義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
ドガッ:関籍
フォン:呂布
ズガッ:張遼
シャン:甘寧
フォ……ン?
「ワタシに五千の兵と五千石の兵糧を貸してください。そうすれば函谷関を無用の長物にしてみせます」
まだまだ年若い者の多い、荊楚六将。方面軍を指揮し、大軍を任されたが故に独自の裁量で行える権限が他の将と一線を画す六人の将は、誰ともなしにそう言われていた。
筆頭に張遼(合肥駐屯軍軍団長・東方戦線司令官)、次席に甘寧(水軍大都督・情報総括長)、郝昭(上庸駐屯軍軍団長・西方戦線司令官)、張繍(滎陽・成皋・敖倉三城駐屯軍軍団長・北方戦線司令官)、魏延(豫州総督・練兵長官)、馬謖(江陵駐屯軍軍団長・南方戦線司令官)。この六人の中でも一番年若いのが、魏延である。
まだ二十になるかならぬかの壮気に溢れた意見は、いつも他五将の思いもよらぬところから繰り出され、その意表をついてきた。
「五千で何をする気なのですか?」
意見を出したら殆ど確実に関籍の天秤がそちらへと傾くであろう軍師が、多少なりとも手ほどきした弟子に向けて問うた。
彼女が想定していた魏延の腹案―――武関方面からの攻めには、些か兵力が足りないように思えたのである。
「南方より攻め入ります」
「馬鹿な」
半ば条件反射めいた呟きが、後方に控える文官の中より漏れた。
僅かな侮蔑のような雰囲気を内包する言葉を放ったのは、楊儀。字は威公。荊州襄陽郡の人である。
功曹に取り立てられてから天才的な閃きはないものの堅実に結果を出していき、出世。
部隊編成・軍需物資の確保の事務処理に功があり、南方戦線の幕僚を務めている女性である。
事務処理ができても独創性に欠け、才覚を鼻にかけて傲慢であり、何よりも器が狭い為、関籍は大きな仕事を任せる気はない。あくまでも支える一官吏としての仕事のみを期待していた。
「敵は武関も抜かりなく固めている。五万が守る武関を五千で越えられるわけがないし、何よりも補給線が伸び切る。五千石を食い潰し、五千の兵を賭け物にする危険な策だろう。とても一軍の将が立てるべき策とは思えないな」
「フン……兵略のへの字も知らない文弱の徒からすればそうだろう」
一瞬相当頭にきたような表情を見せたものの何とか呑み込み、鼻で嗤って関籍の方へと向き直る。
「あの軍事のぐの字も知らない低能とは違い、御館様はわかっているとは思いますが、無論武関に尋常な手段を以って攻めかかるわけではありません。低能にはわからないと思いますが、そんなことはしません。そんなことをしたり構想したりするのはただの馬鹿です」
「……………あぁ」
誰でもわかる欠点のある作戦は、謂わば誰でも欠点があることわかる。
つまり、誰もが皆思うわけだ。『備えは怠らないが有り得ない』と。
しかし、欠点のある作戦はこうも言い換えることができるのである。即ち、『その欠点を補えば最上の作戦になりうる』と言えた。
「武関の東三十里にワタシが調べておいた間道があります。そこから五千の兵を以って華沙を落として北上、道なりにある小城を速やかに陥落さしめて長安を強襲、これを奪回します」
沈黙する関籍の眼を真っ直ぐに見つめ、魏延は更に語気に熱を込めてその弁説を振るう。
史書に『非常に勇猛で誇り高い』『弁説に優れ、短気を起こさずに思慮を怠ることがない』と記された未来の名将は、この時既にその優れた弁説を存分に活かしていた。
「函谷関・武関に兵が集中していることを考えれば、精々長安近辺にいるのは七千から八千。更には羌族を背後より動かせば二千から三千にまで守兵を減らすことができます。許可さえいただければ―――」
落とせます。
誰もが言わずとも察すことのできる一言を残して口を噤み、常に主の眼を見つめる目を伏せ、頭を下げた。
「どうか、ワタシに五千の兵と五千石の兵糧を御貸しいただけますよう」
出る杭は打たれる。打たれずにいるのは偏に関籍が建在だからであり、彼女自身が何らかの防衛手段や予防策を持っているわけではない。
先主に贔屓された将や名士は、次代になれば叩かれるであろう。
「延、お主の献策一つで五千の兵が無為に散るやもしれん。その五千の兵がお主の為に死ぬことを厭わぬとしても、その事実は変わらない。
しくじった時の罪は重いぞ」
「漢の柱足る御館様がその身を前線に置き、死を厭わずに戦うというのに何故この魏文長が一命を惜しみましょうか」
失敗したら、死ぬ。
一命を擲つ覚悟を以って献策をしたことを如実に示す声色と、その身に纏う決死の風韻。
