義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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復活

「……」

 

上体を起こし、驚く。

身体のあちこちが軋み、鉛のように重かったのだ。

 

関節も筋肉も反射神経も衰えているだろう。腰の当たりに温もりと重みを感じながら、握力を確かめるために何回か空を掴む。

 

空を掴んだ手は、驚くほどに弱かった。

 

「……鍛え直しだな」

 

腰のあたりで突っ伏して寝ている張遼を揺らさないようにゆっくりと身体を布団から出し、地に足をつける。

 

力が入らない。やはり何日か寝込んだだけでも筋肉は衰える。普段使わないだけで、これほどまでに頼り気なくなるのだ。

 

立て掛けてあった青龍偃月刀を持ち、寝間着のままで部屋を出る。

 

(山砦の内の屋敷と言ったところか)

 

内部の造りと天窓から見える景色でそう判断し、一直線に廊下を進む。

 

この屋敷には今誰もいないのか。

 

あまりの不用心さに側頭部をポリポリ書きながら、関籍はひとまず外へ出た。

 

(さて、馬はどこか)

 

そう思い、辺りを見回す。

厩舎らしきものは見当たらなかった。

 

仕方ないから徒歩で下りるか、と決めたその時。

 

左から聞き覚えのある嘶きが聞こえた。

并州で奪ってからいつも乗っていた、愛馬。その嘶きを間違えるほど、関籍はボケていなかった。

 

「馬!」

 

柱の断片に巻きつけられた手綱ごとこちらに意気揚々と突っ込んでくる馬に対し、関籍は両手を上げて待ち構える。

 

待ち構えた関籍に馬が激突し、体力の衰えていた関籍はいつぞやのように大地に倒れ込んだ。

 

「元気な奴め」

 

自分の突進で倒れ込んだ主人を心配げに見つめ、周りをグルグル回っている馬を撫でる。

 

普通の男ならば骨の一本や二本では済まないほどの大怪我になること請け負いだが、関籍は意外と耐久性の高い男なのであった。

 

「行くぞ、馬」

 

山砦の正道ではなく、誰も通らないであろう急斜面を一気に駆け下り、改めて辺りを見回す。

 

「………并州と冀州の国境付近か」

 

冀州は韓馥が治めている……はずだった。少なくとも関籍の知識からすればそうである。

 

実際のところ、韓馥は虎牢関の戦いで呂布に背骨ごと首を叩き斬られて無残な戦死を遂げたため、袁紹が実質的に自分のものにしていた。

 

更に并州もまた、袁紹のものになっている。

 

今や河北はその殆どが袁紹の手中に収められていた。

 

「……冀州の韓馥よりも、并州だな」

 

馬蹄を鳴らして并州に向かう。

 

目的は無論、御用達の服屋で例の装束を何枚か購入するためであった。

 

 

しかし。

 

「……うん?」

 

着いたのは、雁門。主の張遼が生まれた場所であり、対鮮卑戦線の要である。

 

街に入ってそうそう感じたのが、戦の匂い。

剣戟きらめく快音に、肉の裂ける何とも言えない断裂音。

 

鬨の声も聞こえるし、馬蹄も、指揮官らしき者の怒声も聞こえる。

 

「おお、辛康」

 

一里ほど馬を進ませ、馴染みの呉服屋の顔を視認した関籍は、馬上から朗らかに声をかけた。

 

辛康とは酒も酌み交わしたほどの仲であるし、顔を会わせれば現在の状況の説明くらいはしてくれるだろうと踏んだのである。

 

「げぇ、関籍様!」

 

家財を纏めて逃げようとしていた辛康が家財を地面に置き、必死の形相で地に伏せる。

 

五体投地。所謂土下座であった。

 

「一敗地にまみれ、討ち死にした無念はお察し申す。あなたさまにかけられた恩も忘れてはございませぬ。しかしながら、最早并州はおしまいでございます……どうか、どうか、逃げる我が身をお赦しくだされ」

 

「……并州がおわりだと?」

 

