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熱を感じた。
全身が脈を打ち、感覚は延長されていく。身体が痛みと共に変質していく。意識は脳内を廻って定まらず、自由にならない息苦しさが全てを支配する。呼吸を求め、閉ざされた意識をこじ開ける。水中から水面を目指すように、必死にもがいた。
「かっ──は」
そうして彼女は覚醒した。
荒く呼吸をしながら、目覚めた灰色の空を見上げる。否、それは空でなく天井。見知らぬ部屋に自分がいる事を彼女──駆逐艦 時雨は知った。
「……ここは」
朦朧とした意識で呟く。その声に反応した一人の影が、時雨の視界の端に動いた。
「おっ、目が覚めたんだ。おはよう、白露型駆逐艦の二番艦さん」
ベッドに寝かされている時雨を、その影は真上から覗きこむ。
快活な笑顔を浮かべた、時雨よりも年上の女性。桃色の長髪の一部を左右に束ねた彼女は、綺麗というよりも可愛いらしいといった印象を受ける女性だった。
「キミは?」
「私は工作艦 明石。いやぁ運が良かったね。たまたま私が停泊してなかったら明日の作戦までに改装が間に合わなかったかもだったよ。この鎮守府の工廠って設備が貧相だからね、寛大な妖精さんも不満顔なくらい作業効率が悪いのなんのって……。でも、改装は私と貴女の妖精さんのコンビでバッチリ仕上げたから安心してね」
明石は次々と言葉を並べる。多弁な人物であった。
「改装……、そうだ、僕は大規模改装の予兆が出て……」
「思い出した? この鎮守府に来て早々、貴女は工廠に運び込まれたんだよ」
「そう……だったんだ。……ッ!」
時雨は納得して、身体を起き上げようとする。しかし、全身に激痛が走り、それを断念した。
「まだ動かない方が良いよ。大規模改装は肉体も急激に成長するから、改装を終えた直後は成長した身体に馴染むまで負担が掛かるんだ。特に貴女の場合、背も伸びたし、色々と大きくなったから尚更ね」
明石に言われて、時雨は自分の身体を眺める。寝たままだった為、全身くまなくとはいかなかったが、確かに以前より手足が伸びて、身体もより女性的に成長していた。
一気に二歳ほど歳を重ねたかのようだ──と、時雨は思った。
神秘的……とも言えるが、しかし、その急激な成長はあまりに人間的ではない。今更ながら、やはり艦娘は普通の人間とはかけ離れた存在なのだと時雨は感慨に浸る。
けれど、それはそれとして──
「──なんで僕は裸なのかな?」
自分の身体を見た時雨は真っ先にそれを口にした。裸と言ってもショーツだけは穿いていたが、だからなんだというくらいの露出度だった。羞恥らしい羞恥は感じないけれど、常識的な配慮として適当な布かなにかで隠して欲しい──と、時雨は思う。
「ああ、着てた制服は脱がしたよ。制服も艤装の一部だからね、妖精さんの要望でちょちょいと弄らしてもらったの。機械いじりだけでなく、明石さんはお裁縫も得意なのですよ──っと」
工作用の机に置かれた新しい制服を手にとって、明石はそれを時雨の胸の上に乗せた。
「動けるようになったら着てね。あ、艤装も完成してるんだよ。ほら、ジャジャーン!」
続いて艤装を乗せた台車を時雨が見える位置まで持ってくる。
改装前はリュックのように背負う形だった大型連装砲は、腰の接続部によって支えられる方式となり、その連装砲の両側面にはそれぞれ手持ちが出来る単装砲と連装砲が一基ずつ増設されていた。火力の増加と利便性の向上は一見しただけでも明らかだった。
