艦娘と銀鷹と【完結済】   作:いかるおにおこ

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鳳翔の誓い

 鳳翔と少年は学校前にある遊具場のブランコに腰掛けていた。

 錆びついた鎖がぎいぎいと軋みをあげて二人を揺らしている。やや離れた場所に校舎と体育館があり、そこには多くの町民が逃れていた。校舎と遊具場の間にある運動場(グラウンド)にも人はいるが、数えるほどしかいない。

 

 この辺りの調査をしなければならないが、鳳翔はどうしてもこの場を離れることができなかった。それは少年も同じようだ。まるでお互いの額に拳銃を突きつけあい、首元にはナイフを添え合っているかのようだった。

 ただ、お互いに突きつけあっているのはガスガンだし、刃のない武器だ。二人の間には殺気はない。あるのは後悔や怒り、悲しみなんかの重く暗い雰囲気だけだ。

 

「……僕はもうここにいる。だから、離れたらどう」

 

 不意に少年が口を開いた。よく見れば身なりは整っていて、裕福な家庭の子供のようにも見えるが、なにかが微妙にずれている。奇妙な違和感。

 鳳翔はブランコから離れようとする。だがその動きはすぐに止まった。粘着質な何かに包まれているような気持ちで、出て行きたくても出ていけないのだ。

 

「もう少しだけ、ここに――」

「迷惑なんだよ。自分の家族の体をのっとって、軽空母・鳳翔だって? ……くそっ、こんなに憎たらしいものかよ」

 

 あまりにも無礼なものの言い方だと思ったが、この年頃であれば仕方がない部分があるのかもしれないと鳳翔は心を落ち着ける。暴力はマズい。少なくとも、いま、この場では。

 しかしこの少年はなにも前が見えていないのではないだろうか、と鳳翔は不安になる。先ほどまで展開していた侵略。これを繰り広げていたのは深海棲艦と巨大戦艦だ。

 巨大戦艦のことは広く国中に、世界中に報じられている。深海棲艦に味方する未知の兵器――シルバーホークバーストがこの世界に現れるまで、そう知られていた。いまはあれが宇宙人(ベルサー)の侵略兵器であることは知られている。

 同様に艦娘のことは広く知られている。情報開示がなされていて、決して情報規制やらなにやらを実施はしていないのだ。そして宇宙から現れた戦闘機、シルバーホークの情報も開かれている。なにも隠し立てをしていないし、取材のために人を鎮守府に招き入れたこともあった。

 そう。人類を皆殺しにしようと動いている深海棲艦と、それに与するベルサーの巨大戦艦と戦っているのは艦娘とシルバーホークなのだ。間違っても守られている側の人間の発する言葉ではない。

 

 だから覚悟を決めた鳳翔は少年に平手打ちをかました。暴力はいけないと思ったのを苦渋の判断で覆した。

 きれいに乾いた音があたりに響く。そうして鳳翔は自分の心が乱れているのを自覚した。

 自慢ではないが、鳳翔はこの少年くらいの外見年齢の艦娘からはよく慕われていた。休み時間には鳳翔さん、鳳翔さんとよくくっつかれて、一緒に買い物に行くことだってある。

 それが最初から敵意をむき出しにされて困惑しないわけがない。いま平手打ちをかましたのは自分の困惑や怒りからではなく、少年に立場をわきまえさせるためだったのだと強く言い聞かせて、鳳翔は表情をかたくして少年を見る。

 

「……僕だってわかってるんだ」

「?」

「あんたが姉さんじゃないってことはわかってる。すんげえ恥知らずで無礼でクソガキみたいなことやってるのはわかってるんだ、だのに、どうしようもなく苦しいんだ。……あんたと会わなければ、こんなことにはならなかったのに」

「……話を聞きましょうか。どうやら君は、落ち着く必要がありそうだもの」

 

 自分が落ち着く必要があるんじゃないのか、と鳳翔は自嘲気味に笑ってみせる。その意図を知ってか知らずか、少年はふいっと視線を逸らして語り始めた。

 

