艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 進んできた道程に、満潮は仰向けに漂っていた。

 脱力した四肢は大きく投げ出され、海面に浸かった身体は最低限の浮力で浮いている。

 

「────」

 

 時雨がそれを見つけた時、言葉を失った。

 被弾を受けた左腕と右足は腫れ上がり、特に左腕は元の何倍にも膨れ、鬱血した青い痣が痛々しく残されている。薄く開かれた瞳は上空の青空を映したまま微動だにしない。

 

 ゆっくりと時雨は近付いていく。

 そして恐る恐る彼女の隣にしゃがみ込んだ。

 

 息を呑む。

 呑み込んだ息は無様に零れた。

 

 動くのをやめた左手を握る。指先は冷たく、血の気がない。

 

 吐息が漏れる。

 目の前に広がる現実を認識して、時雨はせり上がってきた感情のままに強張った顔を震わせた。

 

 

「……今回ばかりは死んだかと思ったわ」

 

 

 そんな時雨の表情を視界に捉えながら満潮が呟く。そして心底疲れたかのように吐息を漏らした。満潮の生存を確認した時雨は歓喜のあまり、握った左腕をブンブンと振ってその喜びを表した。

 

「よかった、生きてたんだね!」

 

「イタイイタイイタイッ!! 怪我してるから!! 多分骨にヒビとか入ってる方の腕だから!!」

 

「ああ、ごめん」

 

 元気よく泣き叫ぶ満潮を見て安心した時雨は負傷している左手を離す。満潮は左腕と右足を負傷している様子だったが、致命傷には成り得ず、それ以外に目立った外傷もなかった。

 

 ひとしきり痛がると、満潮は申し訳なさそうに口を開く。

 

「悪いわね、足止めし切れなくて。一度は倒したんだけど、いきなり再生し始めたと思ったら、更にヤバい感じの奴になっちゃってさ」

 

「うん、僕も会敵したよ。正直打つ手がなかった。……でもすごいよ満潮は。アイツと一対一で戦って生き延びられたんだからさ。白状するけど、駆逐棲姫が追い付いてきた時、キミはもう死んでしまったと思ったよ」

 

「相変わらず正直に言うわね。でもまぁ、私も自分は死ぬんだろうなーって思いながら戦いを挑んだから、アンタの予感は間違ってないんだけどね。……蘇った駆逐棲姫は私を無視して、すぐアンタの方に向かっていったのよ。負傷した私を障害と判断しなかったのか、もしくはアンタが迅速にヲ級を追い詰めたから余裕がなかったのか、その理由はわからないんだけどね。ま、おかげで命拾いしたわ」

 

 仰向けに横たわり、波に揺られながら満潮はやれやれと肩をすくめた。その仕草はチャーミングではあったが、ふと時雨は疑問を抱く。

 

 ──なんで満潮はこんなところでぷかぷか漂っているんだろう? 普段の彼女なら多少の負傷を負っても、自分を無視して去った駆逐棲姫を追って、僕が交戦していた海域までやってきそうなものなのに……、と普段の勝気な満潮を知る時雨だからこそ不可解に思った。故に思ったままに質問を投げ掛ける。

 

「ところで満潮。キミはなんで横たわっているんだい? 艤装の調子が悪いの?」

 

 時雨の質問に、満潮はついに言及されてしまったかと顔を渋める。

 

「艤装は問題ないわ。そう、艤装は問題ないのよ。ただ……」

 

「ただ?」

 

 満潮は紅潮しつつ、ぼそぼそと呟く。

 

「……がぬけたの」

 

「ん? ごめん、よく聞こえない」

 

「こ、腰が抜けて……立てないのよ」

 

「腰が抜けた? どうして?」

 

 時雨の問い掛けに、満潮はふるふると震えだし、そして羞恥を爆発させた。

 

