次に会ったのはキャプテンが対決している時だった。極楽組のランクはちゃんとは把握していなかったが、事前に聞いた話から彼が今は100位代にいるということだけは知っていた。あれから着々と順位を上げていったらしい。相手は98位、二桁への挑戦だった。
「98位! 俺と勝負だ!」
高らかな宣戦布告が遠くからでも聞こえてきた。この時私はOBからの差し入れを部室に運び終わって帰ろうとしていたところで、その場面にたまたま遭遇した。また彼の対決を見てみたいなと気にはなっていたので、自然と足が止まった。
以前会った時と同じ、練習後の夜だった。
「いいぜ。だがお前の実力で勝てるかな」
対決法は遠投だった。ホームから外野に向かって投げた距離を争う。
98位くんの記録はそこそこ、平均的といったところだった。続いてキャプテンの番になった。
「うおおおおらああああ!」
あの時を思い出させるようなオーバーリアクションだった。無駄の多いようにも思えるフォームから飛び出したボールは左中間寄りの向きに飛んで行った。投げた本人はというと勢い余ってマウンド近くまで体を転がしていた。
「いっけええええ!」
しかしすぐに起き上ってボールの行き先を見つめた。私も照明で眩しい中、懸命に目で追った。弾道は山なりで、勢いも特別強くはなさそうだった。
やがてボールが落ちるとメジャーを持ったメガネくんが距離を測っていた。そして飛距離を叫ぶ。記録を聞くまでもない、結果はキャプテンの負けだった。
得意気になった98位くんは片付けをキャプテンに押し付けてさっさと帰ってしまった。メガネくんも、また何やら用事があったらしく早々にいなくなった。二軍のキャプテンが雑用係という噂は本当らしい。
残されたキャプテンは広いグラウンドでただ独りになった。溜息をつくような仕草をすると座り込んでストレッチを始めた。寂しそうな哀愁が漂う。
この前私が言ったことが効いていたようだ。ちゃんと反省している。確かにストレッチは大事だけれども、ここまで素直だと面白い。私は軽い気持ちで話してみようと近付いた。
「えーと、キャプテン、お疲れ」
振り返った彼と目が合った。
「あぁ、木曽井もお疲れさま」
私の名前を呼ぶ。申し訳ないけれど、私はあなたの名前覚えてないんだよね。
「勝負見てたの?」
「うん。残念だったね」
そう社交辞令を言った。正直、あの肩では負けて然るべきだと思ったからだ。仮にここで勝っていたとしても、この先の対決で勝ち続けれられるとは思えなかった。
「まぁ、これが俺の実力なんだよね。対決して、はっきりと自分がまだまだだってことが分かったから。逆に良かったかもしれない」
「良かった?」
「例えばもし、別の勝負で俺が勝ってたとするじゃん。で、その後も勝ち続けて、またベンチ入りするとするでしょ。そうなってから『実は肩力のレベルが誰よりも低かったんです』なんてことになったら大変でしょ。チームに迷惑が掛かっちゃう」
変にポジティブな考え方だな、と思った。
「それってつまり、今のランクは自分には相応ってこと?」
「そういうことになる…のかな。悔しいけど」
「で、また対決するの?」
「もちろん。俺の目標は1位になることだからね。何たってプロを目指してるんだから」
プロ? その単語に私は敏感に引っかかった。
「あなた、プロ目指してるの?」
「そうだよ。そのために壱琉大学を選んだんだ」
驚き、呆れ、戸惑い、様々な感情が交錯した。
確かにこの大学にはプロ志望の人が多い。けれど、それを掴めるのが極僅かだということは入学前から知ることのできることだ。私自身も、誰が本気でプロを目指しているのかまでははっきりとは分からない。実力の伴っている人達からだって、はっきりとプロになりたいという言葉を聞いたことはほとんどない。むしろ今まで「プロになりたいな」などという夢物語のような言葉ばかり聞いてきた。
しかも1位になるということはここにいる全員のトップに立つということ。暮羽くんより、風薙くんより、そして雷轟さんより強くなるということだ。100位代の人が吐ける台詞では到底ないと思った。
「それって」引き気味に聞いてみた。「本気なの?」
「本気だよ。だって俺、野球が大好きだからね」
しかし彼は何の物怖じもせずに即答した。青ざめることもなく、真っ直ぐな瞳で、落ち着いた穏やかな声色をしていた。
「そ、そうなの」
この人は本気だ、と直感で感じた。そして、今までよりも俄然、興味が沸いてきた。強引に理由を作るならばそれは、今まで見たことのないタイプだったから、なのだろうか。
「た…」何故か私が緊張してしまった。言葉が少しどもった。「たまには一緒に帰るわよ。チーム状況の聞き取りも兼ねてね」
「えっ」ここで初めて彼の表情が変わった。「それってもしかしてデー…」
「変な勘違いしない! ホラ、早く行くわよ」
「う、ウン」
やっぱりただのナンパ野郎じゃないのか。勝手に美化されてしまった妄想を慌てて振り払う。いつの間にか、顔が、夜の寒さを感じられなくなっていた。
帰り道ではいろいろな話を聞いた。野球に対する想い、入りたい球団、好きな選手、成功談や失敗談。趣味や友人関係など野球とは関係のない話まで、様々な話題を彼は振ってきた。私のアパートに着くまで、会話が途切れることはなかった。
その時間は、紛れもなく楽しかった。彼がまだ三桁のランカーで、極楽組で、卑下すべき人であることをすっかり忘れてしまったくらいだった。二人で眺めた月はいつもより綺麗だったような気がする。