義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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兵学の基礎

方の城主を釣りだし、撃殺せしめて此れを陥落させました。

 

新の城の門扉を破壊し、此れを陥落させました。

 

新市の城主が降を表明し、擊も此れに従いました。

 

梁の十城を降し、五城を攻め取り、これを服させました。

 

河陽の三城を抜き、兵五万を斬獲。二万が降りました。

 

河南郡の侯音が私兵を率いて李傕の兵を降して漢に服しました。

 

旧函谷関の周囲を固め終えました。此れより旧函谷関へと向かいます。

 

 

三ヶ月間。

関籍が出陣してからたったこれだけの間に、捷報は七つ。討ち破った敵は方の一万、新の五千、新市の七千、梁の四万、河陽の七万の計六万二千。

 

獲った城は武を以っての二十二と、奇略を以って獲った河南の十五の計三十七城。

 

捷報に対しての褒誉の使者が届く前に届く捷報。これに対して帝に付き従ってきた臣下がとった反応は如何にも『らしかった』。

 

最初の四報は、喜んだ。まともに漢の為に働く臣下の二人の内の一人が無能ではどうにもならないからである。

が、続く一報で疑念を懐き、更なる一報で直々に監軍を遣わし、真実とわかるや虎狼の如く恐れた。

 

『関王の征くところ、敵も城も無きが如し』

 

『その武威、秦の白(公孫)起に列ぶ』

 

陳寿が史書に記せば二文で終わり、曹操からすれば芸術的にすら見える捷報の群れは、彼女らを脅かすに充分なものだったのである。

 

それにしても『白起に列ぶ』と言うのはどうであろうか。

 

白起の姓は白、である。

この白がどこから来たかと問われれば恐らくは『白公勝』であろうと思われる。

では、白公勝とは誰なのか。

楚は在昔から王室内の闘争の烈しい国である。

いわゆる春秋時代に中華の覇権を樹立し、春秋五覇にも数えられる楚王を荘王といい、かれの孫が平王である。

平王に費無忌という佞臣が近侍しており、かれの讒言を容れた平王は太子を殺そうとした。

この王は太子のために秦から公子を迎えて結婚させようとしたのに、費無忌の勧めで、太子の新婦をとりあげ子を産ませるという惨いことをしている。

それが負い目としてあったかはわからないが、ともかく実父の残忍さを恐れた太子は他国へ亡命し、やがて殺された。

その哀れな太子の子が白公勝である。白公勝は呉の国へのがれたあと、楚にもどされ、乱を起こして王位に即いたが、ひと月あまりして殺された。

白公勝の子孫が西方へ流れ、渭水の北岸に落ち着いたのだと考えれば、

郿の出身であるという白起は白公勝の末裔ということになろう。

 

つまりこの神話並に古い中国史上の名将と競って尚『勝る』と称されたこの黒髪の麗人は、楚の人とも言えなくもない。

 

肌は白く、目は黒でありながら夜に燦めく星の如く鮮やかであり、黒い秦軍の中で異色の白装束に身を包み、夜の帳の如き黒髪を靡かせながら勝ち続け、その挙句に自刃したこの無敵の将。

 

なるほど、史書に記されるその姿は似てはいたが性格が違う。彼女は冷徹なまでに勝利に拘った。勝てなければ出ずに期を待った。現に私情が相当絡んでいたとはいえ、それが原因で死んでいる。

彼は彼女とは違い、別段事前の勝利に拘泥することはない。兵の損害をなくし、現場の呼吸を見て聞いて、勝つ。

 

名将はどちらか?と聞かれれば白起であろう。勝負は勝つべくして勝たねばならない。しかし、勝てないからといって病を偽ってまで抗命するのは、どうか。

主が期を間違え、諫言しても聞き入れてくれずとも戦って勝つのが忠であると考えたのが関籍であり、勝つべくして勝たねばならず、当然の勝利を献上することが至上の忠という信条を最後まで貫いたのが白起であろう。

 

陳寿はこの二人を、その輝かしい戦歴と『正攻法で攻め、生じた虚を突き、此れを以って勝つ』と言う、血に染み込んだような戦癖で重ねたのであろうが、内面は僅かに違っていた。

『当たり前のことを当たり前のようにやれば勝てる』という型の戦の天才であるという点は、同じだが。

 

「……のぅ、董仲頴」

 

「へぅ……!」

 

可哀相に、皇帝劉協に侍る臣下の中で唯一戦に参加したことがあると言う経験を買われ、戦のいろはを教えていた董卓は、向けられる視線からつらーっと顔を逸らした。

 

