艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 入渠ドックの前にやってきた時雨は、乱れた呼吸を整える。ここまで走ってきた為、息が少しあがっていた。艦娘寮から入渠ドックまでの距離は決して近くはないが、普段から鍛えている時雨にしてみれば全力疾走をした所で、それほど体力は消耗しない。だが、言い争いをした相手に再び会うという緊張が呼吸を乱した。

 

 時雨とて不安は感じる。

 また相手の気分を害してしまうのではないかという不安を感じている。今朝の出来事の非が自分にあると知れば尚の事だ。

 

「よし」

 

 呼吸を整え、意を決した時雨は入渠ドックの扉を開け──ようとして、先に開かれた。中から人影が飛びだし、時雨は反射的にそれを回避する。飛び出してきた人影は時雨に気付く事もなく、鎮守府の南側にある絶壁へと去っていく。そこにあるのは慰霊碑。それを目指したのかは知らないが、ともあれその人影は走り去った。

 

「今のは……睦月?」

 

 人影には見覚えがあった。

 赤茶のショートカットヘアーに小さめの身体。吹雪と最も仲の良い艦娘だった。

 

「……泣いてたな」

 

 すれ違いざまだったが、時雨は彼女の涙を見逃さなかった。中で何かがあったのだろう。恐らく吹雪に関係する事で。

 

 その事は深く考えずに、時雨は開きっぱなしになった扉を通る。後ろ手に扉を閉め、奥へと入っていく。やがて脱衣所に到達した。ここまで来ると温かな湿気が肌に感じられた。

 

「あれ、珍しいところで会うね。白露型二番艦」

 

「やあ、川内。相変わらずキミは人を名前で呼ばないね」

 

 川内型軽巡洋艦一番艦 川内が服を着たまま、入渠ドックという名の浴室から脱衣所へと出てきたところだった。風呂上がりでないのは見て取れる。となれば後輩であり僚艦である吹雪の様子を見ていたと時雨は把握する。

 

「アッハハ、人の名前を覚えるのは苦手でね。まあでもアンタの名前は覚えてるよ。ただ呼ばないだけ」

 

「なんでまた。白露型二番艦なんかより、ずっと短いのに」

 

「なんていうか、アンタの名前を口にすると嫌な予感がするんだよね。アンタだけじゃなくて一番艦と六番艦もそう。なんでかはわからないけど、全身がムズムズするんだな、これが。前世で因縁でもあったのかねぇ」

 

「そっか。ま、僕は気にしないからいいけどね。呼び辛くて苦労するのはキミの方だし」

 

「先輩に対して遠慮のない事言うね、アンタも。そういう態度、嫌いじゃないけど」

 

 談笑した後、時雨は胸元のネクタイに指をかける。ここは脱衣所。やる事は一つだ。

 

「──ちょっと待った」

 

 服を脱ごうとした時雨を川内が止める。

 

「今、ポカやらかした吹雪が入っててさ。少しヘコんでると思うから、気持ち良く入浴したいなら時間をズラした方がいいよ。アンタも辛気臭い顔を見ながら、お風呂に入りたくはないでしょ?」

 

「ううん、構わないよ。僕は元より彼女と話をしに来たんだ。裸同士の方が腹を割って話せそうだし、そういうのも悪くない」

 

 構わずに時雨は衣類を脱いでいく。川内は意外そうに時雨を見つめた。

 

「驚いた。アンタ達、そんなに仲が良かったっけ?」

 

「いいや。今朝初めて話をした仲だし、多分この鎮守府で一番雰囲気が悪い組み合わせだと思うよ」

 

「ハッ。じゃあ、なんでそんなこと」

 

「だからこそ仲良くなりたいじゃないか」

 

 そう言われて川内は頭を掻く。知らない相手ならまだしも、仲が悪い相手と仲良くなりたいって思うのは、決して普通な事ではない。けれど、そう思えるのは悪くない事だと川内は思った。

 

「あっそ。まあ、いいんじゃないの。時雨がそう思うんならさ」

 

 それだけを言い残すと、川内は脱衣所から出ていった。

 

「……あれ? 今、僕の名前」

 

 ひらひらと手を振っている去りゆく背中を視界に捉えながら、その背中に時雨は小さく微笑んだ。

 

 

  -◆-

 

 

 服を脱ぎ、三つ編みを解く。解放された長髪が湯に浸からぬよう、後ろにまとめてヘアクリップで持ち上げる。一糸纏わぬ姿にて準備は完了した。

 

 時雨は浴室の扉を上げる。ほどよい熱気を全身で感じながら、その後姿を見つけた。肩までの黒髪を湯に垂らした吹雪。見つけた後姿はなんとなく元気がない。そんな彼女の隣に時雨は歩み寄った。

 

「隣、失礼するよ」

 

「──え」

 

 何食わぬ顔で時雨はお湯につかり、一息吐くと吹雪の方に目を向ける。驚きに固まった吹雪の顔がそこにはあった。

 

「ええっ、なん、なんで時雨ちゃんがっ」

 

