義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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(伏)竜(を)征(す)

から、征竜。遊戯王……知らない子ですね……


上洛
征竜


「……おやかたさま、元気ない」

 

「…………ムムム」

 

件の呻きを上げつつ、関籍は青龍偃月刀を地に刺した。

一日に一度の手合わせに、別な気を挟むは無粋。故に可能な限り頭の中から例の件―――張遼に振られた―――を追い出そうとしていたのだが、思ったならば即ち追い出せるほど、軽いものでもない。

 

割と本気で彼は振られたと勘違いしていた。

 

「…………追い出せないなら、切り替えたらいい」

 

「なるほど」

 

つまり、追い出せない『関籍』の頭から『武人』としての、或いは『将』としての己に切り替える。

妹にも教えた役職と己を乖離させるこの方法は、かなり有用であると言えた。

 

「…………」

 

大きく息を吸い、吐く。

龍の息吹のような一呼吸に周りを緩やかに囲む観戦者たちが驚いた時には最早、その思考は切り替わっていた。

 

どことなく満足げな笑みを浮かべる呂布の目から光が消え、関籍の目からも光が消える。

 

このようにどこにも視点を合わせず、視点を合わせないが故に全域に視野を広げれば、死角をも補う広大な知覚を手に入れることができるのだ。

 

「……ん!」

 

先に繰り出したのは、呂奉先。

数多の将士の血を吸い、肉を引き裂いてきた方天画戟が左胸に向けて突き出され―――

 

「――――」

 

青龍偃月刀の石突に弾かれ、あっという間に立場が逆転する。

 

左胸目掛けて一直線に突き出されるのは、青龍偃月刀に。

弾く石突は、方天画戟の物に。

 

お互い拮抗した武技の持ち主だけあり、練兵場で鏡に写したような激闘が繰り広げられる。

練達の武人からして『二人の武器の動きが見えない』と匙を投げられた二人の激闘は昼から始まり、夕刻を過ぎても一向に収まる様子を見せなかった。

 

体術と矛術を組み合わせた独特の戦闘法から、騎乗しての戦闘。

 

方天画戟の刺突を捌いた途端に足元目掛けて蹴りが飛び、それを歩法で避けた瞬間に右拳が飛ぶ。

 

右拳の勢いを水面に漂う木の葉のように受け止め、姿勢を崩させた刹那に青龍偃月刀が頭上に向かって唸りを上げ、辛くも捌かれた。

 

一旦距離を取り、口元に二本の指を近づけて甲高い笛のように吹くとすぐさまやってくる二騎の巨馬に颯爽と跨り、幾度もぶつかり合いながら物理的に火花を散らす。

 

今は再び徒歩での戦いになっているものの、その動きに一見衰えは見えない。受け損ねたら死ぬ演武を、文字通り互いの武器が闇に溶けて見えなくなるまで続けられ、見えなくなった瞬間にその竜虎相打つかのような死闘が終わった。

 

引き際をわきまえた卓絶した武人同士だからこその、息の合い様。

 

それを肴にしつつ酒を傾けて、時折溜息をついていた張遼は、疲労のあまり予め用意されていた床机に腰を下ろした二人を見る。

 

「拙者の負けです」

 

「……百勝九十八敗二分。恋の勝ち」

 

当人たちにしかわからない基準で決まった勝敗は、確かな規則のようなものがあるとわかる。つまり、その場の気分で決められているのではない。

しかし、目で追うのが精一杯な時点でそれは自分にはわからないことを、張遼は薄々勘づいていた。

 

(……らしくないなぁ、ウチ)

 

酔いも回らぬ身体を引き摺って向かう先は、診療所。特にどこが悪いというわけではないが、三十年後の病根とやらを絶つ為に通うようにと言われたのである。

 

彼女が一軍を率いて遥々前線を留守にしてやってきたのはこの今からすれば遠過ぎる未来の病気に一石投ずる為でもあった。

 

「おーう、軍師。生きとっかー!」

 

「あなた達は、アレですか。同じ様なことを言わなければ死ぬ病にでもかかっているのですか?」

 

朝起きた頃に『軍師、今日も死病より快復なされて生きておられるようで何よりです!』と言って来訪し、嘗ての病的な色白さから仄かに血色のいい温かみのある色に変わった自分を見て帰って行った関籍を思い出し、郭嘉は眺めていた竹簡を閉じる。

 

裏に『機動要諦』と彫られたそれは、この世に三巻しかない兵法書。

 

一巻は夏侯淵、もう一巻は郭嘉、もう一巻は、郭嘉の見込んだ隠者に。

 