「……僕の名前は翔だ。名前がわからないと困るでしょ?」

「ええ。改めて名乗りましょうか。私は艦娘。軽空母、鳳翔です」

 

 はっきりと線引をさせる。ここにいるのは翔少年の姉ではない。鎮守府に属して人々を守るために戦う艦娘なのだという線引を、はっきりさせる。

 

「……だめだ、なにから話せばいいか分かんない、メッチャクチャいらついてるんだ」

「それなら君のことを話してもらえませんか? ちょうどいい話題だと思いますよ」

「僕のこと?」

「ええ。君のこと。家族のこと。お姉さんとの思い出を話してみたらどうですか?」

「……とーちゃんとかーちゃんは漁師をやってた。深海棲艦に襲われて死んだ。まだ奴らが現れて間もない頃だった」

 

 歩みを確かめるような、ゆっくりとした調子で翔少年は語り始める。鳳翔はそれを黙って聞くことにした。

 

「それから軍の人たちが深海棲艦を倒すための武器を見つけたって発表したんだ。知ってる?」

「最初に艦娘という存在を公表したことですか?」

「うん。最初聞いた時はびっくりしたよ、そんなゲームやアニメみたいな話があるもんかって。出来の悪い童話(メルヘン)のようにも思えた」

「……」

「だって、船に魂があってさ、大昔の戦争で沈んだ船の亡霊がどうとか……いかつい顔したおじさんがマジメな顔して喋ってたんだよ。これが映画の話だったら、僕はきっとお腹を抱えて笑っていたと思う。でもね。こんなバカバカしいことが現実にあるんだって思うと、とても不安だった」

 

 こんな年齢の子供が直視する現実にしては重すぎる。かわいそうに、と鳳翔は思うが決して表に出さない。そうしていい関係にないからだ。

 

「テレビで説明をしていたあの軍服のおじさんは、深海棲艦に対抗できる武器があるって言ってた。最初はレールガンかな、人型ロボットかなとか、すごい軍艦でも作ったのかなとか、それとも核兵器くらいしかないのかな、って思ってたんだ」

「でも違った。あの時に発表されたのはもっと荒唐無稽(ばかばかしい)なものだった……自分で言うのもなんですが、広く一般に考えて、艦娘というのは想像するのがやさしくないと思います」

「だよね。それでこの町の近くに鎮守府が立つようになって、このあたりの海は安全ですって言われた。その時の提督は60もいっていそうなおじいちゃんだったのを覚えてる。顔だって覚えてるよ。軍人の人だって思えないくらいに穏やかそうで、優しそうで、でも深いしわには本物の傷もたくさんあったんだ」

 

 翔少年のいうおじいちゃん提督には覚えがあった。鳳翔がいまの鎮守府に属するようになったのは一年前で、当時の提督は小森提督ではなく、菊林という提督だった。

 軍人としても経験の長い人物で、厳しいながらも穏やかで艦娘らにくまなく配慮をしていた姿勢からよく慕われていたのだが、三ヶ月前に体調を非常に悪化させたために提督業を引退せざるを得なくなってしまった。

 この菊林提督の後任が小森提督であるが、引き継ぎがうまくいかなかったことや小森提督に軍人としての経験が薄いことで一部の艦娘からの反発があったことを鳳翔は知っている。いまでは小森提督を悪くいうものは殆どいないが、引き継いだ当時はとてもごたごたしていたのだ。

 

「知っていますよ。菊林提督っていうんです、とてもいい方でした」

「僕もそう思うよ。鎮守府ができてから近海哨戒っていうの? そういうのにすごく取り組んでくれて、最初は深海棲艦を皆殺しにするんじゃなくて人々の安全を守りたいんだってこと、教えてくれたんだ」

「ええ」

「新聞やニュースみたいに間接的な伝え方じゃなくて、ちゃんとこの町に来て、隣に艦娘を連れて説明してくれたんです。きちんとレーダー網を構築して、深海棲艦が現れてもいち早く対応して撃退するとか、少しずつ安全海域を広げていくとか、ちゃんと約束して、きちんとやってくれていた。……感謝はしているんだ、感謝は」

