義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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天下無双

「夏侯将軍何処に有りや!?」

 

天に轟く、大音声。

偃月刀が軍の軛を断ち切り、夏侯の旗を囲う最後の囲みを突破した関籍の視界に、澄んだ水のような色の髪が入った。

 

「……関籍、か」

 

二人羽織のように、水色の上に妹と同じ黒貂の毛皮のような艶やかさを持つ黒が、在る。

 

「どうした、曹操の両翼ともあろうものが」

 

「……姉者が、矢を受けてな」

 

なるほど、艶やかな黒の羽織のような髪から一筋の赤さが夏侯淵の肩に流れていた。

 

「頼れた義理も何もない。が、姉者を頼めないか?

最早傷を負ってから戦い続けて限界に近いのだ」

 

夏侯淵は、心からの懇願を込めてそう頼んだ。

敬愛する姉の一命は、彼女からすれば己とは比較にならないほど重いものだったのである。

 

関籍と自分とは、何の関わりもない。数年前までは戈を交えた敵同士だったのだ。都合の良い願いが聞き届けられるとは思えないし、そもそも何故彼がここにいるかすらわからない。

だが、袁紹軍の名も無き雑兵の手にかけさせるよりはマシだった。

 

「断る」

 

一言。

天が降ってきたような重さを内包する言が夏侯淵の双肩に伸し掛かる。

 

恨みはない。当たり前だという理知的な判断のみが、彼女の頭には浮かんでいた。

 

「夏侯妙才、お主も生きろ」

 

鞍に乗っていた主を地に降ろした黒い巨馬が、関籍に曳かれてこちらに向かってきていた。

 

「……何?」

 

「烏は女二人を運ぶなどは容易い」

 

一息の内に地に雌伏した烏と呼ばれた馬に、半ば無理矢理に乗せられた形になった夏侯姉妹が鞍の上の人になった瞬間、烏は自分の役割を心得ているかのように走り出す。

 

「関―――」

 

「後方の退路は呂布殿が切り開いていよう。速やかに脱出すべし」

 

逃げ出した七十五騎と夏侯姉妹の率いる兵を追うように飛来する矢に対し、関籍は偃月刀を風車のように振り回した。

 

元より数に劣るが故に圧倒的な武力を持つ呂布を鋭鋒とし、しかる後に自ら殿を務める腹積もりだったのである。

 

(さて、やるか)

 

騎馬武者を腰斬し、馬格は遥かに劣るもののそこそこの馬に跨がった関籍は、ひたすらに追い縋る敵を討つ。

 

偃月刀の冴えは馬の格が落ちたこともあり、僅かに鈍っていた。

 

「囲え!」

 

先端を切った山のような兜を被った将が司令するや、彼の配下らしい歩兵が直ぐ様関籍と黒騎兵の連綿たる繋がりを切る。

 

関籍は、孤立した。

 

見事な用兵の冴えに感嘆する間もなく、前列の歩兵が弩兵と化す。

兵装の転換。凄まじい練度がなければ不可能な行動であった。

 

「斉射」

 

狙われたのは、自身と馬。

数十の弩に狙われては、流石に対処が難しい。

結果、馬の額が射抜かれ、前脚が崩れて地に倒れる。

 

「……なるほど、馬からか」

 

「私ではとても敵わんのでな。貴様に馬を与えるのは虎に翼を与えるようなものだ」

 

弩兵を率いてさっさと張旗は下がっていき、代わりに顔・文の旗がこちらに向かって突き進んでいる。

 

なるほど、これでは退路を切り拓くことは難しい。

 

「……まあ、いい」

 

前へ、踏み出す。

関籍が一薙ぎした偃月刀を防ごうとした剣刃ごと袁紹軍の兵が身に纏う甲ごと容易く一斬した。

 

突けば三人の甲ごと串刺しにし、薙げば前方五人の生命が天に消える。

後ろに回り込んだ兵には石突を以って甲を砕いて鳩尾を強打させ、降ってきた矢は巨躯に似合わぬ俊敏さで避け。

 

乱戦になっては不利な偃月刀と言う長物を地に突き刺し、腰に佩いた剣で敵の命脈を的確に絶っていく。

 

垓下の項羽の如き武神の如き武に、既に数百人が地に斃れた。

 

(折れたか)

 

まあ、保ったほうだろう。

上半分を敵の死骸に残しながら半ばから真っ二つに折れた剣を振りかぶり、関籍は更に一人の頸を折った。

 

青龍偃月刀を短く持ち、突き殺すことに専念する。

騎兵が居ない。故に、馬が奪えない。

 

そんなことを考えていると何かが空を切る、戦場に於いて聞いたことのない音が関籍の耳朶を打った。

 

「搦め捕れ!」

 

鎖。鉄を極限にまで鍛えたであろうそれが、惜しみ無く偃月刀の柄に絡みつく。

 

軽く力を入れるが、鎖を投げた本人であろう巨躯の兵とその兵を支える数人が地を滑るだけに収まった。

 

