オールドが鎮守府に参加した翌日。彼は与えられた寝床から目を覚ました。
空母寮。鎮守府のはずれの近くに艦娘らが就寝する寮が立ち並ぶ区画にそれがある。六枚の畳がしきつめられ、壁際には背の小さなタンスがひとつ。
この部屋の真ん中には小さな布団がしわだらけになっていた。あつい室温は眠る艦娘の脚を動かし、布団をあちこちに蹴飛ばしていく。その動きに巻き込まれて一人の妖精が目を覚ました。壁に叩きつけられて痛いはずが、想像以上に痛みを感じていない。
「……龍驤の寝相が悪いのはなんだ、船魂のせいか? それとも魂を宿した女の子が持っていた性質なのか?」
すっと起き上がった妖精――昨日にこの鎮守府で戦うことになったオールド――は静かに敷ふとんを見つめる。そこには白い和装の寝間着に身を包んだ、背丈の小さい幼子のような少女が静かな寝息を立てている。
「こんなに静かなのに体はよく動くってのはおかしいだろ。ああくそ、おじさん、眠気がどっかいっちまったよ」
誰にも聞こえないような呟き。こっそり起き上がったオールドは足音を立てないように扉に近づき、下にある「妖精用出入口」を通っていく。
オールドの着ているパイロットスーツのポケットには小さな鍵が入っているので、誰も入れないように妖精用のドアを施錠する。薄暗い廊下。窓ガラスには夜明けの紫色の光が差し込んでいる。ちょっとした散歩でもしようかと思い立った彼は談話室へと歩き始めた。
空母寮の談話室――椅子やベンチ、大型の液晶テレビ、ゲーム機、アーケードコントローラ、花札や麻雀セットなどの娯楽用具が完備されている――に辿り着いたオールドは、そこで自分以外の足音を聞いた。空母寮の玄関あたりで話し声も聞こえている。
いったいこんな時間に誰が? 自分のことを棚に上げてオールドは玄関へと向かう。早朝訓練。駆け足になる彼の頭にはそんな単語が浮かんでいた。
「……あれは?」
玄関と談話室の距離は短い。妖精となって歩幅が小さくなってしまったオールドでも十秒とたたずに音のした方に辿り着いた。そこでオールドは弓道着姿の二人の女性が外へ出る姿を目にして、それが誰のものであったかを思い出そうとする。
「なんつったっけか、歳のせいかろくに覚えちゃいねえ……えーと、あかぎってのと、かがって子だったかな? レッドとブルーがお世話になってるってのは」
昨日の記憶を掘り起こしていく。寝る前までに酒を飲んでいたこともあってあやふやな部分があるが、記憶を整理するのに支障はない。
小森あきこという女の提督に出迎えられたオールドは、艦娘らと一緒に執務室でケーキを食べ、その場に現れたレッドとブルーが妖精の姿になっていたのを認めた。
出来事の流れとしてはこうだ。雷と電、球磨と提督とでホールケーキを食べていたところに、赤城と加賀と名乗った艦娘が執務室にやってきた。レッドは赤城の、ブルーは加賀の肩の上に座っていて、初めはオールドも、レッドたちも、お互いに妖精となってしまった相手を分からないでいた。
提督の紹介でオールドはレッドたちを認めて喜び、レッドたちはオールドがここにいることに戸惑いながら顔を合わせられたことを嬉しいと口にしていた。感動の再会。そういえば聞こえはいいが、再び会えたというにはどこか味気がない。
いやいや、それが一番いいのだとオールドは心の底から思う。感動の再会だって? そんなもん、過度に飾り付けて演出される方が嫌だ。
その後、オールドは自分の教え子が艦娘らと協力し、縮んでしまったシルバーホークバーストを駆ってベルサーの巨大戦艦と深海棲艦を撃破した話を聞いた。だが、その時に嫌なことを聞かされていた気がした――オールドは妙な気持ち悪さを覚えて顔をしかめる。酒のせいで大事な記憶が抜け落ちている。
「……レッドかブルーに聞いてみるか。あの時に大事な話をしていたはずなんだ、くそっ、酒さえ飲んでいなければ」
妖精の身には少々重い玄関の戸を押し開け外に出る。自分よりも先に外出した二人の姿を追おうとして駆け出すオールドは、やや遠く離れた場所で話し声がすることに気がつく。
耳をすませば、かすかに訓練がどうの、演習がどうの、といった言葉が聞こえてくる。どうやら弓道着姿の二人は何かの特訓をするらしい。こんな早朝に。
