宙を舞っている。ぐわんぐわんと回転する視界の中で龍驤はそれだけを認めていた。
なんでうちは空を飛んでるん? 航空母艦は空を飛ぶものではないんやで――現実離れしたことが起きている現状に心を揺り動かされた龍驤は、背中に大きな衝撃を受けて目を開く。なにか硬いものの上でごろごろ転がされているのだ。
うわああ、と悲鳴を上げる龍驤。混乱し、あたりの状況が分かりにくい中で、彼女は加賀が転がり落ちているのを認めた。その近くでは赤城も転がっている。緑色の斜面。いや違う、これは装甲板だ。普通の軍艦なんかじゃ考えられないほどに必要以上に分厚い。
装甲板の斜面は急にその傾きを強くしていた。ぶんと放り投げられた龍驤は頭から着水し、うめき声を上げつつどうにか二つの足で海面に立つ。そこで龍驤はようやく理解した。自分たちはエンシェントバラージに体当たりをくらわされたのだと。
体中がズキズキ痛むが、ダメージとしては小破程度のものだ。艦娘の不可視装甲で凶悪なる深海棲艦の攻撃に耐えられる。超質量のエンシェントバラージの体当たりを受けてもこの程度のダメージでどうにか抑えられている。
「くうーっ、あの鈍亀、絶対に泣かしたる!!」
〈大丈夫か龍驤! 怪我は!?〉
「ない! あんなあオールド、体当たりかましてくるならそう教えてくれたってええやろ!」
〈とっさに出来るかそんなもん! それにヘタに動いたらもっと痛いに決まってんだろ!!〉
こんな時にギャーギャー言いあっている場合ではない。だが二人の言葉の調子にはまったくトゲが含まれていなかった。少し荒い調子の軽口の言い合いだった。
「このクソ亀はあとどのくらいで落とせるんや?」
〈あと少しだ! 見えないかもしれないが、船体下部に赤いスパーク光が漏れている。あと一息だ〉
「それならオールドは支援艦隊と一緒にエンシェントバラージをやるんや! うちらはハイパージョーを倒しに行くでえ!!」
〈気をつけろよ。ヤツは亜空間から追加の武装パーツを呼び出して装着するはずだ。気を抜くなよ!!〉
立て続けに緑色のウェーブを撃ちまくるオリジンの援護を受け、空母三人がエンシェントバラージからの距離を取る。
彼女たちが危険領域から離脱するまで、レジェンドとネクストが設置バーストで支援していた。細い蒼色の光は空母達を狙うレーザー砲の一部を塞いでいたのだ。
「ありがとうブルー。助かりました」
〈礼なんていいよ加賀、それよりどうする? ハイパージョーは艦娘だけで倒せそうか?〉
「万全を期すなら、あなたのネクストかレッドのレジェンドが要るけれど。余裕はあるの?」
〈こんなもんオールドのおっさんと、もういっこの艦隊があれば大丈夫だ!〉
「なら、オリジンと支援艦隊に任せるわ。よろしく」
そう告げるが早いか、加賀は着艦準備をしながらハイパージョーへと向かっていく。隣の赤城も同じようにして航行し、彼女たちの飛行甲板にレジェンドとネクストが着艦した。
矢に変換したシルバーホークに手早く補給ペーストを塗りこみ、すぐに発艦させる赤城と加賀。二人の狙いはハイパージョーにある。
「レッド、金剛さんたちを助けて!」
〈わかってる。よし、いつでも発艦してくれ!〉
「っ、レジェンドシルバーホークバースト、発艦!!」
ぎゃりぎゃりと引き絞った赤城の弓から何もかもを裂き飛ばす勢いでシルバーホークが飛ぶ。その後ろに加賀が発艦したネクストが続き、二機編成で海面スレスレからハイパージョーめがけて飛んでいく。
ハイパージョーの横につけながら近距離での戦闘に挑む金剛は、その更かし装甲をひどく消耗していた。ハイパージョーには上ヒレの他に左右の横ヒレが存在し、ここからもウェーブ攻撃が繰り出されるのである。
それによる不意打ちを受けていた金剛はどうにか応戦しながらも確実にダメージを蓄積し、轟沈の危険を背負い続けている。
ハイパージョーに攻撃を集中させていた金剛を狙っていた深海棲艦らは、球磨と空母組の艦載機によって撃破されているが、予断を許さない状況だ。艦載機は確実に数を減らしているし、球磨も中破級のダメージを負っている。その証拠に彼女のセーラー服のところどころが破損し、魚雷発射管も使い物にならなくなっている。
一方でハイパージョーの左側面を取っていた比叡は、この側面に陣取っていた深海棲艦の撃破にあたっていた。既に軽巡ホ級と空母ヲ級は撃破しているが、ハイパージョーの火力支援を受けた戦艦ル級をダメージを与えるのには骨が折れそうな思いをしている。
比叡も航空支援を受けて入るのだが、半端なそれではハイパージョーの対空砲火に叩き落とされてしまう。ある程度のダメージを通行料代わりにル級を撃破したほうがいいのか――早く金剛の助けにならねばと焦り始める比叡は、その耳にざざっとしたノイズを聞く。
〈比叡、援護するから伏せるんだ!〉
レッドというシルバーホーク乗りの妖精の声だ。そう認めるが早いか、比叡は素早く屈みこむように姿勢を低くし、そこでハイパージョーが右側に傾きつつあるのを見た。左側のヒレが金剛に狙いをつけようとしている!
