義の刃足る己が身を   作:黒頭巾

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黄巾の乱


外が、騒がしかった。

 

いつもならば皆が寝静まり、明日に向かって身体を労る時分である。

 

「あにうえ、なにかあったのでしょうか」

 

親は居なかった。歳の離れた、兄だけが自分の家族だった。

 

「羽」

 

質問には答えず、兄は静かに己の名を呼ぶ。

 

寡黙とまではいかずとも、普段からあまり多弁ではない兄。

それが、いつにもまして言葉少なだった。

 

「はい」

 

物静かでありながら、兄は時々激情を迸らせることがある。

今も表には出さないながら、確かにその心には怒りがあった。

 

「寝台の底に隠れておれ」

 

「なぜですか、あにうえ?」

 

月明かりを頼りに黙々と書物を読んでいた兄が立ち上がり、扉へと手をかける。

 

外の喧噪は、収まらない。どころか、更に激しさを増しているように見えた。

 

「酷吏によって居場所を奪われた者が、村に来たのだ」

 

「……こくりとは、なんですか?」

 

「税を不当に増やす役人のことだ」

 

幼い羽は、必死に頭を働かせる。

悪い役人によって、居場所を奪われた人たちが、ここに来ていることと、兄が外に向かうことの何の関係があるのか。

 

「羽よ」

 

「はい」

 

呼ばれた名に対し、言葉を返す。

まだ意味はよくわからなかった。

 

「身を縮め、隠れておれよ」

 

雄偉な兄の身体が家の梁を付かんばかりに伸びきり、止まる。

 

普段は腰を屈めてそろそろと歩く兄であるが故に、何か途轍もない違和感があった。

 

「あにうえは、なにをしにいくのですか?」

 

困ったように笑い、兄の大きな手が頭にのる。

温かい手だった。

自分を育み、守ってくれた、そんな手。

 

「村の者を守りに行くのだ」

 

柔らかな髪を優しくかき分け、手が離れる。

目を細め、猫のように撫でられていた羽の目が兄の言葉を聞いた途端に心配の念に染まった。

 

「心配するな」

 

扉が開かれ、やはり屈むようにして兄が出て行く。

 

その大きな背中を見送り、呟いた。

 

「あにうえ……」

 

扉の外は、明るすぎた。

視界の先の家が燃え、変な臭いが鼻を突く。

 

「……しんだいの、うら」

 

扉を閉め、寝台の裏へ隠れる。

怖い。未体験の臭いと光景を見てしまった幼い羽は、訳の分からない恐怖に苛まれていた。

 

「……あにうえ」

 

兄が居なくなるなどとは、毛ほども考えたことのない彼女にとって、自分がなにを祈ったのかすらわからない。

 

しかし、確かに何かを祈った。

わからない、何かを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家が、燃えていた。

人が、倒れていた。

血の臭いが、鼻についた。

 

「やはり賊、か」

 

物音した方向に足を運び、無礼と知りつつ扉を開ける。

 

彼には、武器がない。心得はあるが、村での共有品を使ったことくらいなものであり、お世辞にも強いとはいえなかった。

 

故に、武器が必要だった。

「おい」

 

扉を開けられたことにも気づかず、女を犯し続ける賊。

 

「なん―――」

 

ぐしゃり、と。

不気味な音がし、賊の男の頸骨が顔ごと潰されるように叩き折られた。

 

彼には、武器がない。それは確かだった。

しかし、彼は並外れた体躯を誇っていたのである。

 

体躯に見合う怪力が炸裂し、賊の男は絶命した。

 

「すまぬ」

 

既に殺されていた者を、犯している。

その事実に怒りが燃え、間に合わなかったことに対する罪悪感が思わず女に声をかけさせた。

 

当然、返ってくる声などはない。彼女の家族らしきは三人は、既に殺されていたのだから。

 

地面に転がった剣を拾い、腰に佩く。

 

「む」

 

外に出た瞬間、剣閃の煌めきが彼へと牙を剥いた。

 

その巨躯を思いの外俊敏に動かし、剣閃を避ける。

 

彼の目の前には、数人の男。

 

仲間の仇打ちに来たのか、或いは単純に自分を殺しに来たのか。

彼にとっては、どちらでもよかった。

 

腰に佩いた剣を引き抜き、真っ正面にいた一人目を唐竹割りに切り下ろす。

 

「てめぇ!」

 

横から迫るもう一人の胸部を横に両断すべく唸りをあげた剣が、半ばで折れた。

 

肺腑を斬られ、背骨までもを削られた二人目がどう、と地に倒れ伏す。

 

「う、うぉぉぉ!!」

 

己を奮い立たせるように、細い男が剣を突き出す。

 

刀剣を扱う以上最速の技である、突き。

それを繰り出された彼は、半身になってこれを避けた。

 

突きは、外した場合は隙が大きい。

 

ボキリと嫌な音が鳴り、細い男の腕があらぬ方向へと折れ曲がった。

 

「ギ、ギャァァァァア!?」

 

手を握り潰されるように折られたのが堪えたのか、たまらず男は剣を離す。

そのあまりの苦痛の悲鳴に、もう一人は竦みながら彼を見ていた。

 

ゆっくりと腰を屈め、細い男が落とした剣を手に取る。

 

掴んだままに股から肩までを切り落とし、残った男に向き直った。

 

「ひ、ひいぃぃぃい!?」

 

化け物。残された賊の男が、感じたのは得体の知れぬ化け物に対する恐怖であった。

 

無惨な死を迎えた仲間の屍から一歩、二歩と後ろへ下がる。

 

最早抵抗する気力さえなく、その股間からは恐怖のあまり小便が漏れていた。

 

「ば、化け物……」

 

その言葉を最後に、賊の男の命は天へ昇る。

最初の男同様唐竹割りに切り落とされ、彼は身体を地に横たえた。

 

「何人居るのかは知らんが、この分では問題はなさそうだ」

 

刃こぼれした剣を持ち、膂力に任せて賊を斬り、次々と剣を破壊にしていくこの男。

 

姓は関。名は籍。字は無し。

 

軍神関羽の兄であり、史書にその名を刻まれることになる男であった。


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