すずかお嬢様の下半身事情   作:酒呑

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すずかお嬢様の下半身事情 おわり

「うん、それじゃあ、また明日。おやすみ――君」

 

 直に今日と明日との境界線を跨ぎ、世界が新たな朝へと向かい始める様な夜半の時間の中私は日課となった彼との電話(直接会えないのは残念だけど話せないのはもっと嫌だ)をなんとか終えてベッドに背中から倒れ込む。

 ぽふりと柔らかく身体を受け止めてくれた寝具達に埋もれながら手を空中へと伸ばし、先程まで彼と私を繋げてくれていた携帯電話を天井のライトに翳す。逆光になった状態で先程の通話履歴が表示されている画面をぼんやりと眺めた。

 

 そこに表示されている文字は『未来の旦那様』。彼にも(というか誰にも)見せられないけれど、溢れんばかりの私の恋心と乙女力が暴走した結果の登録名だった。

 登録した当時の事を思い返すと自分でも軽く引いてしまう程にやけていた事と、その後冷静になって電話帳を眺めた時に照れと羞恥とほんのちょっとだけ(本当にちょっとだけだ、今現在も旦那様と登録してある事から察して欲しい)の後悔に襲われて自室に置いてある巨大な猫人形に抱きしめて顔を埋め、マットレスの上でじたばたと足を振りながら暫く悶絶していた事を思い出す。これが俗に言う黒歴史という奴だろうか。そんな事はどうでもいいか。

 

 最新の通話履歴に記録されている通話時間は一時間と少し。私も彼も、通話を終わらせようとする度に名残惜しさを感じてしまい、お互いに通話を切る事が出来ずに話を延ばし続けている内にこんなにも長い間電話をしてしまった。

 最終的に長電話になる事は特に珍しい事では無かった。もう何年も続いている事で、こうして夜に電話する様になってから比較的早い段階でそうなっていたし、私も彼の声が聴けて嬉しいから全く問題はない。

 お肌の大敵である睡眠時間はその他のケアでしっかりカバーしているから大丈夫だ。多分。きっと。恐らく。メイビー。

 

 ライトに翳していた腕を下げ、携帯電話を枕元に置いて軽く目を閉じる。若干の微睡みが緩やかに襲い来る中、脳裏に浮かんできたのは彼との関係が変わったあの日の事だった。

 

 私から一歩踏み込んで今までの関係を終わらせたあの日。雨の降る中、同じ傘の下で顔を真っ赤に染めた私と彼は、気恥ずかしさから何も話す事が出来ずにただゆっくりと(しかし私が抱き着いた腕は離さないまま)翠屋へ歩いて行った。翠屋に着いてからも恥ずかしさでまともに顔を合わせられない様な状態だったが、なんとか彼と電話番号とメールアドレスを交換して別れた。最後の最後までお互いに顔が真っ赤だったと思う。

 

 彼が傘を広げて、心底嬉しそうな顔を浮かべながらもどこか焦った様な早歩きで去って行く。そんな彼の後姿を見えなくなるまで見つめていると、不意にカウンターの奥から士郎さんがいつもの人好きのする笑顔を浮かべながら声をかけて来た。

 

 おめでとう、でいいのかい? そう言いながら士郎さんは店内のショーケースから二つシュークリームを取り出し、今時珍しいレバーピストン型の完全手動式エスプレッソマシンを用いて抽出していたエスプレッソを小さな二つの珈琲カップに注いだ。カウンター内からでも私まで届く、通常のドリップ珈琲よりも遥かに豊かな香りを放つそれらとシュークリームをトレイに乗せて士郎さんはカウンター内から出る。エプロンを外し、軽く畳んでレジの近くへと置くと私の方へと歩いて来て私の左隣(此処で自然に右隣に座らない士郎さんは格好いい人だと思う。彼の方が格好いいと思うけど)の席に座る。士郎さんは自分で淹れた珈琲の香りを一度確かめて一つ頷くと、珈琲を一口飲んでゆっくりと味を確認してまた一つ頷く。どうやら納得の行く味だった様だ。

 

