小森提督が地下を出てから1時間。
夕方に差し掛かる時刻であるが、地下の客室ではきれいな夕日を眺めることが出来ない。
瑞鳳はそれを残念がりながら、深海棲艦側からの亡命者と元帥という、直面しただけでとても緊張する面々との会話を続けていた。
この場に小森提督がいないので、作戦会議は一度止まっている。いま主に会話をしているのは瑞鳳と紅玉のふたりで、鵤元帥は眠っているのではないかと錯覚させるほどに押し黙っている。
「……でさ、瑞鳳ちゃんって、なんか得意料理みたいなの、あるの?」
「へ? 得意料理……ですか?」
「日記じゃ卵焼きすら満足につくれないみたいなこと書いてたけど、書いてないだけで隠れて努力とかしていたのかなって思ったんだよね」
「あの基地にいた時はそういう余裕はあまりなかったんです。ただ、料理人の拳三郎さんには、本土に戻ったら料理を教えてもらう約束をしていました」
「んー。アクション俳優みたいなあのお兄さんねえ。ぶっちゃけ怖くない?」
「結構怖い感じの人だけど、全然そんなことないんですよ。とてもやさしくて、親切で、あとつぼを押すのが上手なんです」
「へー……整体師の免許でもとってんのかな。私も頼もうかな、最近、肩とかすごくゴリゴリしててさ」
気さくに仲の良い友達のように話しかける紅玉。きっと自分に緊張させないための気遣いなのだと瑞鳳は思った。どんな人物が相手でも態度を崩さない、優しいお姉さん――そんな印象を受ける。
だが、彼女が抱いた印象はそれだけではない。自分でも驚くようなどす黒い感情が湧き上がるのを感じていて、表情にあらわれるのを抑えることが出来ない。
友好的に接しようとしているのか、妙に馴れ馴れしい態度が癪にさわる。
それに紅玉は深海棲艦の創造に深く関与していた人物――そうだ。コイツが深海棲艦を作らなければ、青海提督は死なないですんだのだ。それ以前に人類の平和が乱されることもなかった。世界中の海が閉ざされることもなかった。
それだけではない。瑞鳳は鵤元帥に対してさえ憎しみと憤りと不信感を覚えていた。良い印象など薄れてしまうくらいに。
元帥といえば昔の軍艦だった頃とは役回りは違うが、上から数えたほうが早いほどの地位と強大な権力を持っている。
いや、もうトップのようなものだと言っていいはずだ。大本営という組織だっていまでは海軍本部、最高統帥機関のような意味合いが強い。
鵤元帥は大本営のトップに相当する。あらゆる作戦・方針の立案と決定は偉い高い階級人たちが集まって会議するが、鵤元帥の持つ影響力・発言力はとても強力なはずだ。
であれば。南西諸島基地の救援が遅れたのはコイツのせいなのではないか――瑞鳳はどうしてもそう思えてならない。
第二艦計画が進行中の現状をかえりみれば、現在の海軍では艦娘の数が限られている。
目を向けなければならないのは南西諸島基地だけではない。北も西も東も、防衛の都合上で重要な鎮守府は存在する。
すべての艦娘を南西諸島基地だけに集めるわけにはいかないのは、瑞鳳にもわかっていた。
そもそも自分たち青海艦隊は小森提督が南西諸島基地に着任するまでのつなぎであった。本隊ではないから、少ない戦力で防衛にあたることになったのは合点がいっていた。
瑞鳳が憎々しく思うところは、撤退命令を出すことについて大本営が――すなわち、影響力の強い鵤元帥が――誤っていたのではないか、という疑惑だ。
そもそもあの作戦は間違っていたのではないか?
できるだけ多くの敵を潰して撤退などするべきではなかったのではないか?
無尽蔵にも思えた敵の大兵力に対してもっと早く撤退命令を出すべきではなかったのか?
それに以前から紅玉に深海棲艦が無限に湧いて出てくると教えられていたはずなのに?