「たしかありゃ、赤城と加賀っていう子じゃなかったか? そっくりさんがこんなとこに二人もいるわけなかろう」
ひとりごとが増えてきたのを自覚していないオールドは二人の行く先を追うことにした。彼女たちならレッドとブルーがいる場所を知っているはずだからだ。
はたして、オールドの読みはあたっていた。
赤城と加賀は艦娘用艤装を身につけ、演習海域に足を踏み入れいていた。そこは鎮守府の内側から外側にかけて形成された演習場で、艦娘の機動・射撃訓練や艦隊行動の演習を行うこともできる。
紅白戦めいた演習、他の鎮守府から艦娘艦隊を招き入れての演習が行われることもあるが、それはオールドの知るところではない。重要なのは、赤城と加賀が「海面に浮いている」ということだった。人間が、少なくともまともな人間が出来ることではないし、してよいことでもない。
「昨日のうちに話は聞いてたが……実際に見てみれば、こりゃ、ファンタジー映画の話だぜ。どっかに撮影セットでもねえかな、グリーンスクリーンとか、カメラやマイクは」
妖精となってしまったオールドが言えたことではないが、こうしてひとりごとをいうことでオールドの心は保たれている。10年以上もの長い時間を戦闘機パイロットとして過ごすには、普通の人間の強度ではどうしたって足りない。なにかで補っておかねば。
冗談を呟くことで落ち着こうとするオールドは、赤城と加賀が海の上でなにかを構えているのを認める。二人が構えているものの正体を見たオールドは、自分が見ているものが幻か、夢の続きかと一瞬だけ思ってしまった。
弓。現代的文明を持つらしいこの地球での戦いには似つかわしくない武器。あまりにも原始的で、敵を効率よく殺すには向かない武器だ。ダライアスの軍隊でだって弓を使った訓練なんてものは存在しないし、それは地球の軍隊でもそうに違いない。
だが。赤城も加賀もそれの扱いに精通しているかのように構え、矢筒にいれていた矢をつがえていく。赤と銀、青と銀。原始的な武器にしてはやけに洗練されたカラーリングの矢を見て、オールドはたまらず声を荒らげた。
「シルバーホーク! それ、シルバーホークだろ!? 違うか!?」
後ろからの声に赤城は驚いたように振り返り、加賀は静かに息をつきながら赤城にならって動く。
温厚そうな振る舞いを見せた赤城と、いらだちを含んだ表情でオールドを見る加賀。そんな二人にオールドは勢い良く続けていく。
「おはようさんだな、赤城に加賀……でいいんだっけ? いいよな、いいはずだ。で、いまはなにするとこなんだ?」
「挨拶は大事。……でも、そんなにやかましくするのは頂けないわ」
静かな調子で加賀がたしなめる。一見してシルバーホークのような矢を見て興奮してしまったオールドは頭を下げて詫び、改めて二人がなにをするところだったのかを問う。
「シルバーホークの発艦訓練よ。提督からの許可は出てる」
「いや、何かを咎めようとかって話じゃなくてだな……レッドとブルーがどこにいるか知らないか? あいつらと話をしたいんだ」
「ここにいるわ。でも、話をするというならもう少し待っていて。すぐに終わるから」
どういうことだよ、ここにいるって――そう言おうとしたオールドだが、すぐに意味がわかった。加賀の目線は自分がつがえている青と銀の矢に注がれていた。とすれば、それの意味するところは一つしかない。
「矢の中にいるってのか、レッドとブルーが」
「ええ。だから言ったでしょう、シルバーホークの発艦訓練だって」
「んなバカな……矢の中に人間が入れるってのか?」
「人間じゃないわ。妖精よ。あなたもそうでしょう? ……赤城さん、やりましょう」
ええ、と力強く返す赤城。一つ息をするタイミングで海の上を前に加速。そして二人は揃って矢を放った。
ぎゅううんと大気を裂く二条の矢は光を帯び。光が拡散したかと思えば、そこにはオールドがよく見ていたシルバーホークが二機、エンジンから蒼い炎を噴いて空を飛んでいる。
新型シルバーホーク。バースト機関という強力な兵装を搭載した、シルバーホークバーストシリーズ。その1号機がレジェンド、カラーリングは赤。2号機をネクスト、カラーリングは青。レッドはレジェンドに、ブルーはネクストに登場しているはずだとオールドは過去の付き合いからあたりをつける。
