義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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心臓江陵

「思惑はどうだと思う?」

 

「曹操が何の目算もなく徐州へ侵攻したとは考えられません。必ず思惑があるはずです。

恐らくは、牽制だと思うのですが」

 

「ふむ」

 

顎に手を当て、関籍は珍しく考え込んだ。

呂蒙の提言がなにか関係して来ているような気がしてならなかったのである。

 

これもまた、第六感とでも言うべきものだったのだが。

 

「関籍殿。劉備は紛いなりにも徐州牧です。関籍殿が荊州牧に就任した時にも曹操・劉焉・公孫瓚と同じく祝辞の使者を送ってきたではありませんか」

 

「むむむ」

 

「世の人々は善政を行っている劉備を悪玉とは考えていませんし、彼女もまた荊州牧就任時に非を認めて謝ってきています。こちらからは返事はしていませんが、民にはそれが広がっています」

 

恐らくは軍師二人の情報工作だろうと、郭嘉は洞察していた。

事実、軍師二人の働きは人材少なき劉備の中でも飛び抜けており、親族ということもあって帝の御不興も回復しつつある。

 

善政を為しているのもこの二人の滅私の奉公によるものだし、何よりも情報工作がうまい。ここで断れば名声が落ちるだろう。

回復は時間をかければ容易ではあるが。

 

「曹操の行動はどういうことだ?」

 

「曹操は今まで堅実に勢力を広げてきました。徐州への侵攻は、牽制かと」

 

「何への牽制だ?」

 

「……その前に。呂蒙は『身の回りにお気をつけを』と言ったのでしたね?」

 

無言で、頷く。

その一動作だけで、郭嘉は多く理解した。

 

「……恐らくは、曹操の行動は我々に迫る危機を自分の手で対処することを促しにきたに過ぎません。間諜に探らせたところ、曹操は国境付近で立ち止まっているとのこと。劉備たちの動きを止めることはあっても侵攻することはないでしょう」

 

「なら、どうする?」

 

「書状を出します。援軍は出さずともよろしいかと」

 

関籍は、正直なところあまり理解できていなかった。

この国最高の頭脳を持つ王とその幕僚が練った計画と伏龍鳳雛の両天才、それに更に郭嘉が参じて智を競う。

 

少々戦場で頭が回る程度では正に焼け石に水だったのである。

 

「任せよう。使者は?」

 

「司馬孚殿に、臧覇殿と精鋭五百をつけて。無理矢理に平定したとは言え、孫策の支配下にある揚州を通らねばなりませんから」

 

「わかった」

 

郭嘉に言われた通りの内容の文書をしたため、それを渡された司馬孚と臧覇率いる五百は進発した。

援軍を呼ぶ理由は戦いに勝つ為なはずなのだから、書状一つでことが収まるならばそれは援軍よりもありがたいことだといえるだろう。

 

あくまでも一般的には、だが。

 

「関籍殿。私は江陵に向かいます」

 

「何?」

 

江陵。荊州南部の穀倉地帯であり、前線に糧秣を運ぶ為の補給線の核とも言える地点。

 

荊州の最前線に兵糧と言う名の血液を運ぶ心臓と言い換えても良かった。

 

「何故だ?」

 

「恐らくは、孫策・袁術・李傕・郭汜・李儒や、交州の諸勢力がまとめて襲いかかってくるでしょう。蜀の劉焉殿も、如何に動くかはわかりません。実質的に四面楚歌になるかと思われます。

四方から攻められる場合、江陵は兵站線の確保に必須の拠点。備えなければなりません」

 

地盤の固まっていない孫策は、既存の江夏に籠めてある戦力で充分に防げる。甘寧の水軍と文聘の守城を抜けるほどの戦力は、今の孫家にはない。

 

「南陽には、関籍殿と張遼殿を。ここが一番の激戦地になります。関籍殿と、関籍殿がもっとも信頼なされている張遼殿が適任でしょう。

南陽から江陵にかけての遊撃を担当していただきます」

 

信頼に序列をつけるべきではないが、張遼は関籍にとって一番信頼できる将であった。

例え配下全員が自分を見放しても張遼だけは苦笑しながらも付いてきてくれる、そんな不思議な確信があったのである。

 

最初に戦場らしい戦場の土を踏んでからと言うもの、常に共に戦い続けること百度を越えると言う実績と、お互いがお互いの人間的な面に愛情と敬慕を持っているということ。

 

張遼は関籍の人から逸脱したような―――つまり、神秘的・超人的な面を尊敬しており、関籍は張遼の生の人間らしいところに惹かれている。

 

兵に神の如く信仰される将と、兵に人として信頼される将。

 

ひたすらに沈黙を守る巌の如き統率と、明るく気さくで暖かな火のような統率。

 

寡黙で何を考えているかわからない半神の如き印象と、表情豊かで考えが表に出る、如何にも人らしい印象。

 

敵を丁寧に擂り潰す攻勢と、燎原の火の如き速攻。

 

よく気が合うものだと思うほどに正反対だが、何故か気が合う。

そもそも呻き声だとかは一切立てない、言いたいことの要旨しか言わないような男だった関籍に人間味を与えたのが張遼だった。

 