腕や脚に絡みつく鎖を鬱陶しげに見つめるでもなく、興味の目で見た関籍は、五体に珍しく効率よく敵を殺傷するには不必要であった本気を出し、力を入れる。

 

偃月刀に絡みつき、それを引っ張っていた数人が宙を舞い、右腕を締め付ける鎖を持っていた複数の兵の掌から血が迸った。

 

右腕と偃月刀さえ振るえれば、いい。

脚に絡みつく鎖を断ち切り、もう片方も斬ろうとした瞬間に弩が放たれる。

 

まるで手の付けられない猛獣を狩るかのような戦い方であった。

 

(死ぬか)

 

それもいい。死というものを経験してみたくはあったのだ。

だが、このような獣の死に様は嫌だった。

 

これではまるで暴虎を捕らえ、縊死させるが如き有り様ではないか。

 

「……む」

 

見知った顔が、視界に入る。

鎖を四肢に絡ませながらなお驀進を止めぬ関籍に恐れたのか、袁紹軍の兵は弩を撃つばかりで近づいてなど来なかった。

 

「関籍殿」

 

「郭淮、よいところに来た」

 

握った拳に手を重ねて敬意を示す郭淮に笑いかけ、次なる言葉を―――即ち、共に戦った誼でこの首を持っていけと言う意味を含めた言葉を吐いた瞬間、背後から血が噴き出す。

 

「あなたはそのような死に様を迎える人ではありません」

 

血の、紅。

 

戦意と殺意の塊が関籍を縛める鎖に向かって剛撃を喰らわせ、呆気にとられた袁紹軍の隙を突いて鎖を瞬く間に寸断する。

憎しみすら感じるその斬撃の主は、天下無双の片割れ。

 

「りょ、りょ、りょ……」

 

黒い刃の方天画戟。

血を固めたような襟巻き。

綸子のような二条の髪。

 

「呂布だァ―――!」

 

そう叫んだ兵の最後の言葉が、それだった。

その兵は甲ごと胸板を穿かれ、肉塊になった瞬間にそれを支える串であった方天画戟が振り切られ、文字通り肉弾となって呂布に向かう矢の盾となるべく飛来したのである。

 

「……恋は、やだ」

 

「何?」

 

馬上にあるが故に今に限っては関籍を見下ろす形になった呂布は、問答無用とばかりに関籍の襟首掴んで赤兎馬に乗せ、自分の背後にくっつかせた。

 

「に、逃がすな!」

 

「弱い奴が、五月蝿い」

 

たちまち弩兵隊長を撃殺し、最早人の形をした何かになった呂布は鎖に縛められる前の関籍の如き凄まじさでひたすらに敵を斬り、突き、薙ぎ、討っていく。

 

「馬を潰せ!」

 

行き先を阻むように、鎖が二段に渡って宙に構えられた。

このまま突き進めば、鎖を巻き込むようにして落馬するであろう。

 

が。

 

「赤兎、今」

 

呂布は、跳んだ。

その卓絶した馬術で以って、赤兎馬は確かに数秒の間宙を駆けたのである。

 

鎖を遥か下に離れさせ、数秒の飛来を経て着地した瞬間に後ろ脚で兵を蹴飛ばし、同時に前方の数人を方天画戟で物言わぬ骸に変えた。

 

関籍や張遼など北方出身者がよくやっている曲芸じみた人馬一体の技術の極みが、そこにはあった。

 

「……曹操が、圧してる」

 

「……袁紹は、何かに集中しすぎたのだろう。故に、手痛い反撃を喰らっている」

 

あの惨状から持ち直す統率力は、恐るべき粘り腰と言える。

 

逆転の原因が関籍捕縛作戦にかかずらかりすぎたとは言え、恐るべきは機を見るに敏な曹操の慧眼であった。

 

「…………ん」

 

「おぉ?」

 

方天画戟の指す先には滅多に見せぬ全速力で走る、烏。

 

河を渡ってでも項羽の元に戻ろうとした烏騅に、烏は忠誠心の類稀さと速さと頑丈さが似ていた。

そして、気性の粗さもまた似ている。

放置された挙句に勝手に死にそうになったことを怒り狂う烏を数十秒の格闘の後に何とか治め、関籍は再び呂布に向き直った。

 

「呂布殿、助けていただき感謝する」

 

「…………………………」

 

いつもの穏やかな瞳ではなく、呂布は僅かな怒りと悲しみを滲ませた瞳で関籍を見る。

 

やっと見つけた自分と互する大切な存在を早々に喪っては堪らない。

それは誰でも同じようなものだが、ただでさえ寂しがり屋な質の呂布は更に一層その思いが深かった。

 

「……恋のお陰」

 

「はい」

 

「……………これからは粗末にしちゃ、ダメ」

 

怒り気味に綸子のような二条の髪が動き、尖る。

表情はともかく、わかりやすいことこの上なかった。

 

「……粗末にしていた気はありませんが、心しましょう」

 

「ん」

 

満足げに頷いた呂布と共に、関籍は七十三騎の戦友を率いて再び敵陣に突入した。

 




張遼も書きやすい。
が、呂布も相当書きやすい。

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