 士郎さんは常連さんへのサービスさ、と短く言って私の方へと珈琲とシュークリームを差し出す。先の質問に答える意味でも、そんなところですと嬉しさと恥ずかしさを堪えながら小声で答え、それを隠す為に続けざまにありがとうございますと言いながらそれらを受け取り、顔を逸らす。

 そんな私の様子を見てなのか、それとも先程の答えがしっかりと聞こえたのか、それともその両方か(絶対最後だろうなとは思うけれど)、士郎さんが楽しげに笑う声が聞こえた。少しだけ士郎さんの事を恨めしく思った。

 からかわれた事に対して小さく溜息を吐き、私は珈琲カップに手を伸ばす。普段はあまり飲まない珈琲だが、冷ましてしまうのも忍びない。美味しい内に頂いた方が吉だろう。

 エスプレッソ珈琲を少しだけ口に含み、口内に訪れる強烈な苦味と旨味、鼻に抜ける濃厚な香りを味わう。こくり、と飲みこむと実に心地良い余韻が長く残り、士郎さんのマスターとしての技術を垣間見る事が出来た。とても、美味しい珈琲だった。

 ほっと一息つくと、先程まで熱くて熱くて堪らなかった顔から熱が引いていくのが分かった。そうして、落ち着いた状態で私はデザートの甘さを堪能しようと片手でシュークリームを持って口元へ運び――

 

「ところで、結婚は何時するんだい?」

「ふぇあっ!?」

 

 ――想定外の質問に驚いてシュークリームを握りつぶしてしまい、顔がクリームまみれになった。

 

 

 

―――――――――――――――

 すずかお嬢様の下半身事情

―――――――――――――――

 

 

 

 夢の中で自分の顔面がクリームにまみれた所で目が覚めた。

 上半身を起こし、あくびを漏らしながら軽く伸びをする。眠っている間に凝り固まった身体の節々が解れていくこの行動は、毎朝やっている事だが中々に気持ち良くて好きなのだ。

 寝起きのぼんやりとした頭で顔をぺたぺたと触りつつ、姿見に視線を巡らせて自分の顔の状態を確認する。そこにはネグリジェ姿で寝惚け眼を浮かべながら間抜けそうに自分で自分の頬をむにゅむにゅと触っている私が映っているだけだった。クリームにまみれてしまった顔面は夢の中だけだった様で一安心である。

 

 着替えを済ませ、自室に備えられたバルコニーに出る。思いの外起きるのが早かった様で、外はまだ薄暗い水色の空と赤色の陽光が射している。近隣と比べて活気のある海鳴市も、流石の朝5時では眠りに就いているかの様に静まり返っていた。

 六月朝方の冷たく、それでいて澄んだ空気(もしかしたら空気が澄んでいるのは家の庭の森林の影響かもしれないが)を深く吸い込み、雲間から柔らかく差し込む赤色の日差しを身に浴びて目を覚ます。朝の空気の涼しさと日差しの暖かさが合わさり最強に見える。良い朝だなぁ。

 

 暫くの間バルコニーで景色を眺めていると、程好く冷たく心地の良い風が緩やかに吹きこみ、私のスカートの裾をふわりと捲り上げた。野性味溢れるグリズリーが金糸で刺繍された私のパンツが(こんな物をドイツから送って来たお姉ちゃんの気が知れない)全開になった気がするが、まぁこんな時間に、それも月村家を覗いている人などいないだろう。大丈夫、くまさんじゃないから恥ずかしくないもん。グリズリーだもん。

 さてさて、パンツなどどうでも良い。

 こんなにも良い朝なのだ。ふと、偶にはアーリー・モーニングティーも良いなと思い立った私は上着のポケットから無駄に凝った意匠が施されている鈴を取り出して二度程ちりんちりんと振り鳴らし、従者が私の下へ訪れるのを待つのであった。

 

 □ □ □ □

 

 ファリンが用意した簡素な木製のテーブルと椅子に座り、それなりに上等なルフナ茶葉で淹れられた紅茶に多めのミルクを注ぎ込んで静かに一混ぜする。ミルクを均一に馴染ませ、出来上がったルフナのミルクティーが入れられているティーカップを傾けながら考えていたのは、今日見た夢の事だった。

