時刻は戌の初刻を回ろうとしている頃だろうか。
床につくには幾分早い時間であるにも関わらず、私は自室にて布団に潜っていた。
別に眠いわけではない。だが、ここ最近何をするにもやる気が起きず、無気力な日々を送っている。
授業にはちゃんと遅れずに出席しているものの、何を習ったかについては、まったく頭に入っていない。
朧気に覚えている事と言えば、今日もあの人は授業に出ていなかったことくらいだ。
あの人・・・そう、私はその人物の事を尊敬していた。
あの人は聡明で、多くの事を知っていて、その事を鼻にかけたりもせず、大事な知識を私達に教えてくれたりもした。
それだけじゃない。
私が賊に捕らわれて危険な目に遭った時も、あの人は機転を利かせて私を救いだしてくれた恩人でもあった。
だから私は、その日の内にお礼が言いたくて、自室待機の時間を破ってまであの人の部屋を訪ねた。訪ねてしまった。
そこで見たものを私は一生忘れることはないだろう。
戸を開けて真っ先に目に入ったものは、
そう彼は、ずっと女性だと信じていたあの人は、実は男性だったのだ。
その事実を知った私は思考停止に陥り、気づいたときには大声で叫んでいた。
その結果、私の叫び声を聞いた生徒達が集まり、彼を見て驚きの声を上げ、その騒ぎを聞き付けた他の生徒達が集まり・・・ほぼ全ての生徒がそこに集まり彼が男であることを知る事となった。
最終的には司馬徽先生が駆けつけてその場を収め、私達に自室へ戻るよう伝えると、彼を連れていってしまった。
その時の私は、彼が先生に連れ去られていくのを、ただ見ているだけしか出来なかった。
それが、おとといの夜の事だった。
遠くから聞き覚えのある足音が聞こえる。
その足音は段々と近づいてきて、私の部屋の前で止まる。
「雛里ちゃん・・・」
足音の主が私の真名を呼ぶ。
この声はやっぱり朱里ちゃんだった。
部屋に籠る私を心配して来てくれたのだろうか。
だけど、私はその呼び掛けに応じない。
今は誰にも会いたくなかった。
「起きてる・・・よね?戸越しでも良いから聞いてくれる?」
それでも朱里ちゃんは私に呼び掛け、そしてそれを伝えた。
「福さん、明日ここを出るんだって」
それを聞いた私は、特に驚きもしなかった。
なんとなく気づいていたからだ。
あの人が、もう学院に戻らないことに。
「ねえ雛里ちゃん、本当にいいの?」
朱里ちゃんが心配そうに私に尋ねる。
彼に会いに行かなくていいのか、と。
良くはない。けど、私はもう彼には会わない。
私は、そう決めたのだ。
「福さんが男性だった事を気に病むのも分かるけど、それでもあの人は・・・」
「ちがうよ朱里ちゃん」
ずっと沈黙を保っていた私は初めて声を出す。
朱里ちゃんの認識を改めるために。
「福さんが男だと知った時は驚いちゃったけど、だからって私はあの人を嫌ったわけじゃない。嫌えるわけがない」
「じゃあ、何で・・・」
私はあの人の事を尊敬していた。
それは、あの人が男性であると知った今でも変わりはない。
そう、私があの人に会えない理由は、彼が男性である事への嫌悪では無く・・・
「私のせいで・・・福さんを・・・貶めてしまった・・・から・・・」
彼を男性だとバラしてしまった事への後悔なのだから。
あの日の夜、私が自室待機時間を破らなければ、あの人の秘密に気づく事もなかったし、私が大声を出さなければ、周りにも気づかれることもなかったのだ。
何故男性である彼が女装してまでこの女学院にいたのか、今は薄々感づいている。
男性にとってどうしようも無く活き辛いこの国で、自分の才を証明する実績が欲しかったのだろう。
つまり私がした事は、そんな彼の邪魔をしてしまった事に他ならない。
それに気づいた時、全身が粟立つような感覚と早鐘を打つ心臓が取り返しの着かないことを仕出かした事を嫌でも思い知らされた。
「尊敬してたのに・・・私を助けてくれた・・・恩人だったのに・・・私のせいで・・・あんなことになって・・・」
「雛里ちゃん・・・」
「会えるわけないよ・・・今さら・・・どんな顔して・・・会えばいいのか・・・」
言葉の端々に嗚咽が漏れ、やがて決壊した。
私は泣き虫で意気地無しな自分が大嫌いだ。
けれども、私のそんな意志とは裏腹に涙は止め処なく溢れてきた。
考えてみれば、私は朱里ちゃんや福さんに迷惑かけてばかりだった。
人見知りな私が人並みに学院生活が出来るのだって、朱里ちゃんが私を引っ張ってくれたからだし、二人と議論をする時も、二人が水を向けてくれなければ満足に自分の意見を言うことが出来ない。
この前のことだって私が鈍臭くなければ賊達に人質なんかにされなかったし、今だって朱里ちゃんに心配を掛けっぱなしだ。
ほんとは気づいていた。
ずっと気づかない振りをしてただけだった。
私は二人のお荷物でしかないことに・・・。
「それでも・・・」
