9月16日。5時20分。
曇り空の下、瑞鳳はまぶたをこすりながら海の上を滑っている。波は大きくない。穏やかな海と呼んで差し支えない状態だ。
腰に下げた巾着には料理人・拳三郎がこしらえた大きなおにぎり。これをかじりながら、瑞鳳は南の海へと向かっていた。鈴谷と熊野を引き連れて。
哨戒や敵の撃退が主な任務であるなら、艦娘が3人だけの艦隊を向かわせることはない。彼女たち3人が、それも早朝に南を目指しているのにはきちんと理由があった。
深夜、南の空になにかの発光体が現れたようだ――青海提督が実際に見たというからには、南の海になにかがいたらしいのは間違いないだろう、と瑞鳳は思う。鈴谷や熊野は半信半疑という反応であったが、他にも光を見たという妖精の証言を聞いて、どうにか納得しているようだった。
「ねえ瑞鳳さん」
「え?」
「偵察任務ということでしたら、そろそろ偵察機を飛ばしたほうが良いのではないかしら?」
熊野の言うとおりだった。もうそろそろ基地からはだいぶ離れる距離になる頃合いだ。
これからが偵察任務の本格的な展開になるだろう。瑞鳳は矢筒から偵察機・彩雲を封じた矢を抜き取ると、自分の矢につがえて構える。
ぎゅんと空を切り裂く矢は空中で光を伴って爆発。直後に3機の彩雲となって三叉の道を進むように飛行した。
「あとは偵察機に任せて帰っちゃってもいいんじゃん?」
「なにを言ってますの!? 私たちも前進して、偵察機の報告を受けて調査をしなければならないでしょうに」
「冗談なのに怒らないでよ、もう」
後ろで二人がぎゃあぎゃあ騒いでいるのに笑いを誘われた瑞鳳は、矢を背負い直して前進することを告げた。拳三郎のおにぎりはまだもうひとつある。周囲を見回しながらこれを取り出し、瑞鳳は朝食を終えようとした。
簡素な塩おにぎりではあるが、元気が出るようにレモンの汁をすこしまぶしているらしい。酸っぱいものなら梅干しでもいれておけばいいのに、とは思うが、これはこれで美味しいものだった。
偵察機にはパイロットの妖精が乗り込んでいる。妖精と無線連絡は可能で、なにかを見つければすぐに報告が入る手はずになっている。無線は瑞鳳だけでなく、鈴谷と熊野も聞くことができるし、彼女たちも発言することが可能であるように調整されている。
妖精からの報告は〈イルカを見た〉〈なんかすごい魚群を確認した〉〈雲の形がりんごに見えた〉なんてものばかりで、瑞鳳たちを脱力させたが、そんな中で切迫した無線連絡が瑞鳳たちの耳に飛び込んできた。
〈前方に飛行物体を確認!〉
「えー、UFOとかってやつなんじゃないの?」
〈写真を撮影、転送します〉
妖精が言った直後、瑞鳳が懐に忍ばせていた機械がういぃと動作する。妖精が偵察機に搭載されたカメラを使って写真を撮ると、瑞鳳の持つ機械に転送されるのだ。
少し分厚い板の形をした、一昔前ならPDAと呼ばれていたであろう機械。いまではスマートフォンと呼ばれる種類のものだが、機械を覆う防護材はかなり分厚い。
軍用スマートフォンとも呼ばれているその代物は、単に「個人携帯端末」だとか「端末」だとか「PDA」だとか様々な呼ばれ方をしている。
とにかく、瑞鳳が持っている端末に通知が入り、確認する操作をすると、妖精が撮影した写真が画面いっぱいに映しだされたのである。
どれどれーと鈴谷と熊野が瑞鳳の両隣に寄って画面を覗き込む。そこには飛行物体が相当な高度で飛行しているらしい場面があった。赤色をしたものと緑色をしたものの二種類がある。
飛行機に詳しい人物なら戦闘機のようだと直感できるが、地球上にこの形をした戦闘機はどこにもないともすぐに分かる。瑞鳳は飛行機に詳しいし、愛でることもあるほどに関心を向けている。間違いない。これは所属不明の戦闘機だ。
「これは……もしかしたら、シルバーホークという戦闘機ではなくて?」