「しっかし、貴女の艤装は本当特殊だねぇ。白露型駆逐艦の艤装は以前見た事あるけど、貴女を除く一番から五番までの子達は均一化された艤装で、二番艦の貴女だけが異色なデザインだったよね。いやー、駆逐艦でこんな大きな砲塔を持ってる子は見た事ないよ。見て見て、この口径。まるで戦艦のそれだよ。まぁ艦娘が放つ砲撃の威力は宿る魂の特性に比例するから、駆逐艦が使う砲塔の口径がどれだけ大きくても戦艦みたいな火力にはならない訳だけど、それにしたってここまで巨大に創造されているのは特別以外のなにものでもない。きっと貴女の魂は戦艦か何かの大きな砲塔を持っている船と関わりが深かったんだろうね」
明石の考察は適切だった。
艦娘としての時雨を決定付けたのは夢で見た扶桑型戦艦に他ならず、故に彼女の魂が描く艤装のイメージは白露型駆逐艦に加え、扶桑型戦艦の影響を受けている。それを一目で見抜いた慧眼に、流石は工作艦だ──と時雨は感心した。
「さぁて、私はそろそろ行こうかな。目も覚めたみたいだし、他にする事もないし。……あ、そうそう、動けるようになったら提督室に行ってね。明日が作戦決行なのに、提督に顔を見せないのはよくないから。提督室までの道とかは……ま、適当な人見つけて聞いて。それじゃあね」
ペラペラと言いたい事だけを言って、明石は部屋から出ていく。せっかちというよりマイペースな印象を残して、彼女は去っていった。
「……お礼も言えなかったな」
嵐のような人だったと、時雨は苦笑を浮かべた。
-◆-
新調された制服に袖を通し、両手に黒のグローブをはめ、踵に赤い舵が付いた靴を履いて、時雨は立ち上がる。
「うん、身体の痛みはなくなったし、服もぴったりだ」
背が伸びて視点が高くなり、世界がいきなり小さくなったかのような違和感を覚えるが、身体自体に異常はない。慣れるまで時間はかかるだろうが、それも長い時間は必要ないだろう──と、時雨は漠然と判断した。
艤装は後々出撃ドックに届けるとして、今はこの鎮守府の提督に会う事を優先しよう。そう思った時雨は行動を開始する。工廠の一室だろう部屋を出て、通路に着く。通路は遠めの等間隔に光源が小さな電球一つだけしかなく、極めてほの暗い。そんな通路に設置された安っぽいベンチに見知った顔が座っていた。
「やっと出てきたわね、バカ時雨」
「いきなり酷い挨拶だね、満潮」
僚艦である駆逐艦 満潮がいた事に安堵しながら、時雨は彼女へと歩み寄る。最後の記憶にあった中破状態の満潮とは異なり、今はすっかり全快していた。
「あれだけ手酷く損傷してたのに、もう入渠が済んだんだ。僕がどれだけ眠っていたか知らないけど、ずいぶん早いね」
「入渠して早々に、山城共々貴重な高速修復材をぶっかけられたわ。自然に回復するのを待ってる暇はないってね」
到着予定時間ギリギリで、作戦決行が明日となれば、まぁ当然よね──と満潮は肩を竦めた。続けて、それにしても──と目を細める。
「気に入らないわね」
「何がだい?」
「……また差が広がったわ」
「……差?」
時雨の爪先から頭のてっぺんまで、じっくりと観察しながら満潮はふくれっ面になっていく。そして、恨めしそうな視線を時雨に向けた。
「スタイルが良くなったのは、まぁいいわ。私だってもう少ししたら女らしくなるもの。……問題は身長よ。元々かなり差があったのに、アンタまた伸びてるじゃない! そりゃあ私はちょっとだけ年下だけど、そんな背が伸びるなんてアンタずるいわよ!」
「あー……、そういえばキミは身長にコンプレックスがあったね」