「あなたさまが身罷られてから鮮卑の一部が并州への侵攻計画を企てていたらしく、今始まったばかりでして……張并州牧(張遼)や張従事(張繍)、関主簿(関籍)の統率なき義従などは最早……袁紹の軍の駐屯も来月からでして、実質この并州は今や滅びの瀬戸際でございます……」

 

沈黙。

不気味なまでの沈黙。

 

恐る恐る顔を上げた辛康の目に写ったのは、憤怒。

 

凄まじいまでの憤怒に包まれた、関籍の姿であった。

 

「……辛康、服だ」

 

憤怒の表情のままに代金分渡され、辛康は訳のわからぬまま最後に仕立てた白い頭巾と装束を手渡した。

 

「辛康、この雁門は文遠殿の故郷だ」

 

「は、はい」

 

「夷狄などに奪われてたまるかッ!」

 

激した声が、周囲に響く。

 

思わずその怒声にひれ伏した辛康が再び頭を上げる頃には、関籍の姿は消えていた。

 

「……やはり、亡霊か何かか」

 

金は払うところが、如何にもらしい。

 

辛康はそう納得し、家財を家に再び運び込む。

 

「……何故か、大丈夫な気がするのぅ」

 

そう呟いた頃には、関籍は単騎で敵軍に突撃していた。

 

衰えを知らぬ唸りを纏った青龍偃月刀が一振りされるごとに人が縦に割れ、一薙ぎされるごとに数人の首が空に吹っ飛ぶ。

 

恩人・張遼関係になると呂布を凌駕する圧倒的な武を誇る男、関籍。

 

覇王にも負けぬとまで謳われた武が、瞬く間に侵攻軍の二百の命を消した。

 

「待て、偽関籍が!ここはこの壇―――」

 

「邪魔だ!」

 

一合たりともあわさずに、名乗りかけた将の身体が馬ごと縦に引き裂かれる。

 

ここでようやく、侵攻軍は理解した。

 

「か、かかか、関籍だー!」

 

「おうさ、拙者が関籍よ」

 

叫んで逃げ始めた敵は斬らず、立ち向かおうとする騎馬武者のみを叩き斬る。

 

白刃煌めくごとに、鮮卑の名の有る武人の命が消えていった。

 

「死ぬわけが……死ぬわけがなかった……あの化物が、額に矢を受けたくらいで死ぬわけがなかったんだ―――!」

 

最早五百は斬ったであろう関籍は、疲れていた。

何せ、病み上がりなのである。体調も万全でないし、負傷が治りきったわけでもなかった。

 

「聞け!死んでも貴様らが漢と文遠殿に仇なす限り蘇り、青龍偃月刀の錆びとしてくれるわ!」

 

雷鳴の如き、と称された威ある声色で叫び、血に染まった己を省みる。

 

服を買いに行ったのに、買った服を駄目にする。こんなに馬鹿なことがあろうか。

 

(いかん、また文遠殿絡みの理性消滅現象が……)

 

自戒し、退いた敵を満足げに眺めた後に振り向く。

 

何故か付いてきていた義従を後目に、関籍は悠々と并州に帰還した。

 

服を買いに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「辛康。すまんがまた服を頼む。ありったけ作ってくれると、助かる」

 

「は、はっ!」

 

「一戦の度に血に染まるのでな」

 

血塗れのまま辛康の店の外に設置された椅子に座り、その周りに何故か義従の長たちが集まる。

 

張遼絡みでキレた時や、諫言する時以外は終始無口な関籍と、その関籍の言葉を待つ義従の頭領たち。

 

「鮮卑の長、狄の長、匈奴の長に書面を送れ。今ここが落とされては并州の安全に関わる」

 

「はっ!」

 

一言の命を受け、義従の長が動き出す。

 

鮮卑・匈奴・狄連合軍総勢三十五万で侵略軍が殲滅されたのは、それから半月後のことであった。

 

異民族は、漢の戦には関わらせない。

 

なんの理由も無く、半ば本能的にそう考えていた関籍が下した、初めての大号令がそれだった。


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