 

 随分と懐かしく、それでいて私と彼の関係が変わる事になった『あの日』の夢。

 どうしてこうも唐突に夢に見たのか、それが気になった。

 なんでだろうなぁ、と思い昨日の夜に彼と話した会話の内容を思い返してみたり、最近友達に聞かれた事はあったかな、と携帯を開きメールを眺めてみるも、特にあの日の事を思い出す様な話題は何もなかった。敢えて言うならアリサちゃんが私の性生活に関して聞いて来ているメールが唯一掠っている気がしないでもないという程度だ。というか、アリサちゃんは人の下半身事情に突っ込んで来過ぎだと思う。

 メールにはなんて返信したかな、と思い送信済みメールを確認すると昨日の私は『アリサちゃんはまだ処女なの?』という内容のメールを送っていた。流石は親友と言う事なのだろう、実にどっちもどっちである。ちなみに返信は無かった。怒ってるか呆れてるかしてる気がする。コワイ!

 

 過去のメールを調べる事をやめ、メール画面からホーム画面へと戻す。

 画面は一秒にも満たない時間で切り替わり、私の自慢のホーム画面を表示していた。そのホーム画面(正確には背景に設定してある写真をだが)を見て、少し気分が良くなった。

 ホーム画面の背景に設定している画像は、数年前の春に撮影した写真だ。満開の桜の木の下で満面の笑みを浮かべながら彼に抱き着いている私と、耳まで赤く染めながらも嬉しそうな顔で微笑みながら私を抱き止めてくれている彼のツーショット。眺めているだけで幸せになってくるが、それと同時に過去の自分に嫉妬する。とりあえず、今日彼に会ったら抱き着こうと思う。

 そういえば、この写真を撮ってくれと頼んだアリサちゃん(当時独り身)が般若の様な顔で私達を撮影していた事を憶えている。あの時から今現在に至るまでにアリサちゃんに彼氏が出来た気配を感じた事がないが本格的に大丈夫なのだろうか。年齢と彼氏いない歴が同じなのだろうか。メールに返事が無かったけれど、やはり処女なのだろうか。

 

 そんなとりとめのない思考を巡らせながら、残り僅かとなったミルクティーを煽り中身を空ける。思考が本筋から外れているなぁとも思ったけれど、まぁ一人でのんびりとモーニングティーを楽しんでいればこんなものだろう。

 今まで手を付けていなかったワッフルを食べようと思い、持っていた携帯をテーブルの上に置いてナイフとフォークを手に取る。ワッフルにメープルシロップを少しだけかけて一口サイズに切り、シロップが垂れない様に気を付けながら口元へ運ぶ。優しい甘さが口内へと広がるが、ワッフルが容赦なく口から水分を奪っていく為ちゃんとミルクティーと共に楽しむべきだったと少し後悔した。

 

 そんな具合でしばしの間喉のパサつきと戦いながらワッフルを食べていると、ふと携帯が震えた。バイブレーションの回数からメールなのだが、こんな時間に一体誰からだろうと思いつつ携帯電話を手に取り、電源ボタンを押して画面を点ける。その際に、携帯電話のロック画面に表示されているカレンダーが目に入った。

 

 その時、月村すずか(わたし)に電流走る……ッ!

 そうか、そうか。これなら確かにふと夢にも見るだろう。

 事前の準備を何の問題も無くスムーズに進めていたからすっかり忘れていた。

 

 

 

「来週の私の結婚式……『あの日』だ」

 

 □ □ □ □

 

 アーリー・モーニングティーを楽しんだ日から何事も無く一週間が過ぎ、体調を崩す事も怪我をする事もなく結婚式の当日を迎えた。

 私と彼の……旦那様のご家族と親友を数人ずつと、仲人をしてくれた士郎さんたち高町家の方とを集めた規模の小さい結婚式だったからか、終始和やかに(両家の父親と士郎さんのおじ様三人やなのはちゃん等の小数は感極まって号泣していたが)式は進行し、今はスケジュールを順調に消化して披露宴へと入っている。

 

