やはり軍艦が一隻もない軍隊の基地はおかしい。あまり人気のないこの基地で、龍驤はいったい誰と争っているのだろうか。純粋な疑問がオールドの心に湧き上がる。それに条件をのむにはある程度の情報も必要だ。
「……深海棲艦っていう、ある種の怪物やおばけみたいなやつだよ。奴らは人間を襲って、殺して、すみかを奪うために陸を食らうんや」
「人類の天敵ってことか」
「そんなもんや。そいで、深海棲艦には普通の武器がほとんど役に立たんのや。銃も大砲も爆弾も、奴らを殺すにはまるで足らんって困ったことになっとる」
「どうしてだ? 生きているのなら何らかの方法で殺せるはずだ」
「だからおばけみたいなもんっていうてるの。だけど唯一、奴らに効果的なダメージを与えられる方法があるんや」
唯一の方法。どこか誇らしげに龍驤が話すのに引っかかりを覚えながらも、オールドは話の続きを聞くことにした。
「……船の魂を宿した装備を身につけた女の子、
「なんだって? たましい? かんむす?」
「うちもその艦娘ってやつなんや。大昔に龍驤っていう空母があったんやけどな、それの魂をうちの体に宿してるんや」
「はは、なんだそりゃ。まるでファンタジーだ」
乾いたようにオールドは笑ってみせるが、すぐにそれを取りやめた。まるでファンタジーだ? それなら、いまの自分の姿はなんだ?
「……ああ、いまのおじさんがファンタジーか」
「どうやら納得はしてもらえたみたいやな」
「えーと? さっき教えてもらったのが本当なら、船の装備に船の魂を宿して、それを女の子に背負わせるってことかい?」
「せやせや。大昔にあった軍艦の魂……
「なるほどなあ……ん、まてよ? それならなんでおじさんを仲間にしようと思うんだ? おかしくないか?」
どこにおかしいところがあるのだと言わんばかりに龍驤が首を傾げる。わざとやっているのか、とオールドは勘ぐりながらも疑問を口にだすことにした。
「さっき龍驤ちゃんはこういったんだぞ。『深海棲艦には普通の武器がほとんど役に立たんのや』って。役に立つのは船魂っていうのを体に宿した艦娘と、そいつが装備する特別な艤装しかないんだろ? シルバーホークには船魂なんていうファンタジーでスピリチュアルなもんはないぜ」
「やっぱ戦闘機乗りって頭がええんやな、試すようなマネして悪かったわ、許してや」
「おじさん怒ってるわけじゃないんだぜ。けど、役立たずを仲間にする意味ってのはないだろ? ……まだ言っていないことでもあるのかい?」
「せや。……水棲生物型巨大戦艦ってうちらが呼んでるアホみたいにデカい、まるで魚のバケモンみたいな戦艦が突然現れたんや」
オールドは自分の耳を疑った。
水棲生物型の、巨大戦艦だと? そんなのまるで、まるでベルサーのクソどもみたいじゃないか。まさか奴らが「この」地球に? 遠く広がる青い海に視線をやりながらオールドはゆっくりと口を開く。
「まさかそれはシーラカンスだとか、ピラニアだとか、ミノカサゴみたいな形をしているんじゃなかろうな?」
「大当たりやで。……あれは突然現れて深海棲艦の側についてうちらを攻撃したんや」
「龍驤ちゃん! 奴らについてどれだけ知っている!?」
「ベルサー軍という宇宙で暴れまわってる侵略者ってのと、バースト機関って厄介な兵器を積んでるふざけた形をした巨大戦艦を使いこなしてるってくらいやな」
間違いなくレッドとブルーは龍驤たちの、ひいては艦娘たちの、総じて地球人類の味方になっている。味方になってベルサーについての情報を提供しているのだ――そう確信したオールドは龍驤の方へと振り返って一歩前に出た。
惑星ダライアスと地球とではいったいどれだけ離れている? 計算するのも考えるのもバカバカしいほどに離れているのに、地球人類がダライアスやベルサーについて知識を持っているなんてのはどうしたって考えられない。
唯一考えられるのは、地球の文明に亜空間ネットワークがあるということだけだが、オールドはその線は薄いと直感していた。ダライアスの雰囲気と比べてみれば、どうも亜空間ネットワークが通っている様子が無いように思えたのだ。