「ヘマをしたと聞いてね、キミを笑いに来たんだ」

 

「……う」

 

 反論はなく、吹雪自身も失敗したと認めているように、その顔は苦渋に歪む。

 

「そんな顔しないで。冗談。冗談だよ。傷口に塩を塗るような事はしないさ。……本当は謝りに来たんだ」

 

 謝りに来た。意外な言葉に吹雪の顔は再び驚きを表す。そして頭を下げる時雨に、更に驚いた。

 

「今朝はごめん。確かに僕はキミの質問に対して、真剣に向き合っていなかった。ごめん。ごめんなさい」

 

「い、いいよっ! わたしもカッとなって、たくさん自分勝手な事言っちゃったと思うし、それに──」

 

 ばたばたと両手を振って、時雨の謝罪を受け入れる吹雪は、その言葉の最後を言い淀む。けれど、続けて声にした。

 

「──それに、時雨ちゃんの言う通りだったから。改になろうと焦って、多くの人に迷惑をかけちゃった。いっぱい心配をかけちゃったから、謝るとすれば、それはわたしの方だよ。……ごめんなさい。焦ったって、良い事は一つもありませんでした」

 

 吹雪もまた頭を下げる。それだけの反省はもう出来ていた。それはきっとここへ来る途中にすれ違った彼女が関係しているのだろうと、時雨は思った。

 

「ここの入り口で睦月を見たよ。……泣いてた。それはやっぱり──」

 

「──うん、わたしが泣かせちゃったんだ。危ない事をしないで、って。もう誰かがいなくなるのは嫌なんだ、って。すごく怒られて、すごく泣かれた。……睦月ちゃんがあんな怒ったのは初めて見たよ」

 

「彼女は如月を失っているからね。大事な人がいなくなる事の辛さを痛いほど知っているはずだ。だからこそ、その怒りは正しい」

 

「うん。正しいものだから、すぐに思い知ったよ。自分が間違った事をしていたんだって思い知った。誰かを泣かせる努力が正しいはずないもん」

 

「けれど、頑張る事自体が──努力を重ねる事自体が間違っているわけじゃない。キミが頑張っていたのは僕でも知ってるし、睦月だってそれはわかっていたはずだ。ただキミは急ぎ過ぎて失敗した。今回の事はそれだけの話だと思う」

 

「そうだね。今なら納得出来るよ、時雨ちゃんの言葉」

 

 吹雪は頷いて呑み込む。そんな吹雪に、時雨は真剣な瞳を向ける。

 

「吹雪、キミはまだ改になりたいと望むかい?」

 

 そして問い掛けた。

 

「うん。失敗したけど、それでもわたしは改を目指すよ。目指したいって思うよ」

 

 吹雪はそれに即答した。

 返答にブレはない。我が強く、その意思を真っ直ぐ一貫する。ひたむきな姿勢。少し頑固で、少し強情な決意の言葉。それは時雨も共感できる人間性。その実、二人は大切な事に向き合う姿勢が似通っている。そこに普通も特別もなかった。

 

 時雨は納得して言葉を紡いだ。

 

「そっか。それじゃあキミの質問にちゃんと答えるよ。どうすれば改になれるのか。僕の感じた意見だけど、それを教えてあげる」

 

 余計な事を考えず、この際運命の事すら置いておいて、彼女の悩みにだけ回答しよう。時雨はそう思った。

 

 吹雪はその言葉に笑みを浮かべて、続く言葉を待った。

 

「まず初めに……、錬度は最低条件だ。そして今のキミなら改になれる錬度は備えていると思うよ。だから、必要なのはその努力じゃない。必要なのは恐らく──志向性だ」

 

「しこうせい?」

 

「そう。強くなる目標と言った方がいいかな。改装のきっかけになるのは、きっとそういう指標だよ。何かを目指し、それを成し遂げた時、人は成長する。艦娘にとって改装は成長と同義。人間的な成長が魂の同調を促すんだと、僕は思う」

 

 何を目指し、どこへ行くか。それを定める事こそ、夢を見るという事。その“夢”は時に原動力となり、時に呪いになる。だからこそ深く考え、正しく導かなければならない。他ならぬ自分の事なのだから。

 

「吹雪、キミはなぜ強くなりたいの? 何の為に強くなるの?」

 

 その答えがキミの進むべき道だよ──と時雨は優しく問う。

 問われた吹雪は、しばし考える。自分が目指す場所。自分の理想とする自分。その志向性を模索する。……悩む事はなかった。それはもう彼女の手の中にあった。

 

 湯船の中で握り拳を作る。温かなモノが広がっていくのがわかった。

 

「具体的じゃないけど……ある。わたしにもそうしたいって思う事」

 

 握り締めた拳は開く。温かなモノは逃げず、手のひらの上に残っていた。

 

「──わたしは誰かの為になりたい。誰かの役に立ちたい。どんな事でもいい。どんな些細な事でも構わないから、望んでくれる誰かの為に、わたしは強くなりたいって思う。それがわたしの目標──ううん、それがわたしの夢なの」