確か背が低いといくら格好付けても格好が付かないとか嘆いていたなぁ──と、時雨は思い出す。
「そもそも白露型とか陽炎型が発育良過ぎなのよ! 朝潮型なんて低身長になる呪いでもかかってるレベルで皆背低いのに!」
「特Ⅲ型も小さいよ?」
「アイツ等は小さいんじゃなくて幼いのよ! あんな幼稚園児と一緒にすんな!」
「意外とキミは体裁とか威厳とかを気にするよね。身長があるからって人の見る目はそんなに変わらないよ?」
「ふんっ! 身長に恵まれた奴にはわからないのよ、いつだって下から見上げるだけの人間の気持ちなんて……!」
満潮はかつてなく荒んでいた。これには時雨も困った笑みを浮かべてなだめるしか出来ない。
「満潮もすぐに背が伸びるよ。僕等は成長期なんだからさ」
「慰めはいらないわ。……見てなさい、私が第二次改装を果たした暁には、すらっとした長身美人になってやるんだから!」
「うん、楽しみだね」
自分で長身美人とか言っちゃうのはどうかな──と、時雨は思ったが、火に油を注ぐのは目に見えていたので口にはしなかった。頷く時雨を見て、満潮は落ち着きを取り戻すと、思い出したかのようにスカートのポケットから金色の髪飾りを取り出した。
「はい、これ。アンタのよ」
そして差し出す。
「ああ、キミが持っていてくれたんだね。ありがとう。目が覚めた時、持ってなかったから海に落としちゃったのかと思ってた」
「アンタ、気を失ってるクセにすごい力で握り締めてたのよ? ったく、これから改装するってのに取り上げるのも一苦労だったわ」
「あはは、ごめんね」
満潮から髪飾りを受け取って、左側頭部に身に付ける。金を使っている髪飾りはそれなりに重たかったが、苦になるほどではなかった。
「へぇ、なかなか似合うじゃない。……ていうか今気付いたけど、アンタなんか寝癖がついてない?」
改装前は癖のないストレートだった髪は、側面の一部が外側へはねている。まるで犬か兎の耳のようだと満潮は感想を抱く。
「寝癖ではないんだけど、なんだかクセがついちゃってさ。手櫛でといても、ぜんぜん直らないんだよ、これ。改装の影響だと思うけど、不思議だよね」
「まぁ似合ってるし、いいんじゃない? 前からアンタは地味過ぎたのよ、少しは遊びがある容姿の方がいいわ」
「僕は地味で、目立たない感じの方が好みなんだけど」
「いいのよ。大人しそうな見た目のクセに、アンタぜんぜん大人しい性格じゃないから。これでちょっとは見た目と中身が近付いて、騙される奴も減るってものね」
「まるで僕を羊の皮を被った狼のように言うんだね、キミは」
「まるっきりその通りじゃないの」
「心外だな。僕は誰かに悪意を持って接した事はないよ?」
「アンタの牙はそういうのじゃないのよ。悪意より、よっぽど厄介だわ」
素直で綺麗な恥ずかしい言葉を遠慮なくド直球で投げ込んでくるのだから、普通の──特に満潮のような自己否定で自分を律するタイプの人間に対しては凶器じみた破壊力があった。
うっかり嬉しくなってしまうから、もっと歯に衣着せてほしい──と、満潮は素直にそう思う。
「……?」
満潮の言わんとする事がわからない時雨は首を傾げる。丁度その時、通路の奥から二つの影が現れた。その影を察知して、二人はほの暗い通路の陰へと視線を向ける。
「──よう。到着してソッコー工廠にぶち込まれて第二次改装をしたってのはソイツか?」
ほの暗い通路の陰から、その人物は不遜な口調で二人に問う。
「僕がそうだよ。駆逐艦 時雨、よろしく」
「ほぉん……、駆逐艦にしてはまぁまぁ良いガタイしてるじゃねぇか」
