艦これ Side.S   作:藍川 悠山

47 / 94
07

 

  7

 

 

 ──後方より砲撃音が聞こえてくる。交戦が行われている。満潮は上手く駆逐棲姫の注意を引く事ができたらしい。

 

 満潮と別れ、空母ヲ級率いる機動部隊へと向かった時雨は振り返る事なく状況を察する。仲間が自分の仕事をしている以上、こちらも任された事を果たさなければならない。故に振り向かず時雨は走った。

 

 視界には敵を捉えている。

 まだ間合いには遠いが、有効射程までそう時間はかからない。問題があるとすれば──こちらの存在を悟られた事か。

 

 後方より発せられる砲撃戦の爆音を聞き、敵機動部隊は時雨と満潮の存在を察知していた。こうなれば不意をついた急襲はもはや不可能。正面からぶつかっていくしかない。

 

 未だ遥か先にいるヲ級が手に持った杖をかざすのを時雨は見た。随伴艦として同行していた駆逐イ級二隻が、迫りくる時雨を迎撃する為にやってくる。近付かれる前に叩く算段なのだろう。数では優勢。ましてや相手は駆逐艦が僅かに一人。その対応は決して間違っていない。しかし──

 

「取り巻きを先んじて倒せるのなら好都合だ」

 

 ──駆逐艦 時雨の対処には不十分であった。

 

 時雨とイ級は互いに速度を緩めぬまま接近し合い、やがて両者は交わる。イ級が口を開き、砲撃を放つ。二隻から放たれた砲弾は、しかし、時雨には当たらない。距離が遠い。精度が甘い。外れた要因は多くあったが、最も影響を及ぼした要因は“時雨に狙いをつけられなかった事”であった。元も子もないが、駆逐イ級は時雨の姿を捉える事が出来なかったのだ。

 

 時雨の航行速度は駆逐艦の中では並。標準的な速力しか持たない。ではなぜ狙いをつけられなかったのか。理由は明白。小難しい理屈もない。彼女はただイ級の狙いから外れ続けただけの事である。

 

 敵に狙われないように行動する。戦場をゆく者ならば当然の心得だ。彼女はそれを実践しただけ。敵が自分を照準に捉えようとしたのならば先んじて動いて狙いを外す。当たり前の回避運動。艦娘ならば誰もが学ぶ基礎技術。これはただ彼女のそれがズバ抜けていたというだけの話だった。

 

 恵まれた視力からなる敵の視線を感知するほどの卓越した観察眼。天性の才覚と幾度にも及ぶ訓練により培った操舵技巧。そして経験から生み出した独自の回避航法により、駆逐艦 時雨は一般の駆逐艦を凌駕する回避力を有していた。

 

 砲撃戦が主体の艦娘の戦闘に過剰な速度は必要ない。早かろうと遅かろうと、音速に達する砲弾を自身の速度で避ける事は出来ない。いくら速く移動できても距離があれば大差はなく、計算された偏差射撃の前では容赦なく被弾を受ける。故に重要なのはタイミングだ。相手の狙いを知り、相手が予測し偏差する位置をずらす事。障害物のない海上において、それだけが敵の攻撃より身を守る術。それを熟知する時雨がこの程度の砲撃で被弾する事などなかった。

 

 時雨の身体は不規則に左右を行き来する。高速で前進しながら、まったくの減速を必要とせず、舵を切り続ける。波に乗っているように、その動きは流麗で自然な所作だった。

 

 深海棲艦の砲撃は当たらない。だが、時雨の砲撃は初弾から命中した。

 

 右腕の艤装を構え、撃ち放った砲弾は吸い込まれるように一隻のイ級へと直撃した。鼻っ面を砕き、体内が露見する。剥がされた装甲を狙って更に追撃が加えられた。左腕の大型単装砲で攻撃し、イ級は内部より爆散する。それと同時に、左側面に設置された連装砲をもう一隻のイ級に向けた。そして撃つ。左斜め前方にいたイ級の側面を穿ち、その巨体が横転した。それを確認した瞬間、左足の魚雷発射管を動作させ、横転したイ級目掛けて酸素魚雷を二本射出する。