功を焦っているわけではない。ただ、漢の為に働きたいと思っている。漢の為に命を惜しまないと言っている。
その覚悟が、関籍の眼には眩しく映った。
無性に可愛い、と言うのか。娘がいたならばこんな感じなのだろうと言うような思いが脳裏を過ぎり、僅かな間のみ瞑目する。
漢に全てを捧げるような一途さと、生一本な気質、義理と人情に厚い多感な性格。
能力も存分にある。実績も上げているし、産まれ落ちた身分に怖じない無鉄砲さは関籍の好みとするところであった。自分がそうかどうかはともかくとして、人の型として親しみが持てる。
「その覚悟や善し。やってみろ」
「ハイッ!」
打てば響くような返事と、全身を喰い破って漏れ出さんとするような溌剌とした壮気。
若々しい新芽に期待と信頼を寄せる形で、軍議は一先ずの終結を見せた。
「よぉー、文長!」
「あ、文遠様」
ガシッと肩を抱き、日のような笑顔を見せながら友好的に突っ掛かる張遼に、魏延は少しはにかんだような笑顔を見せながら応える。
その声に滲むのは、純粋すぎるほどの敬意。郭嘉に見せる畏れまじりの憚りとは違い、母に見せるような稚さ混じりのソレは、張遼からしても嬉しいものであった。
「嬉しそうやの、自分」
「御館様がワタシの献策を取り上げてくださったのです!」
「おうおう、知っとるで。よかったなぁ、文長」
うりうりと二色の髪が入り混じる頭を撫で、くすぐったそうに笑う魏延と母性溢れる笑みを浮かべる張遼。十年も離れていない二人の掛け合いは、何故か仲の良い母娘を思い出させる。
これを利用した『魏延隠し子説』などが巷で囁かれるほどに、魏延は主とその筆頭将軍から気に入られていた。
「一年間かけて考えたんや。籍やんもそこんとこ知っとると思うし、文長がほんま頑張ったから採用されたんやと思うで」
「……はい」
少し目元に浮かべた涙を袖で拭いながら何度も頷く魏延の頭を先程とは違った調子で優しく二度三度撫で、背を少し押す。
「ほれ、戦の前の涙は不吉やろ?」
「はいっ……」
「あー、もー。ホンマ忠義やなぁ、自分」
忠犬魏延と、仔犬呂布。後、暴走しがちな猟犬華雄。
三頭の犬気質を巧みに御しながら実力を可能な限り引き出していく関籍には、御者の才能があるのだろう。
何回かあやされるように撫でられながら、魏延は自らが率いるであろう豫州兵、その二万の内の一万五千を本領に帰すべく襄陽城内を後にした。
一方、その頃関籍はといえば。
「……司隷郡を平定することにより漢帝国の都たる洛陽を奪還すると言うことになりました」
「うむ。朕はここで待っておいたほうがよいかの?」
関籍の勝利と洛陽の奪還を毛ほども疑っていない帝の発言に頭を垂れながら、関籍は恭しく目算を述べる。
旧函谷関周辺の城を落とすのに二月。旧函谷関を落とすのに半年、洛陽を奪還するまでには計八ヶ月かかり、整備に更に四半年が必要であろうということ。
これはあくまでも目算であり、実際には早くもなれば遅くもなるものであること。
それらを丁寧に述べ終えた関籍が黙った後に、劉協は僅かに考えを巡らせ、自らの思うところを述べた。
「朕は半年もかからぬと思うがの」
「野戦なればそうなのでしょうが、函谷関は天下の要害。抜くには工夫と月日が必要です」
「……尋常なればそうなのじゃろうが、まあよい。任せたぞ」
最上の礼を示して去り行く関籍の背を見つめ、劉協はポツリと呟く。
「半年もかからぬと思うがの……」
彼女の眼下には、八万の軍。
軍議をだらだらと長引かせても愚にもつかない案が最終的に採用されてしまうことを知っていた関籍の指示によって、いつでも出撃可能なように兵が招集されていたのである。
郝昭・張任ら対蜀の西方戦線、馬謖・張郃の南方戦線に属する諸将は幾ばくかの兵を残して戻り、東方戦線からは張遼・甘寧がそれぞれを陸上部隊を満寵に、水軍を董襲に任せて従軍、北方戦線の諸将全てを率いた、八万。
諸将の配置や帰陣、閲兵式やら何やらで軍議が終わってから三日の時が経ち、遂に『漢』の大旗と『関』牙門旗が蒼天に靡く。
右翼に張遼、左翼に張繍。前軍に華雄、後軍に魏延。中軍にある関籍の本陣を囲うように呂布。
天下の精鋭たる八万の軍は、極めて高度に統率された練度を見せつけるように一寸の歪みもなく進んで行き、襄陽の城壁に立つ劉協の目に中軍が映った。
黒い巨馬に、白い鎧に白装束。
国を背負って立つ大将軍の威風を自然と纏う一騎の武者に向け、手を重ねて拝手する。
(武運を祈る)
向けられた視線にすぐさま気づいた関籍は拝手を返し、心を以って礼を示す。
建安二年。
(有り難く)
関籍出陣。