「お姉さま、危ないっ!!」
〈そのためのシルバーホークなんだ、よっ!!〉
今度はブルーが通信に割り込んでくる。同時に蒼く細いレーザーが金剛に向けているヒレに直撃し、爆発を起こす。だがそれでは完全破壊が成し遂げられないのは比叡には分かっていた。爆発と煙の向こう側に形の大部分を残すヒレが見えている。
もっと攻撃を集中すれば――そう考えた比叡は大口径の砲の狙いを戦艦ル級からハイパージョーに変えようとして、それをやめた。もう一本の設置バーストが最初の設置バーストに合流し、二つ合わせて極大のバーストビームへと変化したのだ。
バースト機関にこんな力が秘められていたなんて、と驚きながらもル級目がけて比叡は砲撃する。ヒレが完全破壊されたのは大爆発の音を聞けば分かる。
驚愕に目を開いていたらしいル級がはっとして比叡の方へ向き直った時にはもう遅かった。比叡の砲撃が二度直撃し、不可視装甲が弾け、体の大部分があちらこちらに細かく散っている。
「ありがとうブルー、レッド!」
〈礼にゃまだ早いよ。さーて、もう片方のヒレもやっておくか!!〉
その必要はないデース! と通信に横槍が入る。金剛の苦しげな、しかしそれをどうにか押し殺しているような調子の声が届いた後で、連続した爆発音が轟いた。
立て続けに体の内側で響くような轟音に顔をしかめながらも、比叡は心のなかで金剛を褒め称えた。自分が慕っている者がしっかりと戦えていることに喜びと嬉しさがある。
〈これで残るはハイパージョーだけだ。気を引き締めてかかろう〉
「がってんだクマ! けど、球磨は邪魔にならないように少し下がるクマ」
傷を負って轟沈する可能性もあれば、魚雷発射管が破損して使い物にならない事情もある。球磨には後ろから砲撃をしてもらおう――旗艦として金剛はそう判断する。
上ヒレと左右のヒレを失ったハイパージョーは、艦に埋め込まれていた砲を撃ちつつ海中に潜る。そうはさせまいと金剛と比叡が、戦艦が持ち得る大口径の砲で追撃をするが逃げられてしまった。
「レッド! 追撃をお願いします!!」
〈任せておけ。ヤツは艦体から赤い光を漏らしていたから、もうじき落とせるはずだが、油断するな。まだ戦いを諦めてはいないはずだ〉
「え?」
〈ジョーシリーズは亜空間から追加の武装ユニットを呼び出すことが出来る。運用方針が以前と変わっていないのであれば、呼び出すタイミングは今くらいのものだ〉
海中に逃げ込んだハイパージョーを負うレジェンドとネクスト。赤城と通信を続けるレッドは「やはりな」と冷ややかに口にした。
「さっき言っていた武装ユニットを!?」
〈そうだ! 金剛に比叡、今すぐその場を離れろ!! 突き上げられるぞ!!〉
揃った返事が返ってしばらく。
つい先程まで金剛と比叡がそこにいて戦いを繰り広げていた場所にとんでもない大きさの水柱が上がった。隕石が落ちでもしない限り見上げるのにも骨が折れるようなものは上がらないだろう。
どばばらば、と打ち上げられた大量の水が海面を打つ。そうして姿を現したのは、5つのトゲのような砲身を持つユニットを艦体に備え、あからさまに第二形態とアピールしているハイパージョーだった。
追加ユニットを装備したハイパージョーが目をつけたのは金剛だった。中破まではいかなくとも手強い相手が手負いの状態なのだ。自分が敵の立場ならそうするだろうと金剛は思う。
「お姉さま、危ないっ!!」
「
金剛めがけて航行しながら、ハイパージョーは武装ユニットを使って怒涛の攻撃を仕掛けていく。緑色の大きなエネルギー弾を絶え間なく撃ち続け、さらに緑色の曲線を描くレーザーも加えている。
全速力で引き撃ちを続ける金剛はそれらを巧みに避けながら、ハイパージョーの武装ユニットめがけて砲撃する。ハイパージョーの後ろでは比叡が追いかけ、彼女の遥か上ではレジェンドとネクストが機関砲を連射していく。バースト砲は誤射を恐れてトリガーに手をかけていない。
「シルバーホークのパイロットさん! あと少しでこのサメ、倒せるの!?」
〈そのはずだ! あと一分もこの調子で撃ち続けりゃ爆発する!!〉