「……決めたよ。おじさん、君たちの力になる。深海棲艦とベルサーの巨大戦艦を一緒にやっつけようぜ」
「え? い、いきなりやな?」
「いまので確信できたからな。ブルーとレッドはここにいるんだろ?」
「あー……せやな。変に隠してもあれやし、ちゃんと喋っとこ。ブルーとレッドっていうシルバーホークのパイロットはこの鎮守府にいるよ。いまは遠征でいないけど。他のみんなも、まあ、遠征やね」
「てことは、いま鎮守府にいるのは龍驤ちゃんとおじさんだけかい」
「他にもいるんだけど、数は少ないしみんな持ち場にいるよ。呼ぶかい?」
瞬間、龍驤は袖の中に隠していた通信機を口に近づけて何やら合図を送った。
するとオールドの後ろからわあっと声がして、空からは飛行機のプロペラ音が聞こえてくる。なんだなんだとオールドはうろたえるが、龍驤に抱えられてどうすることも出来なかった。
「なんだいこりゃ、龍驤ちゃん、これってなんだい」
「みんなー! 新しいシルバーホーク乗りがうちらの仲間になってくれるって!!」
龍驤が呼びかけたのは何らかの制服を身につけた少女たちだった。オールドはその制服がセーラー服を元にしたものだというのを知らないが、少なくとも鎮守府の関係者であるだろうと察しをつける。
彼女らも艦娘なのだろうか? そんな疑問を吹き飛ばすように向けられたのは、子供の背丈くらいはあるであろうクラッカーだった。
12歳くらいに見える茶髪の少女が二人がかりで支え、龍驤とオールドに向けて狙いをつけている。クラッカーのひもに手をつけているのは前髪が変なことになっている栗色の髪の少女だった。
「いなづまー、もうちょっと強く支えて!」
「分かっているのです! く、くまさぁん、はやくぅ」
おいおい大丈夫か、とオールドは呟くが、自分を頭の上に載せた龍驤が慌てていることに気がついた。
「あかんて、そんなデカいクラッカーは!」
「祝砲発射クマー!」
ふざけた語尾の、それでいて勢いのある少女の声が響いた直後。龍驤とオールドに向けられたクラッカーが爆発した。あまりの大音量に龍驤が受け身も取らずに倒れ、オールドも地面を転がってしまう。
勢い良く飛んだクラッカーの中身。おめでたい飾り。それらが降るのを一身に受け止めたオールドは、遠い空に緑色のプロペラ機が飛ぶのを認めた。その中に赤と青のシルバーホークも混じっている。
「おーい、オールドーッ!!」
「お久しぶりですね!! いまから着陸しますから!!」
ブルーとレッドの声。あいつらが俺を俺と分かっているということは、龍驤との会話の殆どが筒抜けだったってことか――壮大なドッキリめいた歓迎に喜びながらも、着地の衝撃で意識が薄れていくのを認めた。
「調子に乗りすぎたクマ、申し訳ないクマ……」
オールドが再び目を覚ましたのは医務室。はじめに耳にしたのはそんな謝罪の言葉だった。
起き上がって声が聞こえた左を見れば、規格外に大きなクラッカーの紐を引っ張った少女が頭を下げている。オールドは顔を上げなよと声をかけ、穏やかに様子を見ることにした。
「おじさん、怒っちゃいねえよ。ちいーっとやり過ぎちゃったってだけだな、うん」
「怒ってないクマ? ……よかったクマ」
「ああ。そうだ、なんだっけ、レッドとブルーはどこにいる? あいつらのシルバーホークは? いや、それよりもだな、俺の名前はオールド。君の名前は?」
「球磨クマ」
「なに? くまくまちゃん?」
「違うクマ! 球磨型1番艦の球磨だクマ!」
「あーなるほどね。君の名前は球磨ちゃんっていうのね」
「そーだクマ。オールドは提督と同じ間違いをしたクマ」
「へえ、気が合いそうだなあ」
素直な感想を口にしたオールドに球磨が笑う。
そんなに面白いことを言ったつもりはないが、敵意を持たれていないのであればそれに越したことはない――オールドは印象の改善が出来たことを喜びながら、球磨に気になっていることを尋ねようとする。
「ところで球磨ちゃんよ。レッドとブルーって名前の奴がこの鎮守府にいるはずだ。どこにいるか分かるかい」
