八幡と、恋する乙女の恋物語集   作:ぶーちゃん☆

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へいお待ち!ラーメン大好き仲町さん後編一丁!

おあがりよ!





にんにく薫る湯気が漂う店内で 【後編】

 

 

 

 ああ……なんということでしょう……

 わたしの目の前には夕べからずっと待ちわびていた愛しの彼が、今にもわたしを優しくも激しく包み込もうとキラキラ輝いているというのに、今はそんな彼がこんなにも憎いだなんて……

 

 

 

 ふざっけんなぁ! ニンニク増し増し大盛りラーメンなんて、知ってる男子の前でズルズルすすれるかぁ!

 ううっ……ばかぁ……! なんでよりにもよって今日のあなたはそんなにも脂ギトギトで山盛りなのよ……っ!

 

 

 わたしは今、自ら頼んだラーメンの前で涙目になって俯いている。

 ゆらゆらと揺らぐ湯気が弱まってしまう前にこのどんぶりに勢いよくお箸を伸ばしたいのだけど、正直今はそれが恥ずかしくて仕方がない。

 

 いくらなんでも知り合いの男の子を目の前にしてこんなのズルズルすすれないよ……。ああ、ホンっト最悪……

 

 

 

 ──知り合い……かぁ。はたして知り合いって言っちゃってもいいくらいの人なのだろうか。一度遊びに行った事があるとはいえ、わたしと彼との間にはこれといった会話なんてなかったわけだし。

 

 ……そう。会話なんてなかった。

 あったのは会話なんかじゃない。ただ笑って……んーん、嗤っていただけだ。この人の事なんてなんにも知らないくせに、かおりの態度を見て、わたしも同じように笑っていいんだって……そう勘違いしていただけ。

 

 

 ──あれは去年の十一月。

 かおりの中学時代のクラスメイトだという彼と偶然出会い、そして一緒に居た超美人なお姉さんの計らいでずっと憧れていた葉山くんと遊べる事になって浮かれまくって、待っていたのは天国のような時間とそれ以上の地獄。

 

 

『そういうの、あまり好きじゃないな……』

 

 

 楽しく遊んでいた時となんら変わらない、爽やかでカッコ良すぎる笑顔で言われたソレ。あまりにも爽やか過ぎて、最初なにを言っているのかまったく理解できなかった。

 

『俺が言っているのは君たちのことさ』

 

 声音は甘く、微笑みは眩しく、彼は……葉山くんはそう言った。

 

『比企谷は君たちが思っている程度の奴じゃない』

 

 そうわたし達を叱責する葉山くんからは、すでに優しく甘い声もキラキラと眩しい笑顔も消え失せていて──

 

『君たちよりずっと素敵な子たちと親しくしてる。表面だけ見て、勝手なこと言うのはやめてくれないかな』

 

 ただ敵意を向け、鋭い視線でわたし達を冷たく射ぬいていた。

 

 

 あんなに楽しかったのに……あんなに嬉しかったのに……

 幸せな気持ちが強かった分、そこから転落したわたしの心はズタボロになったっけ。

 

 逃げるようにあの場から立ち去った瞬間も、家路に向かう最中も、お風呂に飛び込む時も毛布を被って泣いてる最中も、ずっとずっと、わたしは意味が分からなかった。

 

 ──なんで? なんでわたしがこんな目に合わなきゃなんないの?

 

 って。

 

 ──なんなのあの人。なんでわたしがあんなオマケのせいでこんな嫌な思いしなきゃなんないの?

 

 って。

 

 意味分かんなかったし、同時にわたしにこんな思いをさせた葉山くんにも恐怖もしたし失望もした。

 

 

 でも、それは違ってたんだって、本当に失望しなきゃならないのは自分に対してだったんだって、後々分かる事となった。

 ……そう、あれは──

 

「……えーと、味噌とんこつ、ギトギト濃い目、ハリガネで」

 

 ──と、恥ずかしくて山盛りラーメンを食べるに食べられず、思考がスープの海を泳いでいる真っ最中な時だった。

 まだ過去を振り返っている最中ではあったのだが、不意に目の前の男の子が店員さんに注文を済ませる声がした為、一時思考の回遊を中断することにしたわたし。

 ていうか違う思考で頭がいっぱいになってしまっただけなんだけど。

 

 ──え!? ギトギト? なにそれここでは脂ってサイドメニューかなんかなの? わたしのラーメンでも十分ギトギトなんだけど!