「瑞鳳ちゃん、瑞鳳ちゃん? ……ヤバイよ、思ってること、表情に出てる」
紅玉の言葉にハッとする。
思っていること――こいつらのせいで青海提督が死んでしまった。
許せない。
なにか仕方のない事情があったのかもしれない。でも、どうしても不満や憎しみは拭い切れない。
「……私といかるんがやったことは、良いとはいえないことだと思う。私のことはね、誰にも許されるものではないし、誰かが許していいものじゃないと思ってる。現に無辜の人々がたくさん亡くなっているのだし、青海提督を死なせたことについては、私のせいでもある」
「紅玉さん、そんな、私は――」
「許して欲しいなんて言わないよ。そのために私は艦娘を作ったんだからね。罪滅ぼしのために罪を重ねて……でも、犯した過ちはきちんと向き合って、償わないといけない。そのためなら私はなんでもやるって決めたんだ」
軽薄な態度の裏には強い覚悟があった。
全人類の敵。そう呼ばれて然るべき過ちを犯した紅玉は、かけがえのない命を犠牲にして、全人類の希望を生み出して罪を贖おうとしている。
もしも自分が紅玉の立場だったら。抱えるだけで自分が壊れてしまいそうな罪と向き合うことすら出来ないのではないか。
軍艦だった頃はただの人殺しの道具に過ぎなかったが、その記憶は「守るため」だとして負担を和らげていた節があった。もっとも、瑞鳳にとってそれは姑息その場逃れな精神緩衝の手段ではない。彼女自身の正義である。
だが紅玉の場合は、どんな言い訳もできない、重すぎる罪だ。
その罰はたとえ死んでも償うことは出来ないだろう。だから、彼女が選んだ罰が「自分が苦しめた人類を救う」ことであるのは、ある種の必然なのかもしれない。
自分の中の憎しみが少しだけ薄らいだのを瑞鳳は自覚する。鵤元帥の方を見れば、彼は申し訳無さそうに目を細め、瑞鳳の大きな瞳を見つめていた。
「わたしの判断は誤っていたかもしれない。確かに紅玉から深海棲艦らが無尽蔵の兵力を有しているのは聞いていた。感情蒐集機を破壊すれば供給が止められることもだ」
「……」
「これを広く知らせていないのは、味方側に、守るべき人々に、不必要に絶望を与えるわけにはいかないと判断したからだ。この戦いはいつか終わる。敵をすべて討ち滅ぼせば、人類の平和は取り戻せる……そう思ってもらわねば、一致団結などできるわけがない」
「元帥、それは――」
「言い訳だ。ただの言い訳にすぎない。君の大事な仲間を死なせてしまったことの。この戦いに命を預けている者へのな。それに、南西諸島海域の敵の実情を知ろうとして、あんな無茶な作戦を……撤退命令を出すのが遅れてしまった。そのことはどうしたって許されることではない、と思う」
「――はい」
「あの日、君たちを助けに行こうとした小森提督の肩を掴んで尋問していたが、君たちのことを思えばそんなことをしている場合ではなかった。だが軍属の人間として、こちらに情報も寄越さずこそこそと宇宙の技術を解析し、新装備開発にいそしんでいた小森提督を尋問しないわけにはいかなかった。裏切り者かどうか見極める必要があった。そのせいで青海提督を死なせてしまった。……すまなかった」
鵤元帥は静かに頭を下げる。上の立場の人間が頭を下げるべきではない――やめさせようと瑞鳳は腰を浮かせかけたが、ややあってから音を立てずに座り直した。
紅玉も鵤元帥も、少なくとも腐ったりんごのようなろくでなしではないことははっきりした。すべて許すわけではないが――瑞鳳の中の憎しみにも似た感情は薄れている。少しだけ。
「あのー。そろそろ入ってもいいですか」
ノック混じりに小森提督の声。口ぶりや声色から察するに、先ほどの会話は全て聞かれていたのだろう。瑞鳳は顔を赤らめつつ自分から席をたってドアを開けにいく。