「それなら執務室クマ。案内するクマ?」
「頼むよ。ああそう、頭の上に載せたりとかしなくていいからな」
「クマ?」
「意志に反して気絶だなんて二度とゴメンだ」
オールドの言葉になんとなく納得した様子を浮かべた球磨は、医務室のドアを開けて先にオールドを外に出した。妖精となってしまった彼の背ではドアノブに手が届かない。
まったく不便な体になってしまったものだ。心の中でため息をつきながら球磨に短く礼を言い、廊下に出る。
普通の人間の膝くらいしかない身長で見る世界はとても新鮮だ。あらゆるものが自分を見下ろしている。しかも歩幅が小さいから案内してくれている球磨についていけないでいる。
「く、球磨、もうちょいゆっくり歩いてくれないか」
「え? あ、悪かったクマ、やっぱり体に乗るクマ?」
「さっきも言ったろ、あの時は龍驤がぶっ倒れたおかげで気絶しちゃったって。だからちゃんと地に足つけて動こうかなって思っているんだよ」
「いい心がけクマ。けど……オールドは元は人間の男だったクマ?」
「そらそうよ。それがどうかしたか?」
「いまのオールドの背じゃ、スカートはいてる艦娘に嫌われちゃいそうだクマ」
「あー……」
なるほどな、とオールドが返して、それきりだった。球磨に抱えられて肩の上にのせられ、オールドは無言で考え事に浸っていたからだ。
そもそも、よく考えなくても艦娘はまるで人間の女の子のように振舞っている。
龍驤が言っていたことによれば、大昔の軍艦の魂――船魂と呼ぶらしい――を普通の女の子に宿し、そんな特殊な処置を受けた女の子を艦娘と呼ぶ。
だが、船魂なんてものを宿してしまえば。そうなった女の子は果たして元の人格を維持できるのだろうか? 船魂の人格に乗っ取られてしまっているのか? それとも元の人格と船魂の人格は共存している?
「どーしたんだクマ?」
「え? なにが?」
「なんかボーっとしてたクマ。考えごとクマ?」
「まあそんなもんだ」
「……球磨のパンツの色は教えないクマ」
「はあ!? おじさんそういうキャラじゃねえって!!」
冗談なのに怒鳴らないでほしいクマー、なんて低い声で返されるオールド。
どうやら球磨のいたずらにたやすく引っかかってしまったらしい。バカらしい、と自分を叱りつけながらオールドは考えごとの続きに没頭する。
よく考えてみろ。語尾にクマなんてつけるなんてのはちょっと頭のネジが緩んでそうな気配がある。これは元の人格がそうさせているのか? いや、この世界には大昔に球磨型なる軍艦があったのだから、もしかしたら船の魂が……球磨型1番艦の球磨の船魂を宿されたこの少女の人格は、いったいどの人格なのだ?
名前から考えて船魂の人格が色濃く出ているのだろう。しかし……軍艦の魂がこんなにユルい性格でいいのか? ていうか軍艦の魂がパンツが見えることを気にするのか? おじさんよく分かんねえよ。
「なあ球磨」
「クマ?」
「艦娘について知りたいことがあるんだ。さっき龍驤から大体の話は聞いたんだが……その……」
「はっきり話すクマ。相談したいことがあるならしっかり乗るクマ」
「あー……艦娘の人格って、どっちなんだ?」
「人格がどっちってどういうことクマ?」
「ええっと、ふつーの女の子に船魂を宿したのが艦娘だって教えられたんだ。だけど、なんつーか……ほら、船の魂がパンツが見えるとか気にするか? とか思ってさ」
「オールドはセクハラという言葉を知るべきだと思うクマ」
そんなつもりじゃなかったんだが、とオールドは慌ててすぐにすまないと頭を下げる。オールドの態度を見て球磨は愉快そうに笑った。
「冗談クマ。そんなの気にしてないクマ」
「もうおじさんをからかうのをよしてくれよ……で? 実際のとこ、その体を動かしてるのは船魂ってわけかい?」
「そうだクマ。船魂を宿すとき、体の持ち主の記憶は全部消されて、それから船魂が宿されるクマ」
「……なるほどな。で、どうして元の女の子の記憶は消されてしまうんだ?」
「一つの体に二つの精神があるのはとても危険だクマ。この意味が分かるクマ?」