『曹操には渡してはならないが広めていけないと言われていない』という夏侯淵の方策によって僅かに量産された三巻は、いずれも世を動かしうる人傑の手に渡ったのである。

 

「まあ、なんでも、いいですけど……何か頼みでも?」

 

「相変わらず聡いもんやな……」

 

「ええ。どうせ直衛軍の増強についての建議でしょう?」

 

サバサバと物事を予想して進めていく彼女らしい言いざまで、郭嘉は張遼の提言の前にその内容をいいあてた。

他にも彼女は様々なことを予知している。例えば、いつ帝が襄陽へ訪れるかとか、孫策の死期であるとか。

 

「無駄ですよ。私も甘寧・魏延ら各方面軍の主将から『直衛軍の整備に全面的に協力するからつけるように説得してはくれないか』と言われて献策しましたが、無駄でしたし。

と言うよりは、千五百騎で二ヶ月は保たせるのが私の仕事です」

 

「せやけどなぁ……」

 

最近は周倉軍千人が襄陽に駐屯するようになったものの、どうやら別用で来たものらしいから頼りにはならない。

襄陽に駐屯する軍が増えたという点では頼りになると言えるが、やはり直衛軍に編入されていないと本当の意味で頼ることはできないだろう。

 

「持ち堪えている二ヶ月の間に救援に来てくださいとしか、私には言えません。全く、困ったお方です」

 

その割にはなにやら『うきうき』した様子で軍略を練る郭嘉の目には、子供のように澄んでいた。

彼女からすれば、関籍を関籍らしく生きさせるのが自分の仕事である。人を疑わせ、猜疑心を植え付けるのが仕事ではない。

 

「そもそも、関籍殿と正面切っての野戦でまともにかち合えるのは、張文遠。あなたくらいなものです。そしてあなたは個人的感情においても一武将としても、武人としても関籍殿を好いている。まあまず裏切らないでしょう?」

 

「…………やかましいわ」

 

「失敬」

 

人を喰ったように笑う郭嘉の顔は、以前の透き通ったようなものではない。老獪さと筋を感じさせるナマの人のものだった。

 

「そして、話は変わりますが。北門に儀仗兵を千。三日後に待機させておいてください」

 

「自分でやれや」

 

「まだ退院できそうにないので、お願い致します」

 

はっちゃける時と真面目に仕事をする時のメリハリ付け、割りと要領よく立ち回る郭嘉は、同僚には案外と気さくな面を見せている。

主に対しては『軍師と主公が馴れ合ってはならない』と言うもっともな理由でその一面を見せてはいないが、バレるのも時間の問題であろうというのが張遼の目算であった。

 

「儀仗兵ぇ?」

 

そんなものはない、と。そう言いかけて口を噤む。

確か自分がここに来てから一週間後くらいに関籍が『周倉の親衛隊を千人引っ張ってくる』とか何とか言って駐屯させた件の千人を思い出したのである。

 

「……あれは、儀仗兵なんか?」

 

「親衛隊ですから、役に立ちそうなことは仕込んでありますよ」

 

いけしゃあしゃあと未来予知結果を的中させていく軍師に頬を引きつらせながら、張遼は初めて恐ろしさというものを感じた。

 

どこまで先を見ているのかがわからない。人とは違う精度と凄味を持っているが故に、不信を懐かせる。

 

言い方は悪いが、江陵で一切動きを見せなかった時に真っ先に疑いの目が向いたのも仕方ないと思うほどの凄絶さが、彼女にはあった。

 

「誰が来るんや?」

 

「陛下が御光来なされます」

 

淡々と、何事もないかのように郭嘉は言った。

 

「賈駆殿も、期待に背かない働きをしてくれました。曹操殿もまた、うまく停戦に持ち込んでくれましたし、劉焉もうまく釣ることができ、劉焉が釣れたことで劉備も計算通りに動くことが確定しました。

孫家は内乱に掛かり切りになるだろうと思っていましたから、別段予想の範疇を超えてはいません」

 

関籍を賈駆に頼らせることによって涼州三雄の内乱を誘って警備を甘くし、曹操と組むことを前提に互いの情報交換の場として豫州を確保。

不確定要素の劉備は劉焉を葬ることによって蜀方面にかかりきりにして封殺。袁紹もまた戦力の補填に全力を注がせて外征を牽制する。

孫家の内乱が起こる時期を見計らい、敵する群雄が一斉に行動不能になる。

 

こんなことが全て天運だと言い切れるだろうか。

 

「さあ、詰みましょう」

 

見えぬ天下と言う名の碁盤に向けて、攻めの一手が放たれた。




なお、主からは無邪気なまでの信頼を受けている模様。

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