艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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『──聞こえますか!? 鎮守府、全艦隊に……全艦娘に告げます! 提督が……提督が鎮守府に着任しました!』

 

 その無線は時雨にも届けられた。

 荒れた海の騒がしい音達の中で、時雨は大淀の声を確かに聞き届けた。

 

 提督の帰還を知って、小さく笑いを零す。

 

「キミにも聞こえたかな? 提督が帰ってきた。いよいよ詰みだよ、駆逐棲姫」

 

 提督が戻ってきた事で艦娘側の勝利を時雨は確信する。彼が表舞台に出てきたという事は十分な勝算があってのことだ。恐らく暗躍している間に、もう一つくらい『運命を変える為の鍵』を調達してきたのではないかと時雨は察する。事実、本来ならばMI作戦時点に存在していなかった装甲空母 大鳳を彼は連れてきており、それが決定打となったのは間違いなかった。

 

 棲地MIからの情報を更新した駆逐棲姫もその事実を観測した。深海棲艦はまもなく敗北を喫する。予測していた事を事実として観測した。それを記録として蓄積した上で、駆逐棲姫は不意に口を開いた。

 

「──……キケン……ダ」

 

 そして言葉を発した。

 これまで“音”を発する事はあっても、人の言語は口にする事のなかった駆逐棲姫が“声”を──“言葉”を用いた。それは時雨にとっても驚きに値する出来事だった。

 

 口を開けたままで、しかし、口は動かない。声帯を使って発せられた声ではない。まるで駆逐棲姫の口がスピーカーであるかのように声は生み出されていく。

 

「シグレ……イブンシ……フブキ……レイガイ……トシテ……タダシイセカイ……ノタメ……トリノゾク」

 

 男女が入り混じった声色で駆逐棲姫は言葉を紡ぐ。だが、その意識は駆逐棲姫のものではない。駆逐棲姫に繋がる『運命』と呼ぶべき大きな力がその言葉を作っていた。『運命』からの言葉を聞き、時雨は表情を消す。

 

「それはこちらのセリフだよ。僕等にとってもキミは危険だ。このまま放っておく訳にはいかない。少なくとも、その身体は棄ててもらう」

 

 駆逐棲姫を倒した所で『運命』を殺せる訳ではない。けれど、それでも倒せば直前の脅威は消滅する。どれだけの時間で次の規格外を生み出せるかは知らないが、すぐにという訳ではないだろう。それが出来るなら、今頃深海棲艦は規格外の化物だらけになっているはずだ。

 

 しかし、時雨の言葉など聞いていないかのように駆逐棲姫から声は続けられる。

 

「──マチガエテイル……オマエタチハ……オマエタチノ……タマシイハ……コノヨウナ……ウンメイニナイ……キロクニシルサレタウンメイ……カラ……ハズレテイル……アルベキモノヲ……アルベキカタチニ……タダシイセカイ……ウンメイ……ハ……アルベキセカイヲミチビク……ミチビカレヨ……ウンメイニ……ウンメイ……ニ……ミチビカレヨ……セイジョウナウンエイ……コソ……セカイノノゾミ……フルキ……イクサブネ……ヨ……ウンメイ……ヨリ……ハズレルナ……ソレヲタダス……ウンメイ……ハ……タダス……タダス……セカイヲタダス……タメニ……シズメ……シズメ……シズメ──」

 

 たどたどしい言葉。断片的に切り取られた言葉。それでも、その意図には理解が及んだ。訴える事は理解できた。『運命』はかつての艦艇と現代の艦娘を同一視している。区別がついていない。だから、かつてを繰り返す。艦娘に宿る魂達の運命を再現する。それこそが正常。正しい世界の運営だと判断して……。

 

「間違えてるのはそっちだ。僕達はかつての艦艇じゃない。僕等は艦娘で、そして艦娘である前に人間だ。ちゃんと自分の意思がある。自分だけの魂がこの胸にちゃんとある。僕等には僕等だけが作れる歴史が……──未来があるんだ。……だからいらないよ。キミに導かれる『運命』なんて道は必要ない」

 

「──ウンメイ……ヨリ……ハズレル……イクサブネ……タダシイセカイ……ノタメ……シズメ……シズメ……シズメ──」

 