「こりゃもうファンタジーなんてもんじゃねえ……すげえな」
「ありがとうございます。でも、近いうちにオールドさんもああして発艦すると思いますよ」
オールドのどこか呆然としたつぶやきに戻ってきていた赤城がそう返す。だが加賀はこの発言を否定するように頭を振った。
「でも赤城さん。シルバーホークは……オリジンシルバーホークは、私たちが発艦することはないのでは?」
「え?」
「オールドも聞かされていると思うけど、シルバーホークは……いえ、艦娘以外の〈通常戦力〉は深海棲艦に傷を与えるのは難しいわ」
そりゃ知ってるぜ、とオールドが答える。昨日に龍驤が教えてくれたことは記憶から抜け落ちていなかった。
「おまけにアレだ、シルバーホークが相手にできるのはベルサーの巨大戦艦だけってのも聞かされてるぜ」
「他にはこちらの偵察機の代わりに働いてもらうこともあるわ。でもね、私たちが相手取っていたのは深海棲艦であって、ベルサーの巨大戦艦ではない」
「ああ、そうだな?」
「シルバーホークが巨大戦艦と戦う際の大きな戦力になるのは分かってる。でも、通常戦力であるシルバーホークでは主な敵である深海棲艦と戦うことはまったく出来ない」
「まったく戦えない?」
「ええ。シルバーホークの攻撃のほとんどは無力化される。唯一攻撃できそうなのはバースト機関なのだけど……それは私たち艦娘を守ってもらうのに使うほうが効率的ね」
「あー、そうか、そういう事情なんだな……」
つまり。ここでいう「普通の戦闘」とは「艦娘と深海棲艦の戦い」である。そこに通常戦力であるシルバーホークが立ち入る余地はほとんど残されていない。
否、例外的にバースト機関の有用性は認められている。シルバーホークバーストであれば艦娘の援護程度なら出来るというのだ。
だが、オールドの機体は旧式のシルバーホーク。ダライアスでは
「……だったらなんで龍驤ちゃんは俺を仲間にしようとしたんだ?」
「第一にあなたのような元宇宙人を保護すること。人道的な側面からの措置と、未知の知識が私たちに与えるものの有益性に期待している、ということね」
「だけどそれじゃあ俺は……オリジンは、君たちの戦いの力になりきれない」
「あまり悲観しないでほしいものね。正直な話、私はあなたが、いえ、あなたとオリジンシルバーホークが味方をしてくれると聞いて、嬉しいのよ。まるで役立たずのように言ったように聞こえたかもしれないのは謝るわ。ごめんなさいね」
小さく頭を下げる加賀。短い所作だが、申し訳なさやなにかを詫びようとする気持ちはよく伝わってきた。
「いやいや、おじさん、気分を悪くしたわけじゃねえんだ。深海棲艦とかいう奴らとの戦いで役に立てねえって話はちゃんと分かってる」
「ええ。でも、それでもシルバーホークが私たちの味方をしていることが嬉しいのは、ベルサーの巨大戦艦と対等以上に渡り合えるからなの。残念だけど、艦娘では一番弱いとされているアイアンフォスルでさえかなりの苦戦を強いられてしまう」
「え? そうなのか?」
「……恥ずかしい話だけど、深海棲艦相手に大きな戦果をあげられる戦艦の艦娘でさえ、ある程度束になっても劣勢を強いられるの。だから巨大戦艦との戦いにはシルバーホークはなくてはならないの」
「極端な力関係だな……つまりこういうこったな? おじさんたちシルバーホーク乗りは必要がある時以外は出撃しない」
「そういうこと。さて、そろそろ着艦させましょうか。赤城さん、やりましょう」
頷き返した赤城と共に加賀は海を進み、ホバリングして高度を落としつつある二機のシルバーホークの着艦準備に入る。
彼女たちの腕に備えられている飛行甲板を模した板の上に、机程度の大きさまで縮んでしまったシルバーホークが触れると発光。すぐに光が収まると、元の赤と青の矢になっていた。
「ふう。早朝訓練、おつかれさんだな!」
「お疲れさま、ブルー。レッドも、赤城さんも」
赤城の飛行甲板には赤いパイロットスーツを着た妖精、加賀の飛行甲板には青いパイロットスーツを着た妖精が立っていた。その姿をオールドは知っている。自分の大切な教え子たちだ。