 

 一連の行動を済ませた時雨はイ級からは目を離し、先を進む空母ヲ級を目指した。その三秒後、放った魚雷がイ級に命中し、確実な死を与えたが、わかりきっていた結果故に時雨がそれを確認する事はなかった。

 

 その光景を目の当たりにしたヲ級はここで初めて時雨から距離を取ろうと移動を始めた。時雨の進行速度は極めて速い。駆逐イ級を二隻ぶつけたにも拘らず、その速度を抑える事すら出来なかった。ヲ級はそれを脅威として認識する。距離を詰められれば被害を被ると時雨の性能を分析した。

 

 艦載機を発艦させる。

 攻撃目標である鎮守府へ向けて──ではない。自身に接近しつつある時雨へと艦載機を飛ばした。ここに至ってヲ級は時雨の排除を優先する。

 

 正規空母の傲慢さ故に容易く屠ふれると自分を甘く見ているのか。或いは逆に自分を過大評価しているのか。その意図を時雨は計りかねたが、しかし、彼女にとってはまたしても好都合。急襲に失敗し、鎮守府へ艦載機が放たれる前にヲ級を無力化させるのは不可能だと想定していたが、ここにきて光明が見えた。

 

 時雨は両腕の艤装を構える。

 自分を狙う艦載機ならばいくら来ようと大歓迎。熱烈に迎え入れ、派手に叩き落してやろう。

 

 発艦した数はきっかり十機。その全てが時雨を狙う。瞬く間に包囲されたが、その苛烈な攻撃を時雨は踊るように回避する。爆撃、雷撃、機銃掃射。それらは容赦なく上空より降り注ぐ。だがしかし、そのどれもが時雨には届かなかった。

 

 誰かを守っているのならばいざ知らず、今は自分だけを守ればいい。航空戦力に対して個艦防衛に徹すれば『駆逐艦 時雨』は正しく難攻不落だ。在りし日の艦艇の魂と完全同期を果たした現在の時雨は、かつての戦争──その最も激しかった時代を戦い続けた『時雨』の経験値をそのまま自身に還元し、憑依させている。航空戦力の脅威に晒され続けながら、付け焼刃の装備で激戦が重なる戦場を生存し続けた在りし日の『時雨』にとって、この程度の空襲など愉快な舞踏と差異はない。

 

 炸薬が弾ける音を音楽にして、時雨はステップを踏むように攻撃の中を突き進む。そして前進しながら次々と艦載機を撃墜していく。大型単装砲二基を前面に、側面の砲塔二基を後方に向け、リズムを刻むかの如く艦載機を殲滅した。

 

 その鮮烈な光景を前に空母ヲ級の砕かれた左半面に灯る炎が揺れた。それを時雨は観測する。近付いてみればそのヲ級が他とは異なっているのがわかった。誰かにやられたのか、破壊された目は青い炎を宿し、視覚化されたおどろおどろしい蒼白のプレッシャーがその全身から放たれている。通常のヲ級よりも数段上等。決して侮れる相手ではない。

 

「へぇ。よく見てみればあのヲ級も普通ではなさそうだね。あんな青いオーラを纏った個体は初めて見た。でも──」

 

 ──規格外には程遠い、と時雨はそう断じた。基本性能は深海棲艦の中でも最上位だろう。放たれた艦載機も思い返してみれば普通のよりかは手強かった気がする。だが、所詮はその程度。ルールから逸脱してはいない。その力は自分達と同一線上にある。つまり立っているステージは同じだ。ならばそれは脅威ではなく、時雨にとって打倒し得るただの障害でしかなかった。

 

 そうして時雨はようやくヲ級を射程に捉えた。離れながら艦載機を飛ばしてくるヲ級を追うのは多少の時間が掛かったが、それでも数分にも満たない時間。その間に撃墜した艦載機の数は三十を越えた。自分だけを狙ってくるわかり易い動きの航空戦力だったとはいえ、その数は驚異的なものだった。

 