 時雨の言葉は通じない。そもそもとして時雨の声は聞こえていなかった。

 

「聞く耳なし……か。まぁ神様が人間の言う事を聞くわけないよね」

 

 認識するモノが違うのだろう。視点が違う。感性が違う。形式が違う。それはそうだ。相手は生物ですらない。相手がわざわざこちらと同じ舞台まで降りてこなければ声すらも聞こえない。そんな相手と意思疎通など出来得る筈もない。わかり合えないし、相手にもわかり合うつもりはないだろう。『運命』はただ執行するのみ。“自らの判断だけ”に従い、その強大な力を行使する。まさしく──神様だ。

 

 時雨は打倒すべき敵を認識する。この戦いの先にしか望む未来がない事を真に認識する。『運命』は無理解の権化。理解し合えない関係に生じる唯一の交流は闘争であり戦争。争い合い、敵を排斥し、己が望みを果たす。ただそれだけしか存在しない。ならば──

 

「……消えなよ。ここからは僕等が歩く道だ」

 

 ──彼女は我を貫く。自分が望む未来の為に『運命』を打ち倒す。相手が神に等しいとしても関係ない。邪魔だから蹴り飛ばす。時雨が思うのは、そんな単純な解答だった。

 

 魂という炉に火をくべる。

 右手の砲塔を握り直し、グローブのない左手は大型単装砲のグリップを強く握り締めた。雨と風は一層強まり、海は更に凶暴な顔を見せている。その中で駆逐艦 時雨と駆逐棲姫は対峙する。これがきっと最後の戦いになると、時雨だけが思いながら。

 

 最初から全速力で時雨は前進する。一足先に立つ波を観察し、乗り易いものを見つけながら、それを蹴り、速度を上げた。右手を構え、単装砲を撃つ。駆逐棲姫は急発進し、それをかわす。自己修復を失う前よりはいくらか緩慢な動作であったが、それでも十二分に速い。陥没した腹部から体液を垂れ流しながら機敏に動く自分そっくりな相手を見て、時雨は顔をしかめた。

 

 左手の大型単装砲と小口径連装砲で回避運動後の硬直を狙い撃つ。砲弾のほとんどが命中。その全てが『装甲』に阻まれたものの、自己修復を失った今の駆逐棲姫にはダメージが蓄積された。命中する度に『装甲』は弱まり、『耐久値』は削られる。本来ならば当然である負荷を駆逐棲姫は負う。

 

 砲撃を受けた駆逐棲姫は時雨へと直進する。反攻に転じた駆逐棲姫は両腕の砲塔を構え、交互に撃ち放つ。時雨は正面からそれに立ち向かった。時雨も両手の砲塔を撃ち続けながら、細やかなステップで駆逐棲姫の砲撃を避けていく。対して駆逐棲姫は時雨の砲撃を持ち前の回避運動で避け、左右に揺れながら接近する。互いの距離が縮まり、回避できる猶予がなくなっていく中、両者は進み続け──同時に被弾した。

 

「……っ」

 

 時雨は大口径砲弾を左手の大型単装砲の側面で受け、駆逐棲姫は小口径砲弾を陥没した腹部に受けた。艤装で防御した時雨自身にダメージは少なかったが、大型単装砲は損傷する。砲撃は辛うじて可能だが、いつ撃てなくなってもおかしくなく、暴発の危険性もあった。しかし破棄はせず、このまま使用する事を時雨は決断する。

 

 腹部に被弾した駆逐棲姫は大量の体液を噴出し、ぐらついた身体は自身の速度に耐え切れず転倒した。荒れ狂う海面に数度も身体を叩きつけながらうつ伏せに倒れた駆逐棲姫は、上手く動作しない肉体を『運命』からの力によって強引に稼働させて起き上がる。顔に広がった亀裂から放出される青黒い光はその強さを増していた。

 

