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西方の鎮守府にて、提督室に扶桑型戦艦姉妹は招集されていた。
「わたし達がトラック島に、ですか?」
扶桑の問いに、ゴトウは「そうだ」と肯定する。
「次期作戦である『MI作戦』に君達も参加する事となった。君達の他にも、我が鎮守府からは龍驤と隼鷹が戦列に加わる運びとなっている」
「……MI作戦」
その響きはなぜだか心に引っかかった。何かを訴えるように、どこかが痛む。しかし、今は深く考えるのを避け、扶桑はゴトウの言葉に耳を傾ける。
「君達はトラック泊地の『戦艦 大和』と合流し、以後作戦を共にしてもらう。時間的余裕がない為、出立は本日正午とする。……あと二時間程度しかないが、なんとか準備を間に合わせて欲しい」
「了解しました」
扶桑が敬礼を返し、隣に立っていた山城も続く。ゴトウはそれに頷くと、退出を促した。
二人は提督室から出て、準備の為、自室に向かう。その道中、提督室では一度も喋らなかった山城が口を開いた。
「扶桑姉様、“大和”なんて戦艦いましたでしょうか? わたし、初耳な気がするのですが」
「それはそうでしょうね。彼女は秘蔵っ子ですもの。わたしもあの企業の工廠にいた頃、人づてに聞いただけなのだけれどね。……最新にして最強の戦艦。敵にも味方にも秘匿される秘密兵器。超長射程、高火力、高防御。どれをとっても一級品の性能を持つ彼女は戦艦の完成系とも言えるわね。恐らく対面状態で戦えば全艦娘の中でも最強でしょう」
「……生まれながらのエリートってわけですか。馬が合う気がしません」
生まれながらの欠陥戦艦である山城は、扶桑の話を聞いて露骨に嫌な顔をした。そんな妹を姉は笑う。
「彼女も彼女で不遇みたいよ。秘匿されているが故にカゴの鳥状態で、関係者からは“トラック島の箱入り娘”と陰で揶揄されていると聞くわ。大切に扱われる事が、必ずしも幸せとは限らない一例ね」
「南国リゾートで楽して暮らせるのなら、その程度の揶揄くらい甘んじるべきだと、わたしなんかは思いますけどね。──……あ、今気付きました。トラック泊地がやたらに豪華なのって、その大和さんがいるからですよね? うわ、贔屓ですよ贔屓。なんて妬ましい。ますます馬が合う気がしません」
「はぁ……、この子はまったく……」
時雨がいなくなってから、一段と毒気が強くなったわね──と扶桑は呆れた。元々こういう子ではあったが、この頃は特に酷い。その原因は考えるまでもなく、あの少女がこの鎮守府からいなくなったからに間違いない。
「山城、いくら時雨がいなくなって寂しいからと、まだ会った事もない人を蔑むのはよしなさい」
「し、心外です! わたしは別にそんな、寂しいからって八つ当たりをするような──」
「──子でしょう、あなたは。現在進行形でしているのだから反論は許しません」
「う……」
少しは自覚があったのか、山城は閉口する。しかし、心に穴が空いたように落ち着かないその寂しい気持ちは、扶桑にも少しだけ理解できるものだった。
「けれど、気持ちはわかるわ。あの子達、今頃どうしているかしら」
「……やるべき事が出来たと言っていましたから、きっとそれを目指しているんだと思います」
「やるべき事?」
「はい。時雨はそう言っていました。それがなんなのかは教えてもらえませんでしたけど」
寂しそうに山城は言う。
「そう……、水臭いのね。結局わたし達はあの子達に救われるばかりで何一つ返せていないから、尚更口惜しい」
自分達をもっと頼ってほしかったと扶桑は思う。ただ、それ以上に時雨の言葉が気になった。
「それにしても、やるべき事……ね」
時雨の言葉が指しているのは誰かに命令された任務や艦娘が持つ使命の事ではないのだろう。漠然とした予感だが、あの子は自分にしか出来ない事をやろうとしていると、扶桑にはそれがわかった。