 

 これが普通の人間ならば感謝してますありがとう頑張って、というような好意的な言葉に繋がるのかもしれない。だが翔少年は事情が違う。彼は鳳翔の器となった少女の弟なのだから。

 

「なんだか話がそれちゃったな」

「そうですね。……気が進まないなら、ここでお互いにおわか――」

「ってのもイヤなんだ。ホントは会っちゃいけない間柄なんだから、このくらいしか直接会話をするなんてことはないんだ。だよね?」

「……君の言うとおりです」

「一年以上も前に深海棲艦が現れた。艦娘という対抗できる武器も用意出来た。でも、都合のいいことばかりじゃなかった」

 

 翔少年はそこで押し黙ってしまった。言葉にするのに勇気とエネルギーが必要なことがある。彼にとってはいまがそれなのだと、鳳翔には分かっていた。

 

「……艦娘は人間の女の子に船の魂を宿して完成だ。でも、話はそう簡単じゃない。最初に魂との適合適正があるかどうかを検査しないといけない」

 

 一般人の翔少年でも艦娘についてここまで知っている。理由は簡単だ。軍部がある程度までは情報をオープンにしているからだ。

 どこからかすっぱ抜かれたり、マスコミのスパイのせいで情報が漏れた、ということではない。最初に軍部が情報を開示し、国の人々に理解と同意を求めたのだ。世界中を覆う災厄、深海棲艦という災いに立ち向かうにはなにもかもを一丸とする必要がある。一枚岩でなければならない。

 

「ええ」

「姉さんが艦娘になるって言ったのは一年前のことなんだ。その前々からとーちゃんとかーちゃんはいなかった。漁に出てたところを深海棲艦にやられたんだ」

「戒厳令とかが出て――」

「まだ奴らが現れてすぐのことだったんだから、警戒しようったって出来るわけがないだろ」

 

 トゲトゲしいのを隠さない調子で翔少年はため息をつく。

 

「――そうですか」

「……姉さんはね、遠い街で専門高校に通っていたんだ。料理師になるのが夢だったんだよ。でも、とーちゃんとかーちゃんが死んで、姉さんはこの町に戻ってきたんだ。僕を守るためにね」

「……」

「他に身寄りがなかったんだ。親戚の人たちはアテにできない事情があったし、だから姉さんは僕を守って養おうとして、この町に戻ってきた。この町の料亭でお手伝いをしてお金を稼いで、国からの補助金ももらって生活をしてたんだ。でも、生活はとても苦しかった。よくテレビのドラマで貧乏な家族のお話があるでしょ、あんなのを地で行ってたんだ」

「お姉さんは、とてもいい人だったんですね」

「そう思うよ。まだやりたいことがたくさんあったはずなのに、僕を助けるんだ、守るんだって、そこのあたりはとても頑固だったから」

 

 空を見上げて翔少年は押し黙った。また語り始めるのに時間とエネルギーが必要なのだ。鳳翔は彼の横顔を見ることなく、ブランコに戻って軽く揺らし始める。

 

「……姉さんが艦娘になるって言いだしたのは一年前。その、菊林っていう提督がこの町に来てちょっとした後だった」

「艦娘の適性検査ね?」

「この町にいた女の子の大半が検査を受けることになった。でも、艦娘の適性のある人ってそうそういないんだね」

「?」

「ここでやった適性検査はね、一人しか適正アリって診断しなかったんだ。……僕の姉さんさ」

 

 話には聞いたことがある。同じ艦娘の「かぶり」はほぼ存在しない、ということを。

 鳳翔はその理由を思い出した。艦娘の適性検査は国中で多く行われているが、船魂と適合する被験者はとても少ないのだ。

 そして船魂は一つだけではない。鳳翔のように軽空母鳳翔の船魂を宿した少女もいれば、軽空母龍驤の船魂を宿した少女もいる。戦艦長門の船魂を宿した者も、空母赤城の船魂を宿した者も――

