義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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群雄割拠
洛陽入城


洛陽。

 

「朱里ちゃんと雛里ちゃんは、こうなるかもってわかってたの?」

 

「はい。疑念があったその上で、負けない為に連合軍に参加することを進言しました」

 

その為に『大義の前の小義』という方便も使って説き伏せ、なんとか説得して参加させたのだ。

 

「……そっか」

 

劉備は、悲しげに頷いた。

嘗ての彼女ならば気づきもしなかったし、気にもとめず、流してしまっていたのかもしれない。

だが、彼女は今中途半端に王として目覚めていた。

 

「御使い様の知識では、どうだったの?」

 

「……董卓が、暴政を行っていた」

 

怨みと疑問を込めた民の視線を受け止めながら、目を逸らさず。

 

劉備は、言った。

 

「あのね、朱里ちゃん。私、理想だけしか見ないのはやめようと思うの」

 

関籍に諭されたあの夜に言えなかったことを、今。

 

「現実をちゃんと見て、認識して、理想を実現したい。その為には何回も何かを捨てたりしなくちゃならないのかも知れない。これもそれの内の一つに過ぎないのかもしれないけど」

 

胸に手を当て、痛みを堪える。

自分が何も知らず、何も知ろうとしなかったために、犠牲になった人の無念を知ることはできない。

 

しかし、受け止めたかった。

自分の道、自分の理想の為の犠牲の、最初なのだから。

 

「ちゃんと自分で決めたいの。これは私の理想だから。私が見て、知って、決めたいの。

だから、朱里ちゃんと雛里ちゃんと御使い様は私に言って、決断をさせて。もう隠さないで」

 

―――二度と、知らずに笑顔を奪ったと言う後悔を残さないように。

 

「桃香様」

 

無言で返答を返した三人を見た後、馬上から降りた武者が劉備に声をかけた。

 

風に靡く、艶やかな黒髪。

 

「愛紗ちゃん」

 

単騎で万軍を蹴散らした男、関籍に百合にわたって食い下がるほどまでに成長した、劉備軍の主力。

 

関羽であった。

 

「私は兄の喪に服そうと思います。なので一時的に暇乞いに参りました」

 

親代わりの兄。関籍。

劉備に新たな理想への進み方を教えてくれた男でもあり、義姉妹の誓いを交わした劉備・関羽・張飛からすれば年齢的には義兄にあたる男である。

 

「兄は私を自分の時間を削り、寝食を忘れて働き、私を育ててくれました。

私は兄と信ずるものを違えましたが、未だ尊敬は変わりません」

 

袁紹軍に陣借りをしていた馬騰の遺児馬超の配下、龐徳の矢に額を射抜かれ、落馬した。

亡骸は張遼と青騎兵、何よりも直属の黒騎兵が文字通り命を捨てながら守り抜いたが、その後の消息はようとして知れない。

額に矢を受けて生きていたらそれはもう人ではないから、恐らくは死んだのだろう。

 

呂布は配下と共に落ち、華雄は洛陽で董卓を『斬って』から落ち延び、張繍と言う黒騎兵の副長は賈駆共々宛城へ落ち延び、占領。

 

董卓が率いた涼州軍閥は瓦解し、李傕・郭汜の両将軍と軍師李儒が引き継いでいた。

 

「喪に服し終えたならば、桃香様の元に帰ってまいります」

 

泣き腫らしたように真っ赤な瞼と目。

されど恨み言ひとつ述べず、関羽は孔明の方を向いた。

 

「朱里、桃香様を頼むぞ」

 

今まで努めて冷静に感情を抑えていた孔明の顔が揺らぐ。

 

関羽は、何か大切なものを失った。

 

それが傍目にもわかるほど、彼女は必死に自分を取り繕っていたからである。

 

「…………はい」

 

「兄のことは、気に病むな。お前は義には背こうとも智を―――軍師の本分を全うした。桃香様を支え、その天下を見たいと願う心が誰よりも強いお前には危ない橋を渡らせることなどできなかった。そうだろう?」

 

義よりを忠を取ったのならば、それは正しい。一貫しているという意味で、正しい。

やはり心情的には受け入れられないところもあったが、俯かせた頭を一つ撫で、関羽は何かを振り切るように馬へ跳び乗る。

 

「では、また。あなたの輝きが現実を経てなお輝き続けることを祈っています」

 

振り返り、頭を下げて去っていく。

その目から、一筋の雫が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

冥い。まず感じたのは、それだった。

行き場を失っていた意識が、定まる。冥きどこかを彷徨っていた精神が意識に合流し、心となった。

 

(文遠殿は無事だろうか)

 

意識が構成されてから一瞬もたたぬ時に、関籍は主を慮った。

 

(いや、拙者は死んだのか)

 

額に矢を受けて生きていられるなどとは思っていない、と。

ある意味得心した彼は開き直って当たりを見回した。

 

何もない。

流石に気がめげそうだった。

 

文遠殿は無事だろうか。

部下は、落ち延びられただろうか。

 

また、同じことが頭を過ぎる。

それ以外に考えること―――と言うよりは、案ずることを知らない彼らしい思考だった。

 

温度というものが、無いのか。

 

冷たくもなく、温かくもない。不思議としか言えないような、そんな感覚だった。

 

(我が義は敗れた)

 

身体も何もなく、思考だけが在る状況で関籍が始めたのは、問答。

 

何故敗れたか。袁紹の義が正しかったのだろうか。

 

(否)

 

それよりも、考えるべきことがある。

 

実体のない意識だけのはずの右側に感ぜられる温もりを無視し、関籍は再び思考の海に没頭した。

 

義を貫き、理想の義を貫くあまり、主を、配下を。

戦の渦中に叩き込んでいいのか。

考えても考えても答えは出ず、漠然とした時が過ぎ去った。

 

(真の義とは何だ)

 

世の唱える義か。

己が正しきと判断した義か。

或いは、勝者の唱える義こそが真の義か。

 

考え、考え、考え。

 

関籍は、ようやっと一つのことに疑問を抱いた。

 

(この温もりは何だ)

 

温度も音も何もなく、不純なものがなかったからこそ思考の海に没頭できたと言うのに。

 

温もりを手繰り寄せ、近づく。

 

何もなく、ただただ冥い空間に、サッと光が差し込んだ。


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