時系列は原作11巻~12巻の間です。
ただし、この話を捻じ込むためにヴィヴィオvsアインハルトの試合日を原作より少し遅らせています。ごめんなさい。
また、クラウスとオリヴィエの年齢は14~16歳くらいを想像して書いています。
運動が得意な男性同士の会話で、「俺、もう少し太りたいわ~」や「女の子は少し太ってた方が可愛いよな~」などという声を聞いたことはないだろうか。
この台詞の意味はおおむね、それぞれ「私はもう少し筋肉をつけ、体格を大きくしたいと考えています」「私としては豊満でグラマラスな女性が好みです」といったような内容である。
しかし一般的に、太るという言葉は、余分な脂肪がついた不健康な状態になることを言う場合が多い。特に女性に「太った?」などと聞くのは当然こちらの意味で受け取られる。
このように、ニュアンスの違いというのはどこの言語においても起こりうるもので、受け取り方によって誤解が生まれることもままある。
要するに、うっかりクラウスということである。
『納得いく体型になるまでクラウスには会えません。悪しからず』
「まずい」
短い文面のメッセージを読み切り、クラウスはぼそりと呟いた。
オリヴィエに、会えない。
これは彼にとって、非常に憂慮すべき事態だった。
そう。クラウスは最低でも三日に一度、オリヴィエ分を摂取しなければならない身体。
それが不足していると、まず手の震え、気分の悪化といった禁断症状が現れる。末期には「やたら武術に打ち込む」「笑顔が無くなる」「戦死する」などといった深刻な状態へと遷移し、取り返しのつかないケースに陥ることもしばしば。
クラウスは後悔していた。
彼女をここまで怒らせた自分の不手際。
貶す意図は全く無かった。太った? と一言でまとめるのではなく、「豊かで女性らしい魅力的な体つきになりましたね」と言うべきだったのだ。
「どうしよう」
今すぐ謝りに行こうか? 誠意を見せるには直接会うのが良い。
いや、しかし本人が会えないと言っているのでは、これも悪手ではないだろうか。
「……ああ、もうバスが……」
逡巡している間にも時間は過ぎていく。
会えない、というのは、頭を冷やして己を省みなさいという意味のメッセージかもしれない。
結局、クラウスはオリヴィエの元へ行くのは後回しにし、まずは本日の目的を果たすことにして、バスへと乗り込んだ。
―――――――――――――――――――――――
公共交通機関を利用して、隣の隣くらいの街へとやって来たクラウス。
彼が足を運んだのは、この街の図書館だ。先日から取り組んでいるレポートのためである。
昨日利用した図書館もそう小さいものではないが、こちらの規模には少々劣る。また、この周辺地域はミッド内ベルカ自治領に隣接している。ならば古代ベルカに関する資料も少なからず置いてあるだろう、と考えての来訪だった。
(戦技の本は……このあたりだろうか)
入館するなり、案内図を一瞥したクラウスは、一直線に目的のもの――
時に本を手に取りながら、ゆっくりと棚を検分していく。
やがて、目的に沿いそうなタイトルの書物が目に入った。躊躇わず手を伸ばす。
「「あ」」
二つの手が重なった。
「すみません」
「いえっ、こちらこそ……」
そして、互いに謝りつつ向かい合ったふたりは――そのまま、動きを止めた。
「君は――……」
相手の方はどうだか不明だが、クラウスが動きを止めたのは以下のような理由。
光輝くような金髪、世にも美しい紅と翠の瞳という特異な容姿。そう、聖王。聖王陛下がここにおわす。
――クラウスが向かい合った少女は、過去のオリヴィエと瓜二つだったのだ。
「……あの、どこかでお会いしましたか?」
無言で見つめあうことたっぷり10秒。
少女――高町ヴィヴィオが口を開いた。先に己を取り戻したようだ。