 両腕で体を支え、頭をあげた駆逐棲姫の顔面を接近した時雨は蹴り付ける。蹴り上げられ、駆逐棲姫は否応なく空を見上げさせられた。そして時雨は振り上げた足で露出した胸部を踏み付け、強制的に駆逐棲姫を仰向けに倒れさせ、そのまま足で押さえ付ける。互いの視線が交差した瞬間、時雨は両手の全砲塔で駆逐棲姫の頭部を集中攻撃した。初撃は全弾命中し、顔面が砕かれる。その直後、駆逐棲姫は咄嗟に両腕で頭部を庇った。庇われた両腕の上から時雨は砲撃を続ける。

 

「い──つぅ!」

 

 三射目が行われた後、両足に設置された駆逐棲姫の小口径単装砲二基による反撃を背中に受け、時雨は前によろける。それによって拘束は緩まり、駆逐棲姫は転がるように抜け出した。足をもつれさせながらもなんとか起き上がり、その場から離脱しようとする駆逐棲姫を、背中の痛みに耐えつつ時雨は狙い撃つ。追走しながら四発ほど撃った砲弾は一発だけ駆逐棲姫の左太股を捉え、単装砲と半壊状態だった魚雷発射管を破壊した。

 

「……ウンメイニ……ミチビカレ……ヨ……」

 

 壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返しながら駆逐棲姫は間合いを取る事に成功する。しかし、その肉体は悲惨なものだった。頭部を庇った際、最も上に重ねられた駆逐棲姫の右前腕は僅かな肉と皮によって辛うじて体と繋がっている状態。無論、もう動く事はない。顔面は亀裂の入った半分を残し、無残に砕かれ、内側に何もない空洞を晒していた。そこから更に青黒い光が漏れ出し、『運命』からの力を浪費していく。

 

「……タダシイ……セカイ……ノタメ……」

 

 自らの状況を観測し、駆逐棲姫は不要になった右腕を切断する。千切れた傷口から体液が流れ出るが、今更考慮する要素ではない。駆逐棲姫という個体の限界はとうに超えていた。このまま放置しても数時間の後、機能を停止させるだろう。であるのならば惜しむ必要はない。眼前の敵を沈め、可能であればもう一つの危険分子も沈める。それが駆逐棲姫──否、『運命』が下した判断だった。

 

 青黒い光が強さを増す。

 あらゆる傷口という傷口から噴出し、炎のように立ち昇った。青い火の塊と化した駆逐棲姫の肉体は徐々に砕けて落ちていく。存在そのものを燃焼させるように、砕け落ちた欠片は真っ白な灰になって風に舞う。その異様な光景を目の当たりにして時雨は決着を予感した。

 

「……シズメ……シズメ……シズメ……シズメ……シズメ……シズメ……──」

 

 途切れる事なく繰り返される言葉は呪詛が如く呟かれる。

 

「──キミが沈め」

 

 その返答が合図だった。時雨と駆逐棲姫は同時に大型単装砲を構える。彼我の距離は遠くない。駆逐艦が戦うのに適した間合い。そこから互いに砲撃を放った。正確な照準で放たれた砲弾は中腹で交差し、それぞれに飛来する。両者は避けずに前に進んだ。時雨は撃った大型砲塔で砲撃を防御する。二度目の被弾を受け、砲塔としての機能を失った。駆逐棲姫は回避も防御もせず、その身で受け止める。駆逐棲姫が規格外である由縁──急加速・急制動の回避運動を放棄し、攻撃を優先した。

 

 左腕と右足の砲塔で時雨を撃ち続ける。装填時間などはない。砲塔内で瞬時に製造された砲弾は弾薬庫を経由せず、そのまま給弾されていく。そんな反則を『運命』の力は可能にした。

 

 たった二基の砲塔からあり得ない発射速度で砲撃が飛んでくる。絶え間のない砲撃を時雨は潜り抜けた。しかし、どうしても避けられない瞬間はやってくる。

 

「アームを切断、連装砲との接続を解除……!」

 

 砲塔としての機能を失い、もはや盾としても通用しない大型単装砲をパージ。側面の小口径連装砲も同時に接続を切る。そして艤装との連結が解除された大型単装砲を飛来する砲弾へと投げ付けた。空中で砲弾と接触したそれは時雨の代わりに四散する。大型砲塔から外れ、海に落ちかけていた連装砲を左手で拾い上げると、時雨は駆逐棲姫を目指した。

 