ドアの向こうには黒い軍服の小森提督と、その隣で不安げに瞳を揺らしている白ワンピースの少女がいた。
いや、ただの少女ではない――瑞鳳はそう直感する。髪の色は白く、刺々しい首輪をつけるのになんの迷いもためらいもないらしい。病的なまでに白い肌に赤い瞳はアルビノを思わせるが、それ以上に「この世のものではない」雰囲気があった。
間違いない。この白い少女こそが北方棲姫だ。人類の平和を乱し、青海提督の命を奪った憎い奴らの一翼なのだ。
「小森さん! その子が北方棲姫だね?」
「はい。巌提督から引き継ぎました」
「ごくろうさま。……あ、そだ、名前を教えてもらっていい?」
小森提督の隣に座った北方棲姫は、紅玉がなにを言っているのかわからないといった様子で小さく首をかしげている。
紅玉が考えていたのは、北方棲姫という呼び名が人類側でしか通じないであろうということだった。深海棲艦の本拠地で北方棲姫がなんと呼ばれていたのか、彼女の本当の名前はなんというのか、それを知りたかったのである。
「……ああそうか、先に自己紹介だね。私の名前は紅玉。特殊霊的技術者っていうのをやってる。まあ超能力者だね。」
「
「えと、さっきも言ったけど、小森あきこです。提督をしてて……艦娘たち監督や管理をしているよ」
「この流れって私も自己紹介するの? ……軽空母・瑞鳳です。深海棲艦と直接戦っている艦娘……です」
これだけ名前や身分を明かせば、北方棲姫が態度をひるがえして襲ってくるのではないかと瑞鳳は思う。
そもそも敵を相手に自己紹介するなど考えられない。これがスポーツの試合前の挨拶であれば話はわかるが、そんな状況ではない。自分でも憎しみが隠しきれていないのを自覚しながら、瑞鳳は北方棲姫から目を離せないでいた。
そんな瑞鳳とは対照的に、小森提督は穏やかに北方棲姫に接している。討つべき敵だとか、幼い少女の姿だとかは関係がないように。まるで最初から友達同士であったかのように振舞っている。そんな小森提督を、瑞鳳は少しだけ腹立たしく思った。
「さ、こんな感じで名前を言ってみて?」
「
「人を呼ぶ時の言葉だよ。私だったら小森っていうように。……それじゃ、君はなんて呼ばれていたのかな?」
「
「そうか、やっぱりか。北方棲姫だなんてこっち側がテキトーにつけた名前だもんなあ……名前がないと呼びづらいしね、ちょっと待ってて……」
やはり喋る深海棲艦の声はなにか違和感がある。きちんと言語を解し、扱えているのだが、声にこの世ならざるものの雰囲気があってやや聞き取りづらい。
北方棲姫の頭に手をあてながら小森提督がうなる。なにをやっているんだコイツは、と言わんばかりに北方棲姫は提督を見上げているが、ややあって提督はぽんと手を打った。
「ほっぽちゃんでどうよ!」
「ホッポ? ……ホッポ!」
言葉を繰り返す北方棲姫。その向こう側で「いやいや安直すぎでしょ」と紅玉がツッコむ。
「え? 安直?」
「だってほっぽちゃんってさ……まんまじゃないの。ほら、他にも似合いそうな名前があるじゃん。アネモネとか、杏とか、イベリスとか、カモミールとか、木苺とか、岩南天とか――」
「ちょっと待って、待って! さっきからなんですかそれ、植物か果物ですか?」
「――花の名前だけど。白い花の名前」
「なんで花!?」
「だってそいつ白いじゃん」
「いやまあそうですけど。というか、よくポンポン思いつきますね」
「花の辞典はよく見てたからねー」
「へえ……じゃ、どの名前がいいか決めてもらいましょうか。さっきの名前でどれが良かった?」
北方棲姫は少し考える素振りをすると、びしりと小森提督を指さした。とびきりの笑顔で。
「ホッポ!
