義の刃足る己が身を 作:黒頭巾
「籍様。甘興覇、柴桑よりただいま帰還いたしました」
「柴桑?」
柴桑。孫家の一大拠点であり、孫堅が軍需物資を集積していた最前線より程近い城であった。
「関籍殿。甘都督には河川を軍船ではなく小早(小型輸送船)で通過してもらい、警戒網を誑かしながら柴桑へ行ってもらっていたのです」
「はっ。孫家の軍需物資の内、食糧は民に、武器などは豪族に配れとの軍師殿の命令でございまして」
本来は江夏に持ち帰るほうがいいのだが、柴桑には柴桑や付近の民から徴収した物などが多くあった。
敵の軍陣にて確保したものは、江夏に存在していたから略奪を受けた江夏の民に返還し、柴桑の物は燃やすかその地、或いはその付近の民に施す。
勝っても得られるものが民の信頼と声望しかないのが、関籍軍の辛いところであった。
「軍師、何故武具を敵に与した豪族に配るのだ?」
「孫堅が豪族を見捨てて私兵のみを率いて逃げ帰ることは予測していました。故に、です」
「うん?」
得心したと言う表情の甘寧と、対象的にまるでわかっていないような関籍に苦笑し、郭嘉は思った。
この人には天性、裏切るとか見捨てるとか言った思考が欠如しているのだろう、と。
「では、関籍殿が誰かに従う豪族だとします。絶望的な死地におかれながらも見捨てて一人退却されたら、どう思いますか?」
「何かその方には大志があるのだろう。一度従うと決めたのならば死ぬまで戦って義理を通すまでだ」
「そうですね。ですが、大半の者は『見捨てた奴に何故義理を立てなければならないのか』と思うわけです」
だから豪族たちは包囲され、孫堅が逃げた瞬間に戦意を失った。
そして、降伏を促されてあっさりと首を縦に振ったのだ。
「そして彼らは今我らにどのような扱いを受けていますか?」
「厚く遇されているな」
「それは、何故ですか?」
「孫堅に渋々従っていただけだと言ったからだ」
漢に刃を向けるつもりはなかった、と言う供述を繰り返す豪族たちに対して関籍が出した裁決は、不問。
具体的に言うならば『洛陽におわす帝に処罰を下してもらうが、自分が弁護をする』というものである。
「彼らの罪を許された時に、関籍殿はこう言いました。
『しかし、二度目はない』と」
一度ならば許す。
二度ならば罪を弾劾する。
三度ならば斬る。
そう言い放ち、関籍は襄陽の王叡から使者を送ってもらい、彼らを手厚くもてなしているのであった。
「うむ。帝は寛大にあらせられるが、叛き癖がついたならば臣を討つならば、これもまた臣が手を汚さねば国の為になるまい」
「それはその通りだと思います」
そう言われた時の豪族の反応は凄まじかった。
一言で言うならば、阿鼻叫喚と言ったところだろう。
怯え、竦み、関籍の五体から出る静かな殺気に圧倒され。側に立っているだけの郭嘉ですら背筋に寒いものを覚えたのだから、彼らにしてみれば根源的な恐怖を植え付けられたに等しい。
そしてその恐怖は大半が畏れと憚りに、一部が信仰的な忠誠心に変質するのだ。
「故に彼らには、叛くことを拒む力を与えました。即ちそれが武具であり、兵糧です」
戦の展開を読み、その後の敵の心理を読み、心理から生み出される状況までに至るすべての流れを読み切って、策を立て、戦術を立案する。
七尺ほどの矮躯に如何程までの知恵が詰まっているのか。
関籍は、素直に驚嘆した。
「むむむ……兵法とはそこまで読み切って戦うものなのか」
「はい」
艶やかな髯に手をやり、瞑目して考え込む。
美髯公と言うだけあって、その長い髯は見事なものだった。
「拙者にはとてもできそうもない」
「適材適所、という言葉があります。誰もができなくともよいのです」
己の不明を恥じるように顔を俯かせる関籍を励まし、一息つく。