あの子は──いいや、あの子達はきっと何かに気付いたのだ。多くの艦娘がそれを感じながら気付けなかったもの。自分がようやく感じ始めた違和感。その正体を認識したのだろう。
「ねえ山城。提督がおっしゃっていた次期作戦である『MI作戦』に聞き覚えはなくて?」
「……? ありませんけど」
「そう、よね」
妹の反応は至って正常だ。扶桑にとっても初めて聞く作戦名に違いない。──だが、確かに聞き覚えがあった。名前だけではない。その内容。戦艦 大和と行動を共にするという事に対しても既視感を感じた。
自分は以前、どこかで、同じような経験を──
「──姉様?」
山城の声を受けて我に返る。
「ごめんなさい。なんでもないの」
「そうですか。さあ、早く準備をしてしまいましょう。時間もないですから」
「ええ、そうね」
促されて扶桑は歩く足を速める。これから臨む戦いに疑問を抱きながら──
-◆-
「あっ、やっと来ましたね」
出立の準備を済ませた扶桑型戦艦姉妹が出撃ドックに向かうと、そこには工作艦 明石が待っていた。艤装を身に付け、二人と同じく準備万端といった様相。それを見て、姉妹は首を傾げる。
「どうしてあなたがここに?」
「私もトラック島に向かうようにと命令がありまして」
「そんな話、提督からは聞かされていないのだけれど」
「私は特務艦なので指揮系統が異なるんですよ。提督の指示ではなく、大本営からの命令ですね。それでトラック島までの護衛をお願いしに提督へ訊ねたら、都合よくお二人もトラックまで行くらしいじゃないですか。なので私もご一緒させてもらおうかと思った次第です、はい。もちろん、提督の許可は頂いていますよ」
話の筋は理解した。一応提督に内線電話で確認を取り、それが真実であるのを確かめた上で、扶桑は同行を了承する。
「わかりました。そういう事なら一緒に行きましょう」
「ありがとうございます。戦艦のお二人が守ってくれるなら心強いです」
「……普通、戦艦は護衛される側のはずだけれど」
山城がぼそっと呟く。扶桑はそれに苦笑しつつも、真剣な瞳を返す。
「その通りだけど、わたし達が守られてばかりじゃないところを見せてあげましょ」
「そう……ですね。守られるより、誰かを守る方が幾分気合いも入りますし」
下がり気味だった気持ちに渇を入れて、山城もやる気を奮わせる。時雨がいないからと、いつまでもしょげている場合ではない。作戦への参加が決定したのならば尚更だ。それは山城が一番よくわかっていた。
「大丈夫ですよ。私が収集したデータを見る限り、お二人の戦技は平均以上。艤装の性能に至ってはカタログスペックよりも更に上を引き出せています。十分にお二人は一線級の戦艦かと」
明石の言葉に、山城はシニカルな笑みを浮かべる。
「お世辞だと思うけど、その言葉は嬉しいわ。どうも」
「お世辞なんかじゃありませんよ。お二人の艤装に蓄積されたデータに基づいた評価です。そこに気遣いなんてありませんし、数字は嘘を吐きません。なので、この評価は正当なものです」
遠慮もなく、明石はつらつらと言葉を並べた。さも当然のように言う彼女の言葉に一切の偽りはない。技術屋の矜持として、収集した情報を社交辞令に用いる事はしなかった。
「そ、そう。ありがとう」
世辞ではない事を知った山城は頭を掻きながら礼を述べる。そんな妹に微笑みながら、扶桑は艤装を身に付け、海面に立った。
「それじゃあいきましょう」
「はい、姉様」
山城も姉に続き、海に出る。その後を明石が追った。
「待ってください、お二人とも。実は提督から渡すようにと頼まれていたものがあるんです」
「あら、なにかしら?」