 そ、それに針金……? えと、わ、割り箸じゃなくて針金で食べるのかな……ってそんなわけないでしょ……

 

 目の前の男の子がよく分からない注文を済ませると、その注文がさも普通の出来事であるかのように、先ほどと同じく威勢のいい復唱が店内を駆け巡る。

 そして当の本人はおもむろに立ち上がると、漫画とか雑誌が乱雑に置かれた棚から新聞を取ってきて、わたしの目の前でバサリと開いた。そしてその新聞は、上手い具合に彼とわたしの間に見事な壁を築いてくれたのだ。

 

 彼の注文は確かに気にはなるんだけど、今はそれよりもこの好機を逃しちゃダメよ千佳! ラッキーにも完全にブラインドになってくれている大きく開かれた新聞のおかげで、彼からはわたしのニンニク増し増し山盛りラーメンも、それを食す乙女の姿も見られずに済むのだ。

 

 いや、ぶっちゃけもう手遅れっちゃ手遅れなのよね。知ってる男の子にお一人様ラーメン姿を見られちゃってる時点で。

 でも……それでもやっぱりおんなじテーブルで向かい合ってラーメンをすするのはキツすぎるから、せっかくのこのチャンスを逃しちゃなりません。彼のラーメンが届いて目の前の壁が取り払われてしまうその時までに、食事を出来る限り進めておきましょう。

 

 わたしはキランと目を光らせると、素早くレンゲの中に小さなコスモを創りあげる。

 一口ぶんの麺とスープ、その上になんの抵抗もなくお箸で簡単に切れてしまったチャーシューとしゃきしゃきのモヤシを添えて、さらには茶色に染まってしまったこの世界にネギという青を彩れば、小さな宇宙、即ちミニラーメンの完成である。

 

 ……くっ、本来であれば食事の開始からこんな真似はしたくないのよ……!

 最初はスープをじっくりと味わい、そして次に麺だけを食して小麦を味わう。

 スープと麺、それぞれの個性を十二分に楽しんでからようやく勢いよく麺をすする。太いちぢれ麺に濃厚なスープがたっぷりと絡みついてきて、そこで初めて麺とスープの一体感を味わうのだ。

 

 ズルズルと何口か一体感を味わったあとは、ついに待望のとろけるチャーシューの登場である。口いっぱいに頬張り、滴る肉汁を口で、脳で、心で堪能。最後はしゃきしゃきのもやしで口内をリセットする。

 

 ……そんな一連の流れを何度か繰り返して心にゆとりが出来てからにしたいのよ……! ミニラーメン作りは……っ!

 でもしょーがないじゃん! 音を立てずに少しでも早く食べ終わる為には、こうして一口一口確実に消費してくしかないんだもん!

 出来れば彼のラーメンが到着してしまう前に、彼の新聞が取り払われてしまう前に、目の前の大盛りラーメンを亡き者にしてしまいたいのだから。

 

 ああ、やだなぁ……スープも麺も具も、個別に味わう事もしないで初めっから一まとめにして食べるだなんて……

 そう嘆きながらも、わたしは極力音がしないよう初めの一口で全宇宙を網羅した。

 

 

 

 

 ──うまぁい……っ。

 

 

 臭みが出ないよう丁寧に取っているであろう動物系のダシと、贅沢に取っているであろう魚介のダシのダブルスープが生み出す濃厚な味わい。お店秘伝であろうかえしがスープ達をキリリと引き締めて、動物と魚介の仲を見事に取り持っていらっしゃる。

 

 でもそんな濃厚なスープが絡まっても、この自家製極太ちぢれ麺は全然負けてないよ。むしろこの極太ゆえの歯応えとのど越しが、強烈に主張するスープを逆に取って食わんばかりの存在感。

 