比叡の問いかけにブルーが興奮気味に答える。確かにハイパージョーの船体からは赤いスパークがほとばしってやまない。活動限界の近くまで追い込めているらしいと比叡は心のなかでグッと拳を握る。
一方、ハイパージョーの砲撃をかわし続ける金剛は、その至近弾によるダメージしか受けていないでいた。この状況が続けば10秒後には主砲のどれかが使い物にならなくなるだろう。不可視装甲も衰弱して強度が足りなくなる。
(ちょっと
武装ユニットの攻撃は戦いに慣れているものならばどこを狙っているかのおおよその検討はつくものだった。トゲのような砲身が向いたところに大きなエネルギー弾が飛び、細く長く照射されるレーザーも最初の2秒は予告線のようなものが飛ぶだけだ。きちんと観察すればあまり怖いものではない。
本当に怖いのは錨のような砲弾だった。否、それはア
アンカーミサイルを自由に避ける事ができれば問題はないのだが、そうさせてくれないのが緑色の通常攻撃と長く照射される細いレーザーである。戦いを続けてしばらくして金剛が理解したのは、武装ユニットを召喚・装着したのはこれによる火力増強だけが目的でない、ということだった。
(私が耐え続けることで後ろから比叡やシルバーホークが攻撃できている。なら、いまの私の
海面ギリギリを飛行するオリジン。その航行速度の速さで海面は激しく飛沫を上げ、猛々しさを映し出していた。
オールドが搭乗するオリジンはエンシェントバラージと交戦していたのだが、その戦いも佳境を迎えていた。エンシェントバラージの船体から赤いスパークが強烈にほとばしっているのだ。
あと少しで撃破できる――気が緩みそうになるのをしっかり厳しく縛り直し、しかしオールドは積極的に攻撃に参加しない。エンシェントバラージとの距離はかなり遠くとっている。
理由は味方の砲撃に巻き込まれないためである。長門を旗艦としてやってきた支援艦隊の一斉砲撃、雷撃は凄まじく、重厚な装甲でダライアス宇宙軍に知られていたエンシェントバラージの防御を確実に崩しているのである。
特に突出しているのが長門と陸奥の大口径の砲による圧倒的な砲撃だ。既にオールドがエンシェントバラージのバースト砲を徹底的に破壊しているため、艦娘やオリジンにとって最大級の脅威になる攻撃はもうない。
もうエンシェントバラージの船体は黒く焦げているか、削げ落ちているかしているところばかりだ。この調子で攻撃を続ければ――オールドは勝利を確信したが、次の瞬間にああっと目を開いてしまう。
エナジーフィールド。エンシェントバラージが持つ絶対的な防御手段だ。いまは頭部センサのある前面部に集中砲撃を加えられているのだが、そこのあたりにエナジーフィールドを展開したのだった。青白い、半透明の盾。ありとあらゆる攻撃を遮蔽する絶対防御。
まずい、とオールドは直感する。エナジーフィールドはバースト機関の応用で形成されるためか、瀕死のエンシェントバラージはごく狭い範囲でしか展開できていない。そのせいで長門たちはエンシェントバラージの、おそらくは最後の「攻撃」に気づいていないのだ。
「長門! 以下その指揮についてる艦娘たち! いますぐ攻撃をやめろ!!」
〈なんだって!? あと少しで倒せるのだぞ!!〉
「いま奴に攻撃を加えるな! 奴はいま絶対防御を――」
オールドが言い終わる前にエンシェントバラージが仕掛けた。緑がかった白く図太いビームを打ち返したのだった。エナジーフィールドで受けた攻撃は亜空間に貯めこまれ、増幅されてカウンタービームを放つ仕組みになっている。その反撃がきれいに決まってしまった。
本来なら三叉のレーザーであったはずが、もう撃沈寸前のためか二方向にしかそのビームは撃てていない。
長門たちの驚きに満ちた声がオリジンのコクピットを包み、そして二つの悲鳴が遅れてこだました。歳の若い子供のような声だった。
「――くそおっ!!」
〈いまやられたのは……暁と響か!? あのカメ……おのれぇ!!〉
エンシェントバラージにエナジーフィールドを展開する力はもう残っていない。青白いバリアが霧が晴れるかのように消え去った直後、長門はエンシェントバラージの頭部の真正面に陣取っていた。
