義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
拠点 二
関籍。
はじめて会った時、彼は黒かったのを覚えている。
そして、少し身体が震えたのを覚えている。
何に、震えたのだろうか。
少し自問自答して、目を瞑った。せっかく開いた目に柔らかく触れる陽光が遮られ、黒さが残る。
陽だまりに居るのが、好きだった。
温かいから、好きだった。
身を苛む暑さではなく、淋しいような寒さではなく、ほどよい温かさが好きだった。
玄天のような奴だ、と。張遼が言っていていたのが、今となってははっきりわかる。
北の天。玄く、温かい。太陽から漏れ出した陽だまりのような心地よさ。
人徳という言葉を、彼女は知らない。そもそもそういう類の魔性を言葉にすべきではないと思ってすらいた。
だけど、もしそういう物があるなら。
「…………起きましたか」
「……ん」
それは、こういう人の纏う雰囲気とか、風韻とか。滲み出る温かさなのだろう。
呂布は、寝起きの頭で本能的にそう悟った。
「昼寝もよろしいが、自室で寝られては如何か?」
「……来てくれないから、やだ」
左に白。右に黒。血を浴びても浴びても汚れもしないし臭いもつかない二色の奇妙な皮で少し余裕を持って作られたであろう服が突っ張り、肌に貼り付く。
背伸びを終え、白いひらひらを纏った筋肉質な腕を自分の白い方の袖で掴み、眠気にとろけて半眼になりながらも頬をじゃれつくように擦りつける。
本当に犬っぽい動作だった。
「………」
黒い方の袖も回し、両手で以って関籍の袖のひらひらを掴んで体重を預ける。
余談ではあるが、関籍の袖は柔らかい素材だからひらひらしているだけであり、ひらひらの装飾をつけているわけではない。白無地の服装が彼の基本であった。
「……全く」
苦笑しながら、関籍はふらふら揺れる綸子のような二条の髪を避けるようにしてあちこち跳ねた真紅の髪を撫でつける。
彼の心情としては、『仕方ない人だ』といったところであった。なんというか、戦場に於ける自身との落差が大き過ぎるところに同族意識を感じるのである。
「恋」
「……?」
「何故董卓軍からこちらに流れてきたのですか?
今はともかく、嘗ては心底不本意に戦っているように見えましたが」
ふらふらふらふらと宛てもなく彷徨い、あちこちで傭兵のように働きながらも仕官の誘いは断って南進し、荊楚の地へと流れてきたのが呂布だった。
関籍が別段招聘しようとしたわけではない。彼は戦場で心底つまらなそうにしている将を敢えて欲しがる性格ではなかったのである。
その天稟はどうあれ、戦いたくないのに戦わねばならない状況に置くことを、彼は好まなかった。
故に、来た時に驚いた。そして、戦のなさそうな城に籠めておいたのである。
「……興味があったから」
「拙者に、ですか」
無言で頷く呂布は、最早眠気にとろけた半眼ではない。
目尻を少し下げた、普段のなんとなく寂しげな瞳がそこにはあった。
「……恋は、一人だった」
「……肉親とかは、居ないのですか?」
「死んだ。弱いから」
もうあまり覚えていないのか。
さらりと言う呂布の目が細まり、ぽつりと、こぼす。
「………どんなに才能を持ち努力をしても弱い奴は弱いまま、生まれつき強い奴は何もしなくても強い」
関籍は棒を振っていたくらい、呂布は精々狩りをしていたくらい。
それだけで何年何十年と槍を学び、深奥に達した武人を『振り下ろし』と『突き』だけで打ち倒し、理不尽なまでの強さを誇るでもなく持っている。
親が病に罹ろうが自分は罹らず、ぽつねんとそこに在る。
先天的な、強者として。
并州五原郡九原県―――北も北、最早異民族の領内といえる土地で呂布は産まれた。
産まれた時から、彼女は呂布であり過ぎるほどに呂布であった。端的に言うなれば、彼女は強すぎるほどに強かったのである。
十にもならぬ時に村を襲った虎を撲殺し、村中から讃えられるよりもその感情表現の下手さも相まって『怪物』として恐れられ、訳のわからないままに逃げた。
逃げた先として入った森で獣を狩って食いつなぎ、時々家の前まで来て余った獲物を置いては、立ち去る。そんなことを何年か繰り返した末に、村は病で壊滅した。
呂布は、その病にすら罹らなかった。罹ってはいたが、彼女の生命を絶つにはあまりにもその病の種には荷が重かったのである。