 参加者の方々がおじ様達のバンドである『Nice Middle's』が号泣しながら歌を披露する余興を楽しんでいる中、私は自分の左手の薬指に嵌められたエンゲージリングを見つめながら感慨に浸っていた。

 

 小学三年生の頃に知り合って、長い時間をかけて少しずつ少しずつ仲を深めて行って中学三年生の時に彼氏彼女の関係になり。高校生活はお互いが大人へと成長する過程の姿に目を取られながらも、あらゆる意味で忙しくなったせいで中々会えなくなった日々に若干の文句を漏らしつつ日々を送り。大学生活は彼が内緒で聖祥大の試験を突破して入学して来てくれた為に四年間二人で幸せな日々を送った。ちなみにアリサちゃんは大学生活の四年間独り身だった。

 

 そして今日。

 正式に結婚式を迎え、契りを交わし、私と彼は夫婦となった。

 

 出会ってから十年を超える時間は長かった様で、それでいて短かった様で。

 

 『これから』はその何倍にもなる時間を今まで以上に近くで、彼の伴侶として送るという事に、内心でほんの僅かな不安を抱いた。

 

 彼と幸せな家庭を築いて行けるのだろうか。

 彼との間に子を授かることが出来るのだろうか。

 彼と喧嘩してしまい嫌いになってしまうことがあるのではないだろうか。

 

 そんな漠然とした不安に駆られ、エンゲージリングから目を逸らしてしまう。左手も、いつの間にか机の下へ隠す様に降ろしていた。

 

 ダメだなぁ、私。

 折角のハレの日なのに、きっと不安そうな表情をしてる。とにかく、顔を上げよう。笑って、幸せそうにしていよう。そうしなきゃ、参加してくれた皆さんに申し訳がない。

 

 大丈夫、今はきっと、自分の結婚式の影響でセンチメンタルになっているだけだ。過ぎた幸せを得ると失った時の事を考えてしまう、幸せ恐怖症の様な物だろう。時間が解決してくれる筈だ。そう思い、顔を上げて笑顔を浮かべようとした時だった。

 不意に、私の左手が暖かい何かに包まれた。

 

 ――彼が無言で私の左手に自分の手を重ねていたのだ。

 

 ……ずるいと、思う。本当に、ずるい。

 こんな不安になっている時に、何も言わないで私の手を包んでくれるなんて。

 そんなことされたら、ときめきを隠す事が出来るわけないじゃないか。

 

 早鐘を打つ鼓動と、急速に高まる頬の熱を感じながら、ゆっくりと彼の方を見る。

 彼は既に私のことだけを見つめていたらしく、自然に目と目が合った。

 

 一秒、二秒と視線を合わせたまま沈黙が流れる。この僅かな時間が、私にはとても長い時間に感じた。そのまま見つめ合っていたが、ときめいたことで生まれた羞恥心と、先程まで考えていた短時間とは言え彼を信じれなかった自分への嫌悪感に苛まれ、つい顔を逸らしてしまった。

 

 もう少しだけ、待ってほしい。そうしたら、いつもの私に戻れるから。そうしたら……。

 と、心の内で自分を責めていると彼の左手が伸びて来て、私の顎先にそっと触れた。

 一体、何を――

 

「――ッ!?」

 

 逸らしていた顔の向きを強引に変えられ、熱く、そして柔らかい彼の唇の感触が私の唇を襲った。そのキスは、普段の彼からは考えられない程に強引で激しいキスだったが、それと同時に強い誠実さや安心感を与えてくれる優しい口付けだった。

 

 数秒間か、はたまた十数秒か。彼の方から唇を離すと、彼は未だに号泣しながら演奏を続けているナイスミドル達のステージの方へと向き直った。

 羞恥と困惑とが綯交ぜになった気持ちを抱え、恐らく真っ赤に染まっているであろう顔をなんとか誤魔化そうとしながら私もステージの方へ顔を向ける。幸いなことに、無駄にハイレベルなおじ様たちの余興に参加者たちは気を取られていたらしく、私達のキスを見ていた人はいない様だった。

 

 誰にも見られていなかったことに胸をなで下ろした所で、彼がステージの方を向いたまま口を開く。

 

