ここまで続けてこれたのは皆様の熱いメッセージのおかげですね。
この話で完結という訳じゃあないですが、彼なりのハッピーエンドを期待していただけると幸いです。
果たして良夜はどんなハッピーエンドを選ぶのか。
最弱と恋愛が交錯する時――物語は始まる!
豊聡耳神子が沙羅良夜と出会ったのは、今から五か月ほど前のとある冬の日だ。
幻想郷での立ち位置獲得のために奔走していた神子は、何日間も飲まず食わずで職探しを行っていた。低賃金でもなんでもいいから、とにかくこの幻想郷で居場所を作らなければならないと考えたからだ。
だが、人間だった時ならいざ知らず、今の神子は尸解仙だ。例え容姿が人間そっくりだとしても、不老不死で仙術を使うことができるような存在を、そう簡単に雇ってくれる人などいるはずもない。
結果、神子は睡眠不足と過労でぶっ倒れてしまった。二人の配下が待っている異界の家で倒れたのではなく、人里と妖怪の山を繋ぐ、雑草が生い茂った道のど真ん中で。
暗闇の中から抜け出すように意識を取り戻した神子の前には、美しい銀色の髪を持つ目つきの悪い少年の姿があった。
暖かな布団に横たわっている神子に少年は優しく笑みを向け、彼女の頭を撫でながら言った。
「大丈夫か? そんな綺麗な服着てあんなとこにぶっ倒れてたら、追い剥ぎとかに遭っても文句は言えねーぞ?」
初めての経験だった。
幻想郷に来て怖れられたり崇められたりされたことはあっても、優しく頭を撫でられて心配されることなんてなかった。自分は強いし死なないから、他人に心配されるなんて言う経験はしたことが無かった。
そんな些細なことで少年に気を許してしまった神子は、自分の悩みを少年に話した。胸のもやもやを取り除くために、神子は自分を苦しめている悩みを全て話した。――その間、少年は真剣な表情で相槌を打ちながら神子の話を真剣に聞いてくれた。
そして神子が話し終えると、少年は彼女の目を真っ直ぐ見ながらこう言った。
「人の欲を読むことができるってんなら、さ。人里で相談室を開いてみたらどーだ? 人の欲を聞いて解決して、自分の居場所にする。――お前にしかできねー、お前だけの仕事だと思わねーか?」
その一言がきっかけで、神子はすぐに人里に相談室を設けた。配下である物部布都と藤原屠自古の協力の下、人里に住んでいる人間たちの悩みを必死に解決していった。
最初は少なかった客足は、口コミのおかげか一週間もしないうちに大盛況と言って良いほどにまでに増加した。毎日が大変だったが、今までの生活よりも格段に充実していた。
そんな生活が二か月ほど続いたころ、神子の中でこんな考えが芽生えてきていた。
あの少年にお礼が言いたい。
この生活を作り上げるきっかけをくれた、あの少年にお礼がしたい。
思いついたら何とやら。神子は相談室の営業時間終了後、すぐに少年が住んでいる家へと向かった。道でぶっ倒れていたのを助けられて以来一度も行ったことはなかったが、神子は何とか彼の家までたどり着くことに成功した。
胸が高鳴り、頬が自然と熱くなる。いつもみたいに冷静な判断ができず、心臓の鼓動が鼓膜を強く刺激する。
思わず退散してしまいそうになるが、神子はそんな弱気な自分をぐっと抑えつけ、扉を数回ノックした。
留守だったらどうしよう、というのはどうやら杞憂だったようで、「うぃーっす」という面倒くさそうな返事と共に扉がゆっくり開かれた。――中から出てきたのは、あの時の少年だった。
二か月ぶりの再会に神子は混乱してしまいそうになるが、何とか声を絞り出して彼にお礼の言葉を告げた。君のおかげで私は変われた。ほんとうにありがとう――と。
そう言って頭を下げる神子に少年は慌てた様子で彼女に頭を上げさせ、