「~~~っ、ビビって腰が抜けたのよっ! 殺しても死なない奴が目の前にいて、それでも私は命懸けで戦おうと挑んだわ! ええ、格好付けて挑んだわよ! でもね、すんごく怖かったのよ! それはもう内心ビビりまくりだったのよ! そしたら駆逐棲姫の奴、私の攻撃なんか無視してアンタを追い掛けていっちゃうじゃない!? 私を無視するなんていい度胸ね、なーんて思ったけど、それ以上に助かったーって思っちゃったのよ! そんですごく安心しちゃったのよ! 生きててよかったー、とか心の底から安堵しちゃったのよ! 気付いた時には腰が抜けてて、盛大にすっ転んでたわ! すっ転んでそのままよ! びっくりしたわ! 腰が抜けるとホントにぜんぜん動けないのね! この歳で体験したくない初体験をしちゃったわよ! というわけで今に至るわけよ! 滑稽ね! 滑稽でしょ!? 笑いたければ笑いなさいよ! 笑いたくなくても笑いなさいよ! 惨めで無様な私の為に笑っちゃいなさいよ! アーハッハッハッ──って遠慮なく笑えばいいじゃない! アンタが笑わないなら自分で笑うわ! ミジンコみたいにちっさい度胸と身長の自分を笑ってやるわ!」 

 

 ──「アーハッハッハッ!!」と仰向けの満潮は右手で顔を隠しながら自分を笑い飛ばす。彼女にとってよほど恥ずべき事だったのか、その言動は些か暴走気味だった。

 

 そんな暴走を時雨は笑顔で受け流す。

 

「うん。とりあえずキミが元気そうでよかったよ」

 

「よくないわよ、ばか。だいたい……──」

 

 暴走後の羞恥が混じった虚脱感に襲われている満潮は、時雨の能天気な言葉にぶつぶつと言葉を返す。そのほとんどが時雨には聴こえなかった。

 

「さて、キミの無事を確かめられた事だし、先を急がないといけない。満潮、僕はヲ級の無力化に失敗したんだ。今頃、鎮守府に爆撃が行われているはずだよ」

 

 その言葉に満潮の表情が変わる。すねた子供の顔は、瞬時に人類の守護者たる艦娘のものに転じた。

 

「ごめんなさい。私がもっと上手く出来ていれば……」

 

「それは僕も同じだよ。僕等二人の力不足だ。けど、悔んでいる時間はないよ」

 

「わかってるわ。急ぎ──……あ」

 

 満潮は起き上がろうとしたが、砕けた腰がそれを許さない。身体の中心に力が入らず、上体を起こす事も出来なかった。

 

「ううぅ……、なんて無様……」

 

 真剣な顔も束の間に、本気で泣きべそをかいていた。そんな満潮を、時雨はすくうように持ち上げる。背中と膝の裏に手をまわし、軽々と満潮の身体を抱き上げた。

 

 突然の行動に満潮はその口をぱくぱくとさせて大いに慌てる。

 

「な──なっ……!?」

 

「やっぱり満潮は軽いね」

 

 そう言いながらも時雨の足は膝下まで海に沈みこんだが、祥鳳の時とは異なり、満潮自身の艤装が機能している為、それ以上沈む事はなかった。艤装が発する力場は艦娘が直接海面に接していなくとも浮力として作用する。無論、海面から離れれば離れるだけ効力は薄まるが、抱き上げられた程度の高さならば魚雷発射管を失った満潮の重量を支えるのに十分な浮力が得られていた。

 

「ア、アンタ、いきなりなにすんのよっ!?」

 

「なにって、抱き抱えただけだよ?」

 

「いや、でも、これって」

 

 時雨が満潮にした抱え方は、俗に言う“お姫様抱っこ”と呼称されるものだった。その名の通り、多くの女性が理想の男性にされる事を夢見る特別な抱え方であり、実際にされると滅茶苦茶恥ずかしい抱えられ方でもある。理想は理想であるからこそ、夢は夢であるからこそ尊い。故にその名は“お姫様”を冠しているのだ。

 

 もっとも時雨にはそんな意識はまったくとしてなく、そもそもこれがお姫様抱っこと呼ばれている事すら知らなかった。自分はお姫様抱っこの正式名称である『横抱き』をしているに過ぎないと思っていた。

 

「腰が抜けているキミを曳航するのは忍びないし、僕の艤装配置的におんぶとかはしてあげられないから、姿勢が辛いと思うけどこれで我慢して」

 

「あ……、うん」

 

 時雨の言う事に渋々頷く。自分の回復を待っている時間はないし、ここに一人放置する事も時雨はできないだろう。二人して鎮守府に向かうには確かにこれしかない。その代償は羞恥心に苛まれる事か──と満潮は断腸の想いで納得した。

 

「…………」

 

 けれど恥ずかしさのあまり、満潮は借りてきた猫のように大人しくなる。時雨は自分の腕の中で丸まっている彼女を可愛く思いながら、しかし、鎮守府にいる仲間達の無事を願ってその両足に力を込めた。

 

 


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