義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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義士任官

「文遠殿」

 

「ん?」

 

「これは……似合っているのでしょうか?」

 

いやに袖がひらひらする正式な朝服に腕を通し、上げる。

 

戦果報告と顔合わせのために急遽洛陽へ呼び戻された関籍は、いつになくそわそわと浮ついていた。

 

「帝と……下賤の身の上の拙者が……」

 

「それ、自分の妹にも言えるんか?」

 

「あ、いや……その、いえ……」

 

あまりにも普段と違う関籍の様子に笑いを堪えながら、張遼は背中を思いっ切り叩く。

 

いつもはしなやかな柔軟性を持っている筋肉が、完全に凝り固まっていた。

 

「帝……拝謁を辞退するわけには……」

 

「周りがみーんなあんだけの戦果を挙げたんや。董仲穎のこと、帝は気に入ってたみたいやし……なんちゅうか、そのお気に入りに味方したウチらも連鎖的にお気に召したらしいで。知らへんけど」

 

「な……帝が?拙者を?」

 

「……せやけど、何や?」

 

カツカツカツと足音を鳴らして部屋を二週し、椅子に座ってまた立ち上がる。

 

「恐れ多い……恐れ多いことだ……」

 

五年。五年間、張遼は関籍となあなあな関係で暮らしていた。

戦友以上、恋人未満な関係、とでも言うのだろう。

兎に角、曖昧な関係であった。

 

張遼からしてみれば、この五年で打ち解けたように思っていたのである。

 

それが、この表情の多彩さ。普段の謹直な表情は何だったのかと思うほどであった。

 

「文遠殿!」

 

「うぁい!?」

 

ガッシリ肩を掴まれ、抵抗できないほどの強い力で押さえつけられる。

 

無理矢理押さえつけられると言う新鮮な経験に、張遼の心は何か変なふうになった。

 

怖くもあるが、嬉しくもある、ような、そんな気分に。

 

「どうすればよいでしょうか……」

 

「あ、あぁ!そりゃふつーにやってれば大丈夫やろ!」

 

「その普通がわからないから困っているのです!」

 

唐突に肩から手が離され、すとんと尻もちをつく。

どうにもこうにも、胸が疼いて仕方がなかった。

 

「あ……ぶ、文遠殿、すみませぬ……」

 

「お、おう。気にすんなや」

 

まさか、ここまで取り乱すとは思っていなかった。

 

誰もが、この光景を見たらそう思うだろう。しかし、関籍からしてみればこれは当然だった。

 

「文遠殿、何卒拙者にお力添えを……」

 

「……しゃあないなぁ」

 

あまりにも情けない姿に苦笑しつつ、張遼は自分の胸を叩き、快く請け負う。

今までは―――特に寝起きは―――頼ってばかりだったが、彼女はもともと面倒見のいい女性なのである。

 

「ウチがビシーって決める方法教えたるわ。任しとき!」

 

「はっ!」

 

 

 

 

 

 

 

「御光謁の栄誉をいただき参上いたしました。関籍でございます」

 

「そちが関籍か。朕が第十三代皇帝の劉協じゃ」

 

少女と思われる拙い言葉と、幼い声。

それを聞いた瞬間、関籍の目から涙が零れ落ちた。

 

「泣いておるのか?」

 

目敏くそれに気づいた帝が関籍に声をかけ、声をかけられた側の関籍は恐懼のあまり平伏させた身体を更に縮ませた。

 

勤皇の志を持つ者にとって、肉声を直接聞けるだけであってもその身に余る光栄なのである。

 

関籍はその勤皇の意志を持つ者の中でも重篤な方であり、肉声を直接聞いただけで気絶してもおかしくはないほどであった。

この時関籍が気絶しなかったのは、ただひとえにそれが無礼だと知るがゆえだった。

 

「こ、これは、粗相致しました」

 

「哀しいことでもあったか?」

 

「とんでもございません。我が身は陛下と拝謁の栄誉をいただきまして、喜びにはち切れんばかりでございます」

 

「では、そなたのような豪傑でも怖いものでもあるのか?」

 

そなたのような、豪傑でも。

 

帝が自らの腕を褒めてくださったことに気づいた関籍の意識は、飛んだ。

遥か虚空へと舞い上がり、無礼だと気づいて再び戻る。最早これは、病気と言ってよかった。

 

「……いえ、陛下の為ならばこの関籍、如何なる敵も打ち払ってみせましょう」

 

答えになっていなかった。

詰まるところは馬鹿であり、緊張は張遼の『戦場だと思いながらやればええやろ』の一言で吹っ飛んだものの、頭の出来はどうしようもなかったのである。

 

「……そうか。ならば朕が呼んだならば必ず参るように」

 

「勿論でございます。この身は漢の臣、即ち陛下の盾でございます。陛下のご意思に背くことなどありえませぬ」

 

着実に困難を背負い込んでいく関籍を見て、張遼は静かにため息をついた。

帝が言ったことは、冗談ではないだろう。帝もいまどき珍しいほどに漢に対して忠実な関籍に対して好感を抱いたことは間違いがない。

 

「うむ。それにしても―――」

 

「はっ」

 

「見事な髯じゃの。そなたは美髯公とでも名乗るがよい」

 

側に居るのは基本的には女官と宦官。禁軍の武官も例に漏れず女。

髯は基本的に縁遠い物であった帝にとって、関籍の綺麗な髯は衝撃だった。

 

「光栄の、極みで、ございます―――」

 

帝が無邪気に感嘆している時。

関籍の意識はまたもや虚空に浮かんでいたことは、張遼しか知らない。

 

 

186年。

張遼、奮武将軍に任命される。

関籍、偏将軍に任命される。

 


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