「キミは誰だい?」
その陰から出た声の主は小さな裸電球の微かな光に照らされる。ショートカットの黒髪に、左目には眼帯を付けた少女の姿が浮き彫りになった。
「俺の名は天龍。フフフ、怖いか?」
軽巡洋艦 天龍。時雨よりも、やや背が高い彼女は正面に捉える二人を見下ろし、睨みつけながら啖呵を切る。そんな彼女の瞳を時雨は真っ直ぐに見つめ返した。
「ぜんぜん怖がってないみたいよぉ、天龍ちゃん」
「ハッ……、言われんでも見りゃわかる。いいからお前は黙ってろ、龍田」
天龍に続いてもう一人の影も出てくる。天龍よりも長い、肩に掛かる程度の髪を揺らす龍田と呼ばれた少女は微動だにしない笑みを浮かべたまま、その言葉に従った。
「ま、そんくらいの胆力がなけりゃ改二にはなれねぇわな。……聞いたぜ、ここに来る道中に一戦おっぱじめてきたらしいじゃねぇか。駆逐一、軽巡一、大破していたとはいえ戦艦も一隻。駆逐艦の戦果としては上等だ」
そう口にしながら、天龍は時雨の目の前へと歩み寄る。言葉に反して、その眼光は鋭い。時雨の前まで来ると、互いの額が密着するほど、ゆっくりと顔を近付かせた。
「だけどよ、あんま調子には乗るんじゃあねぇぞ?」
低く、地を這うような声色で天龍は時雨に言った。脅迫のような口調に対して、時雨の表情は一切変わらない。変わらず、その青い瞳で天龍を見つめ返す。瞬きすらなく、二人は数秒間睨み合った。やがて──
「へぇ」
──と、天龍が感心したように呟いた。
「お前、艦娘として戦い始めて何年だ」
質問ではなく、命令のように言う。
「……来月で二年だよ」
「二年目を目前にして、そんな眼が出来るなら上出来だな。……時雨、だったか。名前、覚えといてやるよ。期待してるぜ」
時雨の肩に手を置いて、天龍は愉快そうに軽佻浮薄な笑みを浮かべる。酷くワザとらしい笑顔だと時雨は感じ取り、その笑みに何かを返す事はしなかった。
時雨の反応に肩を竦めながら、天龍は続いてベンチに腰掛ける満潮に視線を向ける。
「それに比べて、ちっこいの、お前はダメだな。相方が戦艦まで落としたのに、お前は戦果ゼロ。一隻も落としちゃいねぇ。その上、一番被弾してるとか笑えるぜ。ハハッ、まぁまだ笑い話になるだけマシか。仲間が死ななくてよかったな」
満潮を見下して、天龍は一層愉快そうに笑いを零す。
その態度に最も早く反応したのは時雨だった。肩に置かれた天龍の腕を握ると、自分の肩から引き剥がした。
「天龍、だったね。満潮を侮辱するのは僕が許さないよ」
「……どう許さねぇんだ?」
当然のように時雨は即答する。
「このままキミの腕をへし折る」
どこまでも冷たい口調で、天龍の腕を万力が如き力で強く握り締めた。一切表情を変えずにそれを行う時雨を目の当たりにして、天龍のワザとらしい笑みは、本当の笑みに変わる。その中で、天龍の後ろに控える龍田の笑顔だけが僅かに歪んだ。
「やめなさい、バカ時雨。そんな安い挑発に乗ってんじゃないわよ」
満潮が静かに呟く。落ち着いた声色だった。
そう言われて時雨はあっさりと天龍の腕を放す。好きな人が嫌な事をしない。時雨の判断基準の中でも上位に位置する条件であり、少なくとも自分の憤りよりかは優先する事柄であった。
解放された腕をひらひらと振って、天龍は再び満潮に視線を移す。満潮も天龍を見上げ、二人の視線が交差する。
「…………」
「…………」
自ずと天龍の笑みは消えていた。
満潮の視線から何かを感じ取ったのか、天龍はつまらなそうに彼女を見つめる。対する満潮は最初から最後まで変わらぬ平静な視線を返し続けた。