「……え? あ、ああ……いえ、初対面かと。すみません、失礼な真似を」
「い、いえっこちらこそ! なんだか会ったことがあるような気がして……」
それもそのはず。少女、高町ヴィヴィオは、かのオリヴィエ・ゼーゲブレヒトの複製体として出生したという経緯を持つ。従って、今目の前にいる少年とは奇妙な関係にあると言えた。
「……これは、あなたが先に読むといい」
「えっと、いえ、大丈夫です」
少女は表紙を一瞥し言う。
「……多分読んでも、あまり参考にならないと思うし」
アインハルトとの対決を控えたヴィヴィオは、覇王流ないし古代ベルカ式格闘についての情報を求めてこの図書館を訪れていた。
と言っても、有効な対抗策を期待してのことではなく、休憩時間の気休めといったところだ。覇王流は記憶継承による一子相伝の技であり、使い手は世に数人といない。覇王流の記述がある本など望めるはずもないのだ。
ここはヴィヴィオがよく利用する図書館でもある。近くに来る用事があったので寄ってみて、あわよくば覇王流の知識を……といった程度のことだった。
しかし直後、あっ、と一声。
何かを思いついたような顔をして、ヴィヴィオは本を受け取った。
「えと、じゃあ、あそこの席にご一緒しませんか?」
「いや、お構いなく」
「行きましょうっ」
「おっ……とっとっ」
意外に強引。手を引っ張っていくさまは、クラウスの良く知る誰かを彷彿とさせる。
「先に私が読み終わったら、あなたに渡すということで」
「わ、わかりました」
笑顔で声をかけながら、ヴィヴィオは初対面の男性に親しげに接する自分を不思議に思った。
それは、ほんの少しだけ残っているオリヴィエの記憶が、少女を突き動かしたのかもしれない。
二人は同じ机につき、それぞれの作業に取り掛かった。
ヴィヴィオは先ほどの本を開き、クラウスは集めた資料とノートを広げる。
「……そういえば、自己紹介がまだだった。クラウスと言います」
「ヴィヴィオです。高町ヴィヴィオ、10歳です」
――――――――――――――――――
クラウスは課題に集中できないでいた。
理由はもちろん、オリヴィエのことである。
本で調べたことを纏めるはずの用紙はいつの間にか、オリヴィエへの謝罪文の下書きになっていた。
「「うーん」」
重なるうめき声。静かな図書館ではよく聴こえる。
二人は顔を見合わせ、恥ずかしそうに笑顔を作った。
「何か、悩み事でも?」
「クラウスさんこそ」
たしかに、二人には現在、悩みがある。
そして問題の解決方法として、「他人に相談すること」は有効な手段となる。
「……では例によって、そちらからどうぞ」
話を促したクラウスに、ヴィヴィオはやや眉尻を下げて答える。
「お言葉に甘えまして。そうですねえ、有体に言えば、人間関係の悩みといいますか」
昨今の女児は大変なものである。
ヴィヴィオは今の自分たちのことを、かいつまんでクラウスに話した。
格闘技チームの先輩が強い苦悩を抱えていること。それは過去にしか存在しない、誰にもどうすることも出来ない願い。
お世話になっているその人――過去にとらわれた少女が、未来に向かって歩いて行けるように、手伝いをしたい。
「それでですね。私、その人に試合を申し込んだんです。格闘技の試合」
言葉だけで伝わらないことは、拳で伝える。高町式コミュニケーションだ。
「あの人に……アインハルトさんに勝って、私たちはもっと頼れるんだぞーって、言いたいんです」
クラウスは感心した。
――強い意志を宿した眼。オリヴィエと似ている。だからだろう。今日初めて会ったばかりの女の子にこうも肩入れしてしまうのは――
少女の悩みが自分の記憶のせいとは知らず厚顔なものである。
「……人間関係の機微については疎いが、武術にはそれなりに通じていると自負しています。何か力になれるかもしれない」
何しろ今この場で、古代ベルカ武術関連の資料を机に積み上げている少年の台詞である。