 てかなに……!? このとろっとろのチャーシュー……! なによこれ歯とか要らないじゃない……。

 そして多分こいつの煮汁をかえしに使ってるんだろうな。スープ、麺、チャーシューが合わさった時のこの渾然一体なサマはどうよ。

 これだけひとつひとつが強く主張して襲ってくるというのに、一口で食べた時のこのまとまり具合は異常。

 

 そこにしゃきしゃきもやしと、パンチの効いた背脂、ネギ、ニンニクのアクセントが加わる事によって、わたしの口の中は今まさにビッグバンが巻き起こっている。……はふぅ、幸せ〜……。

 

 むむっ、最初っからミニラーメンにしちゃうなんて邪道とか思ってたけど、いざ食べてみるとコレはコレで悪くないかも。たまにはこういう『スタートからクライマックス』ってのもいいのかもね。

 

 

 ……って駄目じゃない千佳! なに両目を瞑ってじっくり味わっちゃってんのよ! 早く食べてこの席を立たなきゃなんないんだよ!?

 ううっ……せっかくこんなにも美味しいのに、ゆっくり楽しめないだなんてそんなのってあんまりだよぉ……

 

 そしてわたしは待望のラーメンの美味しさに感動し、それをゆっくり堪能出来ない悲しみに暮れながら、次から次へせっせとミニラーメンをこさえつつ、静かに……でも迅速に、黙々と口へと運び続けるのでした。

 

 

× × ×

 

 

「はぁ〜☆」

 

 美味しかったぁ。

 

 美味しいラーメンを完食した充足感に、わたしは目の前の男の子の存在を忘れ、つい深く幸せの息を吐いてしまった。

 

 や、やば……口ん中ニンニク臭で一杯なのに! は、恥ずかしいぃぃ……

 いや、まぁニンニク薫るこのお店の中であれば大丈夫、だよね……?

 

 にしてもこのお店はアタリだね。今度はかおりを連れてきてやろう。

 じっくりと味わえなかったけど、またここに一人でくる勇気が無いからかおりをダシにするってわけでは決してない。

 

 

 結局のトコ、彼のラーメンが届くまでに完食する事は出来なかった。

 でもラーメンが届いて新聞が取り払われる頃には、すでにわたしのどんぶりにはニンニク増し増し大盛りラーメンがあったなんていう形跡はひとつも残ってはおらず、それからはゆっくりとミニラーメンをこしらえて女の子らしくお上品に租借して、なんとか事無きを得たのです。

 新聞をどかした直後、わたしのラーメンの減りように彼がどんぶりを二度見したような気がしたけれど、きっとそれは気のせいだったはずだと信じたい所存であります。

 

「……ご、ごちそうさまでーす」

 

 そしてわたしはすぐさまお会計を済ますべく、ラーメンの余韻に浸ることなく店員さんを席に呼び付けた。さっきから店内を観察していたら、どうやらこのお店、お会計はよりにもよって各席にて行うらしいのよね。ちくしょう、お会計カウンターくらい用意しときなさいよ、気が利かないわね。

 ああもう、早く……一刻も早くここから立ち去りたいってのに。

 

 実のところ、今まさに目の前で彼が美味しそうにすすっているラーメンもかなり気にはなっている。

 凄い量の背脂となんとも香ばしい味噌の香り、そして結局どこにも見当たらない針金……

 様々な事がもんのすごく気になって仕方ないんだけど、でも今はとにかく早くここから消えちゃいたい。余韻に浸るより、気になる味噌ラーメンに後ろ髪を引かれるより、何よりも逃げ出したいの。この人もさっきから早くわたしに居なくなってもらいたそうに顔を引きつらせっぱなしだしね。

 

「どもあざっしたぁ! えーと……ネギチャーシュー大盛りニンニク増し増し一丁で九百八十円になります!」

 

 ちょっと!? あんたなに言ってくれてんの!?

 せっかく大盛りっぷりとかニンニク増し増しっぷりは見られずに済んだ“かも”しれないのに、なんでここにきて全部言っちゃうわけ!?