 

 

「そんなに不安そうな表情を浮かべなくても大丈夫ですよ。貴女は、私が必ず幸せにしますから」

 

 

 

 彼の強い意志が込められた、あまりにも真っ直ぐなその言葉を聞き届けた私は自分でも分からない内に涙を一筋零しながら笑っていた。

 

 幸せだ。

 彼と出会えたことが私の人生において最も幸せなことだ。自信を持って言える。誰にも否定はさせない。

 私は、月村すずかは。彼と出会えて、彼と恋人になれて、彼と結婚出来て、これ以上に無い程に、幸せだ。

 

 涙に気付いたのか、彼が先程の顔よりもずっと綺麗になりましたね、と言いながら指先で私の目元を拭ってくれる。その声音も、その動作も、何もかもが素敵で、私の心はまたしても激しく揺さぶられた。

 

 全く、さっきから彼にしてやられてばかりだ。そろそろ一つくらい意趣返しをしても良いだろう。

 そうだ、こういう考え方がいつもの私だ。調子が戻ってきた。うんうん、と内心で納得しながら意趣返しのタイミングを図る。私の目元を拭き終えた彼がステージへと向き直るくらいのタイミングで丁度良いだろう。

 

 私の両目の目元を拭い、彼は再びステージの方へと向き直る。ステージの上ではどうやらクライマックスが近い様で士郎さんがマイクを握っていたが、私にとってのクライマックスはこの直後だ。気にしている暇はない。

 

 とんとん、と私は彼の肩をつつき――

 

 

 

「大好きだよ、――君」

 

 

 

 ――振り向く彼の顔を両手で抑え、無理矢理に彼の唇を奪った。

 

 キスを続けながら彼の表情を窺うと、驚愕の表情を浮かべながら顔を真っ赤にしている私の最愛の旦那様の姿があり、それを見た私は意趣返しの成功を確信するのであった。

 

 

 

 □ □ □ □ 

 

 式も終盤に差し掛かり、彼が両親と話をしてくると言って離れたあと、私も親友の皆と話をしようと思い式場を移動する。両家の仲も非常に良く、その上で双方の身内しかいないという、そこまでマナーを求められる空気の結婚式ではない事が作用して問題なく動く事が出来るのだ。

 さてさて、まずはアリサちゃんかなぁなんて思いながら彼女の姿を探しつつ歩いていると、少し離れた所からなのはちゃんが声をかけながら走って来た。

 

「すずがぢゃぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん!」

「ぐげふっ」

 

 前言撤回である。なのはちゃんが号泣しながら跳んで来た。鳩尾になのはちゃんの頭がクリティカルヒットである。急所に当たったが効果は抜群ではなかった。

 何時かの日が再来する予感が一瞬脳裏を掠めたが、若干込み上げてきた吐き気を気合と意地と乙女パワーで御し切って抑え込んだ。突っ込んできたのがアリサちゃんだったら抑えなかったかもしれない。

 なのはちゃんは本当に昔と比べてパワフルになったと思う。魔法関係とは言え軍隊の様な物に所属してるから当然と言えば当然なのだろうが。

 

 オフトレ(なのはちゃんの身内でやるフィジカルトレーニング会らしい)でこんなの取れたよ! はやてちゃんが料理してくれるって! という短い本文とそれにふんだんに使われたかわいい絵文字と共に魔法世界の熊と思われる生物を殴殺して返り血を顔に浴びながら満面の笑顔を浮かべている写真が添付されたメールが届いた時(去年の出来事だ)は目を疑ったものだ。

 

 日頃メールしていても激務と分かる様な労働の中こうして目の下に隈を作りながらも式に来てくれた私の親友を(パワーアップしていると分かっていても)どうして避けることが出来ようか。

 ……と思ってなのはちゃんを抱き止めたのだが今は比較的後悔している。そのまま巴投げで投げ捨てれば良かったかなぁ。

 などと鳩尾の辺りをさすりながら思っていると、多少落ち着いたのかなのはちゃんが改めて私の方を向いて話をしてきた。

 