 船魂の種類がざっと100近くもあるのに適正アリの被験者の数はとてつもなく少ない。しかも適性アリとされた者が艦娘になる同意を必ずするということもありえない。彼女たちには選ぶ権利がある。

 

「その日まで僕は姉さんに申し訳ないって気持ちがあった。まだ僕は子供で、これから力をつけなきゃいけない。勉強して社会にでる準備や、もしも人間が生身でも深海棲艦と戦えることになった時のために鍛えなきゃ、ね」

「……」

「でも、他にも姉さんには向けてた思いがあった。怖かったんだ。僕を養おうとするのは並大抵の努力じゃどうにもならないはずなんだ。でも姉さんはずっと僕に優しくしてくれていた。それが怖かったんだ」

「どうして?」

「……姉さんを縛り付けていたのは僕だった。例えるなら僕は鎖で、この町は牢獄なんだ。……もしも童話に出てくるような王子様が姉さんを助け出そうとしたら? その時僕はどうなる? 姉さんはどうしてしまう?」

「君はそうなった時に捨てられるのが怖かったのね?」

「そうだ。……でも、姉さんが艦娘になるって僕に教えてくれた日にね、僕はもう、嫌になって仕方がなかったんだ」

 

 いつの間にか翔少年の目元が赤くなっている。いまにも泣き出しそうなほどに潤んでいて、しかし鳳翔を睨みつけている。

 

「僕は、姉さんに『本当は知っていちゃダメなこと』を教えてもらったんだ」

「えっ」

「知ってるんだ。『姉さんはもう死んでいる』ってことを」

 

 愕然とした。鳳翔は自分の心のなにかがガタガタと音を立てて崩れそうになって、それを必死でこらえた。

 

 

 ――艦娘について軍部は一般人らに対して嘘をついていることがある。

 船魂との適性のある女性に処置をして艦娘を完成させる。これは嘘ではない。

 艦娘となった女性の家族は厚い待遇を受け、生活に困ることがなくなる。これは嘘ではない。しかも艦娘となった女性が死亡しても、これの家族の待遇が解消されることはない。これも嘘ではない。

 艦娘となった女性の本来の人格は、艦娘となる処置の際に封じ込められ、艦娘としての兵役が終わると同時に開放される。これは本当ではない。

 確かに二重人格者を作り出さないように本来の人格の処置は必要だ。だが軍部は「記憶の封じ込め」処置と偽っていて、同時に「記憶の解凍が無事に成功する保証はない」とも謳っている。

 

 

 

 艦娘となった女性の人格は消滅してしまう。軍部の人間でしか知り得ないこのことをどうして翔少年が知っている?

 

「ほんとうなんだね、その様子じゃ」

「……」

「分かってたけど。姉さんがあんな嘘をつくことがないもの」

 

 やっと鳳翔は理解した。

 翔少年が自分に向けて憎悪、敵意を向けている理由を。

 彼にとって鳳翔は「姉の体を借りて危険な戦場に臨む不安な戦士」などではない。

 ――姉の人格を抹消してその身体を乗っ取った存在。仇も同然の存在。彼にとって鳳翔は「殺しても殺し足りないほど憎い存在」なのだ。

 

 

 

「……それならば」

「なんかいった?」

「私がいましなければならないのは、君の話を聞くことです。聞かせてください」

 

 意外なものを見るように翔少年は表情を変えた。が、すぐに鳳翔を睨みつける。涙目になりながら。

 

「あんたには姉さんのことを知ってほしい……知らなきゃいけない」

「ええ」

「……艦娘の適性検査でこの町のほとんどの女の子が病院に集められた日、きっと姉さんはすぐに帰ってくるものだと思ってた。でも違った。ちょうど昼の一時くらいに出かけていったのに姉さんが帰ってきたのは夜の十時くらいだったんだ」

