艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 中央への異動が命じられた翌日、時雨と満潮は揃って医務室にいた。

 西方の鎮守府には第一から第四まで四つの医務室が設置されており、相当数の人数を収容できるようになっている。かつて人員の消耗が激しい最前線鎮守府であったが故に医療施設だけは増設されていた。現在は技術の向上と艦娘自体の高性能化によりほとんど入渠だけで負傷を癒せるようになったが、数年前の黎明期においては負傷がそのまま生死に直結した。これはその名残。苛烈な時代の残滓だった。

 

 二人がいるのは第二医務室。そこには戦艦 扶桑が収容されていた。

 広い医務室には多くの寝台が並べられている。けれど、その中で使われているのは扶桑のベッドのみ。彼女以外の艦娘は収容されておらず、同時期に負傷した軽巡洋艦 天龍は重傷であった為、別の場所にて療養していた。

 

 ベッドに座る扶桑のその傍らには当たり前のように山城の姿があった。時雨と満潮の両名は自分達が中央の鎮守府へ異動する事になったと扶桑型戦艦姉妹に伝える。それを聞いた二人の表情は驚きで始まり、その後に扶桑は受容するように微笑み、山城は言いたい事を呑み込むように表情を消した。

 

「二人には誰よりも先に言っておきたかったんだ」

 

「そう……、寂しくなるわね。てっきりこの鎮守府で一緒に戦えるとばかりに思っていたから、本当に残念だわ」

 

 時雨の言葉に扶桑が返す。満潮がそれに続いた。

 

「それは私達も思ってたわよ。ま、中央とここは共同戦線を張る事も多いから、縁があればまた戦場で会えるわよ」

 

「ええ、そうね。出立はいつなのかしら?」

 

 三日後だよ──と時雨が返答する。そう言った時雨の迷いのない声に山城が眉をひそませる。だが、口を開く事はなかった。

 

「そんなに時間もないのね。じゃあ、これから皆に挨拶回り?」

 

「その通りよ。短い期間だったけど、ここの連中とは嫌でも忘れられない濃い時間を共有したから、いきなりいなくなるのもあれだしね。ちゃんと跡を濁さずに行くつもり」

 

 先の一戦は満潮だけでなく参加した全員にとって忘れられぬものとなった。MO攻略作戦は苦い思い出を残すと同時に、艦娘達の絆を深め、それぞれの成長を促した得難い経験。それは凡百な戦闘をいくら重ねようと齎されない最大の戦果であった。

 

 その事に扶桑は微笑みを零す。

 

「ふふ。あなた達は出会った時よりも、もっと頼もしくなったわね」

 

「な……、なによいきなり」

 

「成長期はいいわよねって事。あなた達の成長は見ていて嬉しいし、気持ちがいいわ」

 

「成長? 僕等が?」

 

「アンタは見るからに成長したでしょうが」

 

 第二次改装を果たしておいて謙遜は許さないわよ──と満潮は睨みをきかせた。それに苦笑する時雨を見て、扶桑は更に笑顔を深める。

 

「時雨は外見的なものもあると思うのだけれど、二人ともここ数日で顔付きが変わったような気がするの。きっと内面的な成長が一番大きいのでしょうね。わたしからしたら眩しいくらいにあなた達は輝いて見える。──ねぇ、山城。あなたもそう思うでしょう?」

 

 扶桑に突如として話を振られて、沈黙に徹していた山城は困った様に口を開く。

 

「え……ええ、そうですね。わたしもそう思います」

 

 無難な答えを返して山城は笑う。不格好な笑顔だった。

 

「山城、大丈夫? 調子が悪いみたいだけど」

 

 それは誰から見ても不自然な様子であり、時雨は彼女を慮って声を投げ掛ける。本当に心配して言っているいつも通りの時雨が、山城にはどうしようもなく苛立たしかった。

 

「なんでもないわ、気にしないで」

 

 平静を装って山城は言う。その声色に怒気はないが、意図してそれを隠しているのは明らかだった。

 

「そっか……ごめん」

 

 山城が不機嫌な事に気付きながら、しかし、その理由がわからない時雨は申し訳なさそうに謝った。それで益々山城の表情が険しくなっていく。満潮と扶桑はそんな二人の様子を見守りつつ話を進める。

 

「そういうわけだから、私達はもう行くわ。病室に長居するものでもないしね」

 

「ええ。見送りには絶対行くわね」

 

 扶桑の言葉に頷いて満潮は時雨の手を引く。

 

「ほら、いくわよ」

 

「え、あ……うん」

 

