小森提督は混乱した。
なぜアムネリアシルバーホークを完成させると、シーマなる金属生命体が現れるのだろう?
理由はわかっている。アムネリアシルバーホークがA.N機関という「すべてを消し去る」兵器を搭載しているからだろう。宇宙を滅ぼす恐れのあるものというのにちょうどぴったりな代物だ。
混乱したのはそれが理由ではない。宇宙規模の話に理解が追いつかないのだ。頭に手を当て深呼吸。それから小森提督は深く目を瞑り、次にアダムをじっと見つめた。
「いままでのお話を整理させてもらえる?」
「はい」
「アムネリアという惑星があって、そこの人々はA.N機関というとんでもない兵器を作ってしまったのよね?」
「はい。アムネリアでは限りある資源の問題があって、資源衛星の利権獲得をめぐって内乱が起こったと記録されています。A.N機関が作られたのはその前後です。使用されたのは一度きりだとも記録されています」
「で、そんな危ないものが作られたから、それを察知したシーマはアムネリアを攻撃した。それに対抗するために、アムネリアの人々は一番初めのシルバーホーク、アムネリアを作り上げた……」
「そうです」
「だからアムネリアシルバーホークを作ってしまうと、シーマがこの地球を襲う可能性があるってことね?」
「はい。――対シーマの案としては、アムネリアシルバーホークのスペックにものをいわせてグレートシング・アビスを早期に撃破し、即座にアムネリアシルバーホークを破棄する、というのが現実的かと」
「私たちは宇宙を滅ぼすつもりなんかないって意思表示をするのね?」
「そうです」
「シーマはそれで納得すると思う?」
「わかりません。ですがアムネリアシルバーホークは、ベルサー以上に脅威となるシーマという存在に十二分に渡り合うだけのスペックは有しています。……以上が私の伝えたかったことです。どうかこのことを踏まえて、アムネリアシルバーホークの生産に許可を出すかどうか、考えていただけませんか」
「……うん。でも返事は明日でいいかな。すぐにいいよとかだめとか、そういうふうには答えられないから」
「了解です。それでは失礼します」
テーブルから鳳翔の手へ飛び乗るアダム。彼を肩にのせた鳳翔は一礼すると執務室を出て行った。
足音が遠くなってから小森提督は大きくため息をつく。それから静かに布団に潜って目をつむった。
小森提督の頭にあるのは重すぎるトレードオフだ。
地球規模の困難を乗り越えるために結成された、キメリカル・セイバーズ。これが相手取ろうとしているのは、深海棲艦の力の源を取り入れた宇宙の侵略者、ベルサーであったはずだ。
残るベルサーの切り札はグレートシング・アビスただひとつ。それとの戦いの敗北は許されない。
グレートシング・アビスとの戦いは、それが海上に浮上するなどして表舞台に現れることを意味する。そんな状態でキメリカル・セイバーズが敗北を喫することがあれば、それは地球規模の危機が放置されることと同義である。
宇宙規模の侵略を行い、惑星破壊をたやすく行うベルサーであれば、地球破壊など簡単に踏み切る行為だろう。もはや深淵の力を手に入れた彼らにとって地球にはなんの利用価値もないのだから。
だが秘密裏に持ち込まれた設計図の解析が成功し、アムネリアシルバーホークという新たなシルバーホークの作成が可能になった。これのスペックはベルサーよりも危険な金属生命体、シーマとの戦闘にも運用できる能力があるとアダムは言っていた。
アムネリアがキメリカル・セイバーズの戦力に加われば、グレートシング・アビスとの決戦に勝てる可能性は高くなる。だが代償として、アムネリアが内蔵するA.N機関の恐るべき能力を感知したシーマの手によって地球が滅ぼされる可能性も発生する。
地球規模の危機を救おうとする手段はいくつかあるが、その中で成功する可能性が高いものを選べば、次は宇宙規模の危機にさらされてしまう。小森提督はこんな現実を前にして、一寸の先も暗闇で見えず頭のなかが白く染まるのを覚えた。
もはや永遠に枕を高くして眠れることはないだろうとも思う。彼女の中で言い表しようのないストレスが全身を、神経を、蝕んでいく。
小森提督が執務室の椅子から立ち上がったのは、すでに太陽が登った後だった。壁にかけられた時計は午前8時を示している。
なにもかもが現実離れした話だった。遠い宇宙の物語の脅威が自分たちに降りかかろうとしている――これを現実と認めるまでにかなりの時間がかかったし、小森提督は全身に極度の疲れを覚えながら姿見の前に立つ。
小森提督は息を呑んだ。姿見に映る自分の印象がひどく変わっている。