「そしてお姉さんは君に艦娘になることを話したのね」

「……最初、僕は、姉さんが僕を負担に思っていたのがこらえきれなくなったのだと思った。もう僕を養おうとするのにうんざりしていて、姉さんにとって艦娘になることは白馬の王子様に迎えに来てもらうのと同じことなんじゃないかって思ったんだ」

 

 でもそうじゃなかった。呟くように翔少年は言葉を切った。

 また言葉を発するのに時間とエネルギーが必要なのだろう。それも、これまでとは比べ物にならないほどの。そう踏んだ鳳翔は目を閉じて翔少年の言葉を待つ。

 

「――その時、姉さんは『話してはいけないこと』を教えてくれた。禁則事項とか、トップシークレットとか、そういうもののことだって言ってた」

「ええ」

「だから、いま、あんたになにをされても不思議じゃないってことだよね」

「ええ」

「でも話を途中でやめるわけにはいかないんだ、あんたは聞かなくちゃいけない」

「……ええ」

 

 正直なところ、鳳翔には翔少年を咎める気持ちはなかった。軍属の人間として最高機密を知っている者をどうにかしなければならないことは分かっている。だが、鳳翔には、翔少年を捕まえてしかるべき場所に連行する気持ちがどうしても湧き上がらなかった。

 

「僕は姉さんに言った。僕のことが重荷になっているんだろう、だから僕を切り離して艦娘になるんだろって。艦娘になってからの給料やその家族の厚遇で僕を養おうとするのは建前なんだろって」

「……」

「そしたらどうなったと思う? 姉さんはね、僕にビンタしたんだ、さっきあんたがしたみたいに。姉さんは言ってたよ、そんな悲しいことのために艦娘になろうだなんてこれっぽっちも思っちゃいないって」

 

 もしもそうだったら鳳翔はこの器の娘を良くは思わなかっただろう。弟のために頑張っていたのはいいが、最後の最後に堕した結末を選んでしまうのであれば、それは褒められたことではない。

 

「姉さんはね、自分を犠牲にしてでも僕を守りたかったんだって。それで艦娘になれるって分かって、とても喜んだんだ。艦娘になる女の子の家族は国から沢山のお金をもらえる。それで僕は死ぬまでなにもしないで暮らせるって姉さんは言ってた」

「ええ」

「それに姉さんは僕に申し訳なさがあったんだって。どれだけ頑張っても十分に満足な暮らしをさせてあげられなかったってさ。貧乏暮らしもこれで終わりだって。でも、あの時の僕は、それは嘘だって言っちゃった。詭弁なんだって」

「……」

「そしたら姉さんは自分がどれだけ本気で艦娘になろうとしているかって、教えてくれたんだ。……姉さんはそのためだけに、教えられたトップシークレットを教えてくれたんだ」

 

 もう翔少年は泣いていた。隠す素振りは見せていない。泣きながら、喘ぎながら、鳳翔に自分の姉のことを伝えていく。それが彼の使命であるかのように。

 

「艦娘になったらその人の記憶を凍結して封じ込めて、艦娘としての任務が終わったら記憶の解凍が行われる――僕はそういうふうに聞かされていた。でもそれは軍の人たちが隠してたことで、本当は記憶の凍結なんて出来ないって。二重人格な人を軍隊に組み込むのはリスクが大きすぎるって」

 

 結論から言えば、そんな不安定な人物は軍隊では用いることは出来ない。

 たとえば好戦的な人格とそうでない人格を持つ艦娘がいたとする。戦闘の際に好戦的な人格が現れていればいいが、そうでないものに切り替わってしまったらどうなるだろうか。他にも多重人格者とごく普通の精神構造の者が正常な交流をすることなど出来るだろうか。

 どれも困難を極めると鳳翔は思う。だから器となる人物の「記憶処理」はどうしても避けては通れない。これが軍隊の話ではなく心温まる触れ合いの物語であれば話は別だ。でもそうじゃない。鳳翔は心の中で頭を振った。

 