「すずかちゃん結婚おめでとう!」

「ありがと、なのはちゃん。メールじゃ結構忙しそうだったけど、お仕事は大丈夫だったの? ヴィヴィオちゃんも大丈夫?」

「ぎりぎりまで渋ってたけど有給くれなきゃ管理局辞めますって辞表出しながら言ったら割とすぐお休みくれたよ。ヴィヴィオも来たがってたみたいだけど、わたしに気を使ってスバルのお家に泊まりに行っちゃったから全然大丈夫」

「そっか。じゃあ改めて……忙しい中私の結婚式に来てくれてありがとね、なのはちゃん」

「ううん。わたしの親友の結婚式だもん、何があっても絶対に参加するつもりだったよ。大規模なテロがあってもこっちを優先するかな」

「うん、流石にそれはどうかと思うよ」

 

 私のツッコミに対してにゃはは、と昔と変わらない笑い方で笑顔を浮かべるなのはちゃんを見て安心する。大分逞しくなって、大勢の人から畏怖される様になっていたみたいだが、根本的な所が変わっていない様で良かった。

 

「あー! すずかおば様こんな所にいたー!」

 

 相変わらずくるくると表情を変えるなのはちゃんと雑談をしていると、離れた所にいる小さな影が声を上げながら全力で(文字通りの全力で)走って来た。

 周囲の音を置き去りにする程の速度で走ってくるその小さな影の正体は、私の姉夫婦の子供である。私の姉である月村忍と、今会話していたなのはちゃんの兄であり私の義兄でもある旧姓高町、現月村恭也の間に授かった色んな意味で人類としてヤバい強さを持つハイブリッドお子様。恭也さんから受け継いだ黒髪を一つに括って後ろに流しているこの子は、月村雫と言う。

 

 なのはちゃんが雫ちゃんの反応速度に反応出来ていないことを横目で確認すると、巻き込んでも仕方が無いので私はなのはちゃんの前に移動して右手を構え、タイミングを合わせて雫ちゃんの頭をがっちりと掴む。身長差で空中にぷらりぷらりと持ち上げられている雫ちゃんの姿は結婚式場では非常にシュールな物に感じられた。

 

「あうち」

「雫ちゃん、神速で他人に突っ込んだら危ないって前にも言ったよね?」

 

 恭也さんから仕込まれたのであろう神速を駆使しながら跳び込んできた雫ちゃんの頭をがっしりと右手で掴んだまま、そのまま元々居た方向へと投げ返した。義兄さんならちゃんとキャッチしてくれるだろう、という信頼の下の行動である。別におばさんって言われたから怒ってるわけではないのだ。そう、私は義兄さんを信頼しているだけである。

 

「きゃー!? おば様の馬鹿ー!」

「……何をやっているんだ、雫」

「あっ、おとーさんナイスキャッチ! おば様の所に投げ返して!」

「ん? まぁ、あまり騒ぐなよ……そらっ」

 

 それでいいんですか義兄さん。そんな軽い感じで自分の娘をぶん投げて大丈夫なんですか。なんでジャイロ回転してるんですか。それはダメですってちょっと。

 背後にはなのはちゃんがまだいるし、人間砲弾の雫ちゃんは多分片手では(指輪のある左手は使いたくないのだ)抑えられないし、諦めるしかないらしい。

 

「おっふぅ」

「わーい! おば様捕まえたー!」

 

 そして本日二度目のロケット頭突きである。鳩尾へまたクリティカルヒットした。高町の一族は私に恨みでもあるのだろうか。

 強くなってきた吐き気を再び意地と気合と乙女パワーで捻じ伏せながら、私の背中へと手を回してしっかりくっ付いている雫ちゃんを引っぺがす。ぶーぶーと実際に口に出しながら抵抗していたが、問答無用で引き離した。

 

「すずかちゃん大丈夫? ごめんね、お兄ちゃん雫ちゃんには甘々だから……」

「雫ちゃんは軽い方だからまだ大丈夫。うん。まだ慌てる様な吐き気じゃない……」

「それ大分やばそうだけど本当に大丈夫なの!?」

 