 ……うぅ、もう穴掘って埋まりたいよぉ……

 

 

 

 

 ──それは、もう二度とこんな店来るか! と泣きそうになりながら、バッグからお財布を取り出そうとした時だったのです。

 

「……あ、あれぇ……?」

 

 誰にも聞こえないくらい、蚊の鳴くような声でぽしょりと音を漏らすわたしの口と心。

 

 え? いやいやおかしいでしょ。そんなわけなくない? だってさ、じゃあわたし、どうやってこのお店まで来たってのよ……って、あ、今日は電車じゃなくて自転車でした。

 

 で、でもさ? いつも同じバッグに入れっぱなしなのに無いわけなくない? ……って、今日はお出掛けだからスクールバッグじゃないじゃんかー。もう、このあわてん坊さんめっ。

 

 ってことはつまりー……

 

 

 ……ヤ、ヤバい。お財布、忘れた……

 

 

 マ、マジでぇ……?

 そういえば普段お出掛けの時は前もって準備とかしとくところなのに、今日はラーメン熱にほだされて急きょ外出する事になったから、私用のバッグにお財布入れ替えなかったかも……っ。

 

「……お客さん? どうかしましたー?」

 

「あ、や……」

 

 バッグをごそごそしてから軽く固まってしまったわたしの様子に、威勢のいい店員さんが訝しげに声を掛けてきた。

 

「あ、あはは……」

 

 どどどどうしよう!? こ、こういう場合って、どう対処すればいいの!?

 

 あ、あれか! 身分証明書とか預けて近くのコンビニにお金を卸しに行くとか…………って、学生証もスクールバッグの中だよ! 銀行のカードだってお財布の中に決まってんじゃん!

 

 じゃ、じゃあお母さんに電話してお金を持ってきてもらうとか…………って、まさかのスマホも無しだよ! むしろバッグになに入れてきたのわたし!? どんだけラーメンに夢中だったのよ……!

 

「お客さん……?」

 

 ……うわぁ、どうしようコレ! お店の電話貸してもらうにしたって、そもそもお財布忘れたなんて事を伝えたら、多分この店員さん──

 

『え! マジすか財布忘れちゃったんすか!?』

 

 って、悪気はなくとも大声で口に出しちゃうに決まってる。そしたらわたし、この満席のお客さん達の好奇の視線を独り占めにしちゃうよ……

 そしたらもう、お店中の笑い者じゃんかわたし……。お一人様ラーメンしに来た女子高生がお財布忘れて涙目とか、絶対にクスクス笑われちゃうよ……

 

 目の前に座ってる人だって絶対にわたしのことバカにして笑う。てか多分もうしてる。

 だってわたしは間違いなくこの人に嫌われているから。あの日さんざんバカにして、さんざん笑い者にしたんだから。

 

 

 ──ああ、今日はほんとサイアク。なんでわたしラーメンなんか食べに来ちゃったの? なんかもう今すぐ死んじゃいたいくらいに惨め。

 ……どしよ。なんかホントに視界が滲んできちゃったよ。

 

「……あ、すんません」

 

 パニックと惨めさで頭の中がぐちゃぐちゃになってたそんな時だった。わたしと店員さん二人だけのやりとりでは決して聞こえないはずの声が、すぐ目の前からわたしの耳に届いたのは。

 

「あ、はい、なんすか?」

 

 今このタイミングでお水のおかわりだろうか? もしくは替玉とか? それともお会計して帰るのかな。

 

 でも、その声が発した言葉はそのどれとも違ってた。あまりにも予想外で、そしてあまりにも安心感を与えてくれる、こんな優しい嘘だったのです。

 

 

「この人友達なんで、会計は俺と一緒でお願いします」

 

 

× × ×

 

 

「あざしたー!」「したぁ!」「あざぁっす!」

 

 相変わらず威勢の良すぎる掛け声&復唱を背に暖簾をくぐる。目の前には、一週間のお仕事で疲れ切ったサラリーマンくらい猫背になっている男の子の背中。わたしはそんな背中にいそいそとぴったり着いていく。

 以前見た時にはなんかちっちゃくて情けない背中だなぁ、なんて印象しかなかったのに、今はなんだか少しだけおっきく見えるなぁ。

 

 

 結局あのあと、照れくさそうに引きつった顔でラーメンをズルズル啜ってるこの人の顔を、わたしも同じように引きつった顔して食べ終わるのを待っていた。ちらちらと盗み見ながら。

 