 空母ヲ級の猛攻を受けて尚、一切の被害を受けなかった時雨は砲口を向ける。狙いは艦載機を収めている帽子のような格納庫。本体を撃破する必要はない。艦載機さえ飛べなければ航空母艦はその意義を失う。戦場に与える影響力は絶大だが、その脆弱性も顕著だ。駆逐艦でも接近さえ出来れば切り崩す余地はいくらでもある。

 

 時雨がトリガーを引く。

 放たれた砲弾は弧を描き、空母ヲ級に着弾──しなかった。その手前で何かに阻まれ、目標に至る事はなかった。

 

「キミは──!」

 

 それは瞬く間にやってきた。予兆を感じさせる隙もなく、時雨とヲ級の間に割って入ったそれは砲弾をその身で受け、ヲ級を庇った。

 

 見覚えのある艤装。物理法則を無視した動き。どこか自分と面影が重なる容貌。先程見たものよりも人として完成している身体ではあったが、時雨にはこの存在が別個体でないと直感的にわかった。

 

 駆逐棲姫。驚異的な速力を以て後方から追い付き、その完全となった姿を見せつけるように時雨の前に立っていた。

 

「……満潮をどうしたんだ」

 

 時雨の声色が強く変わる。

 目的を邪魔されたと同時に、駆逐棲姫がここに来れた理由を瞬間的に悟り、焦燥から気が高ぶった。

 

「────」

 

 駆逐棲姫は答えない。返答を持たない。

 わかっている。深海棲艦が言葉を返す事はない。そんな交流ができているなら、こんな争いになどなっていない。

 

「答えろッ!!」

 

 だが、それを理解しながら時雨は咆える。

 満潮は我が身を省みず仲間の為に戦える素敵な子だ。敵が格上だからと逃げ出すような子ではないし、勝てない相手だからと怖気づく子でもない。どこまでも愚直に、自分の役目を命の限り果たそうとするだろう。その彼女が足止め出来なかったという事は、つまり──

 

 噛み締めた奥歯が軋みを上げる。当然のように返ってこない回答が腹立たしい。今すぐにでも目の前の規格外を排除したい衝動に駆られる。けれど、激情を律した。時雨は討つべき相手を間違えない。今、自分が討つべきは仇敵ではなく、皆の帰る場所を燃やそうとする空母ヲ級だ。それを忘れてはならない。

 

 時雨はすぐさま右に駆け出し、駆逐棲姫の後ろに隠れるヲ級を狙う。射線が通った瞬間、迷わず砲撃を放った。──しかし、またしても駆逐棲姫に防がれた。

 

 身を挺して駆逐棲姫はヲ級を守る。被弾した箇所の装甲が砕け、一部貫通した部分からは体液が流れ出た。だが、それも僅かな時間だけ。一呼吸の間に、その負傷は修復され、装甲が再生する。時雨はそれを目の当たりにした。

 

 自動修復。完全となった駆逐棲姫は新たにその機能を内蔵していた。死を超越した存在。規格外は規格外の枠を出て、更なる領域に到達した。

 

 その事実に時雨の身体が止まる。彼の者は運命の抑止力にして倒さねばならない宿敵。打倒すべき壁は高く、往こうとする道は険しい。それを直視して足が止まった。

 

 時雨が見せた一瞬の躊躇い。その隙にヲ級はこの場から離脱を図る。駆逐棲姫という強大な増援を得た今、それは容易かった。

 

「待て──ッ」

 

 それを見逃すほど時雨も呆けてはいない──が、追おうと進んだ先に駆逐棲姫が立ち塞がる。自慢の操舵技術を駆使して突破しようとするも、駆逐棲姫はまるで鏡に映った虚像のように時雨と同じ動きをした。

 

「くっ……ダメだ」

 

 交戦なしで通過はできない。

 時間を稼がれては元も子もないというのに戦わざるを得ない。

 

 先程の満潮と駆逐棲姫の状況と同じ。先を追うには眼前の敵を打ち倒さなければならない。もっとも今回は駆逐棲姫が時間を稼ぐ側で、時雨が一刻も早く突破しなければならない側であったが。

