義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
「……ふむ」
西部戦線。郝昭が守る最前線からの報告を一読し、関籍は一つ頷いた。
寡兵でありながら失地を出すことなく、土木工事による野戦築城を繰り返して戦線を押し上げていくと言うのが郝昭流の攻性防御であった。
歩兵と工兵、弩兵により荒れ地を耕していくかのように攻め上がる。
敵からしてみれば気づいたら攻勢から守勢に追い込まれているわけであり、気づいたら目の前に要塞が出来ているという事態にすらなりかねない。
韓浩を副官とし、補給を担わせただけに補給も堅牢かつ不動の供給能力を持っているから飢えることもない。
その泰然にして堅実な攻めは、敵に自給自足の要塞がゆっくりと進んでいるような感すら与えていた。
「西部戦線異常無し、か」
続いては、南部戦線。
この南部戦線の主な敵であるところの劉備たちは交州を傘下に治め、西部に大兵力を集中させている最中であり、こちらも全く異常はない。
『攻め込まない限りはこちらに侵攻してくる余力はない』と読み切った孔明は、更に勢力を広げようとしていたのである。
これに対して郭嘉が取った策は、黙認。
この黙認に至らせた理由といえば、劉焉と言う『正統な皇族』であり、『漢から任ぜられた領主』である存在よりも、完全に敵となっている劉備が蜀を得た方が滅ぼし易いと言う判断からであった。
関籍は、『正統な牧』である劉焉の使者の舌一つ、言い訳一つで如何様にも翻意しかねないのだから当然のこととも言えるが。
しかし、この時はじめて劉備軍が二つに割れた。
『将の若さと天険を活かした長期戦』を提唱した孔明と、『量産型関籍が出てくる前にさっさと殺さねば拙い』と言う時の御使いの意見が真っ向から対立したのである。
孔明は、関籍が真正面から戦って一息に勝てない相手であることを知っていた。
故に、関籍とその配下の五色備えが死ぬまで待つことを提唱したのである。
これに対して時の御使いは、言った。
『関籍もヤバいが、その息子二人、何よりも次男の息子がヤバいのだ』と。
次男は、寿命が長いだけで地味だ地味だと言われることに定評がある関伯。
長男は関羽の元で戦い抜き、江油城で死ぬ間際では父の如く暴れ狂い、『関一族を追い詰めるとどうしようもないことになる』と言う『窮鼠猫を噛む』のような諺の語源となった関莊。
まず、関莊。この男もヤバい。
具体的に言えば、父の武勇と戦争における勘を受け継いでいるところがヤバい。
味方に後背を突かれて討たれる死の間際にも自ら戈を持って十五回に渡って突撃、鄧艾に一太刀浴びせたところに弩を雨霰の如くくらい、『父上、愚息の不甲斐なさをお赦しください』と叫んで頸を掻き斬ったところなどはもう、ヤバいとしか言いようがなかった。
遺骸は一太刀を受けた相手である鄧艾が丁重に葬ったと言われているが、龐会が引き摺り出して河に流したとも言われている。
そして、次男の関伯。『父を見捨てた蜀、父を裏切った呉よりも魏のほうが幾ばくかましだ』と言って亡命した彼は八十数歳にもなる時に司馬一族のクーデターに出くわし、時の皇帝である曹芳を奉じて圧倒的優位を誇る司馬一族と漁夫の利を狙う呉に対して文欽・文鴦を率いて戦い抜き、十五年後に寿命で死ぬまで魏を保ち続けた地味な怪物である。
寿命で死んだこともあって、地味な扱いは否めないし、彼の三男のヤバさが際立つ為に存在感が霞む傾向にあるが、充分に名将であった。
で、寿命で死ぬまで魏を保ち続けた関伯の息子。関紀。
こいつが凄まじい。具体的に言えば長男・次男が謀殺されたことを受け、晋が衰退するまで五胡の首長―――撐犂孤塗単于として君臨し、機を見るやすぐさま曹芳の子息を奉じて南下。一年で中華の北半分を攻め取り、百城を落として魏を再興したのである。
幸いなのは若くして病死したことであるが、それでも孔明よりは確実に長命するであろうことはわかっていた。
その後五代に渡って北魏に仕えたが、いずれも子孫は過失がなかった。つまりは、負けなかった。
現に関一族が嫡流の数人を残して粛清・追放されるまで、北魏は最強だったのである。
その後裔はと言えば『テロにしか負けなかった』と言う評価を得、中国共産党の三十万を包囲殲滅で、援軍に来たソビエトのジューコフ率いる最新鋭機甲師団を含む四十万を完膚無きまでに叩きのめし、あまつさえは総司令官であるジューコフをも殺し、アメリカ軍からも『彼が指揮する一軍には百万でも勝てる気がしない』とまで評価された関白。
粛清されるか暗殺されない限りはまるで隙がなかった。
これ聞いた孔明は、言った。
『今既に時は正しき流れを刻んでいないのに、それらが生まれるとは思えないし、取り敢えず大義と敵の武威に乗じて蜀を取らねばどうしようもない』と。
指針の不一致はあれど、彼らは目的地に向けての侵攻の準備を進めていた。
そして、北部戦線。ここは拍子抜けするほどあっさりと決着がついた。