「そっかそっか! それではみんな、彼女のことはほっぽちゃんと呼んであげてくださいね!」
へいへいーと紅玉。黙って頷く鵤元帥。
だが瑞鳳だけは返事をせず、北方棲姫をじいっと見つめている。その視線には純粋な憎悪と敵意があった。対する北方棲姫は怯え、小森提督の手を強く握る。
もしかすると。小森提督は小さなあたたかみを覚えながら思いついた。北方棲姫は艦娘と戦ったことがあるはずだ。それがこうも怯えているということは、海の上では彼女たちは満足に表情を伺えるほどの余裕がないのだろう――
「
「……瑞鳳ちゃん、ちょっといい?」
小森提督に呼びかけられ、そこで初めて瑞鳳はハッとしたように目を開く。
瑞鳳の視線は小森提督と北方棲姫を交互に移り、申し訳無さそうにうつむいてしまう。
「ごめんなさい。その、私――」
「分かるよ。割り切れない部分ってあるよね」
「――うん」
「少しだけ休むかい? ちょっと散歩するとかさ」
「それじゃ言葉に甘えて……ごめんなさい」
控えめに伝えた瑞鳳はそっと部屋を出る。その後ろ姿を見送った北方棲姫は、小森提督を困ったように見上げた。
「ナニカ、ヤッチャッタ?」
「ううん違うよ。……あの子は大事な人が亡くなってしまって、まだ気持ちの整理がついていないんだ」
「
「ほっぽちゃんにはいないかい? この人のためならなんだて頑張ろうって気持ちになったり、いなくならないで欲しいって思う人とかさ」
「……
「そっか……少し時間が経てば、きっと瑞鳳ちゃんは大丈夫だよ。それでね、ほっぽちゃんにはお話を聞きたいんだ。ほっぽちゃんになにが起きたのか、最初に教えてくれるかな」
静かに北方棲姫が頷き返す。紅玉も鵤元帥も、自分からなにかを補足しようとはしない。彼女が一番なついているらしい自分に任せることにしたらしい――そんな判断をした小森提督は、そっと北方棲姫を見つめることにした。
「
「裏切られたってわけね。理由は分かる?」
不機嫌そうに頭を振る北方棲姫。そんな態度をとるのは当たり前だよな、と小森提督は思う。
北方棲姫の言葉を真っ向から受け取れば、深海棲艦には強い仲間意識というものが存在しないらしいが、それでも仲間であったベルサーから裏切られるのは、大きな不快感があるに違いなかった。
「裏切ったベルサーが使っていた巨大戦艦の名前はわかる?」
「
鯨。クジラ。くじら。
十中八九、グレートシングのことを言っているのだろう。8月の末に小森提督が他方から力を借りて撃退した巨大戦艦であった。
完全破壊こそ出来なかったが、どうやらグレートシングは北方海域の敵本拠地で修復を受けていたらしい。その恩も忘れ、ベルサーが裏切りを計画し、その際に完全復活したグレートシングを使ったのだろう。
再びグレートシングが現れたという報告はない。きっと海の底で潜伏しているに違いない。誰に気づかれることもなく。
ここまで考えて小森提督はある疑問を抱いた。
深海棲艦のテクノロジーでベルサーのテクノロジーの産物を修復できるものなのだろうか? ちょっと待ってて、と北方棲姫にささやいた小森提督は紅玉に訊ねることにした。
「紅玉さん。深海棲艦の損傷修復ってどういうふうに行われるんですか? 艦娘や巨大戦艦にも使える設備なのでしょうか?」
「あー……できないことはない、とは思う。深海棲艦は感情エンジンが積まれてるって話はしたよね。体のどこを解剖しても実体があるものじゃないんだけどさ。で、感情エンジンに負の感情エネルギーをつぎ込めば、修復も補給も出来るようには設計していたよ」
「……負の感情エネルギーは無尽蔵の資源なのですよね。それをここまで効率的に使うのは、逆に非効率な気がします」
「そういう『一手で最高の
「初耳です」
「まあ船魂なんてスピリチュアルなもん宿してるからね。そういうのものっけておかないと、いろいろ支障をきたす場面が多いんだ。めんどいから説明しないし、しなくても大丈夫なんだけど」
「ふむふむ」
「つまり深海棲艦を蒐集機にぶっこめば勝手に修復・補給が出来るってことだね。巨大戦艦も、銀音あたりが感情エンジンを積んだのなら、同じ方法で修復と補給ができると思う。でも……小森さん、もっちょい話を続けてもいいかな。前のオリジンのことに触れるけど、関係のない話じゃないから」
わかりました。小森提督はそう返すしかできないが、隣の北方棲姫に目を向ける。彼女は「どうしてこの女は自分たちの内情を知っているのだろう」と言わんばかりの困惑の表情を浮かべている。