先頭の扶桑が振り返り、明石を注視する。背後の彼女は両方の手のひらを上に向け、差し出すように突き出していた。その手のひらの上には複数の『妖精』が姿勢よく立っている。
「これって、『応急修理要員』? 姉様、わたし初めて見ました」
興味深そうに山城が呟く。扶桑はそれに「わたしもよ」と頷いた。
ヘルメットを被った小さな妖精が計六体。それらは『応急修理要員』と呼ばれる特殊な妖精であった。通常、妖精は艤装やそれに準ずる装備に宿り、その運用をつかさどる。だが、この『応急修理要員』は特定の艤装や装備に属さず、単独での存在が確立された稀有な個体。どこからともなく自然発生する『応急修理要員』だが、その出現条件及び発生周期は未だ発見されておらず、全世界的に見ても希少な存在とされている。
しかして、その能力は艦娘が持つ艤装の修復。地上だろうと海上だろうと、艤装に忍ばせておけばその場で艤装の機能を回復させ、例え轟沈してしまうほどの被害を受けても、自力航行が可能な域まで修復するという希少性に見合った特殊能力を有している。
三体で一セットである為、六体ならば二人分の『応急修理要員』が明石の手のひらに立っている事になる。
「これを、わたし達に?」
「はい。貴重な戦艦に万が一があっては困る──と提督は言っていましたが、恐らくは祥鳳さんの事が原因でしょうね。彼女の事は、あの人にとっても後悔の残る出来事だったと思いますから。どうか、その気持ちを受け取ってあげてください」
そう言われてしまえば二人に拒否できるはずもなく、ましてや自分達の命を守ってくれるモノならば、元より受け取らない道理もない。少しだけ躊躇いがちに、扶桑と山城は明石に向かって手を差し出す。明石の手のひらから妖精が三体ずつ飛び移って、二人の腕を走っていくと、艤装の中に入り込んでいった。
「提督の配慮はありがたいし、受け取ってから言うのもなんだけれど……、これはあなたが持つべきではなくて? 明石、あなたは唯一の工作艦でしょう。数少ないとはいえ、代替がいる戦艦よりも保護されるべきではないかしら?」
扶桑は問い掛ける。
自衛が出来る自分達よりも、戦闘行動が難しい明石の方が『応急修理要員』を持つに相応しいのではないかと。
そんな問いを明石は笑顔で否定した。
「ああ、大丈夫ですよ。私にはこの子が付いてますから」
そう言って明石は片方の手のひらを上に向ける。その彼女の手のひらから、僅かな発光をしながら一体の妖精が出現した。橙色の服に紺色の羽織を身に付け、手には電動ドリルを握った妖精が、威風堂々と腕を組んで立っている。それは他の妖精とは明らかに異なるオーラを纏う超常的存在の中の更なる超常的生命体だった。
「お、『応急修理女神』……!」
その妖精が放つ後光を受けて、山城が言葉を震わせる。無理もない。『応急修理女神』は希少な『応急修理要員』が経年によって、ごく稀に進化した姿であり、世界に実在する唯一の奇跡とすら呼ばれている。
その手腕は正しく神懸かり。『応急修理女神』はあらゆる負傷、あらゆる被害をたちまち治し尽くす。『応急修理要員』の完全上位互換であるその効力は神の御業に等しい。艦娘にとって──否、人類にとっても“女神”と呼称されるに相応しい存在であった。
そんな実在する奇跡を見せつけられて、扶桑は自分の心配が杞憂であるのを知った。
「いらない心配だったみたいね。流石、大本営直属の艦娘は大事にされているのね」
「あはは、それほどでもないですよ」
あっけらかんと明石は笑う。
「ともあれ、三人ともダメコンを積んでいるのなら、安心してトラック島まで行けそうね」
「油断は禁物ですよ、扶桑姉様。もしかしたら、あの時の駆逐棲姫レベルの敵が襲ってくるかもしれませんからね。用心に越した事はありません!」
気合いを込めて、山城は姉に忠告する。やる気になっている妹に頷き返して、扶桑は先頭に立ち、トラック島へと進路を取った。