艦これ Side.S   作:藍川 悠山

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 発砲音と爆発音が轟く中、覚悟していた衝撃はこなかった。

 代わりに細々とした破片が二人の背中を叩いた。不思議に思って、青葉よりも先に時雨が顔をあげる。空に赤い爆撃機の姿はない。誰かが撃墜したのかと思い、周囲に視線を巡らせる。

 

 周りにいた四人は悲痛な面持ちで、否定の意を表すように小さく首を横に振った。

 

 状況が把握できず、身の回りを確認する。

 時雨と青葉の周りには、先程背中を叩いたと思われる何かの残骸が海に浮いていた。

 

 その中から一つ、目に付いたものがあった。深緑の片翼。深海棲艦の物ではない。艦娘が操る艦載機の翼だった。

 

「──ぁ」

 

 微かな声を漏らし、両腕に抱える祥鳳を見る。

 最後に見た時とほとんど変わりはない。異なる箇所はたった二つ。力なく投げ出され、海面に沈んでいる右腕と──……そして、その誇らしそうな死に顔だけだった。

 

「────」

 

 彼女の命は既に燃え尽きている。二人を救ったのはその最後の輝き。死の間際、消え去る炎が一瞬だけ燃え盛るかの如く、彼女は青葉と時雨の為に戦った。艦娘として、そして人間として、誰かの為にその最後まで戦い抜いたのだ。

 

 この時、時雨は自分達が救おうとした人に救われた事を知った。

 

「…………ッ」

 

 溢れ出しそうになった感情を必死の想いで堪える。噛み締めた下唇は切れて、口内に血の味が広がる。悲しみは尽きず、自責の念が双肩に重くのしかかった。

 

 悔しさに満ちた目で青空を睨み付ける。

 残存していた僅か数機の敵艦載機は途端に無関心となり、早々に退却していった。

 

 ──彼女が死んだから僕等にはもう用はない……ってわけか。

 

 その露骨な対応は時雨の感情を逆撫でした。静かな怒りを抱いて、しかし、それを封じ込める。この怒りは然るべき時、然るべき相手に向けてぶつけるものだ。だから今は大切に取っておく事にした。

 

「時雨さん……、あれ、攻撃は……?」

 

 祥鳳を守ろうと胸の上に覆い被さっていた青葉が顔を上げる。一向に訪れない襲撃を不思議に思い、わざとらしく首を傾げていた。

 

「……敵はもういないよ。みんな、退却していった」

 

「え、どうして」

 

 青葉が見上げる空に敵はいない。不可解に思いつつも、彼女にとっては喜ばしい状況だった。

 

「とにかく祥鳳さんを運びましょう!」

 

 沈みかける祥鳳を抱え直し、自らも膝まで海面に沈み込みながら、青葉は陸地を目指して移動しようとする。──だが、時雨はそれに応じなかった。その場で彼女を支えたまま青葉を見つめている。

 

「な、なにしてるんですか、早くしないと祥鳳さんが」

 

「……青葉」

 

 青葉の催促に、時雨は名を呼ぶだけ。

 

「時雨さん……、意地悪しないでください。急ごうって言ったのは時雨さんですよ」

 

「青葉」

 

「ほら、いきましょうよ。島はまだ遠いですよ」

 

「青葉……!」

 

 時雨の声を無視して、青葉は目的地“だった”小島を見据える。青葉の声は震えていた。

 

「時雨さん、いい加減に──」

「──青葉ッ! ……いい加減にするのはキミの方だよ」

 

 うわずった青葉の言葉を遮って、時雨は強い口調でたしなめる。

 

「胸の上に覆い被さっていたキミは誰よりも先に気付いていたはずだ。……もうその鼓動が聞こえない事に」

 

 容赦のない言葉が青葉の口を閉ざす。その口元は震えだし、見開かれていた瞳が潤いを増す。意図的に目を向けなかった祥鳳の誇らしそうな顔を見て、堪え切れずに青葉は瞳を閉じる。閉じた瞳から涙が溢れ、止め処なく頬を伝った。

 

「彼女はもうここにはいない」

 

 時雨が言う。

 受け止めるべき言葉を聞き、青葉は嗚咽を零す。顔をくしゃくしゃに歪めて、感情の全てを涙に乗せる。止まらぬ涙が止まるまで、しばらくの間、時雨達はそのまま青葉の慟哭を見守った。

 

 

  -◆-

 

 

「…………」

 

「落ち着いたかい?」

 

 時雨の問いに、目を真っ赤に腫らせた青葉が力なく頷いた。そして、かれた声で呟く。

 

「遺体は……、遺体くらいは鎮守府に……。敵がいないなら運べるはずです」

 

「それは──」

 

 青葉が泣いている間に祥鳳の身体を支える人数が増え、周囲を警戒する漣を除き、他の重巡達を含めた五人で浮力を失った身体を支えている。分割した負担は安定し、誰一人沈む事なく浮く事が出来ていた。