「つまり、姉さんは、自分を犠牲にすることで、僕に絶対の安定と幸福を与えようとしたんだ。ホントはそんなの嫌だって姉さんに言いたかった。抗議したかった。でも。……でも、姉さんは本気だった。自分が死んで、僕を助けるって、そう言い切っていたんだ」

「……」

「姉さんの覚悟に、僕は圧倒されていた。なにも、なにも言えなかった」

「……お姉さんは他になにか言ってましたか?」

「それはね、もう一つどうしてもやりたいことがあったんだって。自分たちのとーちゃんとかーちゃんを殺した、あの憎い深海棲艦どもをぶち殺してやるんだって。生まれ出てきてしまったことを死ぬまで死ぬほど後悔させてやるって、そう言っていた」

 

 弟に対する究極の献身。両親の仇に対する壮絶な憎悪。鳳翔は器の少女に畏怖の念を覚える。20年も生きていない少女がここまで、これほどまでの心を持っていただなんて。

 

「深海棲艦どもをぶち殺す力を持つ資格がある。それなら奴らを殺したい。多く殺したい。首を飾って写真にとってやるとか、とにかくむごたらしく殺したいって。そうすることも僕を守ることに繋がるんだって」

「そうして、君のお姉さんは、鳳翔(わたし)になったのね」

「……あんたがのっとって動かしてる体には、そんな過去があったんだ! 分かるか、記憶が消えてもう元に戻らないで人格なんてもんは消えちまった! そうなったら死んでしまうんだよ、人間は!! 艦娘になろうとした人がこんなに強い気持ちを持っているの、分かるか? 分かるよな!?」

 

 ブランコから飛び出した翔少年は鳳翔に飛びかかっていた。あまりに突然なことなので鳳翔はブランコから転げ落ちてしまい、その上に翔少年が位置どっている。

 半ば押し倒したような形勢だが、翔少年はぼろぼろ泣きながら怒鳴りつけていた。襟首を掴まれて、しかしそれ以上の暴力はない。

 

「分かります」

 

 それだけ話すのにどうして苦しいのか鳳翔には分からなかった。

 自分の上にいる翔少年が涙ぐみながらも驚いた様子を浮かべている理由も分からなかった。

 そして。鳳翔は自分が泣いている理由も分からなかった。消去しきれていなかった翔少年の姉の心がそうさせているのか?

 いや違う。そんなことが理由ではないと鳳翔はすぐに分かった。

 自分の心が泣いている。翔少年の姉を想って悲しんでいる。彼女を畏れている。そして敬い、感謝している。どうしたって両目から涙がこぼれてとまらない。

 

「君の話が聞けてよかったって、心から思います」

「……どうして。全然愉快な話じゃなかったのに」

「私はこの体の記憶を知りません。どうして艦娘になろうとしたのかも、分かりません。私には私なりの戦う理由があるから、知る必要がないと思っていました。でも……でも、それは間違いでした」

「あんた……」

「この子の戦う理由はとても尊いものだって分かって誇らしい気持ちです。誇らしくて、敬っている。そして艦娘になった子の家族のことが分かって、心からよかったって思います。私は君に殺されたって文句が言えない存在です。でも、私は。私は深海棲艦を倒さないといけない。おまけに、敵に味方している宇宙人も倒さないと」

 

 起き上がった鳳翔は翔少年の体を優しく抱きしめた。力強さのない抱擁。

 一つ間があいて、二人は殆ど同時に強く泣き始めた。あたりのことなど構わず泣き叫んだ。悲しいばかりじゃない。憎いばかりじゃない。ただただ、名状しがたいもの悲しさの雨に降られていく。

 

 

 

 

 

 

 結局、僕は、あんたに姉さんのことを知ってもらえたら、それでよかったのかもしれない――翔少年は思い出したように呟いた。

 学校の校門。そこで鳳翔と翔少年は別れようとしている。お互いに泣き晴れて顔は赤かったが、どちらも表情は穏やかだった。

 翔少年にとって鳳翔は「大切な姉を殺して乗り移った艦娘」であり「殺しても殺しきれないほど憎い」存在だったはずだ。だが。どういうわけか鳳翔は殺されていない。向けられていた殺意や敵意は霧散していた。

