南西諸島基地、執務室。小さな机に向かう瑞鳳は、妖精が提出したデータを元に報告書をまとめていた。万年筆を片手にさらさらと走らせる瑞鳳は息をついて作業の手を止めた。彼女の視線の先には壁がけカレンダーがある。今日の日付は9月19日だった。
報告書の内容はとても簡単なものだった。
青海提督の説得により、人類側の仲間となったシルバーホークとそのパイロットについての詳細である。
緑色の、爪のような主翼が3つ備わったシルバーホークの名は、フォーミュラシルバーホークバーストという。シルバーホークバースト3号機。バーストの名を冠していることは、バースト機関を有していることを意味する。
特徴は異常なまでの飛行速度と、相当に射程の短いながらも強力な各基本兵装のふたつにある。バースト機関を駆使することによって反撃を受けないようにしつつ急接近、強力な威力を持つ基本兵装を叩き込むのを得意とする。
赤色の、オリジンシルバーホークとほとんど同じ形をしたシルバーホークは、ヴァディスシルバーホークという。最初に惑星ダライアスでつくられたシルバーホークがオリジンの名を冠しているが、その改造機が惑星ヴァディスで製造されたため、このシルバーホークにはヴァディスの名が冠されている。
特徴は基本兵装の複合攻撃にある。白色をした大型の球形弾、レーザー、ウェーブが主な基本兵装であるが、ヴァディスシルバーホークはウェーブと白玉の複合攻撃が可能である。これによる攻撃の威力は非常に高いというが、これ以上に危険な禁じ手を有している。
ブラックホールボンバー。それがヴァディスに搭載されている、敵の破壊のみを純粋に追求した攻撃手段である。亜空間歪曲を引き起こし、さながらブラックホールが有する超重力を発生する場を作り出す。
繰り出したヴァディスや僚機のシルバーホークは、亜空間関連技術によって機体の周辺の空間を操作、位相をずらすことにより、ブラックホールボンバーのとてつもない重力の影響をまぬがれる。もしも艦娘と深海棲艦との戦いでこんなものを使えば、敵味方関係なしに皆殺しになってしまうだろう。そうならないように調整や対策を用意する必要がある。
万年筆を机に置いた瑞鳳は、あとすこしで報告書が書き終わると心のなかで嬉しがった。
壁掛け時計を見れば昼の0時をとっくに過ぎている。食堂に提督を誘って一緒にお昼を食べようかな、と瑞鳳は考えたが、それは無理だと心のなかでため息をついた。
提督の書類作業がまだ終わらないのだ。瑞鳳も秘書艦として仕上げなければいけない作業が相当に残っている。ゆっくりしている時間はあまりない。
瑞鳳が時計に目線を投げているのを見た提督は、食堂に電話すると断ってから机の上の内線電話のボタンを押し始めた。
「あー、ケン? 聞こえるかね」
〈どうしましたか、提督〉
「悪いが、執務室に昼食を持ってきて欲しいんだ。頼めるかね?」
〈おやすいごようですとも。5分後にお持ちできます〉
助かるよ。そう返した提督は、一言二言なにかを返すと受話器を下ろす。そのまま瑞鳳の方へ向けると、嬉しそうに口を開いた。
「今日の昼食はカレーだそうだ。それも、野菜多めの」
「そうなんですか!」
「新しい料理人を雇ってよかったよ。拳三郎というのは、とても信頼のできる料理人だね」
青海提督がいた鎮守府では多くの外部人員を雇っていた。提督や艦娘が生活環境を整えるための家事・清掃関連に手を出さずに任務に集中できるように、というのが、青海提督の狙いであった。
本土にあった鎮守府では多くの職員を雇うことができていたが、いまの提督が任されているのは南西諸島基地である。それも最前線。報酬が恵まれているからといって、危険な土地で働こうとする者は想像以上に少なかった。
そんな中で唯一雇われたのが料理人、拳三郎であった。屈強でいかつい風貌からガードマン志望と提督は思っていた。ちゃんとした免許を有している料理人であることを聞かされた時は、とても驚いたものだった。
「お待たせしました! 提督さん、瑞鳳ちゃん、カレーですよ!」
「いい匂いじゃないか。瑞鳳、一緒に食べるかね」
カートを押してやってきた拳三郎は、てきぱきと提督と瑞鳳の机の上にトレーを載せていく。ブロッコリーやにんじんの色が強いカレーだが、美味しそうな匂いは瑞鳳の鼻を強烈に刺激していた。他にはトマトサラダや、飲み水の入ったコップがある。
「あとで食器を取りに来ますね」
「ああ。悪いね」
「いえいえ、これも料理人の仕事ですから」
失礼します、と拳三郎は執務室を出て行く。その前には提督も瑞鳳も昼食に入っていた。
昼食休憩は30分――と提督が決めていたのを瑞鳳は思い出す。昼食休憩が終わったら、各自訓練や哨戒任務、あるいは装備の点検をするのだが、今の状況だと書類に関する仕事ばかりだろうな、と瑞鳳は思う。