事の始まりは郭汜が『逆賊は捕らえ次第殺す』と言う姿勢を崩さなかった関籍の元から無傷で解きはなたれたことに起因する。
これを受けた李傕は、喜んだ。それは苦楽を共にしてきた親友を奇跡的に失わずに済んだからであり、自分が捕らわれても同様に生かして解放される可能性が見えたからである。
が、それはすぐさま賈駆の一手によって疑念に変わった。
『郭汜が内通を約束したからこそ、逃されたのだ』と言う、噂が流れたのだ。
後は程よく疑念が膨れるまで放置し、わざと李傕の軍にのみ魏延を突撃させてやればよかった。
彼らは内乱を起こしながら撤退していったのである。
張繍は引き続き宛城の守りにつき、魏延は豫州へ、賈駆と張遼は江陵へ赴いた。
袁紹軍別働隊の南下と劉備軍の北上を警戒しての行動であった。
皆が、自ら考えて行動する。
そんな軍団を、作りたかった。そして今やそうなっている。
昔に描いた軍が、完成した。では、自分はどうか。
静かに竹簡を仕舞い、関籍は地の下に布一枚敷いただけの粗末な幕の床に胡座をかいた。
肘を張り、飛び掛かる寸前に背を伸ばした時の虎のように縦に長い身体が横に長くなる。
目標を定めた時に剥き出しになる暴虎馮河の無謀さ。西楚の覇王の如き不敗の武。戦への天性の勘。漢への忠心。それだけが、今の彼を満たしていた。
腹に溜めた息と共に厄介な塵芥を全て吐き出し、ゆっくりと関籍は立ち上がった。
「……どこ?」
「曹兗州牧の元へ」
幕舎から出た瞬間、色鮮やかな三色が目に入る。
呂布。天下無双の絶武の持ち主。
少しの間無言で横顔を見つめ、無言で方天画戟を縦に廻す。
その顔には、僅かな笑みと安堵が浮かんでいた。
「……澄んだ」
「ああ」
先入観など持たないのが関籍だった。
ただ帝を敬い、奉る為に奔走するしか能がないのが関籍だった。
しかし、今はどうだ。
民を元に戦場を見る目が郭嘉によって、民を慈しむ目が蒋琬によって、経済を見る目が魯粛によって啓かれた。
変わり様は、どうだ。
「率いるというのは、難しいな」
「…………おやかたさまなら、できる」
自分の心をさざめかす存在がなんだと言うのだ。自分は何の為に在るか。個人を見、愛し、慈しむ為に在るのか。
否。国を見、支え、糺す為に在る。
国を見る為には人を見ねばならない。かと言って、個人を見ることに埋没してはならない。
「……難しいな」
僅かに首を傾げ、笑う。
心の底から、余分な物が纏わりついた自分がおかしかった。
嘗ての自分ならば将として固執するあまりに切り捨てていたであろう余分な物を余分だと感じない自分がおかしかった。
「曹兗州牧にお会いしたい」
「承知した」
何となく察していたのか、或いは何時でも取り次げるように待機していたのか。
曹操の起居する幕舎を囲う柵の前で静かに佇んでいた夏侯淵に頭を下げ、取次を乞う。
「二顧で済みましたか」
「明公に会い、目語を交わすには心胆を澄ませねばなりません」
明公とは即ち、偉大なる領主と言う意味を含む。
つまり、理に明るい人傑に会い、目を見ながら言葉を交わすには心胆から邪な物を取り除き、澄んだ心で向き合わねばならない、ということであった。
「なるほど、確かに」
妖しさと言うのか。危うさと言うのか。その元となっていたであろう心に入った亀裂が満ち、補填されている。
「……では、暫しお待ちを」
夏侯淵が去り、その後すぐさま曹操の起居する幕舎へと通された関籍は、静かに一歩を踏み出す。
195年の冬を間近に控えた、白馬にて。
「関荊州牧、此度の要請に対しての援軍、そして鬼神も驚く奮戦。この曹孟徳、ただ頭を垂れて感謝を示すのみです」
「曹兗州牧。援軍の挨拶もせずに居た非礼をお赦しください」
漢の二柱は、目を合わせた。
関籍
全ての元凶。軍神その一。
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関羽
最初の教育の犠牲者。軍神その二。
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関莊
『関氏を追い込み痛撃を喰らう』の語源。
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関伯
『老将軍』の代名詞。九十ちょいまで先陣切って戦ってたチート爺。影が薄い。
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関紀
三男。関伯の息子に癖に親の影を薄くした。単于。
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関白
国民党の全て。アカ狩りの達人。テロに弱い。
統率100武力87知力100政治97魅力94
いずれも義理100野望0相性値同一。
なお、中国国民党ではコーエーの特別シナリオとして『関家集結(ぎゃくぞく☆ばすたーず)』が用意されている模様。