「レッド! ブルー! おはよう!」
「オールドのおっさんじゃねえか! おっさんも早朝訓練か?」
「いやいや違う違う。早起きしちまっただけだ」
「そうなのか。……しっかし、姿が変わっちゃったとはいえ、また会えるなんてな。夢じゃねえんだもんね」
「改めて思うと奇跡みたいなもんだ。うまくいきすぎてる」
違いないや、とブルーは笑いながら加賀の肩の上に乗った。レッドも静かに赤城の頭の上に乗っている。
「ところでオールドさん」
「どしたいレッド」
「オリジンの発艦担当の艦娘は決まったのですか?」
「いや……まだ分からない。聞かされてないな。小森提督っていう偉い人が決めるのか?」
「そうだと思いますが。赤城、なにか話は聞いている?」
私も知らないです、とそっけなく赤城は返す。このことをあまり問題に思っていないらしい――大丈夫なのか、これで。心の中でため息をつくオールドは、シルバーホークを封じている矢が矢筒に仕舞われるのを見守る。
「レッドのパートナーは赤城ちゃんで、ブルーのパートナーは加賀ちゃんだろ? じゃあおじさんのパートナーは誰になるんだ?」
「それは提督が考えてると思いますよ。食堂に顔を出した時にでも聞いてみましょうよ」
温かみのある声と友好的な態度。加賀よりも愛想がよいらしい赤城にオールドは素直に好感を抱いた。どこかボケてるのか抜けてるのか分からないが、第一印象のよさでいえば赤城に軍配が上がる。
しかし、とオールドは思う。加賀も少し態度が尖ってるというか冷たいだけで、常識的に考えればやさしい性格に入るはずだ。通常の戦闘ではシルバーホークは役に立たないと言っていたが、それでもその力を必要とした態度はとても好感を持てるものだった。
(たしか第一航空戦隊というのだったか? 赤城と加賀っつー空母の魂か、すごいフレンドリィなもので安心したぜ)
「さて、これから朝食で? またガンガン訓練していくんだろ?」
「ええそうね。ブルー、レッド、今日もよろしく」
ブルーと加賀がそんな会話をかわしているのにオールドはぴくりと反応する。訓練? そんなのダライアス宇宙軍で死ぬほどやらされてるはずだ。いや、俺がさせたんだけども。……いや、ここでの訓練って意味なら必要なのかもしれないな。
「訓練なんて必要ない、なんて言いたそうな顔ですね?」
「え? 赤城ちゃん、おじさんそんな顔してたかな」
「実はシルバーホークは本来の力を発揮できていないんです。ここに来る際の『時空震』の影響で機能をいくつか喪失してしまったらしくて」
「それで発艦訓練? 理由は?」
「私たち艦娘の力をシルバーホークに注ぐためです。一気にどばーっとは与えられなくて、こうして発艦することだけで少しずつ力を取り戻せるんですよ。……不便といえば、不便ですけどね」
ファンタジーな技術の発展している文明でも不便という言葉はあるのか。オールドはそこに小さく笑いながら、同時に、さり気なく聞かされた重大なことに目を丸くした。
「ちょっとまってくれ。……シルバーホークは本来の力を発揮できていない?」
「そうです。具体的には
「レジェンドとネクストも同じ障害を?」
「はい。あと少しでツインボムは使用可能になるみたいですが、先は長いようです」
「そうなのか……てことは、おじさんのオリジンもまずいってことか」
「可能性としては十分高いですね。やはり提督に発艦担当を聞いてみましょうか、いまから執務室に行きますし、一緒に行きましょうよ」
分かった。オールドはそう頷いてから、陸に上がった赤城と加賀の後ろに続こうとして、足を止めて呼びかけた。
「悪いんだけどさ、赤城ちゃんでも加賀ちゃんでもいいから、俺を乗せてくれないか?」
「いいですよ。ほら、どうぞ」
赤城が手を伸ばしてくれたのでその上にオールドは乗る。加賀も手を差し伸べようとしていたが、少しだけ動きが遅れてしまっていた。
「ねえオールドさん。なんで私たちに乗ろうとしたの?」
「それは……それは、この体で走り回るのは疲れるからだよ」
本当の理由なんて言えるわけもない。スカート状の服を着ている艦娘に嫌われそうじゃねえか、なんて言えるわけがない。