「いまがちょうど0時30分だ。だから、ここでの仕事は1時からになるかな」
「そうですね。ということは、10分くらいは本当にのんびり出来る?」
「座りっぱなしだと腰や背中にくるからな。その間、散歩でもしないかね」
「基地を?」
「そうだ」
カレーやサラダを口に入れながらふたりは話を進めていく。
まるでちょっとしたデートみたいだな、と瑞鳳は思うが、こうして提督からなにかを誘うというのは、実は初めてのことなのではないかと気付いてしまった。
いまから半年前、春に差し掛かる頃に、瑞鳳は艦娘としての生を受けた。その時から青海提督のところで働いていたが、彼はとても厳しい人間であったのを昨日のように思い出せる。
強い口調で艦娘たちに声を飛ばしていたが、その裏側には信頼や愛情があったことも分かっていた。ただただ苛立ちをぶつけるだけの態度なら、とっくに別の鎮守府に――それこそ、艦娘と友人のように接するという小森提督のところにでも飛び込んでいただろう。
青海提督はこれまでも、これからも、やや厳しめに少し距離をおくような態度を取り続けるだろうと瑞鳳は思っていた。それがこの誘いである。なんだか嬉しくなった瑞鳳は、笑顔で提督の目を見つめた。
「なんだ、どうした?」
「その、嬉しくなっちゃって」
「嬉しい? どうしてだね」
「提督からこうやって誘ってくれることって、これまでなかったから」
「……そうだったね」
どこか寂しそうに提督は返すと、そのまま黙々と食事を続けていく。瑞鳳もこれ以上会話を伸ばすつもりがなくなって、二人の間に言葉は飛ばなくなった。
食事を終えた提督と瑞鳳は基地を軽く歩いていた。執務室周辺の廊下をぐるりと一周するだけだが、それでも瑞鳳は満足していた。
「……すこし、話をしようか」
「なんのお話ですか?」
「遠い外国の妖精のお話さ。妖精といっても、俺たちを助けてくれている妖精のことではないが」
まさか青海提督の口からメルヘンな単語が飛ぶとは思わない瑞鳳は、しかし新鮮な驚きに健やかに笑った。
「おもしろそうですね! それに、なんだか意外な感じ」
「え?」
「だって提督とは、個人的にお話したことってあまりないですから」
「それも、そうだったな。して、瑞鳳」
「はい?」
「あまり距離を置くような話し方はやめてくれないか。その……こういうのを言うと変な感じがするが、もっと砕けた感じで喋ってほしい。嫌なら聞かなかったことにしてくれ」
「ううん。こういうのって、いいかもね!」
「……ありがとう。して、その妖精なのだが、アビスウォーカーというのは聞いたことがあるかね?」
初耳だった。それが
「マイナーどころの民間伝承だ。遠い北の外国あたりに伝わっている。アビスウォーカー、つまり、深淵歩きの名の通り、海の底を歩いていると伝えられている」
「ふうん?」
「……その姿はまるで人間の女の子であるという。そう、アビスウォーカーは女性しかいないと考えられているんだ。彼女たちは穏やかに海の底で暮らし、時折、外の世界を見るために海の上に顔を出す。壊れ沈みゆく船に乗っていた人間を助けることもあったらしい」
「……それで、アビスウォーカーについては、それだけしか伝わっていないの?」
「いいや。伝承の類には完全な創作もあるだろうが、なんらかの根拠があって伝わっているとみるのが妥当だろう。現に軍艦の魂を素材の一つに使った、艦娘という存在がここにいるのだからね。オカルト的な話も、スピリチュアルな話も、どちらも説得力がないなんて言われる時代じゃあないだろう」
素材という表現に引っかかりを覚えながらも、しかし瑞鳳は頷き返していた。もっと言葉を付け加えるなら、船魂のおばけなんて表現をされることもある、深海棲艦という正体不明の敵性存在もある。
さらに万能宇宙戦闘機や水棲生物型巨大戦艦なんてものが遠い宇宙からやってくるのだから、もう、なにがあっても世界は驚くことはない。瑞鳳は確信に近い思いを抱きながら、提督の言葉を待つことにした。
「……でだ。アビスウォーカーの伝承については、港町の漁師が語り継いだり、町をあげて捕まえようとした記録が大きな情報源であるとされている」
「つまりその妖精さんは姿を見られていたってこと? 写真とかがのこっていたり?」
「いいや。当時は写真技術やカメラなんてものはなかった時代だね。だから簡単なスケッチが残っている程度だ。さっきも言ったように女の子の姿をしている。それもとびきり美しいものだと伝えられていて、捕まえようとする者も多かったようだね」
「まあ、昔の時代であるなら、人身売買みたいのだってあると思うし……それで、どうなったの? 捕まったアビスウォーカーっていたの?」