頼りがいのある言葉に感謝し、ヴィヴィオは直接の悩み――アインハルトにどう勝つのか、という問題を話そうとした。
「その人は『覇王流』って技を使うんですけど」
「何……?」
覇王流。クラウスにとっては聞いたことあるとかいうレベルじゃないくらい親しい単語である。
驚きを隠せない。自分以外に覇王流の使い手がいるなど――
いや。覇王流を使う少女を、クラウスは知っていた。そしてそのチームメイトも目にしたはずだ。
先日、その試合をテレビ中継で見たのである。
「思い出した! 話はそれますが、そういえばヴィヴィオさんは何かの大会に選手として出場していましたね。たしか、そう、インターミドル・チャンピオンシップ」
「あ、えーと、あはは。はい」
少女は照れくさそうにはにかんだ。
「あなたも、覇王流を使うストラトス選手も、よい試合をなさっていた」
「えへへ、ありがとうございます」
「なるほど……あの子と、君が」
容姿から見て、聖王家とシュトゥラ王家の血を引いているであろう二人の少女。長い時が経った現代で、子孫たちもまた出会いを果たしていたとは。縁とは不思議なものだ。
「……覇王流には詳しい。何か聞きたいことがあれば応えられるかと思います」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございますっ」
思いがけぬアドバイザーの存在にヴィヴィオは驚いた。
試合は、これ以上ないほど万全の状態で迎えられるかもしれない――。
決意を新たに、ヴィヴィオは力のこもった眼差しをクラウスへ向けた。
「アインハルトさんは強いけど……今度は私、絶対に勝ちたいんです」
――――――――――――――
「それで、今は覇王流をどうやって打倒するか、悩んでるのですが」
何か対抗策はあるんでしょうか? と続けるヴィヴィオ。弱点や技封じの手はあるのだろうか、と。
クラウスは伏し目がちにぼそりと呟いた。
「…………覇王流に弱点など無い……」
「えっ? すみません、何かおっしゃられましたか」
「なんでもないです」
どうやらこの男はヴィヴィオの助けにはならなそうである。
「……強いて言うならば、『覇王断空拳』が狙い目かもしれない」
覇王断空拳――これ無しには覇王流は語れない。覇王流の代名詞ともいえる『必殺技』。
「たしかストラトス選手がフィニッシュブローとして頻繁に使う技だったが、あれ程の強打ならば直後に隙が出るはず」
「ふむふむ。実は私も、そこがカウンターのチャンスかな、って思ってました」
言いながら、シュシュッ、と身体をそらして拳をつきだすヴィヴィオ。躱して反撃する動きのイメージだ。
「うん。しかし、そう思い通りにはいかない。覇王流の必殺技は断空拳……拳だけじゃないんだ」
「拳、だけじゃない……」
「――足先から練り上げた力を拳足から打ち出す。その技を『断空』と呼ぶ」
他の誰でもない覇王その人が、技の性質を語る。
『断空』――他流派由来のものではない、覇王流独自の魔法戦技。
単純なパワーで言えば、覇王流の技では最も大きな威力を叩き出せる。故に決まり手となる技は断空を使用したものとなる場合が殆どだ。
……しかし、それが拳とは限らない。
「極めた者は、拳以外の箇所からも技を放つことが出来るという。例えば足、肩、ひじ、膝……そして尻からも」
「尻からも……」
ごくり、と喉を鳴らすヴィヴィオ。
覇王流……測り知れない。
「そこでとっておきのヒントを教えよう。今思いついた」
「今思いついたんですか」
「ああ」
なんか良い顔をしているクラウス。役立ちそうなアドバイスを思いついたのが嬉しいのだろう。
「足先から力を伝達していくのが断空。つまり……脚を見れば技の発動は察知できる」
大地を踏みしめた足が竜巻のような力を纏い、碧銀の風が五体を介して拳へと集っていく。それが覇王断空拳の予備動作だ。