二重人格。オールドはすぐにこの単語を連想した。
一つの体に二つの精神があるというなら、それは二重人格かこれに限りなく近い状態を指すに違いない。状態が安定しているのならどうってことはないのだろうが、普通ならそんな不安定そうなものを兵士として働かせるのは考えられない。
だから。艦娘を二重人格者にするわけにはいかない。きっとそんなところだろうとオールドはあたりをつけ、球磨に向かって頷いてみせた。
「やっぱり戦闘機パイロットって頭が良いクマ」
「褒めてもなんも出ないぞ? っと、ここが執務室だよな?」
「そうだクマ。オールドはここの字が読めるクマ?」
「いいや。言葉は通じるんだが、使っている文字は違う。……あとで子供向けの本やら学習書やらをあてがってもらえると助かる」
「それは提督に言ってほしいクマ。……提督ー、失礼するクマ」
軽くノックをして、戸の向こうからの反応を確認した上で球磨が部屋に入っていく。執務室に入るのはオールドにとって二度目のことだが、大きな机の向こうに人が座っているのを見たことがない。
細めの女性。白い軍服らしいのを着た長い黒髪の女。オールドは座っている人物の印象から、球磨が提督と呼んだ人物を女だと断定した。痩せ型で体の線はよく分からないが、明るく返事をした声も顔も男のものとするにはあまりにも似つかわしくない。
「あらー、その妖精さんが?」
「オールドって名前らしいクマ。提督に言われたとおり、きちんと連れてきたクマ」
「ありがとね球磨ちゃん。……オールドさん?」
さんはいらないよ、とオールドが返す。二十代の半ば、自分の半分程度しか生きていなさそうな提督だが、彼女がここのリーダーであるならそれらしく振る舞ってもらうほうがいい――オールドはそう判断した。
「じゃあオールド、いくつか質問したいことがあるんだけど、大丈夫?」
「だいぶ休ませてもらった。どんどこい!」
「それなら……みんな、いいよー!」
なにを言ってるんだ、とオールドが思うが早いか、彼の後ろから小さな破裂音が響いた。クラッカー。またクラッカーだ。だが今回は常識的な大きさで、音も控えめだった。
オールドと球磨の後ろには龍驤と、先の大きすぎるクラッカーを支えていた背丈の小さい茶髪の二人の少女がいる。髪型こそ違えどまるで双子のような二人も艦娘なのだろうとオールドは直感した。
「はじめまして! 私は雷よ!」
「電です。どうぞ、よろしくお願いします」
「いかずちに、いなづま? なんだか似たような名前だな、背格好までよく似てるし」
オールドの返しに「姉妹だからね」と後ろから提督が声をかけた。姉妹だって? 怪訝そうにオールドは問い、雷と電となのった少女が揃って頷いた。先に答えようと口を開いたのは雷だ。
「私が暁型の3番艦で、電が4番艦なの」
「んじゃあ君たちの一番上のお姉さんってのは、あかつきっていうのか」
「うん。
「あー、ああ。こちらこそありがとうな。頑張るよ。で? なんだい電、元気なさそうだな」
「ちょっと人見知りの気があるのよ。慣れるまで何日かかかるかも」
いたずらっぽく笑う雷に「おじさん、そんな怖い人に見えるかね」とオールドは困ったように笑い。やりとりの途中で提督が咳払いをした。
振り返った球磨の肩の上でオールドは喜びの声を上げる。提督の机の上にはホールケーキがのっているのだ。机の下にでも隠していたのを出してきたのだろう。白いクリームと小さないちごがよく目立つ、大人の手のひらくらいの大きさがある。
一番目立つのはケーキの上に乗っている白のチョコレートの板だった。それには黒いチョコレートで「オールド 参戦ありがとう」とつづられている。オールドにはその文字は分からなかったが、自分を歓迎しているらしいのは予感できた。ダライアスにも似たような風習はあったからだ。
「私たちはあなたを歓迎するわよ、オールド」
「そのケーキは歓迎の証ってわけだ」
「ええ。……これからよろしくね。ってえわけで! みんなでケーキ食べましょ!! 歓迎会の続きよ!!」