私の鳴き声だけが響く部屋の中、朱里ちゃんの声が扉越しに届く。
「それでも、会いに行こう」
「・・・・・・」
「会って、一生懸命謝ろう!許してくれるまで!何度でも何十回でも!」
「朱里・・・ちゃん?」
「会うのが辛いからって、逃げちゃ駄目だよ。明日会わなかったらきっと後悔すると思う」
彼女の説得が響く。
励ますように、諭すように。
「それに、私だって福さんと気まずいまま別れるのは嫌だし、雛里ちゃんだってそうでしょ?」
「でも・・・」
それでも私の口から出る言葉は、否定的なものばかりだった。
「でも・・・謝っても福しゃん・・・が許してないかも ・・・しれないし・・・朱里ちゃんにだって・・・また迷惑かけちゃうかも・・・」
「雛里ちゃん、怒るよ?」
私は朱里ちゃんのその言葉に驚きを隠せなかった。
何が彼女の怒りに触れたのか分からなかったからだ。
「どうせ雛里ちゃんの事だから、人見知りの事とか賊に捕まった事とか、私は二人に迷惑かけてばっかりだとか思い込んでいるんでしょ?」
・・・やっぱり朱里ちゃんは凄い。
私の事なんて簡単にお見通しだった。
私が二人に劣等感を感じていたことを。
「雛里ちゃん、私はね、雛里ちゃんの事を迷惑だって思った事なんて一度たりともないし、むしろそう思われていた事の方がよっぽど悲しいよ」
朱里ちゃんは優しく諭すような声で語りかける。
朱里ちゃんの声が私に心に染み渡った。
「だって私達、親友じゃないの?」
その言葉に私は声に出さず再び涙を流した。
彼女のやさしさに、こんな私の事を親友と呼んでくれる事に、涙が零れてしまった。
・・・でも、それじゃ駄目だ。
私はいつまでも彼や朱里ちゃんのやさしさに依存したままでは駄目なのだ。
それでは、私自身が胸張って親友を語ることなど出来ないのだから。
「きっと、福さんも同じ気持ちだと思うよ?」
ああそうだ、私は何をやっているのだろう。
私が今できることは何?
ただ部屋でめそめそしているのが今すべき事?
私は、そんな自分を変えたいと思ったのではないのか?
私は涙を拭い意を決して障子戸を開ける。
そこには、大好きな親友が笑顔で立っていた。
「明日の早朝、彼がここを出る前に必ず会いに行こう」
親友のその言葉に私は、こくりと頷いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「「待ってください!!」」
日付が変わり、次の日の早朝、彼が学院を今まさに出ようとした瞬間を見計らって、私たちはそれを止める。
私たちの声に、彼が振り返りこちらを見た。
「雛里ちゃん・・・」
「・・・うん、大丈夫」
朱里ちゃんが私を気遣うが、心配はいらない。
これは私が、私一人がやらないといけないことだから。
私は彼の目の前に立ち、そして・・・
「ごめんなさい!!」
頭を下げた。
暫くして再び頭を上げると、彼が・・・あまり表情を出さない彼が、少し困惑している顔をしているのが分かった。
私は、彼への想いを吐露するために言葉をつづけた。
「私、福さんのことずっと女性だって思ってて、男性だったなんて全然知らなくて・・・!!」
だけど、いざ彼の前に立って話そうとしてもうまく言葉が紡げない。
昨日の夜の内に、伝えたいことを纏めていたはずだったのに。
「福しゃんは私達が知らないことを何でも知っていて、あの時私を助けて貰ってずっとお礼を言わなくちゃって思っちぇて・・・」
この時ほど私の口下手を憎らしく思ったことはなかった。
大事な言葉なのに噛んでしまうし、慌て過ぎて伝えたいことが全然伝えられない。
「だけどあんなことになっちゃって・・・それで・・・それで・・・!!」
ああ、こんなはずじゃなかったのに、今度こそ変わろうと思ったのに。
そうして、あまりの自分の情けなさに涙が零れそうになった時・・・
「ありがとう」
そう言って、ポンッと、私の頭に手を乗せた。
「ありがとう、僕の友達のままいてくれて、嫌わないでいてくれて」
ありがとう、彼は何度もそれ口にした。
違うのに・・・お礼を言って欲しかった訳ではないのに。
だけど、それを口にすることが出来ない。
私はこれ以上涙を堪えることが出来なかったのだ。
わんわんと声に出して泣く私を彼が胸元へと抱き寄せる。
彼の召し物が私の涙で濡れていった。
「福さん・・・」
泣くばかりの私の代わりに朱里ちゃんが彼に近づいて話しかける。
「例えあなたが男性であろうと、あなたの才能には関係ない事ですし、私達が尊敬して止まない人である事にも変わりありません・・・残念なことに、 そう考える人はこの国において少数ですが」
そう、この国において、彼の取り巻く環境は厳しい。
仕官できるかどうかも怪しいし、例え雇って貰えても差別紛いの扱いを受けるかもしれない。
「ですが、あなたほどの才を天が見放す筈がありません!必ず報われる日が来る筈ですので、どうか頑張って下さい!」