そういった影響を受けるほどに親しいと言うのは、戦場においても変わらない。

 

連絡を取らずとも一方の動きに必ずもう一方が合わせる。

その合わせた動きに敵が対応した瞬間に、また動きが変わる。

 

その敵にとって脅威でしかない呼吸は、正に阿吽の呼吸と言えた。

 

「張繍殿と賈駆殿には引き続き宛城を守っていただき、馬謖と張任殿には南陽の南、義陽、郝昭殿には襄陽の西、宜都を守っていただければ、何とかなるでしょう」

 

「南部は?」

 

そういう関籍の声には、少しの嬉しさがこもっている。

孫堅撃滅から今まで大小様々な戦いがあったが、張遼とは馬蹄を並べて戦ったことが少ない。

 

戦線の拡大に伴い、無敵の一軍よりも最優の二軍が欲しかったからである。

しかし今回は違う。片っ端から粉砕してもらう為にこの二人に組んでもらった。

 

やはり、共に戦えるのが嬉しいのだろう。

 

「無論食い止めますが、江陵まで攻められるかもしれません」

 

河川を跨いだ江陵を一線として守る為の切り札が、ある。

 

「副官に呂蒙をいただけますか」

 

「呂子明か」

 

驚いたような、疑念の滲む声。

元より関籍は呂蒙に何か嫌な予感を感じていた。それを払拭しきらぬままに、今が在る。

 

「はい。疑わしきは内に取り込み、内通していれば私が処理します。していなくば、一翼として使わせていただきたく」

 

「……閻行を護衛に付けよう」

 

閻行。黒騎兵の副官である。

反董卓連合軍で関籍が額に矢を受けた時、矢を射た本人である龐徳の主人、馬超と一騎打ちをして一歩も引かなかった闘将である彼は、黒騎兵の壁の如き圧力を構成するにあたっての重要な要素を担っていた。

 

「それは閻行隊ごと、ですか?」

 

「当たり前だ」

 

閻行は涼州黒騎兵―――即ち、涼州の乱で関籍に降った精強極まりない涼州騎兵を統括している。

 

并州黒騎兵、涼州黒騎兵、五胡黒騎兵、荊州黒騎兵。

 

四種にわけられる戦闘集団、黒騎兵。その中でも并州以来の精鋭中の精鋭に次ぐ軍旅が、涼州黒騎兵であった。

 

「護衛としては些か過分かと」

 

「軍師、身を労れ。あなたには拙者に見えぬ物が見える。まだまだ力になって欲しいのだ」

 

肩を叩かれ、無理矢理に―――というほど強引ではなかったが―――納得させられる。

 

切り札もあるのに、この戦力。江陵の守備には確実に過不足なき戦力だ。

 

「……では、参ります」

 

「うむ。江陵を頼むぞ」

 

「はい。ですが、江陵以南にかけては私も積極的な支援ができないことを、伝えておきます」

 

蜀の挙動が、怪しい。

 

他勢力と通じているかどうかはともかく、劉焉は野心多き皇族。

帝に成り代わることも考えているという、噂があった。

 

関籍は、今の帝の忠実な臣下。劉焉にとっても目の上の瘤であることは確かなのだ。

 

横撃の可能性があることを加味すれば、南部まで手を回して江陵を空にするのは拙い。隙さえ見せなければ襲ってくることはないだろうが、兎にも角にも不透明。警戒は忘れてはならないだろう。

 

「……南部はあまりこちらに好意的ではないからか?」

 

「いえ。それとは関係がありませんが――――まあ、蜀の劉焉関係です」

 

独立心が強い南部の豪族は、殆ど統一された関籍政権において異色だ。

地元と癒着しているが為に引っぺがせなかったが、これを機に向こうが寝返れば纏めて首を飛ばすことができる。

 

そういった策謀も、あるにはある。しかし、それよりも蜀の劉焉への警戒の方が比重が重かった。

 

「……そうか」

 

「はい」

 

皇族すら帝を裏切るのか、と言いたかったであろう関籍は、善く自分を押し留めた。

世の裏切りの多さに、一々激昂するだけ無駄だということがわかりかけてきたのである。

 

「曹操とはどうする?」

 

「向こうもこちらとの和を望んでいるでしょう。こちらも友好的な姿勢を崩さないでください。

曹操も袁紹の南下と李傕・郭汜・李儒の東進に対応せねばなりません。直接的な支援はできないでしょうが、牽制くらいならばしてくれると思います。

今はともかく、守ることです」

 

「わかった」

 

頷き、車上に乗った郭嘉と目が合う。

 

「私の真名は、稟です」

 

「唐突だな」

 

「まあ、誓いのような物ですね。あなたの真名を受け取るには、江陵を守り抜いて生きねばなりませんから」

 

元々脱俗的なところがある以上は、何かしらを拠り所にして生への執着を持たねばならない。

 

明快な論理が、如何にも郭嘉らしかった。

 

「では、ご武運ご健勝を祈っております」

 

「ああ」

 

副官に呂蒙を、護衛に閻行を連れ、郭嘉は江陵へと駒を進める。

 

その馬蹄が遠ざかる音と反して、大乱の音が近づいてきていた。


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