 

「あんたのことが憎かった。出来れば殺してやりたいとも思ってた。艦娘を使う軍の人たちも不愉快だった。でも、今日、あんたと話せて、本当によかったと思う」

「私もです。君と話せて、本当によかった」

「……これから被害報告の調査だって?」

「ええ。だから、お別れです。……そうだ、お願いがひとつ。ええっと――」

「今日のことは誰にも話さない。わかってる、誰にも話さない。心の中にしまっておく。……姉さんに悪いからね」

 

 翔少年は軽快に笑おうとして、しかしどこかぎこちない動きになってしまった。それでいいのだろうと鳳翔は思う。

 

「――それでは。……さようなら」

「ちょっと待った!」

「え?」

「あんたに手紙出すよ。そういうのって出来るかい?」

「提督に相談してみます。たぶん良い返事をしてくれると思いますよ」

「わかった。それじゃ、さようなら」

 

 さようなら。

 鳳翔は短くおじぎをしてから踵を返して歩き出す。さよなら、と後ろに声を受けながら。

 

 

 

 ごう、と空に低い音が響く。

 見上げれば赤と青と黄色の飛行機が港町の上を飛んでいた。その形に鳳翔は見覚えがあった。

 シルバーホーク。巨大戦艦と戦う三機のシルバーホークがこの町を飛んでいる。被害報告の調査の空撮のためだろう。

 穏やかそうにややたれたその目でシルバーホークが飛ぶのを見送った鳳翔は、港へ続くゆるやかな下り坂を歩く。

 私は軽空母・鳳翔だ。だけれども。目を閉じて深呼吸。息を吐きだすとともにカッと目を開いて両手を握りしめた。

 

 自分が背負っているもののこと。今日はそのことを知れて本当によかった。

 このことをきちんと魂に刻んで歩いていく。静かな鳳翔の誓いは誰に聞かれることなく。小さな事件は収束に向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 三日後。鎮守府は一つの騒動に見舞われていた。

 港町が襲撃されたことについて小森提督がバッシングを受けていたのだ。レーダー網でいち早く深海棲艦を発見し迎撃できるはずが、実際はそうならなかったからだ。

 記者らの怒涛の問いに備えるため、小森提督はすべての艦娘におのおのの寮から外出することを禁じていた。

 鳳翔も例外なく空母寮の自室で待機している。ドアの向こうでは龍驤と赤城が談話室でビデオゲームに興じて高まっている声がわずかに聞こえる。

 

「やったで赤城ぃ、これが蒼の力や!」

「むう。今度は負けませんよ!」

 

 わいわいと騒いでいる中にはシルバーホーク乗りの妖精も混じっていrのだろう。宇宙人が妖精となって鎮守府に参加している――という事実も相当におかしなことなのだが、もはやここでは常となっている。

 加賀はきっと「こんな時になにをしているの」なんて冷たい声で言うのだろうなと思うと、鳳翔はくすりと笑うのを止められなかった。だが加賀も知っているはずだ。いまの提督ならば厳しい状況に置かれてもきちんと切り抜けられるだけの力を持っていることを。

 そのための準備――どんな質問や糾弾があってもきちんと答えられるように――は昨日のうちにみっちりとしていた。いま、提督は隣の金剛とともに穏やかではない場に立たされているが、きっときちんと対応できるはずだ。

 

 そして鳳翔はといえば。彼女は自分宛てに送られてきた手紙の封を解こうとしていた。

 差出人は……(おおとり)(しょう)とある。差出人の住所は港町の海に近いところだった。

 ああ。思わず鳳翔は小さな笑いを抑えきれなかった。あの時言葉をかわした翔少年の苗字は鳳というのだ。

 なんという偶然だろう。姓と名をあわせて鳳翔。少年の名は在りし日の軍艦を。彼の姉はその魂を宿して。鳳翔の笑いは次第に沈んでいき、声のない涙に変わっていった。


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