だけど私達は予感がするのだ。
きっと彼が、この国を変えうる存在に成ることを。
その後、私の涙が止まるのを待つと、彼から私たちの変わらぬ友情の印として、新しい姓名と字、そして真名を授けてくれた。
「姓は徐、名は庶。字は元直、そして真名は蒿藜と申します。改めてよろしくお願いします」
蒿藜という真名を聞いて少し戸惑った。
そのような真名など彼にしては相応しくない真名だと思ったからであり、それはどうやら朱里ちゃんも同じのようだ。
だが彼は、私たちの反応に気づいてか・・・
「変わった真名だと思うかもしれませんが、僕は気に入っています、どことなく僕らしくて・・・」
そう私たちに述べた。
思うことが無いわけではないが、彼が気に入ってるという真名をあれこれ言うのは無粋だろう。
そういう物だと納得し、私たちからも真名を返礼する事にした。
「ありがとうございます。既に知ってるかと思いますが私の真名は朱里と言います。ほら、雛里ちゃんも!」
「ぐす・・・私の真名は雛里でしゅ。どうか受け取って下さい」
思えば、学院ではこの瞬間を今か今かと待ち続けていた。
彼との真名の交換、彼の真名が分からなかったが故に今日の今日まで行われなかったそれは、もし今日会おうとしなかったら一生交換する機会がなかったかもしれない。
一歩踏み出せて良かった。
意気地無しのままじゃなくて。
駄目な私のままじゃなくて。
だけど、彼との別れの時は近づいていた。
名残惜しいけど、そろそろ終わりにしないといけない。
「蒿藜さん・・・また会えますよね?」
私は彼にそう尋ねた。
すると彼は軽く口角を上げ・・・
「ええ、きっとまた会えます」
そう答えてくれた。
そして彼は門の外へと歩きだし、この女学院を去る。
本当は、私も女学院を辞めて彼について行きたかった。
だけど、あえてそれはしなかった。
今の私には足りないものが多過ぎる。
だから私はここに残って、今私に足りない物を身に付けないといけない。
次会った時までには、彼の親友として恥じないようにしたいから。
だから次に会うまで、どうかお元気で。
さようなら・・・蒿藜さん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
彼が見えなくなった辺りで、私はグッと気合を入れる。
彼に恥じないように、と啖呵を切った以上、私は変わっていかないといけない。
知識も、知恵も、そして消極的な性格すらも。
その為にまずは今まで身に入らなかった勉強の遅れを取り戻さないと。
そして、彼が私たちの為に残してくれた本にもう一度目を通・・・
・・・って、あれ?ちょっと待って?
今更だけど、蒿藜さんって男の人だったんだよね?
三才図会を作ったのも、たくさんの小説を書いたのも・・・
私達が「あの本」の製作を頼んだのも・・・!?
嫌な汗が出た。
次第に顔が赤くなるのが分かった。
つまり私達は・・・男の人に・・・あんな本の依頼を・・・!?
「ぴゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
そしてその想いは耐え切れず、遂には叫び声として現れた!
「ひ、雛里ちゃんどうしたの!?落ち着いて!?」
急に叫びだした私に驚いた朱里ちゃんが心配するがこちらはそれどころじゃない!
「朱里ちゃん!あの本!あの本!!」
「え?あの本が一体どうs・・・ああああああああああああああああああああああああ!!?」
私が言いたいことを理解した朱里ちゃんだが、例え理解したところでどうしようもない!
「はわわわわわわわわわわわわわわわわ!!?」
「あわわわわわわわわわわわわわわわわ!!?」
不審がる先生達の事すら気にせず、暫くの間私達は頭がおかしくなったかのように叫び続けた。
そんな私達の気持ちを知ってか知らずか、遠くで蓬人さんが大きく手を降っている姿を私は幻視した。
何時からシリアスで終わると錯覚していた?
・・・うん、ぶっちゃけすまんかった。
Q、ところで全体的に私が空気なんだが?byとある退役武官
A、師匠は犠牲になったのだ。ノンネームドキャラの犠牲に・・・。
更にいえばあなたの出番多分もう無いd(ここから先は血で汚れて読めない)
さて、そんなこんなで学院編は終了です。
今回第四話は試験的に、裏→表→裏という形で投稿しましたが、どうでしょうかね?
個人的にはありだと思ったんですが、読者からしたら読みづらく感じたかもしれませんね。
もしそうでしたらまた考えます。
ああ、それと私事なのですが、
【挿絵表示】
原作購入しました。
現在ぼちぼちプレイ中です。(圧倒的・・・時間が足りない・・・ッ!!)
それに伴いタグも多少変更させて頂きます。
次回第五話については早めに投稿・・・出来たらいいなぁ(遠い目)