一日寝なかっただけでここまで老けこむはずがない。
前髪の一部が白くなっているし、細やかなシワが刻まれている。アダムの話を聞いて、自分一人で考えて、そのストレスでこうなってしまったのだろう。普通の日本人を思わせる黒髪は、その印象が変わってしまった。
まだ30歳にもなってないのに――そんなことよりも早く決断をしないといけない。
ジェネシスという大きな戦力を欠いたままグレートシング・アビスという大きな脅威に対抗するのか。それとも、アムネリアという新しい戦力を得てグレートシング・アビスとの戦いに備え、シーマなる宇宙的脅威とも対峙するのか。
いくら考えても小森提督は決断できなかった。どちらが良いのかわからないのだ。わかっているのは、どちらも厳しい現実が待ち受けていて、決して楽観できるものではない、ということだ。
「Good Morning! 提督ゥ、オハヨウゴザイマース!」
元気よく執務室に入ってきたのは金剛だった。キメリカル・セイバーズ第一艦隊旗艦を勤めながら、こうして秘書艦としての役目も担っている。
そんな彼女の疲れをねぎらうべく、ストームコーザー・アビスとの戦いに勝利を収めた昨日は騒ぎすぎない程度の祝賀会を催すことを認めていた。その陽気な気分をまだ引きずっているような印象を小森提督は受けた。
「ああ、金剛ちゃん、おはよう」
「どうしたデース、提督? 食堂にもどこにもいなかったから心配したネ」
「え?」
「それに前髪が白くなって……いったいなにがあったデース? 私に
「ありがとう金剛ちゃん。でも大丈夫だよ、心配かけてごめ――」
軽く笑ってごまかそうとした小森提督は、金剛が執務机を強く叩いたことに驚いて息を呑んだ。
「
「――金剛ちゃん」
「そんなに疲れている顔を見れば子供だってなんかあるって分かるネ! いつだって提督の支えになりたいし、大事なときに寄り添ってもらいたいデス。それとも私は信用出来ないノ……?」
「――そうじゃない、そうじゃないんだ。ごめんね金剛ちゃん。とても話しにくいことなんだ、だから話をまとめるのに時間をくれないかな」
「了解ネ。それなら紅茶を淹れて来るデス」
アビス級巨大戦艦がいつあらわれるかわからない――こんな状況では誰の気が立っていてもおかしくはない。不誠実な態度に金剛が怒りを見せたのは自然なことだ、と小森提督は反省した。
当の金剛は機嫌を良くし、元気に執務室を飛び出している。残された提督は笑った。なにも皮肉ったような様子のない、素直な笑いだ。
小森提督が宇宙規模の悩み事を抱えているのは知らないのだろうが、金剛の真っ直ぐな気持ちは小森提督の心にたまる鬱屈とした霧を吹き飛ばしてしまったのだ。
その後、ソファーで隣り合うように小森提督と金剛とが座り、紅茶を口にしながら金剛が相談にのっていた。
ジェネシスの復活のめどが立たないこと、アムネリアという強力なシルバーホークが作れること、アムネリアを作ればシーマという金属生命体が地球を攻めるであろうということ――アダムから聞いたことを小森提督は話し、自分がどんな判断をすれば良いのか迷っていると金剛に吐露した。
「なるほど。提督はそれで悩んでいたんですネー」
「アムネリアを作ればグレートシング・アビスとの戦いはとても楽になると思う。でもそうするとシーマって奴らが地球を攻めてくる。どちらもはっきりしたことは言えない、不確実なことばかりだけど……アムネリアを作るのが良いのか、作らないのが良いのか、わからなくなったんだ」
「私にもわからないデス。そんなの聞かされたら
「でしょう? 私も笑っちゃってさ」
「全然顔が笑ってないデース……でもね提督」
「ん?」
「一緒に戦う仲間が少なくなるのは、どんな形でも寂しいし悲しいデース。だから鳳翔とアダムが元のように戦えるようになるなら、そのことについては feel so happy ネー」
宇宙規模の危機に晒される選択を金剛は肯定的に捉えている。もちろん彼女はリスクがどれだけあるのかを知っている。理解もできているだろう。だがそれでも金剛は元のように仲間が戦えることを望んでいた。それもとびきりの笑顔で。
「怖くはないの?」
「ダライアスの人たちが本気で怖がっているシーマと戦うのは避けたいデース。でも、私は仲間と一緒に戦いたいデース」
「そっか、金剛ちゃんはそう思っているんだね」
「Yeees! でも提督がNoというなら従うデース」
「わかった。お昼までには決めておく。金剛ちゃん、鳳翔ちゃんたちにこのことを伝えてくれないかな」
「Okay! それじゃ失礼するネー!