 両手の砲塔で時雨は応戦する。駆逐棲姫の砲撃も止まない。正面からの撃ち合い。時雨は可能な限り回避行動を取り、駆逐棲姫は回避と防御を捨て、攻撃に専念する。結果として互いに削り合う事態となった。襲い掛かる砲撃を見極め、大口径砲弾だけは確実に避け、小口径砲弾に当たる事はやむなしとした時雨。元より避ける気のない駆逐棲姫は砲撃全てをその身に受ける。故に削り合い。数こそ差はあったが、それぞれ被弾し、その『耐久値』をすり減らしていった。

 

 全速力で前進し続けた両者は、やがて交わり、通り過ぎる。互いが互いの隣を通過し、そして──瞬時に反転した。

 

「──……ーーーッ!!」

 

 歯を食いしばりながら波を蹴り、その反動でこれまでの速度を殺す。急な減速は両足に多大な負担を掛けたが、時雨は全身に走るあらゆる痛みを我慢して駆逐棲姫より先に反転を果たした。

 

「────」

 

 駆逐棲姫の背中を見た。その視界が霞む。どれだけ呼吸を繰り返そうと運動量に対して酸素の供給が間に合わない。それだけではない。負荷をかけて擦り減らした関節が痛みと共に熱を持ち、過熱状態にある身体は意識を朦朧とさせた。痛い。辛い。苦しい。楽になりたい。苦悩は次々と生まれ出る。けれど生まれては去っていく。疾走する心は辛苦すら置き去りにして身体を走らせる。

 

 もっと早く──!

 もっと強く──!

 もっと先へ──!

 もっと前へ──!

 もっと、もっと、もっと──!!

 

 次の瞬間には崩れ落ちそうな身体。それを支えるのは前に進もうとする一念だけ。それだけで彼女は走り続けた。

 

「ーーーーーッ!!」

 

 荒々しい形相で声なき声を叫びながら、時雨はまだ反転し切れていない駆逐棲姫を襲撃する。至近距離まで近づいた後、連装砲で右足の単装砲塔を撃ち抜く。だが、駆逐棲姫は振り返りざまに左腕砲塔の大顎で、時雨が突き出した連装砲の砲身を噛み千切った。すぐさま連装砲を投棄し、唯一残った右手の単装砲を陥没した駆逐棲姫の腹部に突き刺す。鋼鉄の砲身は肉と骨の隙間に入り込み、その深部にまで達する。

 

「──……シズ──……メ────」

 

 ──瞬間、引き鉄を引いた。

 

 内部で放たれた砲弾は駆逐棲姫の肉体を貫通し、背中から後方へと抜けていく。一度風穴が空いた腹部に再び握り拳ほどの穴が空き、駆逐棲姫の鼻と口から多量の体液が溢れ出した。途端に全身から噴出していた青い炎が弱まりを見せる。致命傷。それが幾度となく死と誕生を繰り返してきた駆逐棲姫の致命傷となった。

 

「────────」

 

 駆逐棲姫は沈黙し、段々と青黒い光は薄まっていく。そして密着する体は脱力していった。それを感じて時雨も自ずと脱力する。肺は酸素を求め、激しい呼吸を繰り返す。視界が一時的に明滅するほど酸素は欠乏していた。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ。これ……で──」

 

 時雨は単装砲を引き抜き、一歩後退する。意図的ではない。油断や慢心でもない。単純に時雨の身体にも限界が来ていたのだ。数え切れない負傷と重度の疲労。応急修理要員によって一度は回復したとはいえ、その分も既に消費し尽くしている。彼女の身体はこれ以上の戦闘行動を拒み、自然と足を後ろに運ばせた。

 

 無意識の後退。意識の外にあった自分の行動に時雨は唖然とする。

 

 

 

「────────ぁ」

 

 

 

 その虚を突かれた。

 駆逐棲姫の左腕が振り上げられる。青黒い光はもはや希薄。時雨の一撃は間違いなく致命傷だった。いずれ死に至る傷だった。けれど、それは今ではない。死が確定した身体は、しかし、未だ死滅してはいない。死んでいない。死んでいないのならば、駆逐棲姫はその生を全うすべく、眼前の敵を──

 

「……シズメ……」

 

 ──撃った。

 

 


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