「べ、別に礼なんていらねーよ。俺はただ、単純なアドバイスをしただけだしな。自分の居場所が作れたのは、お前自身の力なんだと思うけどな」
その言葉は胸にゆっくりと溶け込み、神子の心を満たした。
それと同時に胸の奥がかっと熱くなり、神子の中で一つの感情として再構築されていった。
――そっか。
――私、この人のことが好きなんだ。
その日から、豊聡耳神子は、少年――沙羅良夜に恋をした。
☆☆☆
恋愛、か。
無数の星が瞬く夜空を見上げながら、沙羅良夜は小さな声で呟いた。
風呂場で神子とあんなことがあった後、神子は顔を真っ赤にして良夜の前からいなくなった。夕飯の席にも姿を見せなかった。配下の二人の話によると、自室から一向に出てきてくれないらしい。
現在、良夜は神子たちの屋敷がある異界の外――幻想郷のとある広場で横になっている。雑草が生い茂っていて、小さな虫たちが所狭しと飛び交っている。
今の良夜の服装は意識を取り戻した時とは違い、普段の学生スタイルだ。だらしなく着崩した白のカッターシャツに黒い半袖シャツ。下には黒のスラックスと黒のスニーカーを着用している。
そんな広場のど真ん中で横になっている良夜は物憂げな表情を浮かべ、頭をガシガシと掻く。
「流石にこのままじゃ、駄目だよなー……早く決着つけねーといかんのは分かってっけど、そー簡単に割り切れる問題じゃねーしなー……はぁぁぁ」
彼が言っている問題というのは、良夜を中心とした恋愛劇のことだ。
五人の女性から想いを寄せられている良夜は、自分に一番近い女性――射命丸文のことが好きだ。他の四人のことも好きなのだが、それ以上に文のことが好きだ。
常識的に考えれば、さっさと文に告白して他の女性を切り捨てるべきなのだろう。いくら一夫多妻制が認められている幻想郷だと言っても、複数人の女性と同時に付き合うだなんてあまりにも節操なし過ぎる。それはいわゆる最低な人間と呼ばれてしまう結末だろう。
だが、今の良夜は悩んでいる。神子が自分に向けている感情について気づいていたとはいえ、まさかあんな積極的な行動に出るとは思いもしなかった。
夜風によって冷たくなった指で、唇を軽く触る。未だに神子の唇の感触が残っていて、思わず頬が熱くなる。
「一応、ファーストキスなんだよな。記憶がねーから分からねーけど、あの母親が俺の恋愛を許してくれていたとは到底思えねーしなー……」
自分にキスをした後の、今にも泣きだしそうだった神子の顔が忘れられない。顔を真っ赤にしながらも自分を恥じるように去って行った神子の姿が、忘れられない。
文を選んで、神子を傷つける。
文を選んで、咲夜を傷つける。
文を選んで、美鈴を傷つける。
文を選んで、フランを傷つける。
その選択は一般的に考えれば正解なのかもしれない。一人の女性を選ぶために他の女性を切り捨てるのは、普通なのかもしれない。
だが、本当にそうなのか?
もっと良い方法があるんじゃないのか?
誰も傷つかず、誰も傷つけず、皆が笑顔のハッピーエンドがあるんじゃないのか?
今まで最低だと思っていた一つの選択肢が頭をかすめ、良夜はぐしゃっと前髪を右手で掻き上げる。
「ハーレム、とか、意味わかんねーよ……みんなが大好きだからみんな一緒に暮らそう、とか、最良の選択なんてあんのかよ……」
夜風が頭を冷静にしてぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると頭の回転を促すが、同時に良夜の心を締め付けていく。ズキズキと頭は痛み、胸は今にも潰れそうだ。
そして、再び視線を夜空に戻す。無数の星たちが美しく瞬いている、夜空に戻す。
「空は、あんなに多くの星を受け入れてんだよな……一等星だけじゃなく、他の全ての星を……」
歪んだ考えであえて問うが、ハーレムというのは星空のようなものなのか?