「いなかった。そもそも、アビスウォーカーなんてのは本当にいたのかどうかもよく分かっていない。深海棲艦や艦娘、それに妖精なんてのが現れた世の中だから、もしかしたらいるかもしれないって程度の話だ」
「まあ、そうだよね……」
「いてくれたほうが、人生楽しめるとは思うのだがね」
あたりまえといわれればそれまでのことだった。瑞鳳は心のなかでため息をついて、提督が言葉を続けるのを聞く。執務室のある二階の廊下は正方形のようにつくられているが、ふたりはその半分ほどを歩ききっていた。
「ところで瑞鳳、なにかおかしいと思ったことはないか?」
「え? なにが?」
「なんでもいい。引っ掛かりを覚えたところなんかがあれば、言ってみてくれ」
「えーっと……なんとなく、深海棲艦みたいだなって」
「確かに深淵の世界に根を下ろしているらしいところは共通しているな。だがそうじゃない。最初に言っただろ、穏やかに海の底で暮らしていたって。アビスウォーカーは人々に捕らえられようとされて、傷つけられようとしても、人間に牙をむくようなことをしなかった、というわけだね」
「あ、あー……なるほどね。おっとりさんってレベルじゃないわね」
「妖精だからなのかもしれないね。まあ、オチも何もないが、そういう伝承があったんだってのを話のネタにしたかったのさ」
ずっと厳しい態度をとっていた、艦娘との距離を遠ざけようとしてきた青海提督は。こんなファンタジーな話題を出せるような人だった。それが分かっただけでも瑞鳳は嬉しさを隠しきれないでいた。
「こんな話、つまらなかったろうに。無理して笑わなくてもいいんだぞ」
「そんなことないです。提督とこうしておしゃべりできて、私は嬉しいな」
「……そう言われると困ったな、なんて顔をすればいいのかわからない」
こんな言葉を返しているが、青海提督も悪い気分ではないらしい。口の端は小さく笑っていた。
「ところで提督、ちょっと話題を変えてもいい?」
「なんだ?」
「仲間になってくれたシルバーホークについてなんだけど、いや、なのですが」
「うむ」
「パイロット2名の証言で新しいことがわかりました」
「フォーミュラに乗っていたヴェルデという男性パイロットと、ヴァディスに乗っていたヒストリエという女性パイロットだね?」
「そうです。あの2機は、小森提督の仲間になった3機のシルバーホークと同じように、時空震という現象によってこの地球にやってきたと証言してくれました。でも、その直後に乳白色の光に包まれて、その後で深海に放り込まれた、ということだったんです」
なんだそれは、と興味深そうに提督が問いかける。瑞鳳は軽く頭を叩きながら「えーと」と前置きして説明を続けようと口を開いた。
「光に包まれて深海で目を覚ます。こんな流れは小森提督の3機のシルバーホークのパイロットは経験していません」
「確かにそうだね、小森提督がウソの報告書を送っていないのであれば、という条件がつくが」
「そしてフォーミュラとヴァディスには『不明なユニット』が搭載されてしまっていたそうです。タイミングとしては、時空震で地球に飛ばされた後、になります」
「ふむ。それがシルバーホークにどんな影響を与えているのだね」
「推測になりますが、その不明ユニットのおかげで、深海棲艦にダメージを与えることが可能になっていると思われます」
すでに青海提督は、フォーミュラとヴァディスが深海棲艦を相手に満足に戦える特別なシルバーホークであることを知っている。それが小森提督のシルバーホークとの決定的な違いであることも。
ふたりは執務室へ続く最後の角を曲がろうとしていた。もうじき、この会話は終わってしまって、そうして無言で書類作成の仕事に没頭することになるだろう。
「不明なユニットとやらは、いったい、なんなのだね」
「それがわからないんです。シルバーホークが搭載しているコンピュータのログにはそんな表示があるそうなのですが、解析することも不可能でした。というより、そのユニットは質量が存在しないのです」
「質量が存在しない?」
「シルバーホークに物理的にくっついているわけでもなく、なんらかのプログラムが着床しているわけでもない。存在しない、というのが正しかったですね」
「ふむ。となると……艦娘や深海棲艦のような、半ば霊的な要素を持つものと捉えるのが妥当なのか?」
「可能性は高いと思います。この調査はしっかり行います」
「このことは報告書に書いたのかね?」
「いえ、これから――」
「ならばすぐにまとめよう。まだまだ仕事は山積みだ」
「――はいっ!」
元気よく瑞鳳は返す。その口元は笑っている。彼女の心には喜びが広がっていたからだ。
自分が慕う提督と、少しだけとはいえ、満足できる楽しい時間を過ごせた。そんなことすら希少に映る瑞鳳の心はとても輝いていた。