「邪魔したな」
唐突に吐き捨てて、天龍は踵を返す。
「龍田、いくぞ」
「はぁーい」
龍田は時雨達を一瞥すると、天龍の後に続いた。
そうして時雨と満潮の二人は残される。突然の来訪だった故に、元に戻ったとも言えた。
「……あの人達、一体なんだったんだろう。挨拶のつもりだったのかな?」
時雨は呑気な事を言って首を傾げる。そんな彼女に、満潮は言う。
「さあ……。案外忠告に来てくれたのかもしれないわね」
「調子に乗るなって?」
「そ。強くなったからって、調子に乗って足元をすくわれないようにね。……天龍型軽巡洋艦の天龍と龍田。あの二人、五年目らしいし」
「五年目? じゃあ金剛や鳳翔さんと同じ最古参なんだ」
「私達の倍以上戦ってきた分、自分の力を過信して沈んでいった人を見てきたんじゃないの」
「そうか。長く戦うって事は、それだけ仲間の最後を見てきたって事だもんね」
「あくまでそうかもしれないってだけよ。勝手にあの二人を親切な人だとか思わない事ね。仮に親切で忠告してくれてたとしても、あんな忠告の仕方する時点で、性格がひねくれてるのは間違いないんだから」
多分、あの二人もキミにだけは言われたくないだろうね──と時雨は心底思ったが、明らかな失言なので言葉にはしなかった。
「それにしても満潮、キミは天龍達の事を知っているようだけど、どこかで会ったの?」
「アンタがぐーすか眠ってる間に、明日の作戦説明があったのよ。その時に参加艦の顔合わせもあったから、まぁ色々聞いたし、聞かれたわけ」
扶桑達の事とか、アンタの事とかね──と満潮は続けて言った。
「へぇ、せっかくの交流の場に出れなかったのは残念だね。青葉と衣笠はともかく、他の艦娘は初対面だろうから挨拶しておきたかったんだけど」
「時間がないとはいえ、アンタは有名人だから、そこらへん歩いてれば勝手に話しかけてくるんじゃない? 青葉とか、ぜひ取材したいって言ってたし」
「有名人? 僕が?」
「そりゃあ、来て早々大規模改装で姿を見せない奴なんて気になるでしょ。少なくとも今夜中は時の人ね」
「ああ、なるほど」
時雨が納得すると、満潮が重い腰を上げた。
「イタタ……。ずっと座ってたからお尻痛い」
「あ、そうだ。なんでキミはこんなところにいたんだい? 自室くらい与えられたでしょ?」
じろっと満潮が時雨を睨み付ける。
「アンタを待っててあげたのに、何そのいいぐさ。……提督に挨拶するんでしょ。この鎮守府の構造はわかんないだろうから道案内してあげるわよ」
その満潮の言葉に、時雨の表情はパーッと華やぐ。嬉しそうな笑顔を浮かべる時雨を見て、満潮は顔を背けた。
「あくまで同隊のよしみってやつで……一応まだ書類上は特務隊の旗艦だし、僚艦の面倒は見るべきでしょ。だからよ!」
「うん、その通りだ。ありがとう、満潮。よろしく頼むね」
「ふんっ、別に感謝されるほどの事でもないわ!」
鼻を鳴らして満潮は歩き出す。その後ろを軽やかな足取りで時雨が続いた。
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「おい龍田。アイツの眼、見たかよ? ありゃ地獄を知ってる眼だぜ」
ほの暗い通路を歩きながら、天龍は隣を歩く龍田へと言葉を投げ掛ける。その表情は決して明るいものではなかった。そんな天龍に、龍田は微笑みだけを返す。
「……後輩にあんな目をさせない為に戦ってきたつもりだったけどよ、やっぱ無理だったのかもしれねぇな。一向に戦火は消えねぇし、戦える艦娘が増えれば、敵もまた増えていく。……俺達は一体いつまで戦い続ければいいんだよ。いい加減、戦いしか出来ねぇ身体になっちまうぜ」