 にしてもあの場から……彼から速攻で逃げ出す気まんまんだったのに、まさかその彼と一緒に退店する事になるなんてね。

 

「あ、あのっ」

 

 そしてあれ以来ずっと無言を貫き通してきたわたしだけれど、お店を出た直後にようやく勇気を出して声を掛けてみた。

 

「きょ、今日はその……助かりました。ありがとう……比企谷くん」

 

 そう名前を呼ぶと、彼はなんだか少しだけ驚いたような顔をした。

 なんだろ? わたしが名前を覚えてたのが意外だったのかな。

 

 

 ──助かりましたとは言ってみたものの、結局のところ別にそれほど助かったってわけじゃない。だって何がわたしをあそこまで辱めていたのかと言えば、他ならぬ比企谷くんの存在なのだから。

 比企谷くんさえ居なければ、たかがお財布を忘れたくらいじゃあんなにパニックにはならなかっただろうし。

 そんなわたしを辱めるべく存在の比企谷くんその人にラーメン代を立て替えてもらってしまったのだから、恥ずかしさから救われたという観点から考えたら、なんらひとつも助かってない……どころか、なんなら恥の上塗りでもあるわけで。

 まぁそりゃ、威勢の良すぎるお財布忘れた復唱地獄からは救われたかもだけど。あ、やっぱ超助かったかも。平身低頭で謝意を表明したいレベル。

 

「……おう、まぁ困った時はお互い様とかいう格言がこの世には存在してるらしいから気にすんな。あいにく困ってる時に助けてもらった記憶がないから、その格言がホントかどうかは知らんけど」

 

 ……うっわぁ、なんていう捻くれた言い回しなんだろ。

 でも少しだけ頬を赤らめてそっぽを向いてるから、これはこの人なりの照れ隠しなのだろう。捻照れとでも命名しようかしら。いや、捻デレ?

 

「う、うん。でも……ホントありがと」

 

 まさか助けてくれるだなんて思わなかった。だからホントにびっくりした。

 比企谷くんはわたしの事なんて嫌いなはずなのに。わたしの惨めな姿を見て絶対笑ってると思ってたのに。

 でも、店員さんに声を掛けてくれた時の比企谷くんは、これっぽっちも笑ってなんかいなかった。

 

 

 ──なんでだろ。なんでこの人はわたしを助けてくれたの? わたしが知ってる、わたしの印象の中にあるこの人は地味で暗くてカッコ悪い、いわゆる陰キャラ。こんな風に女の子を助けてくれるような人じゃないのに。

 

 ……んーん、本当は知ってたの。わたしの知ってた比企谷くんは本当の比企谷くんじゃないって。そもそも“知ってる”なんて言葉を使うこと自体が大間違いなくらい、わたしは彼の事なんてなんにも知らなかったんだって。

 

『千佳千佳〜! 昨日さぁ、なんと比企谷に会っちゃった!』

 

 あの悪夢のダブルデートからしばらくのあいだ、わたしはバカみたいに塞ぎ込んでいた。

 ずっと憧れだった総武の葉山くんから酷い事を言われた悲劇のヒロイン。それがあの頃のわたしの役回り。実際は悲劇でもなければヒロインでもなんでもない、ただの脇役だけれど。

 

 クリスマスが目前まで迫っていた十二月、そんな悲劇を装った喜劇を演じているわたしに元気いっぱいに声を掛けてきたのが、生徒会の手伝いをしにいった親友、折本かおりだった。

 

『あはは、もしかしたらとか思ってたんだけどさー、マジであいつ居んだもん! 超ウケるよねー』

 

 あのバカ、わたしが今最も聞きたくない話をずけずけと振ってきたんだよね。こっちはもうあの人の事なんかとっとと忘れたいんだっての……って、ホントうんざりしたっけ。

 

 でもかおりはクリスマスイベントが終わるまで、毎日のように懲りずに報告してきた。やれ比企谷が一年生美少女生徒会長と仲がいいだのこき使われているだの、やれ比企谷がロジカルシンキングが論理的に出来ないで定評のあるうちの名物生徒会長とカタカナでやり合ってるだのと、なんとも愉しげに。

 

 