一つ一つが美しく輝く無数の星々をすべて受け入れ、その輝きを全く色褪せさせることなく存在させている。
みんなが笑顔のハッピーエンド。
まさにこの星空みてーだな、と良夜は呟く。自嘲気味に自虐気味に、小さな声で呟きを漏らす。
空は存在が希薄――まさに『虚ろ』なものなのに、あんなにも多くのものを受け入れることができる。自分自体には価値なんてないのに、全てを受け入れることでその存在を濃くしていく。
と、そこで良夜の頭に何かが引っ掛かった。
「『虚ろ』だからこそ、全てを受け入れられる……?」
沙羅良夜は幻想郷で一番『虚ろ』な人間だ。
自分を構築するはずの記憶が『無い』――『虚構』。
自分の言葉に意志が宿ら『無い』――――『虚言』。
自分の態度に意味が『無い』――――――『虚勢』。
自分の心になにも存在し『無い』――――『虚心』。
中身なんて無くて、意味なんて無くて、目的なんて無い。
ただそこにいるだけの人間で、
ただ生きているだけの人間で、
ただ足掻いているだけの人間で、
ただ動いているだけの人間で、
ただ強がっているだけの人間で、
ただ嘘を吐き続けているだけの人間で、
ただ弱いだけの人間だ。
――そんな俺に、みんなを受け入れることができるのか?
――覚悟も無くて意志も弱い俺なんかに、あいつらを受け入れられるだけの価値があるのか?
「……いや、そーじゃねー。価値があるとかないとか、関係ねー」
ゴスッという鈍い音が鳴った。
それは、良夜が自分自身の顔を本気でぶん殴った音だった。
「っ……でも、これで、覚悟だけは手に入れた。十秒前よりも俺は一歩だけ、前に進めたはずだ」
横たわっていた姿勢から、ジャンプして起き上がる。動きに合わせて揺らめく銀髪が月に照らされ、煌々と輝く。
俺は誰よりも弱い人間だ。意志が弱くて心が弱くて――すべての点で劣っている、最弱の人間だ。
だが、覚悟だけは手に入れた。
「文を幸せにしたい」
清く正しい鴉天狗の顔が浮かぶ。
「咲夜を幸せにしたい」
強く凛々しいメイドの顔が浮かぶ。
「神子を幸せにしたい」
儚く優しい聖徳道士の顔が浮かぶ。
「美鈴を幸せにしたい」
熱く勇ましい門番の顔が浮かぶ。
「フランを幸せにしたい」
幼く狂おしい吸血鬼の顔が浮かぶ。
「……やってやる。やってやろーじゃねーか」
ニヤリ、と良夜の口が三日月のように裂ける――だが、悪意なんてどこにもなかった。
弱い自分に言い訳をしていたからこそ、自分の選択肢を自分が勝手に少なくしていただけだった。手を伸ばせば届くのに、あえて自分が避けているだけだった。
良夜は一気に空気を吸う。幻想郷に満ち溢れている幸福を全て吸い取るかのように、深く深く深く深く深く深く深く――深呼吸をする。
そして、大きく口を開け、
「ハーレムルートがどーした! 俺は――五人全員を幸せにしてやんよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーッ!」
良夜の顔には、もう躊躇いなんて存在していなかった。
良夜の心には、もう迷いなんて存在していなかった。
自分の身体じゃないみたいに身体が軽い――いや、やっと自分の身体を取り戻したと言った方が正しいか。
覚悟を決めて意志を以って決意を刻んだ沙羅良夜は、脇目も振らずに走り出す。
目的地は――妖怪の山山頂。
そこには、彼が最も大事とする鴉天狗の少女がいる。
「まずは文を説得して最高に最大に最強に幸せにする! 話はそれからだ!」
沙羅良夜は走り出す。
弱い自分を少しだけ成長させ、最愛の少女の元へと走り出す。
物語は動きだす。
最弱な少年が、最弱な選択をして、最弱なハッピーエンドを迎える。
――これは、そんな物語――
感想・批評お待ちしております。
次回もお楽しみに!