 

 両者は艤装を構える。互いの立場は把握した。後はもうその役割を競い合うだけだ。

 

 遠くなっていくヲ級を視界に捉えながら時雨は駆け出す。追う為でなく、戦う為に駆け出した。右腕の砲塔で本体を狙い、左腕の砲塔で回避後に硬直する地点を狙った。満潮と共に編み出した駆逐棲姫の攻略法。それは完全態となった現在でも通用した。

 

 いつも通り急加速からの急制動により回避し、その後の硬直する一瞬を狙った砲弾が駆逐棲姫に直撃する。確かな被害を与え──そして間もなく回復した。

 

 被害を受けた途端に修復されていく。規格外の動きで回避する駆逐棲姫の攻略法は変わらずに通用したが、しかし、その効果はもはや望めない。否、攻撃した端から回復されてしまうのであれば、そもそも戦いとして成立していない。負けはあっても勝ちがない。そんなものを戦いとは呼ばない。ただの徒労だ。

 

 攻略法が効果を見せ、光明を見つけたと思えば、よもやここまで乱暴な対処法を付与してくるとは予想だにしなかった。なんという力技だろうか。完璧な回避行動が通用しないのならば、被弾しても問題なくすればいいだなんて、まるで子供の発想。言葉にするのは簡単だが、実現できない類いの発想だ。けれど、それも規格外であるのならば成立するのか──と、時雨は攻撃を続けながら眉間にしわを寄せた。

 

「……っ」

 

 それでも時雨は徒労と思える行為をし続ける。

 直撃弾は多数。数え切れないほど撃ち込んだ。手練手管を用いて、残った酸素魚雷も直撃させる事が出来た。──だがしかし、駆逐棲姫は再生した。魚雷の火力を以て身体の大半を吹き飛ばして尚、残骸に等しい部分から蘇った。

 

 駆逐棲姫の猛攻を凌ぎ、そこまでの攻撃を加えたというのに、一切無駄に終わった。その攻防を経て時雨が攻撃を断念したのと、駆逐棲姫が行動をやめたのはまったくの同時だった。

 

 息を荒くしながら停止した時雨と、まったく様子が変わらないまま静止した駆逐棲姫。両者は対峙したまま互いを見つめる。

 

 時雨は駆逐棲姫がなぜ動きを止めたのかと考えて、その答えをすぐに発見した。空の彼方。見上げる蒼穹の先に艦載機を見つけた。遠い遠い空。深海棲艦の艦載機が辛うじて目に見えるほど遠い場所を飛んでいる。

 

「……間に合わなかった」

 

 この戦域より離脱した空母ヲ級が放った艦載機。それらは鎮守府を目指し、暫くもしない間に爆撃を行うだろう。防空支援に向かうのも、もはや間に合わない。時間はたっぷりと稼がれた。これは当然の結末。それを受け止めつつ、汗が伝う頬は悔しさに震えた。

 

 駆逐棲姫は己が役目を果たした。故に行動を終了し、その身体を海の中に沈めていく。

 

「キミは絶対に僕が倒す」

 

 去りゆく宿敵に宣言する。惨敗を喫して尚、時雨の瞳に闘志は満ちていた。何一つ打開策は思い付かないけれど、その決意だけは突き付ける。

 

 その言葉を聞いてか聞かずか、駆逐棲姫はその無機質な瞳を閉じて、深海へと帰っていった。

 

 そうして海上には時雨が一人残される。

 結局として目的は達せなかった。鎮守府を守れなかった。運命を越えられなかった。

 

 駆逐棲姫が出てきたという事は、この襲撃もまた過去──在りし日の艦艇がいた時代にあった出来事なのだろう。それを阻止しようとしたから、運命の抑止力として駆逐棲姫が現れた。その認識は揺るがぬ事実として時雨の中に芽生えていた。

 

 しかし、今はそれを悔んでいる余裕などない。

 

「満潮……!」

 

 友の名を呟いて、時雨は来た道を振り返った。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。