手を振って金剛が執務室から出て行く。それを見送る小森提督の表情は穏やかだった。もう彼女を苦しめるものの重圧はない。あるのはただ、どこか晴れやかとした気持ちと決意だけだ。
艦娘たちを食堂に集めた小森提督は、集合時間通りに誰一人欠けることなく集まったのを認めると、グランドピアノがあるステージでマイクを握りしめた。
集まっているのは艦娘だけではない。提督の近くには紅玉が巫女服姿で椅子に腰掛け、拳三郎も厨房で作業しながら小森提督に注目している。
長く深呼吸。小森提督は緊張を和らげるためにもう一度深呼吸をして、それからマイクのスイッチを入れた。
「集まってくれてありがとう。みんな、これから話すことはとても大事なことです。よく聞いてください。……ジェネシスシルバーホークの復旧のめどは立たないままですが、ダライアス宇宙軍が持ち込んでいた、とあるシルバーホークの設計図の解読に成功しました。ジェネシスが再現を目指そうとしていたアムネリアシルバーホークです」
小森提督の演説に艦娘たちの殆どは喜ぶような反応をみせていた。
ただでさえスペックの高いジェネシスシルバーホークが再現を目指そうとした機体ならば、ジェネシスよりも高いスペックを有しているに違いない――という判断だろう。
だが鳳翔と彼女の肩の上に立つアダムはいい顔をしていない。金剛だって不安げにうつむいている。小森提督はそれを認めると、彼女に近い側に立っていた鈴谷が手を上げているのを見た。鈴谷の隣には熊野と瑞鳳がいる。この3人は期待に目を輝かせていた。
「やったじゃん! そのなんたっけ? アムネリアってシルバーホークがいるなら、グレートシング・アビスとも楽に戦えそうじゃん!」
「楽にというのは大げさな表現ですわ。でも勝ち目が増えるのは喜ばしいことですわね」
「そうだよね! 小森提督、さっそくアムネリアを作るんでしょう? 私も見てみたいな、良いですか?」
鈴谷たちが喜ばしいように声を立てるのを、小森提督は手をかざして制した。彼女の顔はなにも楽観していないような真顔だ。それを見た鈴谷たちはなにかを察するように息を呑んだ。
「アムネリアにはオール・ナッシング機関という兵器が搭載されています。これのポテンシャルは文字通り非常に危険なもので、惑星一つどころか宇宙まるごと消し去る力がある、という情報を得ています」
小森提督が話したのは開示しようとした情報の一部だ。
鈴谷も、熊野も、瑞鳳も、他にアムネリアの製造に賛成しようとした艦娘らは動きを止めた。
地球外の技術はそんなとんでもないものを生み出していたのか。地球上で最も忌み嫌われる核兵器なぞ歯牙にもかけない――鈴谷や熊野をはじめとする、何人かの艦娘の体が震え始めたのを小森提督は見逃さなかった。
「そしてもうひとつ、話さねばならないことがあります。……惑星アムネリアは、オール・ナッシング機関を開発してしまったために、シーマという機械生命体の攻撃に晒されてしまいました。ダライアスの歴史資料によれば、その時の攻撃で惑星アムネリアの文明は滅んでしまったといいます」
「ちょっと待って! そのシーマってやつは危ない兵器をやっつけたりする……なんか、こう、文明の監視者みたいなものだって言うわけ?」
「詳しいことはダライアスの人もよくわかってはいないのですが、行動の特性からしてそういう表現があてはまるでしょう。鈴谷ちゃんの言うようにシーマが文明の監視者だとして、宇宙規模の危険を察知するのなら、アムネリアを製造したと同時にシーマが目覚め、地球を襲撃する可能性はあります」
食堂が静まり返る。
地球よりも文明が進んでいた惑星を滅ぼすほどの勢力が、アムネリアシルバーホークを製造すると襲来するかもしれない。いま地球を脅かすベルサーを確実に倒そうとする行動は、思い切り自分の首を締める行為になるかもしれない。
そんな事実を思い知った艦娘たちは指先すら動かせず、息することすら忘れたかのように凍りついている。しんと静まり返った食堂には、しかし厨房の揚げ物の油が跳ねる音だけが響いていた。
「……でも、それでも。私はアムネリアシルバーホークの製造に踏み切ります」
艦娘たちは喜ばなかった。困惑と不安の表情を浮かべている。
だが小森提督はためらうことなく言い切った。そのことに鳳翔とアダムは気づき、提督がなにかを決断したのだと悟る。
「アムネリアを製造するリスクは大きいです。でも、でも私はね、ジェネシスを欠いたままグレートシング・アビスと戦うことの方が嫌なの。だってそうしたら二度と帰れなくなる子がいるかもしれない。私にはそれが耐えられない。アムネリアを製造して運用すればシーマが地球を滅ぼすかもしれない。でも、その時のことはその時に考えたい」