北方棲姫は紅玉のような「創造者」のことを知らないのだろうか。小森提督はそんなことを考えたが、それが誤りであるとすぐに気づいた。
紅玉が亡命したのは「
「ほっぽちゃん。あの人は、昔は深海棲艦側の人だったんだ。ほっぽちゃんたちが使っていた蒐集機とかを作っていたんだって」
「
「そっちから見ればそうだね」
「……
小森提督は笑うことにした。笑っていられる話ではないが、そうして流してしまったほうが良いように思えたのだ。
「んで、オリジンの話になるんだけど……喋る深海棲艦がオリジンを侵食したよね。その現象と同じようなことを巨大戦艦にもしたとするなら、深海棲艦の設備で巨大正感の補給や修復は出来ると思う」
「
「どんな改修を!?」
「――
なんてこった。紅玉は絶句し、脱力して椅子の背もたれに背中を預けている。予想以上の反応に小森提督は戸惑うが、北方棲姫と鵤元帥は冷静さを保っていた。
「紅玉さん、どうしてそんなに驚いているんですか?」
「……普通さ、深淵の力ってのを無機物に流すと、深海棲艦化するんだよ。オリジンはそうなりかけてた。深淵の力ってのは私たちがいうとこの負の感情エネルギーだね」
「ちょっと待って、メモをとりますよ……続きどうぞ」
「あの時にオリジンを放置していたら、深海棲艦化して激しく暴れまわっていたはずなんだ。いいかい、大事なのは、深海棲艦の味方になるってことなんだ」
「それがどうして大事――あ、そうか! 負の感情エネルギーを流し込まれたグレートシングは、深海棲艦の仲間になっているはずなんですね! 裏切るとか離反するとか、それはまず考えられないってことだ!」
「さっすが小森さん。深海棲艦から直接流し込まれたとするなら、その時に制御するためのなんらかのものを埋め込まれているはずなんだ。オリジンにはそれがあったから、グレートシングにも相当するのを細工しているはずなんだけど……きっと、ベルサーが自力で取り外したんだね」
納得するように小森提督は頷く。実際はどうだったのか確かめるすべはないが、そう考えるのが自然だと思えたのだ。
「で、便宜的にだけど、深淵の力を流し込まれた無機物の侵食の段階をつけたわけ。第1段階のディープと、第2段階のアビスだね」
「ディープ化と、アビス化ってことですか?」
「そう。侵食途中なやつをディープ、完全侵食されたのをアビスって最後につけて呼ぶことにしてる。あの時のオリジンはディープ化してるとこだったんだ。きっと、改修を受けたグレートシングはアビス化までいって、おまけに深海棲艦側のコントロールが効いてない、と」
「……もしかして、ベルサーの狙いはこれだったの?」
「小森さんなんか言った?」
「思いつきで話すべきことではないとは思うのですが。元帥、意見具申を申請します」
黙って頷き返す鵤元帥。その視線は針のように鋭い。下手なことは言えないな、と小森提督は内心で冷や汗をかく。
「ベルサーが深海棲艦に加担していた理由は、深海棲艦が用いる深淵の力……つまり、感情エネルギーと関連するテクノロジーを得ることだったのではないでしょうか。ベルサーは抱えている中で最大の能力を持つグレートシングに感情エネルギーとテクノロジーを詰め込み、アビス化までさせて、用済みになった深海棲艦側から離反したのではないか……と存じます」
「ふむ。それなりの説得力はあるが、いささか性急にすぎないか?」
「っ! もも、申し訳ありません!」
「怒っているわけでも責めているわけでもない。少し落ち着きなさい。柔軟な考え方ができているとわかってホッとしているのだ。現実には似たような目的で動いているのかもしれないが……瑞鳳の日記にあるベルサーに関しての記述もかえりみなければならない」
あの日記には、シルバーホークのパイロットがベルサーについて言及していたページがあった――ハッとした小森提督は手元の資料をたぐっていく。
すぐに目的の部分は見つかった。
「ベルサーはグループで行動し、ひとつの惑星を攻めるのは基本的にひとつのグループが担当する」
「ベルサーの行動原理・思想として〈宇宙にあるもの全てが自分たちのもの〉というものがある。これを踏まえると、ベルサーが深海棲艦と行動を共にする動機が発生すること自体が意味不明」
そんな旨の記述。
黙読した小森提督は顔をあげて紅玉と鵤元帥を交互に見る。
「あー……確かに、もっと詳しい情報がなければ、踏み入った言及は出来ないですね」