「全てはこれからよ、天龍ちゃん」
黙っていた龍田が告げる。微笑みは消え、薄い笑みだけを浮かべた。
「現在確認されている艦娘のほとんどが戦える年齢になって、きっと敵の駒も揃った。これからの戦いが、恐らく本当の戦いよ」
「後輩を巻き込んで……か。その先に平和ってのはあるのかよ」
「それは……フフッ、そう信じて戦うしかないわねぇ」
「ハッ……、まぁそうだよな。俺達はいつだってそうしてきたもんな」
天龍は笑みを取り戻し、龍田も再び微笑みを浮かべる。肩の力が抜けて、二人の表情は柔らかくなった。
「しかし、あれだな。戦力に恵まれた中央の鎮守府から来た駆逐艦なんて、性能くらいしか取り得がねぇとか思っていたが、あの時雨って奴は使えるな。肝が座ってるし、容赦もねぇ。まるで龍田、お前みたいだぜ」
「そうかしら? 私はあの満潮ちゃんって子の方が期待できるけどなぁ」
「ハッ、あれはダメだ。てんでダメだぜ。お前はホント見る目ねぇな」
「見る目ないのは天龍ちゃんの方よぉ。だってあの子、ちっちゃい頃の天龍ちゃんそっくりだもの」
「はぁ!? ふざけんな! 俺とアイツのどこが似てんだよ!」
「“味方を守りながら敵も倒せるようにならないと意味がない”──とか、思ってそうなとこ。天龍ちゃんの信念もそんな感じじゃない」
「ぜんぜんちげぇよ! 俺の信念は“敵を倒しながら味方も守れないと格好悪い”だ! ほら、ぜんぜん違う!」
「……天龍ちゃん、同族嫌悪って言葉は知ってるかしらぁ?」
「あぁん? 四文字熟語は焼肉定食しか知らねぇよ。俺の学力舐めんな」
そう言い切る天龍を見て、やっぱり天龍ちゃんは天龍ちゃんねぇ──と龍田は安心した。むしろ同族嫌悪が四文字熟語であると理解できていただけすごいと感心を通り越して、ちょっとした驚きだった。
「それは置いておいて……。明日の作戦の事だけど、天龍ちゃんは上手くいくと思う?」
「そりゃあ上手くいくだろ。俺達がいるんだぜ? ……とまぁ今は思っているが、正直この作戦の参加が決まった時、望みが薄いとは思ったよ。弱小鎮守府に旧式を寄せ集めて、間に合わせ艦隊で敵棲地を攻略しろってんだぜ? 主戦力を叩くのは中央の機動部隊だとしても、その前に俺等が会敵したら? もしその中に空母がいたら? 航空戦力は祥鳳だけ、旧式な俺等の対空性能はお察しだ。そんなん逃げ帰れるかもわからねぇよ。おまけに準備期間も短いときた。そんな作戦、気乗りはしねぇわな」
「そうねぇ、私も同感」
「だが、ちったあ望みが見えた。戦艦二人に、期待できる駆逐艦も二人追加だからな。結局間に合わせだが、案外なんとかなるかもしれないぜ……って、こんなギリギリになって思えてきた」
「…………、天龍ちゃんがやる気みたいでよかったわぁ」
「応よ! 負けるつもりで戦う俺様じゃねぇからな!」
そう言って笑う天龍を尻目に、龍田は言えなかった言葉を呑み込む。
言い得ぬ悪い予感。どこか既視感めいたこの状況。大きな力に促されたような自分の意思に対する違和感。そして、どうにもならない最悪が脳裏をよぎる。
気のせいであってくれるのならいいけれど──と、不安を前にして龍田は思う。
希望があるとするのなら、辛うじて間に合ったあの四人。なぜだか彼女達だけが龍田の不安の外にいる。何かを起こすのならば彼女達に他ならないと直感がそう告げる。何に対する期待なのかもわからぬままに、彼女はそんな希望に願いを込めた。