その後は義従となり、黥を施して何となく戦い、つまらないままに丁原に属し、その別種の如き武を恐れられたから去った。
董卓軍でも別段どうということはなく日々が過ぎ、村を去った時から色を無くした世界で呂布はただそこに居た。
彼女の世界が色を取り戻すには、黄巾の乱で張遼麾下の一騎の武者に興味をいだき、反董卓連合軍で邂逅し、模擬戦と言う名の死合で刃を交えるまで待たねばならない。
「恋は寂しかったから、来た」
「……なるほど」
跳ねた髪を整え終え、真紅の髪から手を離す。
と同時にぴょこんと立ち、如何にも機嫌良さげに揺れていた二条の髪が萎れ、前面に倒れた。
その白布で巻かれた手には一度振るえば長大な柄と乱れたような紋様をした三日月型の月牙を血に濡らす方天画戟がなく、放てば即座に敵を絶息させる弓もない。
懐に手戟があり、腰に剣がある。それだけだった。
寧ろ、素手でもそこらの武人には負けはない。彼女の戦闘法は体術と戟を組み合わせるものであるから、下手な数打ちを使うよりも壊れない身体を刃にした方がいいのである。
「…………恋は、ここがいい」
「主簿がいい、と?」
少し考えてから頭を横に振ろうとし、無言でこくりと頷く彼女には関籍がどうにかして呂布を将として成長させようとしていたことがわかっていた。
故に彼女は彼女らしい真っ直ぐな言い方で、その方面に対して成長する気がないことを如実に示したのである。
「……仕方ありませんな」
「うん」
そもそも呂布自身が望まなければ好きなだけ荊州で戦場にも出ずにふらふらしていて良いとまで思った関籍は、無理押しはしない。
あっさりと意を翻し、呂布は主簿に留め置くことを決定した。
「…………でも、主簿じゃなくても、いい」
「うん?」
「ここがいい」
とんとん、と。地団駄を踏むように関籍の隣の土を踏みしめた呂布は、相変わらず片腕を掴んだままである。
どうやらこの体勢を気に入ったらしかった。
「なるほど、主簿でなくとも護衛であればいいと」
「………………」
頭を横に振り、少し行動を停止させながら、ゆっくり頷く。
「…………それでいい」
「ならば、そうしましょう」
再び軽く眠たげな目をした呂布を半ば引っ張るようにして執務室に連れて行き、関籍はとりあえず寝台に放り込んで仕事を再開した。
やることは尽きないし、未だ至らぬ点も多い。軍陣に居るだけが牧ではないし、郭嘉を華佗の診療所兼医療学校に強制連行したばっかりに仕事がうず高く積もっている。
ちなみに、郭嘉はあっさり呼び出されていとも容易く陳腐な策に引っ掛かった。警戒心がないとか何とかを関籍に言っておきながら、自分も大概警戒心がなかったと言える。
故に余った仕事を四官と新規参入の名士たちに分配し、自身も通常の何倍かの量をこなすべくせっせと仕事に励んでいるのであった。
「……これでは軍師も死ぬわけだ」
能吏の十倍ほどの仕事を午前中に終わらせ、堂々と趣味に没頭していた彼女は死んではないが、これを繰り返していたら死んでいたであろう。それほどに彼女の仕事量は凄まじかった。
仕事に全意識を集中させ、十刻ほど経った時。
「………」
むっくりと、呂布が起きた。
手には手戟。眠たげな目は鋭さを帯び、完全に意識を仕事を片づけることのみに集中している関籍に飛来する矢の鏃を投擲した手戟で横から弾く。
「……む?」
耳元で起こった烈風に気づき、流石の集中も途切れさせて呂布の方にちらりと視線をやり、仕事に戻った関籍を一顧だにせず、壁に引っ掛けていた弓を取る。
別なところに掛けた矢筒から二矢を引き抜いて、矢が悠々と入れるほどには開けっぴろげになった窓の前に、彼女は立った。
二矢のみを引き抜いたのは、彼女の自信のほどの表れであると言っていい。
「……」
一度目と変わらぬ狙撃場所から放たれる矢に蟻の目を射抜くほどの技量を以って自らが一矢目を、放つ。
カチン、と。凄まじい運動力を持った金属同士がぶつかる時特有の鋭い音を立て、両者の放った矢が両者の中間地点で地に落ちる。
矢同士をぶつけて防ぐという絶技に呆気にとられた相手をすぐさま番えた二矢目で喉輪を射抜いて仕事完了。
呂布は手に持つ弓を壁に掛け直し、再び寝台で丸くなる。
彼女の武技に絶大な信頼を置く関籍は、相変わらず仕事に励んでいた。
呂布がいない!狙撃だオラァ!→アイエエエエ!?→サヨナラ!
大体の刺客がこうなる。