―――これで孫家は封じた。豪族たちの支持を失わせ、飛躍を鈍化させるための包囲殲滅戦。失った将士は千に満たないが、いずれも精鋭揃い。この穴を埋めるには時間がかかる。
目に見えない成果を上げ、目に見える物質的な成果は皆無に等しい。
目の前の成果に固執するような主ならば弾劾されてもおかしくはない、が。
「軍師、これからも至らぬこの身を補佐してくれ」
幸い、欲がない。
無形の成果に鈍感ながら、形ある成果に貪欲ではないのが、何よりも扱いやすいところだろう。
「はい。全力を以って」
この一戦を以って、関籍の名はその生存と共に大きく知れ渡ることになる。
常識外れの寡兵による包囲の成功と、帝に掛け合って捕虜にした豪族たちの罪を許してもらったその度量は群雄たちに再びその名を刻むには充分すぎるほどの衝撃だった。
更にそれに追い風となったのが、王叡が荊州牧を退き、後任に関籍その人が選ばれ、併せて孫堅討伐の功で輔国将軍に任ぜられたことである。
輔国将軍は同列(現代で言うところの中将)の数ある雑号(目的に応じて主君が適当な名前を考えてつける将軍号)将軍の中でも別格の伝統と格式のある階級であり、直属軍の指揮権とそれに付随する裁量権の一切を任せられる官職であり、これは謂わば関籍の直属軍が漢に認められ、組み込まれたことを示していた。
その飛躍的に高まった名声と、汚名を払拭するに至るには充分なものであり、荊州にはその名声を慕って多くの人傑たちが集まってきたのである。
そして、江夏で地道に内務をこなしていたものの多くがこの関籍の飛躍に乗じて飛躍した。
蒋琬が別賀従事。
費禕が治中従事。
董允が部郡国従事。
馬良が兵曹従事。
四官と謳われていた四人がそれぞれ内務・総務・監察・事務の責任者へと昇進、大規模な治水工事・交通整備などを手早く行っていく。
軍政に関しては相変わらず張遼が長官に、張任・郝昭・文聘・周倉・閻行らが監軍・護軍・司馬・東曹・西曹を務め、水軍のみが独立して都督の甘寧の元に在った。
予め決めておいたかのような采配は、新任の牧が来たら必ずと言っていいほどの確率で起こっていた政務の混乱も起こさず、極めて滑らかに関籍の荊州統治は始まったのである。
「軍師」
関籍は未だ無邪気にそう呼ぶが、郭嘉は今や従事中郎になっていた。
従事中郎を平たく言えば、参謀長であろう。
やってることとすることは軍師と呼ばれていた時期と変わらず、ただ正式な官職がついただけだったが、違うことには違っていた。
「はい」
「孫家が嫌に大人しいな」
「孫家は、独裁でした」
簡潔に、少ない言葉で要旨を述べる。
名士や豪族を尊重し、いつの間にやら下につけていた関籍とは違い、自分の一門に権力を集中させていたことを、郭嘉は独裁と称したのである。
「独裁は理性ではなく、力で成り立ちます。即ち当主が戦死しようものならば、尋常な相続などは到底覚束ないということです。
今孫策は隠忍自重を心がけ、江東で協力者を募って兵馬を養っています。いずれは動き出すでしょうが、今は無理でしょう」
「ふむ」
「と言っても……そうですね。
おそらく孫策は長くはありません。若虎のまま散るでしょう」
なんでもない事のように言い放ち、したため終えた竹簡を積む。
襄陽の城の私室に、その音だけが閑散と響いていた。
「……何故わかる?」
「孫家は血縁主義であり、血を第一とし、厚遇します。故に遺された遺児たちは関籍殿を許しはしません。
江東の地に孫家の旗を立てるべく働き、戦い、反抗的な豪族を力で抑えつけて、兵馬を鍛えて戦いに臨むでしょう」
無理矢理抑えつけたものが跳ね返るように。
人が恨みを忘れぬように。
「孫策は、道半ばで不慮の事故で死ぬでしょう」
後世、渾身に智慧を詰め込み、眼には未来を写していると謳われた軍師は、なんの感慨もなく予言した。