彼女が背負う仰々しい艤装の大砲が、彼女よりも一回りも二回りも大きな緑色の頭部に狙いを定める。長門の表情は激しい怒りに歪み、元は凛々しく整っていたのであろう美貌は憎しみに染まる。
背後に大爆発が起きるのを聞き、白い光が差すのをオールドは認めた。長門が怒りに震えながらエンシェントバラージにとどめをさしたことは、後ろを見ずとも理解できていた。
オールドがしているのは、エンシェントバラージの最後の攻撃を受けたという、暁と響なる二人の艦娘を探すことだった。彼のオリジンに続く形で重巡艦娘の愛宕が捜索に加わっている。
ざざ、とオリジンのコクピットにノイズが走り、通信回線が開く。オールドは周囲の捜索を続けながら話す準備をした。
〈こちらは愛宕よ。シルバーホークのパイロットさん、あの子たちは見つかった?〉
「ああ――そこだ、あんたから見て一時方向。仰向けに浮いている……なんだありゃ、血まみれだ」
えっ、と凍りつくような返事。オールドは自分が見つけた場所にすぐに赴き、愛宕にこの位置だと知らせるように飛行する。眼下の小さな艦娘が腹のあたりを血に染めながらオリジンをぼうっと見つめているのを、オールドは悔しげに見つめ返した。
金髪碧眼。セミロングな髪と青色の制服をなびかせて愛宕は前進し、ややあって停止する。仰向けになって浮いている暁と響を抱え、どうにか立たせ、とても遅い速度で航行するに至った。
力尽きた艦娘は海の上に立つ力を失い、沈み、死ぬ。力を抜いて海に浮くなんてことが出来なくなるという――そんな話を思い出したオールドは、セーラー服を着た十二歳前後らしい二人の艦娘が生きていたことに安堵した。
〈パイロットさん、聞こえる?〉
「ああ」
〈一緒に探してくれてありがとう。ねえ、鎮守府に戻ったら一緒にお茶でもどう?〉
「無事に戻ってこれたのを祝うのはいいだろう。でも、その前にやらないといけないことがある」
そう。オールドにはまだこの戦場でなさねばならないことがある。もう一つの
ここから少し離れたところで、いつのまにか追加武装ユニットを装着したハイパージョーが金剛を追い掛け回しているのが分かる。愛宕たちを置いて急発進したオールドは急速にハイパージョーとの距離を詰める。
だがオールドは急停止をかけた。ハイパージョーの船体にひときわ大きな赤いスパークが走り、直後に大爆発を起こしたのだ。金剛と比叡の砲撃と二機のシルバーホークバーストの攻撃が主に貢献していたようだ。
オリジンを龍驤の頭上によせるオールド。次々に着艦させていく彼女の姿を見て、やはり艦娘は人ではない何かを持っているのだという思いを強くさせた。ミニチュアのようなプロペラ航空機が巻物の飛行甲板の上で紙に変わり、隣の赤城と加賀は矢に変えていく。
全くもってファンタジーな戦場だ、とオールドは思う。ファンタジーといえば。エンシェントバラージのエネルギーフィールドのカウンタービームで宇宙のチリと消えた仲間たちのことがオールドの記憶に強く残っているが、暁と響という背の低い艦娘――おそらくは駆逐艦級だろう――はなんとか生きていた。
「……うらやましいもんだね、ホントに」
〈おかえりオールド。なんかうちに言った?〉
「いいやなんにも。さあ帰ろうぜ、おじさんたちの鎮守府に」
〈せやな! それじゃ金剛ー! 帰還の準備をたのむでえ!〉
〈了解ネー! 敵も倒せたし、轟沈してしまった味方もいない。最高の勝利デース!!〉
浮かれるのはまだ早えんじゃねえのか、と着艦して紙になったオリジンの中でオールドは思うが、口に出すのはやめた。
油断をしているわけではないというのは金剛の様子を見れば明らかだ。巫女服のような制服はところどころが破けているし、肩のあたりは大怪我を負っているらしく血も流れている。
とにかく今回は勝てた。それでいいじゃないか。紙になったオリジンのコクピットでオールドは深くため息をつく。今日も深海棲艦とベルサーの巨大戦艦と戦って生きて帰ってこられた。これほど嬉しいことはない。