 

 誰かに必要とされて、その期待に答える。誰かの為になる。人の為に生きる。それは誰もが持つ人の善性。人の望みに応え、人の感謝を受け、自分は精神的な充足を得る。自己満足と言えばその通り。偽善と笑われても仕方がない。しかし、それを形に出来たなら。そうやって生きていけたのなら、それはきっと素晴らしい事だろう。それだけで生きる意味を得られるくらい、眩しいものであるはずだ。

 

 ──『人の為に生きる善い人間』

 

 誰もがそうなりたいと願い、目指す、善性の到達点。けれどそれは、現実の軋轢に苦しみ、いずれは手放す理想の別名。当たり前に持っていて、当たり前に失う幻想の別称。即ち夢幻に他ならない。

 

 それを吹雪は掲げた。そうなりたいと夢を掲げた。

 

「…………」

 

 それは叶わぬ理想だと、時雨は思った。けれど、彼女が言葉を失ったのは呆れたからでも、哀れに思ったからでもない。その当たり前に叶えられない願いを吹雪は容易く言った。気兼ねなく、それは目指すに値するモノだと言い放った。……信じているのだ。それが叶うと信じている。自分の未来を信じている。未来など知らないのに。運命の存在にすら気付いていないはずなのに──いいや、知らないからこそ信じられるのか。未知であるからこそ囚われない。運命の鎖に囚われない。──それに気付き、時雨は言葉を失った。

 

「キミは……それを信じているんだね?」

 

 それでも問い掛けた。それが本当の気持ちであるかを問い掛けた。

 

「はい、もちろん! ──と言っても、わたしがそれを信じられるのは司令官のおかげなんだけどね」

 

 肯定しつつ、吹雪は思い掛けない事を言う。司令官──つまり提督のおかげだと彼女は言った。

 

「この鎮守府に来た日。初めての実戦で何もできなくて、すごく落ち込んでた。だから『どうしてわたしを呼んだんですか』、『どうしてわたしを選んだんですか』って問い掛けたの。そしたら司令官は答えてくれた」

 

「なんて……?」

 

「笑っちゃうような話だけど、『夢に見た』んだって。『君と生きる未来を夢に見た。だから一緒に始めよう』って司令官が言ってくれた。それが本当の事なのか、それともわたしを励まそうとしてくれた言葉なのかはわからないけれど、でも、わたしはそのおかげで夢を持てて、それを信じる事が出来たんだと思うの」

 

「……夢を見た」

 

 その言葉を反芻する。提督もまた夢を見ていた。自分とは違う未来の夢を。

 

 ──そうか。提督も運命に出会っていたんだね。

 

 自分が彼女に出会ったあの夜のように。彼も運命と出会った。だから、その夢の光景を目指したのだろう。

 

「それなら吹雪。尚の事、その夢がキミの行くべき道だ。それを意識してキミなりの努力をすればいい。きっと何かを果たす時がやってくる。その時を信じて、今は自分の出来る事を、すべき事をするべきだ。キミなら絶対に強くなれるはずだから」

 

「ありがとう、時雨ちゃん。自分を再確認出来て、なんだか焦りがなくなった気がする」

 

 肩の力を抜いて吹雪は湯に浸かる。その脱力はそう長くなかった。

 

「──よしっ!」

 

 吹雪は気合いを入れて立ち上がる。

 

「先にあがるね。今、わたしがすべき事をしてくる」

 

 時雨は静かに瞳を閉じ、口を開く。

 

「睦月は南の絶壁──慰霊碑の辺りにいると思うよ。僕に教えてくれた夢を、彼女にも伝えてあげるといい。きっとわかってくれるはずだよ」

 

 吹雪がすべき事。それは傷付けてしまった親友と話をする事。それを見抜いた時雨に驚きつつ、吹雪は満面の笑みを浮かべた。

 

「本当にありがとう」

 

「うん。こちらこそ、いろいろ為になった。ありがとう」

 

 感謝の言葉を交わして、吹雪は湯船からあがる。そして脱衣所へ向かおうとしたところで、足を止めた。

 

「ねぇ、時雨ちゃん。わたし達、友達になれたのかな?」

 

「なれてたらいいなって、僕は思っているよ」

 

「じゃあ、わたしと一緒だね!」

 

 そう言い残して、吹雪は入渠ドックから去っていった。

 湯船に残った時雨は、せっかくなので入浴を楽しむ。今朝の清算を果たした今、気分は晴れやかなものだった。

 

「ふぅー……」

 

 今朝ではわからなかった事がわかった。

 提督が彼女を選んだ理由。提督が見た夢。彼女が抱く夢。未来を信じる純粋な願い。──見定める材料は十分に揃った。

 

「でも、どうでもいいか」

 

 見定める必要なんかない。友達を信じなくてどうするんだ。

 

 ──駆逐艦 吹雪は未来を切り開く篝火となる。

 

 そう信じて、時雨はただ気持ち良さそうに温かいお湯に包まれた。

 

 


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