 山城の事を気にしつつも抗う事なく時雨は満潮に従った。医務室の二人に時雨は手を振って「またね」と笑顔で言い残し、時雨と満潮は退出していった。

 

 手を振り返した扶桑に対して山城は目を逸らしていた。扶桑はたしなめるように山城へ視線を向ける。

 

「よくないわね、山城。異動命令は仕方のない事よ。あの子達の力が欲されているのなら、むしろ祝福すべきではなくて?」

 

「…………」

 

「別れるのが寂しいからって、あの子に八つ当たりするのはお門違いよ」

 

「……そんなのじゃ、ないです」

 

 静寂が二人の間に入り込む。

 言葉もなく、仲睦まじかった姉妹は今この瞬間だけは分かり合えていなかった。

 

 やがて──

 

「ごめんなさい姉様。少し頭を冷やしてきます」

 

 それだけを告げて、山城もまた医務室から出ていった。残された扶桑は妹が去っていった出口を見つめながら小さな溜め息を零し、そして僅かばかりの笑みを浮かべる。

 

「やっぱり変わったわね、あの子も」

 

 それはきっと成長と呼べるものだと、姉として扶桑は思った。

 

 

  -◆-

 

 

 扶桑達が居た医務室を出た時雨は「まずは誰から会いに行く?」と満潮に問い掛けた。今は朝と呼べる時間。他の艦娘達の予定は把握していないが、出撃の予定がない事だけはわかっている。早ければ昼過ぎには挨拶が済むだろう。なればこそ会いに行く順番に制限はなかった。

 

「悪いけど、私だけで会いたい奴がいるのよ。用が済んだら追い付くから、アンタは先に行っててくれる?」

 

「それは構わないけど……、まぁ誰かは聞かないでおくよ。それじゃあね」

 

 聞き分けよく時雨は頷き、満潮と別れる。満潮はそれを見送った。けれど少しだけ迷って、満潮は遠くなっていく時雨の背中に言葉を投げ掛ける。

 

「時雨!」

 

「ん、なんだい?」

 

「……ここを離れる前に、一度でいいから山城に話しかけてあげなさい。多分だけど、アイツはそれを待ってると思うから」

 

 満潮には先程の山城がなぜあんな態度だったか、その理由がなんとなくわかっていた。認めたくはなかったが、どうも自分とあの女は近しいものがあるらしい──と満潮は感じ取っていた。

 

 時雨には満潮の言わんとする事がわからなかったが、しかし、彼女とてこのまま山城と離れるつもりはない。あんな苦しそうな彼女を看過する事など時雨に出来る筈もなかった。

 

「うん、わかった」

 

 だから、その返答は当たり前のものだった。答えを返し、時雨は今度こそ去っていく。満潮もまた“会いたい奴”がいる場所に向かっていった。

 

 第二医務室から二分ほど歩いて、そこに辿り着く。第四医務室。最後に増設されたそこは完全な個室であり、重傷患者を収容する為に設けられた集中治療室だった。

 

 扉をノックする。だが、返事はない。怪訝に思いながらも、ゆっくりと満潮は扉を開いた。

 

「失礼しま──」

 

 中を覗いて言葉が途切れた。

 そこにはなんと──腕立て伏せをする女の姿があった。もっと言えば数日前に内臓を派手に痛めた女が一心不乱に腕立て伏せをしていた。

 

 扉が開いてようやく満潮の存在に気付いたのか、その人物は腕立て伏せを続けたまま顔をあげて挨拶をする。

 

「よお。元気してたか、チビ団子」

 

「ちょ……ちょっとアンタなにやってんのよ!?」

 

「あん? 見りゃわかんだろ、腕立てだ。やっぱ動かねぇと身体がナマって仕方がない」

 

「内臓潰した身体でなにやってんだって言ってんのよ!」

 

「おいおい、これでも三日くらいは安静にしてたんだぜ? 医者も少し動くくらいなら大丈夫って言ってたし、問題ないだろ」

 

「お医者さんも腕立てやるなんて想定して言ってないわよ。いいから早くベッドに戻りなさい」

 

「んだよ、口うるせぇなぁ。テメェは龍田かっつーの」

 

 文句を言いながらも彼女──天龍はベッドに座って汗を拭く。

 案外龍田も苦労してそうね──と思いながら、満潮は後ろ手に扉を閉めて、天龍のベッドへと歩み寄った。

 

「んで、なんの用だよ。単なる見舞いか?」

 

「それもあるけど、伝えておきたい事があったのよ」

 

 満潮は自分達が中央の鎮守府へ戻る事になった事を伝えた。

 