「シルバーホーク? 小森提督が持ってるっていう、宇宙戦闘機?」
鈴谷の問いかけに熊野が頷き返す。
瑞鳳もその名を知っている。大本営からの文書にその名は何度も記されている。万能宇宙戦闘機。遠い遠い宇宙の先にある、惑星ダライアスの宇宙軍に属し、これの平和を守る主力であることも知っている。
「赤いのは前に見た資料の……オリジンったっけ、それに似てるね」
「緑色のほうはなんですの、これ、翼がまるで爪みたいですわね」
鈴谷と熊野の感想に瑞鳳も納得している。
赤色をしたシルバーホークらしきものは、もしかするとオリジンシルバーホークかもしれない。そうではない、外見がほとんど変わらない別の機体かもしれない。
緑色をしたシルバーホークらしきものは、それらしい特徴が機体上部にあるフックのようなパーツくらいしかなく、機体に備えられた爪のような主翼がやけに目を引いてやまない。
「その飛行機と接触はできる?」
〈やってみます。――うわぁ!〉
通信が爆発と同時に途絶える。エンジントラブルだろうか? いや、機体整備は毎晩かかさず行っている。そんなはずがない――直感的に瑞鳳は「撃墜された」と判断、残りの2機に撤退命令を出す。
「シルバーホークが攻撃してきたってこと?」
「なら、私たちが戦闘をして鹵獲すればよいですわ」
「熊野! それ本気で言ってる?」
「あくまで瑞鳳さんへの提言ですわ。で、どうしますの?」
前進します。即答した瑞鳳は弓を構え、航行を止めるなく
「まず最初に確認するわ。シルバーホークは通常兵器よ。現行の戦闘機を凌駕するスペックを持っていたとしても、私たちみたいに霊的要素を持っている者が相手なら、性能を十全に発揮することは出来ないはず」
「なるほどね。シルバーホークが相手なら私たちは負けるはずがないってことだね」
「うん……でも、バースト機関にだけは気をつけないと。相手がどんなシルバーホークかわからない以上、油断しちゃダメだからね!」
水平線の向こう側をかるく睨みつける瑞鳳。彼女の頭のどこかで嫌なニュースが思い起こされた。
過去にアイアンフォスルのバースト砲が直撃した艦娘がいた。小森提督の鎮守府で働いている赤城だ。彼女はとても頑丈な空母艦娘であったはずだが、バースト砲の直撃で即死寸前の状態に陥ったという。
赤城ほどの防御力があってそんな状態なのだから、自分たちが直撃を受けると――考えたくもないことだが、危険を前に思考を放棄するのは死につながる。
〈瑞鳳、聞こえるか〉
「提督! このまま進みます。発光体の正体が分かるかもしれません」
〈分かった。十分に注意して進め。危険を感じたらすぐに連絡と撤退だ、いいね〉
「了解です!」
提督からも前進することは勧められている。ならばこのまま行くしかない。
どうやら友好的ではないらしい、少なくとも警戒を強めているシルバーホークを相手にすることに恐れを抱きながらも、瑞鳳は前を向き続ける。
頭上を烈風の直援隊で防御を固め、前方にも烈風の編隊を飛ばす瑞鳳。そんな彼女を守るように左右を固めて航行する鈴谷と熊野。
3人艦隊は上空への警戒を強めていたが、前方の烈風編隊が爆発を起こしたのを見ると戦闘態勢に入った。瑞鳳は新たな烈風を繰り出すべく弓を構え、鈴谷と熊野は対空装備をしっかりと空に向ける。
烈風2機を撃墜したのは細く蒼いビームだった。設置バーストと呼ばれる攻撃だ、ということを瑞鳳は把握する。設置バーストが振り回されるが、これ以上の攻撃を烈風の編隊が受けることはなかった。
やがて水平線の向こうにシルバーホークらしきふたつの機体が飛行しているのが見える。瑞鳳はこれに対する攻撃を指示し、鈴谷と熊野に守られる形で右に舵をとった。