「うむ。ひとつの核心をついたかもしれない意見としてとっておこう。紅玉、他に話すことは?」
「あるよ。ほっぽちゃん、他に改修させた巨大戦艦ってなにかなかった?」
オニキンメ! 口を大きく開けた北方棲姫が大げさに手をあげている。その答えに紅玉がまた絶句した。
「今度はどうしたんですか」
「んあー、あの時の嫌な予感ってのはこれだったと分かっただけだよ」
「詳しく聞かせてもらえますか」
「……南西諸島基地が陥落する前に、そっちの方角からすごく嫌な雰囲気があったんだ。強すぎる負の感情エネルギーが渦巻いている感じ。それだけの感情エネルギー、深淵の力を秘めているのは、ステージ2の深海棲艦かアビス化した巨大戦艦しかないと思ったのよ」
「嫌な予感がしたのはグレートシングのせいだと思っていたんですね?」
「うん。もしかしたら違うかもとは思ったよ。でも……南西諸島基地を襲ったストームコーザーは、アビス化までいく程度の大量の感情エネルギーを注ぎ込まれたんだね」
「そいつは深海棲艦のコントロール下にあるのでしょうか?」
「深海棲艦と共同して作戦にあたっていたっていうなら、たぶんそうだと思う。にしてもマズイよいかるん。アビス化までいった巨大戦艦が2つもあって、そのうち1つが離反して独立しているんだよ」
ふむ、と重々しく返す鵤元帥。彼はゆっくりと北方棲姫に視線を動かすと、そのまま鋭い眼光を向ける。北方棲姫は少しひるんでいるが、視線をそらすことなく向き合っていた。
「……ごほん。ほっぽ、聞きたいことがある。答えてくれるか?」
「ウン」
「ベルサーと連合を、いや、協力して人類への攻撃をしていたな。ベルサーとはどこでどのように知りあったか、教えてほしい」
「
「ふむ」
「
「なるほど。では次だ。ベルサーに深海棲艦のテクノロジーを供与することになったのには、どんないきさつがあったか、教えてほしい」
「
「その時にストームコーザーオニキンメやグレートシングマッコウクジラがいたのだな?」
「ウン。
「……紅玉、小森提督。だいぶ話は見えてきたようだぞ。一旦整理してみよう」
机をとんとん叩いて注意を向けさせる鵤元帥。例外なく視線が集まっているのを確かめた元帥は、言葉を選んでいるのか続きを話すのが遅れてしまう。
「……最初にどういうつもりでベルサーが地球にやってきたかは分からん。時空震もとい、時空間座標指定型跳躍装置とでも言うべき機械でやってきた宇宙人どもは、人類と深海棲艦が争っているところを目撃した。そして奴らは深海棲艦側につくことを選んだ。これが始まりだったわけだ」
「そだね。いかるん、続きよろしく」
「……ベルサーは深海棲艦に自分たちの進んだテクノロジーを見せ、共同して人類を滅ぼそうとした。だがベルサーの行動原理や思想は、自分たちのために全宇宙のものがある、というものだ。裏でなにを考えていたかは詳しく分からないが、深海棲艦を裏切る腹づもりであったのは確かなはずだ」
「ちょっと追加していい? ベルサーはひとつの星を攻めるのにひとつのグループしか向かわない。でも、いまの地球にはベルサーのグループが少なくとも2つはいる。グレートシング・アビスを擁しているグループと、ストームコーザー・アビスを擁しているやつだね」
「うむ。さて、ベルサーは深海棲艦のテクノロジーを吸収した後、北方海域にて謀反を起こし、北方棲姫を攻撃した。……次に奴らが狙うのは深海棲艦か、人類か、それともこの星なのか、それもわからない。だが為さねばならぬことはわかっている。小森提督。君に重大な任務を与える」
その言葉に小森提督は目を開き、あわわと慌てながら立ち上がって敬礼する。そんな所作にひとつも笑うことなく、鵤元帥は息を吸うと言葉を続けた。
「君にはストームコーザー・アビスとグレートシング・アビスの撃破の任務を与える。艦娘、シルバーホーク、北方棲姫を束ねた部隊を指揮し、敵を討て。作戦名及び部隊名は――」
なるほど。確かに的を射ている。
つい昨日までは敵だった者と協力して、脅威に立ち向かうなんて。これを空想的といわずになんというのだろう。小森提督は自らに課せられた重責と、自分の裡に湧き上がった希望を前にして笑った。
空想なら、きっと。絶対。うまくいくものと相場が決まっている。
縁起の良い言葉が選ばれたことに、小森提督は喜びと安心を覚えていた。それがわずかなものだとしても、彼女にとって大きな支えになっていた。