 

 故に青葉の提案は可能ではあった。

 

「駄目よ、青葉」

 

 それに異を唱えたのは姉妹艦である衣笠だった。

 

「私も故郷の土に埋めてあげたいけど、それは頷けないわ。五人で運んで、その間に襲撃されたらどうするの? さっきの敵は去ったけど、ここはまだ戦闘海域なのよ。新手にいつ襲われてもおかしくない。ましてや、私達はもう疲れ切ってる。肉体的にも、精神的にも限界よ。……言いたくないけど、この状況で必要以上の労力は負いたくないわ」

 

 正直な思いを吐露する。

 青葉を含めた全員の疲労は多大なものだ。ただ帰投するだけですら気が抜けないというのに、それ以上をしなければならないとなれば重大なリスクを背負う事になる。死人の尊厳を優先し、新たな死人を生んでしまっては笑い話にもならない。そう衣笠は言っていた。

 

「──ッ! ぁ…………」

 

 反論しようとして青葉はやめる。

 感情的になりそうになった所を蓄積された疲労が拒んだ。

 

 発声する為に力を込めただけで手足が痺れる。反論すら出来ないほど自分が疲弊している事を青葉は理解した。そして衣笠の言葉に納得する。確かにその通りだ──と、疲れ果てたようにうなだれた。

 

 うなだれた視線の先には物言わぬ祥鳳の顔。古鷹によって目が閉じられ、胸の上に両手を置いた彼女からは、もう生の息吹を感じられない。わかっている事を受け入れて、青葉は悲しみを宿す目を細めた。

 

「もう眠らせてあげなよ」

 

 青葉の肩に手を置いて加古が言う。その言葉に青葉は脱力して、支えていた両腕を祥鳳から離した。青葉がそうしたのを見て、他の艦娘達もそれに続いた。

 

 支えを失った身体は重力に引かれて海へと沈んでいく。ゆっくりと、けれど一瞬に、その姿は戦った海に消えていく。

 

「あ──」

 

 青葉が不意に手を伸ばす。

 別れを惜しんで伸ばした手は、彼女へ届く事なく波立つ海面に弾かれた。

 

 海に消えた身体は落ちていく。

 決して手の届かぬ海の底へと落ちていく。

 

 赤い血だけがその場に残留する。彼女が生きた、ささやかな残滓。それも瞬く間に薄れ、海に溶けていった。

 

「…………」

 

 別離の終わりを沈黙が告げる。

 短い黙祷。ただ青葉だけがその場に座り込み、彼女が消えた海を見続けた。

 

「──間に合わなかったか」

 

 沈黙を裂いて彼女達は現れる。

 見るも無残な負傷をしながら、それでも戦い抜き、生き延びた彼女は自分よりも数段小さな少女の肩を借りて、時雨達に合流した。

 

「天龍、満潮。よかった。無事だったんだね」

 

「この傷を無事と言えるかどうかは微妙だけどな。まぁ雑魚はきっちり片付けてきたぜ」

 

 そう言って天龍は乾いた笑みを零す。その隣では満潮が沈痛な面持ちを浮かべていた。

 

「時雨、祥鳳は……」

 

「……うん」

 

 明言はせず、ただ頷く。答えを得るにはそれだけで十分だった。

 

 そうして再び沈黙が続く。

 それぞれ感傷に浸る中、痺れを切らせた天龍が一喝しようとした時──それよりも早く漣が口を開いた。

 

「青葉さん、指示をしてください。アナタが旗艦なのですよ」

 

 座りこむ青葉を見下ろして彼女は言う。青葉は反応しなかった。

 

「青葉さん!」

 

 声を強めるも反応はない。

 青葉は精根尽き果てた表情で海を見続ける。魂が抜けたかのように微動だにしない。

 

 それを認めた漣は呼吸を整え、凛々しい顔を浮かべた。

 

「旗艦 青葉に過度な心身の衰弱を確認。一時的に私が指揮権限を預かります。皆さん、よろしいですね?」

 

 漣が指揮をする事に対する異論は一切なかった。

 この場に長居する理由は既にない。作戦は失敗し、戦友を一人失った。惨めな敗走の指揮を自ら行う漣に感謝こそすれ、文句などあるはずもなかった。

 

「では、青葉さんと天龍さんを中心に輪形陣! すみませんが、時雨さんは青葉さんをよろしくお願いします!」

 

 指示に頷いて、時雨は憔悴し切った青葉の腕を肩にまわし、強引に立ち上がらせる。そして、そのまま引き摺るように移動を開始した。その後ろを天龍に肩を貸す満潮が続く。

 

「それじゃあ帰りましょう。……鎮守府へ」

 

 先頭に立った漣は後に続く皆を導いて、帰るべき鎮守府を目指す。帰れなかった仲間の為、その悲痛な顔を隠して──。

 

 


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