緑のシルバーホークは画像で見た通り、主翼が3つの巨大な爪のようなもので構成されている。そのせいか飛行速度は尋常でないほど速く、どの烈風も追いつくことが出来ず、攻撃を仕掛けることも出来ない。
そのうえ、緑のシルバーホークは一撃離脱をこころがけるように超高速機動を完全に制御し、機関砲を連射して襲撃した次の瞬間には遠く飛び去っている。
赤のシルバーホークは、これまでにみた資料とは違う方法で攻撃を仕掛けていた。赤いウェーブに白い玉のようなものを撃ちだし、最初に熊野へ、次に鈴谷へ挑んでいく。
たかが通常兵器の攻撃が霊的存在の要素を併せ持つ艦娘に傷を負わせることなど出来るはずがなかった。しかし、赤のシルバーホークの攻撃は、確実に鈴谷と熊野を中破状態まで追い込んだのである。
ダメージに耐え切れなかった衣服の大部分は弾け、前も後ろもかなり開放的になっている。だが、その肌は傷つき、赤黒いものを流している。
「マジ痛いし……なんなの、おかしくない?」
「あれは通常兵器であったはずですわ。なのにどうして……」
損傷した衣服を寄せ、傷ついたふたりが意気消沈したような声で呟く。このままでは全滅する――過酷な現実を覚悟した瑞鳳は意を決して弓を背負い、両腕を横に広げ、鈴谷と熊野をかばうように前に出る。
おぼろげながらも瑞鳳は
「待って!! 私たち、あなた方と戦う意志はないわ!!」
襟元に忍ばせていた小型拡声器を使って大空に呼びかける。
ぴたり、と2機のシルバーホークが動きを止め。瑞鳳の航空隊も次々に着艦していく。無言ではあるが、無用な戦いを避けようとするお互いの意思は共通していた。共鳴するような動きだった。
「……分かって、くれたの?」
〈どうやらホントらしいぜ、ヒストリエ〉
〈先に戦った黒い女性たちとは違うみたいね。明確な敵意がないし、こちらとの戦いはやむなしという印象もあった。ヴェルデ、戦闘を中止するには十分な理由よ〉
〈だな。……戦いはやめだ。が、そこの姉ちゃんたちにひとつ頼みがある。こっちから痛い目あわせて、飛行機も落として、その、服も破いてすまないんだが……おれたちを保護してくれはしないか〉
どうやらシルバーホークのパイロットたちは困っているようだ。小森提督のケースがそのままあてはまるなら、時空震とやらでこの地球にやってきたに違いない――瑞鳳はそう確信すると、拡声器に口を近づけた。
「オーケーよ! 私たちについてきてくれる?」
「ちょっと待って、こいつら連れて行く気?」
「シルバーホークのパイロットは私たちに危害を加えるつもりはないみたい。うまくやれば私たちの味方にもなってくれるかもしれないでしょ」
鈴谷の抗議の声に瑞鳳はぴしりと返す。熊野は瑞鳳の主張を理解していたようで、同意するように小さく頷いていた。
「私たちの基地が向こうにあるの。そこで、青海提督っていう私たちのリーダーとお話をしてもらっていい?」
〈それはこちらが願っていることよ。ここの情報があまりにも少なすぎて困っていたの、感謝するわ。……海の上を滑る人間のこととか、黒い女性のこととか、詳しく聞かせてもらおうかしらね〉
〈それよりもシルバーホークの補給ができるかどうか確かめたほうがいいって! 俺たち、もういろいろ枯渇してんだぞ! それに姿形もなんかよくわからん二頭身キャラクターになってるしさ!!〉
〈要相談な事柄がどんどん増えていくわね。緑服のお嬢さん、お名前はなんていうの?〉
「え、私? 瑞鳳です」
〈ずいほう、ね。私はヒストリエ。あっちの緑のに乗っているのがヴェルデ。まあ、しばらくよろしくってことかしらね〉
態勢を立て直した鈴谷と熊野とともに瑞鳳は基地へと戻る。その遠い頭上には2機のシルバーホークが追従していく形になった。
青海提督がどのような判断を下すのかは分からない。だけどきっと悪いようにはしないはず――信頼をよせながら、瑞鳳は提督への連絡をしようと機械に手を伸ばした。