 そしてしばらくしてからあの子は言った。

 

 

『比企谷ってさー、実はめっちゃ面白いヤツだったんだ。あんなにウケるヤツだなんて知らなかった。そう、ただ……知らなかっただけなんだよね。だからあたし比企谷に言ったんだー。「昔は比企谷とか超つまんないヤツって思ってた。けど人がつまんないのって、結構見る側が悪いのかもね」ってね。ひひ、あいつ鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してやんのー』

 

 

 って。

 

 比企谷くんの話なんか聞きたくもないわたしにあの子がしつこく話してきてたのは、多分わたしの為だったんだと思う。

 あんな人のせいで嫌な思いをしたとずっと塞ぎ込んでたわたしに、本当は違うんだって、悪いのは自分達の方だったんだって、そう伝えたかったんだ、かおりは。

 自分が一番悪かったんだって。自分が一番後悔して反省して、そして間違いに気付いたんだって。そんな姿をわたしに見せる為に。

 結局かおりの狙い通り、わたしはようやく元気になれた。塞ぎ込んでる時って、相手に責任を求めるよりも自分の責任を認められた方が、ずっとスッキリするんだね。

 

 それと同時に、比企谷くんの事も素直に凄いなって思えるようにもなった。だってあの葉山くんに、あそこまでの事をさせちゃうような人なわけだし。

 

 葉山くんは誰にでも優しい人だから、葉山くんに責められた時はただ単に弱い者イジメを責められてるような感覚だった。ああ、わたし達が比企谷くんをイジッてたから優しい葉山くんは怒っちゃったんだろうなって。

 でも実際は違うのかもしれない。あれはなんていうか……本当に悔しかったんじゃないかな? って。

 友達、というよりはライバル? そんなライバルをバカにされたのが堪らなく悔しかったんじゃないのかな? って、そう思えたんだ。

 それほどまでに、比企谷くんは葉山くんに認められてる存在なんだね。

 

 

 だからわたしは知っている。

 なんでこの人はわたしを助けてくれたの? っていう疑問に対しての答えを。

 

 それは、わたしが困っていたからだ。

 それはあまりにも単純過ぎる答えだけど、でもそれが全てなんだよね。わたしの事が嫌いとかそういうの関係無しに、比企谷くんは目の前で困ってる知り合いの女の子につい手を差し伸べてしまうような、普通に親切な人だったってだけの、ホントにとってもシンプルなお話。

 

『比企谷が居ない時に一色ちゃん──あ、総武の生徒会長の子ね、その一色ちゃんに聞いたんだよね。……ぶっ! 比企谷ってさー、あんだけ仏頂面してるくせに、実は超気が効くんだってー! なんも言わずにいきなり荷物とか持ってくれようとかしちゃうし、そもそも比企谷が生徒会の手伝いに来たのも、めんどくさそうにしながらも何だかんだ言って一色ちゃんのワガママに付き合ってくれたからなんだってさー。だから結構頼りにしてるみたいよ? あはは、あの比企谷がだよー? なんかウケない!?』

 

 ……そんな話を聞いた時、てっきり比企谷くんが一色さんって子を狙ってるだけなんじゃないの? なんて思いもしたけど、いざ自分がされてみるとよく分かる。この人の分かりづらい不器用な親切心が。

 

 

 たからわたし本当は知ってるよ? あの時あなたが新聞を取ってきて目の前で拡げたの、あれってホントはわたしの為だったんでしょ?

 お一人様ラーメンに来てたわたしが、ラーメンも食べずに恥ずかしそうに俯いてたから。だからわたしが少しでも食べやすいように自分の視界を塞いでくれたんでしょ?