 大丈夫と言ったら大丈夫なのだ。なのはちゃんは心配性だなぁ。

 そんなやり取りをしていると、ドレスをくいくいと引っ張られる感覚が訪れた。雫ちゃんが引っ張っているのだろう。雫ちゃんと顔の高さを合わせる為にしゃがみ込むと、元気よく雫ちゃんは私を祝福する言葉を言った。

 

「すずかおば様結婚おめでとー!」

 

 姉の面影を感じる花の様な笑顔を見せながら言う雫ちゃん。頭を撫でながらありがとう、と伝えるとえへへーと笑いながら恭也さんの下へと戻って行った。そのとてつもないかわいさに、私も娘が欲しいなと思うのであった。

 

 その後、アリサちゃんを探して式場を歩いている間にファリンとはやてちゃんからも鳩尾へのロケット頭突きを喰らった。皆感極まっていたり祝福してくれているのは分かるのだが、何かこう、恨みでもあるんだろうかと勘繰ってしまう程頭突きを喰らう。これと言って何かをした覚えはないんだけどなぁ。お蔭で私の吐き気はそろそろ限界を迎えそうである。アリサちゃんは何もないと信じたい。

 フェイトちゃんに関しては私に抱き着こうとした所までは良かったが手付きがいやらしかったり露骨に私の胸元を見ていたリしたので周りの皆みたいに跳びついて来た時に交差法で撃墜しておいた。割とヤバそうな音でけぱっとか口から漏れてたけど多分大丈夫。

 

 □ □ □ □ 

 

 式場の中を探し回ったが、アリサちゃんの姿は見えなかった。途中まではいたから、どこかにいる筈なんだけどなぁ。

 もしかしたら外にいるのかもしれない。そう思った私は会場の人と彼に伝え、少し外の空気を吸いたいと言う理由で外へ出る。

 

 

 

 案の定、そこにアリサちゃんはいた。

 会場の入り口のすぐ横で、ただぼうっと空を見上げて立ち竦んでいる。

 何も言わずにアリサちゃんの横に並び、私も空を見上げた。綺麗な青空だった。

 

「――結婚、おめでと」

 

 その声は、少し震えていた。アリサちゃんにも何か感じる物があるのだろう。

 

「うん。ありがとう、アリサちゃん」

 

 私はお礼以外には何も言わずに、端的にそう言って言葉を切る。

 何かを言うのは、野暮だと感じたからだ。

 

 さわさわと柔らかな風が吹く音だけが流れたまま、何分か過ぎた。アリサちゃんは何かに決着をつけたかの様に深く息を吐くと、空を見上げたまま口を開く。

 

「アンタってさぁ……。ほんっとに、無駄に良い女よね」

「無駄にって……酷いなぁ、もう」

 

 今だって何にも言わないで傍にいてくれたし、流石あたしの一番の親友ね、と続けながらアリサちゃんは踵を返して入口の方へと歩いて行く。

 私に背中を向けたまま何歩か進んだアリサちゃんは、一度立ち止まると先程とは全く別物の凛とした声で振り向くこと無く私に告げた。

 

「幸せに、なりなさいよ」

「……うん」

 

 □ □ □ □

 

「あ、それはそれとして」

 

 空を見上げながら親友にかけられた言葉のことを考えていると、あろうことか格好良く立ち去って行ったと思われたアリサちゃんが戻ってきた。

 どうしたんだろう。普段の彼女なら絶対にこんな無粋なことはしない筈なんだけどなぁ、とアリサちゃんの不自然な行動に首を傾げながら振り向くと、そこには先程までの何かを思い詰めていた様な表情とは打って変わって何時ものお怒り気味の表情を浮かべたアリサちゃんが立っていた。一体何を怒っているんだろうか。と言うかこの流れで何か怒らせる事をしたのだろうか。

 

 何かにお怒りのアリサちゃんはそっと私の両肩をホールドする。何かこう、非常に既視感のある光景だった。具体的には中学三年生のとある夏の日の昼下がりの時に見た様な光景だった。

 と、過去を思い出している内に私はアリサちゃんに前後に揺すられ始めた。うん、やっぱりか。それにしても激しい揺すり方だ。さっきまで減少傾向になっていた私の吐き気がハッスルしながら上がってくるのを感じる。