「小森さん。ふざけてるんじゃ――」
提督の近くで椅子に腰掛けていた紅玉が口を挟む。確かに提督という相当に上の立場の人間の発言ではないだろう。その時のことはその時に考えるなど、あってはならない話だ。
しかし。小森提督は紅玉を強く見つめ返した。睨んでもいない。怒ってもいない。悲しんでもいない。ただただ、前向きに物事を捉えようとする姿勢だけがあった。
「私はふざけてなどいません。現状でできる最善の手段があるなら、それを行うだけです」
「――でもシーマってやつが来るかもしれないんでしょうが!」
「その時は私がなんとかする! いまはシーマとのコンタクトをとる方法を、ダライアスの人々に相談しているところです! 都合よく話が運ばなかったとしても、私がシーマをどうにかする!」
「ただの人間にはどうにも出来ないでしょうが!」
「すると言ったらする! 私を信じろッ!!」
小森提督の強い言葉に紅玉ははっとした。艦娘たちも息を呑んでいる。この提督が強い調子でなにかを断言するのは珍しいが、彼女のひととなりを見てきた艦娘たちにはわかっていた。なにかを決断した小森提督は強い、と。
いつもは頼りなさそうなのに、こうして強い態度をとった小森提督は信頼を寄せられる――そのことを金剛は確信している。かつて彼女を救ったのはこんな小森提督だったからだ。
「提督ぅ、私は最初から信じているデス」
「金剛ちゃん? 小森さんじゃどうにも出来ないことなんだ――」
「紅玉は提督のことを知らなさすぎネー。提督はやるときはやるのデース」
「――ああもう知らないぞ、なんだってこんなことに」
「ジェネシスを紅玉が修理できるっていうなら『こんなこと』にはならないデース。でも、紅玉が診てもジェネシスが復活出来ないのなら、欠いた戦力をアムネリアで補うのは
金剛の呼びかけに小森提督は大きく頷いた。そんなやりとりに紅玉は呆れたようにため息をつき、しかし艦娘の半数以上は好意的な賑わいを見せた。
もちろんアムネリアを製造することの不安を隠せない艦娘も、そんな決断をした提督を愉快には思わない艦娘もいる。
赤城と加賀は隣り合うように立っていたが、反応は対照的だ。アムネリアの製造に賛成するように赤城は振る舞い、それを怪訝そうに加賀が見ているのを、小森提督は認めてしまった。
これから先、キメリカル・セイバーズは以前のように簡単に一致団結とはいかないだろう。アムネリアの製造に踏み切ったとして、どうにかして心をひとつにまとめていかねば、グレートシング・アビスとの戦いはとても不安要素の残るものとなってしまう。
「小森さんさ」
「はい」
「心の底からこうしたいって決めたのなら反対はしないよ。でも、艦娘は小森さんのイエスマンじゃないんだ」
「知っています」
「なら、なにを成すべきかわかるよね」
「あの子たちの心をひとつにする。一緒に戦おうって気持ちを繋げていくしかない」
「それでよし。これから先どうなっちゃうのかわからないけど……小森さんがうまくやれることを祈るよ」
紅玉は立ち上がると食堂を出て行ってしまう。それを見送った小森提督は演説の終了を告げ、予定通りに訓練や遠征をするように命令し、執務室へと戻っていく。
執務室へ戻る途中、小森提督は自分の決断に不安の色を示した艦娘たちの顔を思い浮かべた。加賀に熊野、榛名に霧島、他にも多くの艦娘がアムネリアの製造に難色を示していたが、提督の決断であるならと渋々といった様子であった。
なるべく早く、グレートシング・アビスが姿を現すよりも早く、彼女たちを心から納得させないといけない。そうでないと――小森提督は艦娘の戦闘力が精神状態に左右されることを、先のストームコーザー・アビス戦で思い知らされた。
青海提督の命を断った深海棲艦やベルサーへの憎しみや怒りに駆られた瑞鳳が、あの戦いの最中で一時的に艦載機の発着艦を行えなかったことを報告書で知らされていたのだ。
そんなことがないように艦娘の精神状態に気を配らないといけない。瑞鳳のように行動不能になるのはかなり特殊な例なのだろうが、仲間同士での連携行動が取れなくなるかもしれない。
そうならないように努力する。それが自分にできることなのだと小森提督は思う。
さて、執務室に着いたら、まずはダライアス宇宙軍に相談しよう。もっとシーマのことを知らなければなんの対策も立てることが出来ないのだから。