「へぇ、そりゃ栄転じゃねぇか。まぁお前等にとっては出戻りなんだろうが、どちらにしろこんな錆びれた鎮守府にいるよか活躍の機会はあんだろ。よかったな」

 

 嫌味もなく天龍は言った。時雨ほどではないが、天龍は天龍で嘘のない性格だった。それに「どうも」と返し、満潮はベッドの横にあったパイプ椅子に腰を下ろす。

 

「アンタはしばらくここにいるらしいわね」

 

「ああ。療養って名目で長期休暇を取ったからな。その間はこの鎮守府の世話になる事にしたよ。龍田の奴も大した怪我でもないのに俺と同じ期間休暇を申請したらしくてな、二人共々古巣でバカンスだぜ」

 

 冗談混じりに天龍は言う。

 天龍達も満潮等と同じく他の鎮守府から派遣された戦力。本来ならば作戦終了後に留まる予定ではなかったが、長く戦い続けていた二人には今回の負傷は丁度いい休養の口実となった。

 

「散々身体を酷使してきたみたいだし、いい機会じゃない。しっかり休んでおきなさいよ」

 

「まあな。つっても一日二日の休暇なら大歓迎だが、長期休暇ってなると俺としては正直退屈で困りもんだぜ。お前みたいにからかい甲斐のある奴がいるならともかく、お前がいなくなると本格的に暇になりそうだ。……いや待て。戦艦姉妹の妹の方はなかなか弄り甲斐がありそうだよな」

 

「やめておきなさい。アイツは人の悪意に慣れてるから、皮肉やからかいで面白い反応はしてくれないわよ」

 

 彼女を困らせたければ純粋な善意を以て接するべきね──と、満潮は言った。

 

「ハッ、面白い反応を期待してる時点で俺に純粋な善意なんてありゃしねぇわな。なるほど、勉強になったぜ。……よく知ってんだな、ソイツのこと」

 

「同族意識……みたいなものかしらね。不本意だけど、ちょっとだけ似てるのよ私達」

 

「へぇ、道理で弄り甲斐がありそうな奴だと思ったはずだぜ。お前に似てるなら納得だ」

 

 そんな雑談を交わして時間が経過する。

 怪我人を前に長居は無用であり、時雨を放置する訳にもいかない。なので満潮は本題に取り掛かる。伝えておきたい事は、自分達がここを発つ事だけではなかった。

 

 姿勢を正して満潮は天龍に向き直る。その顔には真剣さと僅かな照れがあった。

 

「ねぇ、天龍」

 

「あ? なんだよ改まって」

 

「アンタには、その……世話になったわね。ホント感謝してる」

 

 感謝の言葉を言われて天龍は目を丸くする。そして、むず痒そうに首筋を掻いた。

 

「まあ……なんだ。俺もお前には色々酷い事言ったからな。それで差し引きゼロっつーか、トントンだろ」

 

「私もそう思うけど、それでもやっぱりアンタの言葉にはだいぶ慰められたし、正直言って嬉しかったから……だから、ちゃんと言っておきたかったのよ」

 

「……はんっ、そーかい」

 

 鼻を鳴らす天龍は、しかし、満更でもなさそうに笑う。対する満潮は照れ臭そうに頬を染めた。けれど、素直に感謝の意を伝えられた事に安堵もしていた。

 

 しっかりと前を向いて言った満潮に、笑顔を見せながら天龍は静かに言う。

 

「なんつーか……、いい顔になったじゃねぇかよお前」

 

「だとしたら、たぶんアンタのおかげね」

 

「ハッ、嬉しい事を言ってくれるねぇ。ったく調子狂うぜ。……向こうに行ってもちゃんとやれよ、満潮。お前ならその理想を実現できるはずだ」

 

「実現できるはず──じゃなくて、実現するのよ、私は」

 

 強気な返答に天龍は心からの笑みを漏らす。

 

「ああ、そうだな」

 

 そして、感慨深く頷いた。

 

 返事に満足した満潮は席を立つ。全てを言い終えた心中はすっきりとしていた。

 

「それじゃあ、もう行くわ」

 

 別れの言葉に、天龍は返答せず拳だけを突き出した。

 意図を察した満潮はそれに応じて自分の拳を彼女の拳にコツンとぶつける。その途端、笑いを零した。

 

「アンタ、こういう気取ったの好きそうよね」

 

「うっせバーカ。ここは黙って出ていく場面だっつーの」

 

 二人してひとしきり笑うと、今度こそ満潮は背を向けて歩き出す。天龍は彼女の背中にかつての自分を重ね、その眩しさに瞳を閉じた。

 

 


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