 

「どーせアンタと違って私はまだ処女よ! 悪かったわね!! 彼氏いない歴と年齢が等しい二十二歳の喪女で悪かったわね!! リアルツンデレはちょっととか言われて敬遠されるわよ!! 性分なんだから仕方ないじゃない!! いっそ殺しなさいよ!! ぶっ飛ばすわよアンタ!!!」

「ア、リサ、ちゃん、ちょ、っと、待って、欲し、いんだけ、ど」

「大体何よ! アンタ分かっててメール送って来てるでしょ!! 私が男日照りで彼氏いないって分かってるでしょ!! 大学時代に散々いちゃこら見せつけて来た恨みはまだ忘れてないわよ!! どうせ今日もこの後初夜だからって言いながら朝までウェディングドレスで旦那と子作りセックスするんでしょ!! エロ同人みたいに!! エロ同人みたいに!!!」

 

 ふむ、どうやら十年という歳月は当時少女だった私達を立派な成人へと成長させた様だ。泣きながらキレるアリサちゃんの力と速さはあの夏の日よりも強くなっており、前後に揺さぶる激しさが増している。

 というか、うん。この前のメールはやはり地雷だったらしい。何となく分かってはいたけど。それとなく分かってはいたけど。その地雷を敢えて踏み抜いた先週の私は一体何を考えていたのだろうか。いや、多分何も考えてなかったんだろうな。

 しかし何故アリサちゃんみたいな綺麗な容姿で彼氏が出来ないんだろう。あまりに美人だから周囲が手を出しあぐねているのだろうか。高嶺の花という奴だろうか。リアルツンデレと言う事を除いても心根だって面倒見が良くて何だかんだで優しいしで超優良物件だと思うのだけどなぁ。

 

「さっさと幸せな家庭を築いて爆発しなさ――」

 

 とりあえず、今まさに全力で私を揺さぶっているアリサちゃんの腰と背中に手を回して彼女を抱き寄せる。

 この光景を見ている人は周囲にはいないが、会場内の誰かが見ていたら親友同士が抱き合っている美しい光景に見えた筈だ。情熱的な赤いドレスに身を包んだ美女とウェディングドレスを着た女性が親友同士で抱きあっているのだ。アリサちゃんが泣いているから余計にそう見えると思う。実に感動的なシーンだ。サービスカットである。なんなら写真に収めても良い。

 

「――え? ちょ、ちょっと待ちなさい、アンタもしかして……」

 

 

 

 さて、何故こんなに冷静に考えているかと言うと。

 体の奥底から湧き上がるこの熱い衝動(パトス)を抑えきることがもう無理だなと悟って受け入れたからであり。

 ウェディングドレス着てるけどまぁどうしようもないものはどうしようもないよねと開き直って諦めたからであり。

 死なば諸共と覚悟を決めたからであり。

 

 

 

 まぁ、要するに――

 

 

 

「アリサちゃんアリサちゃん。ごめん、ゲロ出そう。ううん、出そうじゃなくてこれもう出る。出る出る、絶対ゲロ出る。私の中の熱いパッションがもうそこまで来てる来てる」

「きゃー!? 馬鹿ちん! やめなさい! 我慢しなさい! アンタ今日から人妻でしょ! 耐えなさい! 何とか堪えなさい! 揺すって悪かったから手を放して! ホント! お願いだから!」

「ウフフ、中学生の時も同じ様な事言ってたよねアリサちゃん。変わらないなぁ」

「い……いやっ……! いやぁっ……!」

 

 

 

 ――マジでゲロ出る五秒前(MG5)と言った所なのである。

 

 

 

「死なば諸共。アリサちゃん、一緒にまたゲロインになろ? あ、うん、もう無理出る」

「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーー!?」

 




なお、作者は未婚ですので結婚式についておかしい所があるかもしれませんがご了承ください。
また、当作品では紅茶や珈琲の描写が出てきますが作者は両方ほとんど飲みません。ココア派です。

批評、感想で改善点などを強烈にツッコんでくださる方を大募集しております。
ビシビシ叩いて行ってください。喜びます。

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