脚の動きに注意することで、初動を見極めることが可能となる。
「なるほど……でもアインハルトさん、魔法陣は派手に輝くし、大声で技名を叫んでくれるので、そんなことしなくてもわかりますよ?」
「……あ、そうですか」
――――――――――――――――――――――――――
結局、クラウスはうまい対抗策を挙げることは出来なかった。
本人が覇王流こそ最強であるべきだと考えているので、仕方のないことである。
やはりヴィヴィオ自身が己に出来ることで勝利を掴む、というのが一番良いやり方。そういう結論になった。
「でも、良い気分転換になりました。気持ちも新たに頑張れそうです」
胸の前で拳をぐっと握るポーズをとり、気合を見せるヴィヴィオ。
「今日はお会いできて良かったです。クラウスさんとお話しするの、なんだか楽しくて」
「それは良かった。僕にとっても楽しい時間でした」
「……あ、でもまだ、クラウスさんのお悩みは聞いてないですよね」
そう。先にどうぞ、といったのはクラウスだ。
次は彼の番ということになる。
「しかし……人に話すようなことではないのだが……」
人に話すような内容ではないが、相手の話だけ聞いておいて自分は言わない、というのも不誠実だ。
クラウスは、一つ息を吐き、先日の出来事――オリヴィエを怒らせてしまったときのことを語った。
「ふんふん。それはクラウスさんが悪いですね!」
「やっぱり?」
オリヴィエとそっくりの笑顔で言われたらもう反省するしかない。
ヴィヴィオは、いわゆる恋バナとかそういう話題が好きなお年頃なのか、先ほどから目をキラキラと輝かせている。
「それにしても、オリヴィエさんにクラウスさんだなんて……名前からして、すごくお似合いなお二人です」
もしかして二人は王の生まれ変わりだったりして。などとヴィヴィオは顔をほころばせ、ロマンに想いを馳せた。
「それで、二通目の謝罪メッセージを考えたいのだが」
「そうですね……」
『オリヴィエへ。先日はすまなかった。今になってようやく、言葉が悪かったと理解した。しかし君を貶すつもりは全く無かったのだ。どうかこの非礼を許して欲しい』
空中に投影されたディスプレイには、今朝クラウスがオリヴィエに送ったメッセージ、つまり第一次謝罪メッセージが表示されている。
ヴィヴィオ少女――読書好きで、同年代の子より耳年増。本人曰く、なのはママより自分の方がよっぽど男女の恋愛に詳しいね。
そんな彼女が、クラウスの堅苦しい文面を添削しようというのだ。
ううむ、と顎に手をあてながら、わずかにニヤつくヴィヴィオ。やがて、おもむろにクラウスの端末を操作し始めた。
「まず、『先日はすまなかった』は要りません。ここは愛の言葉に変えます」
「えっ」
「『オリヴィエ、愛している』とかそんな感じにします」
出落ちのラブレターである。
「そして、謝罪の気持ちは、もう伝わってると思うので省きます」
「謝罪文なのに……?」
「今はオリヴィエさんへの愛をいかに伝えるかが重要なんですよっ」
興奮した様子で熱弁する少女。
アドバイス程度の干渉かと思いきや、ヴィヴィオは思い切り文を打ちに来ている。いくつか歯の浮くような言葉を並べ、このくらいでいいだろう、と完成したものをクラウスに見せた。
「いや、これはちょっと、どうかな」
クラウスの顔が紅潮する。このような台詞を彼女に吐いたことなど一度も無い。
にこにこと太陽のような笑顔を浮かべたヴィヴィオが、操作キーに人差し指を突き出す。
「じゃ、送信っと」
「あーーー!!!」
図書館の静寂を、クラウスの大声が駆け抜けていった。
『オリヴィエ、愛している。
君がそばにいないなんて、僕にはとても耐えられない。痩せたりなんてしなくていい、今の君が好きだ。
今すぐにでも君を抱きしめたい。 クラウス』