 

 ホンっト分かりづらい優しさだよね。でもだからこそ、分かった時にはこんな風に胸がぽかぽかするんだね。

 あのとき会ったすっごい美少女二人とか葉山くんとか、さらに一年生生徒会長の子とかが比企谷くんと一緒に居る理由が、なんとなーく分かった気がするなぁ。

 

「あの、さ、比企谷くん」

 

 だからわたしももうちょっとだけ知りたいかもしんない。この不器用で捻くれた男の子のこと。

 今度こそもっとちゃんと見て、今度こそもっとちゃんと知って、少しでもこの人の事が今より理解できたのなら、その時はあの日の事をちゃんと謝ろう。多分いま謝っても、比企谷くんはそこになんら意味を見いだしてはくれないだろうから。

 

 

 だからわたしはこの人の事を知る為に、ほんの少しだけ一歩を踏み出そう。

 

 

「きょ、今日の食事代返したいんだけど、さすがに家にまで取りに来てもらうのもなんだしさ、そ、その……今度……ラーメンを奢り返すってので……ど、どーかな」

 

「……は? お、奢り返す? え、一緒に食いに行くっことでしゅか……?」

 

「そ、そう!」

 

「……え、やだけど」

 

「即答!?」

 

 ぐぬぬ……! やはり手強い! そこらの男子だったらほいほい着いてきそうなもんなのに! でもここまで来たら引き下がれないのが女子としてのプライド! ここで断られたままで居られるほど女の子は簡単じゃないんだからね?

 

「ひ、比企谷くんてラーメンすっごい好きそうだよね!?」

 

「お、おう……まぁ、人並みには」

 

「だよね! さっき比企谷くんが注文してたの聞いて、なんか超玄人っぽいなーって思ってたんだ!」

 

 針金とかね!

 

「じ、実はわたしも結構ラーメンが好きでね……?」

 

「……だろうな」

 

 ちょっと? 今お一人様ラーメン女子高生をバカにしなかった?

 

「そ、それもこれもかおりのせいなの! あいつに連れ回されたせいでラーメン中毒になっちゃったのに、いざわたしが食べたいと思ってもかおりがラーメンの気分じゃないと付き合ってくんないんだもん! だ、だから仕方なく、きょ、今日みたいにお一人様で……? な、なんて」

 

 と、ここでかおりを生け贄にしてお一人様ラーメンの言い訳をひとつ。

 ニンニク増し増し大盛りラーメンの言い訳にはならないけども。

 

「ああ、そう……ま、あいつ自由だからな」

 

「そうなの! ホントそれ! でもさ、そのー……やっぱ女子高生が一人でラーメン屋さんに入るのって、なかなか難しくって……ね?」

 

 実はすでに結構慣れたもんですけども。

 

「だ、だから……たまにでいいから、ラーメン屋さんに付き合ってもらえると……助かるかなー……って。……ホ、ホラ! 比企谷くん、ラーメン屋さんに詳しそうだし、美味しいお店とか紹介してくれそうだし……!?」

 

「……は? 奢り返すっつう一回だけじゃなくて……?」

 

「だ、だめ、かな……わたし結構困ってるんで、付き合ってもらえると、すっごく助かるんだけど……。ど、どうでしょうか……? どうせ少なくとも一回は奢るわけだし……」

 

「え、なに、いつの間にそれ確定事項になってたの?」

 

「え、えへ?」

 

 

 

 

 

 ──わたし仲町千佳は思うのです。涙目な上目遣いで困ったアピールをしているわたしのお願いに、真っ赤な顔して頭をがしがししている比企谷くんを見て、あ、これはもうあと一押しで落ちるな、と。

 

 

 こんな変すぎる偶然な出会いではあったけれど、たまにはこんなのもいんじゃない?

 ラーメンから始まる恋…………はさすがに無いな、うん、無い。はず。

 でも、ラーメンから始まる友情くらいならアリだよね。うん、全然アリ! ふふっ、この捻くれ者で意外と優しい比企谷くんとラーメン友達になれたら、なんか結構面白そうだよね。

 

 

 だからわたしは彼にもう一押しするのです。未来のラーメン友達との明るい未来を夢見て、大好きなラーメン談義を交えながら。

 よーし! 頑張れわたし!

 

 

 ……あ、そうそう。さしあたってまずはコレを聞かなきゃね♪

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ比企谷くん、針金って、なに?」

 

 

 

 

おしまい

 

 





というわけで仲町さんでまさかのひと月焦らしプレイとなりましたが、ようやく後編を上げる事が出来ました☆

……いやホント遅くなっちゃってスミマセン('・ω・`;)



次はいつの投稿になってしまうか皆目見当も付きませんが、また次回もよろしくです〜ノシ




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