにはそれなりの時間を要した。だが、未だにモニターを用いた遊戯やゲームは廃れることはない。ただ単純にそれらの新たな区分としてVRが加えられただけだ。
そして解き放たれたのは数々のゲームソフトたち、レース、格闘、果てはパズルゲームまで、様々なゲームが存在したが、VRMMORPGに関しては出来がお世辞にも良くなかった。
無限に駆け巡れるようなフィールドも背筋が震えるような化け物も広がる可能性もなにもかもが足りなかった。小さな箱庭の中に閉じ込められたかのような閉塞感だけが漂うゲームだったのだ。
そんな中、彗星のごとく現れたのがSecondary World Onlineだった。多くのゲーマーの魂を鷲掴みにしたのは公開されたスクリーンショットの数々。そして、それはボクも例外ではなかったというだけの話。
そして今、Secondary World Onlineは正式サービスの時を迎える。
ぶっちゃけた話、ボクこと湯浦結良(ゆうら ゆら)はゲームが大好きだ。
もっともジャンルは広く浅く、ではあるが。
そして、このSecondary World Online。通称SWOは前情報だけでもシステムが特殊なことで話題なのだ。チュートリアルAIには色々尋ねてみてくださいって雑誌のインタビュー記事で広報も言ってた。
――先天性スキルの設定を開始します。先天性スキルは二つ、取得が可能です。取得可能なスキルを提示致します。
そんな声と同時に巨大なウインドウがボクの目前に現れた。
よく見ればいくつかのタブに分かれており、「武器」「心得」「術式」「生産」「その他」の合計五つ。武器には短剣、片手剣、両手槌などスタンダードなものならば大体揃っているのではないだろうか。ちなみにこれは武器を扱うスキルである。心得には疾駆の心得、跳躍の心得、隠遁の心得など明らかに便利そうなものが、術式にはお馴染みの魔法。ここでは火術、水術、土術、光術、闇術などボクの厨二心をくすぐる素敵ワードが。ちなみに武器スキルを得ていれば特殊な動作、武技が。術式なら術理を発動することが出来る……いかんいかん、そんなことより聞かなくちゃいけないことがあったんだ。
「先天性スキルとはなんですか?」
初期スキルというか、最初から使用可能なスキルってことでいいのだろうか。
――先天性スキルはプレイヤーの持ちうる才能です。先天性スキルは後天性スキルに比べ、成長し易く、プレイヤーの素養を変化させることがあります。
危なっ。すっごい重要なことじゃんこれ。
「後天性スキルは? プレイヤーの素養についても詳しく!」
――後天性スキルはプレイヤーがゲーム内で入手可能なスキルであり、現存する殆どのスキルが後天的に取得可能です。プレイヤーの素養については現在お答えしかねます。
駄目か。知ってた。「是非自分で見つけてみてくださいね」的な要素なんだろう。
チュートリアルAIのすげない態度に内心ぐぬぬと唇を噛みしめながらスキル一覧をスクロールする。指先が一点を指して止まる。
「これ……かなぁ」
ボクの視線の先にはその他タブにあった「テイミング」の文字。
これ、これだよ。タップするとテイムの説明文が出てきた。
テイミングLv1:魔物を仲間にすることが出来るイベントが発生する可能性が生まれる。戦闘後、経験値はプレイヤー取得分から等分する。最大契約数一体
「殆どのスキルが後天的に取得可能です」ということは"魔物を仲間にすることが出来るイベントが発生する可能性が生まれる"というイベントすら発生しないテイミングスキルは鍛えにくい気がするし取得も面倒かもしれない。元々魔物と一緒に戦うというのは惹かれるものがあったし一つはこれかな。
もう一つにはうんうんとかれこれ一時間以上悩んだ結果、術式タブにあった「陣術」というスキルを取った。
陣術Lv1:敵味方に様々な効力を及ぼす陣を発生させる。取得術理:泥濘の陣
先天性スキル二つって少なすぎぃ!
使役魔物の補助を考えたら直接攻撃出来るスキルが結局取れなかったなぁ。魔物を素手で撲殺しなくちゃいけないのだろうかこれ。どうやら武器スキルを取れば対応した初期武器が貰えるらしいが取ってないしなぁ。陣術スキルの泥濘の陣ってどう考えても相手に掛けるデバフっぽいんだよね。
――本当によろしいですか? 以降、先天性スキルが変更されることはありません。
ウインドウの確認を押すと念押しされた。
若干指先が震えているがこれは日和っているわけではない。
ボ、ボクはこのスキルで天下を取るんだい!
迷いなき手つき(当社比)でOKに触れた。さぁ! ボクの冒険が今始まる!
――現在スタート地点が大変混雑しております。特例措置として、その他の位置からスタートすることが可能です。スタート位置、カルリアの街からスタートする場合は暫くお待ちください。
なんだろう、この、激しく出鼻を挫かれた感は。
ボクは肩がガックリするのを止められなかった。
もうとりあえず初心者でもやっていけるところならどこでもいいよ。
「……あの、凶悪な魔物が闊歩してるようなところ以外ならどこでもいいんでお勧めでお願いします」
多分疲れていたんだろう。
そして、ボクはこの時、このチュートリアルAI、略してチューちゃんを舐めていた。
――了解致しました。転送先を選定中です。――最優先処理事項を確認。転移門の局所的な起動を確認。該当位置における発生予測クエストを確認。――待機中プレイヤーから該当スキル保有プレイヤーを検索中。――該当プレイヤーを一名確認しました」
あぁ。やっと始まる。ほぅと安堵の溜息を吐こうとしていたボクを嘲笑うかのようにボクの目の前にはポーンと小さな効果音と共にウインドウが浮かんだ。
Unique Questが発生しました。
『トルス村と異界の少年』
このクエストを受諾しますか? Y/N。
――プレイヤーネーム:ユラの転移が何事かによって干渉されました。あぁ、大変です。一体なにが起きているのでしょうか。
棒読みだ。いっそ清々しいくらいに棒読みだ。
ボクの足元に巨大な魔法陣が広がる。脈打つように不規則な縮小と拡大を繰り返すソレはボクをどうしようもなく不安にさせる。
というかさっきの不穏すぎるアナウンスなんなんだ! というかそれアナウンスして良かったのか!
というかUnique Questってなに!? しかもまだ承諾してないのに魔法陣めっちゃ光ってる! ちょ、待って承諾するから承諾するから!
慌ててクエストを承諾すると足元の魔法陣が不吉な火花を弾かせながらボクを飲み込もうと牙を剥いた。
――無限に広がる世界をお楽しみください。
そんなやり切った感溢れるチューちゃんの声が最後に聞こえた気がする。