開き直るほど不真面目でもなく、ある意味では貴重な常識人だったことが、彼女最大の欠点であり美点である。

しかしこれは、今となっては最悪の形で現れた。

 

「一城三ヶ月かかるから、五千の四軍で囲ませ、主力を函谷関に進ませる―――というのがお主の予想じゃったの?」

 

「は、はい……」

 

邪魔になる城を、全部落とす必要はない。根を断てば自ずと葉枝は枯れる。つまり、完全な補給線の安全を確保せず、最低限の備えをしていれば函谷関には早々に辿り着けた。

 

後方に不確定要素は残るが。

 

「関氏は、慎重な方のようです」

 

気怠そうに立つ、もう一人の側近が口を開く。

 

「補給線、退路の確保、前軍後軍の帯紐。これら三本の道を絶つことを三断の計と言います」

 

「うむ」

 

「関氏はこれを好みます。まともにぶつかって決着はつけますが、彼が自由に采を振るえるときには必ず退路・補給線・帯紐を絶つ算段がついてから戦いに及びます。

例を上げるなれば、棘陽での袁術でしょう」

 

白起の戦術に、似ている。

 

史書やら何やらをぼうぼう読み漁ってきた司馬懿は、そう思った。

 

長平において白起は二万五千の兵を派遣して、本陣から飛び出した趙括の退路を断ち、更に五千の騎兵を派遣して、飛び出した趙括の軍に横合いから突撃させて前後に分断し、さらに別働隊を派遣して、趙軍の補給路を断った。

 

わからぬままに基礎の基礎で勝つのが、関籍の戦。奇策はないが、基礎を基礎と気づかせないように巧妙に隠すことによって奇策としている。

 

「伏兵によって退路を断って『一断后路』を行い、自身を囮にして追撃を誘発することによって前軍後軍の帯紐を断ち『二断前後軍』を、街道の封鎖によって補給線を断ち『三断糧道』を為し、三断の計を完うする。基礎中の基礎。兵学を学ぶものならば誰でもわかる単純な計です」

 

「なら、何故勝てるのじゃ?」

 

「基礎の中にこそ玄妙があり、真理があります。奇策は基礎を応用した一形態に過ぎません。

基礎を極めれば、下手な応用などは歯牙にも掛けずに一蹴できるでしょう」

 

基礎は、如何なる場合でも通じる。先人たちの集積の智が導き出した『前提論理』なのだから。

 

一方で奇策は奇策。奇を衒うからこそ意味があり、その一術策は後に続かない。

 

「関氏の勝ちまでの道程を奇策を用いずに止めるには、基礎を破壊せねばなりません。基礎を破壊するということは過去の偉人たちを超えなければならないということであり、新たな基礎を作らねばならないということ」

 

「では、無敵か」

 

「関氏は無敵ではありません」

 

基礎で勝つことが強いのであれば、基礎で勝ち続けている将は名将と言える。即ち、関籍には名将たる資格は存分にあるだろう。

 

されど、司馬懿の中ではそれは無敵と同じでは無かった。

 

「関氏の大弱点は好きなように采を振るえば勝てるものの、振るえねば負けるという点にあります。即ち、不測の事態に弱く、一つの奇策や裏切りによって呆気なく敗亡するでしょう。正攻法を敵に強いながら攻めている内は無敵ですが、後手後手に回れば奇策縦横な異能の士に負ける可能性が大です」

 

「それは誰でも同じではないか」

 

誰でも同じだから、言うのは今更に過ぎる。

そういった意味で零した劉協の言葉は、正に司馬懿が望んでいたものであった。

 

「はい。関氏は他の将と変わりません。ただ、後手に回らないことが巧いだけです。過信して使えば思わぬ事態を引き起こすこと、ゆめゆめ御忘れなきように」

 

誰でも同じと言うことは、関籍謂えどもこの摂理を覆すには至らないということ。

 

景気のいい捷報に浮かれた気持ちを引き締めた劉協は少し考え、言い放つ。

 

「関籍に、伝令。無理せずゆっくり、確実に戦を進めよ、と。いくら時間をかけようとも、朕の信頼は揺るぐことはない、とも。言ってこい、董仲頴」

 

「御英断です」

 

一礼し終えた司馬懿と、劉協の視線が董卓に注がれる。

 

最早自分は蚊帳の外にいるであろうと慢心していたばっかりに、『董承です』と訂正する気持ちの余裕もなく、董卓はぺこりと腰を折り、拝命した。

 

「すぐに、行ってきます」

 

何気に馬術に優れた彼女の千里行が、はじまった。


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