家族で見ているテレビが突然キスシーンになる。
その時流れる何となく気まずい空気はなんなのだろうか?
親父は何故か黙り込むし、小町は興味深々で画面を見つめる。母さんは平然としている。終いには親父がチャンネルを変えようとするのを小町と母さんから止められる。その後で親父は「八幡、こういうのは事前の雰囲気が大事なんだ…」とか聞いても無いし聞きたくも無いことを語り出しやがる。
他人の情事を垣間見てもロクなことは無い。誰もピンクの髪の皇女様と落第生の痴話喧嘩の後のキスシーンなんか見たくないんだ。マジで見たくないんだ…。
ともかくあれだ。
やはり他人のキスシーンを目撃するのは間違っている。
ららぽを出るころには夕暮れというよりは逢魔が時となっていた。残念ながら千葉にはウサギが園長の動物園は無い。もう見えない夕日を僅かばかり背負うビル達は真っ黒な影となり視界のほとんどを占める。その合間の空は消える夕日の紅をまだらに写しながらかすかに残る青と混ざり不安定で曖昧な色彩となっている。
駅へ向かう道すがら、前を歩く葉山達を見つけた。
あいつらも同じ電車なのか?とぼんやりとそんなことを考える。
ふと、数十メートル先の葉山がこちらを見ていたような気がした。
すると葉山が突然、駅の方向から外れ、三浦を連れて人通りの無い路地に入って行った。
何だ?
どうもおかしい。
びっくりして連れられる三浦を尻目にあいつは笑っていたような気さえする。この距離からは見える訳でも無いのに。
「行こうか八幡」
陽乃さんは背筋に通る落ち着いた声で言う。
葉山達を追って陽乃さんと路地に入る。薄暗い路地は数少ない街灯で心許なくこのまま前に進むことを躊躇させる。
その薄暗さのせいか、ふいに京都での竹林が思い出される。
ーこれが一番手っ取り早いー
ーこういうのはもう無しー
ーあなたのやり方はー
まさかあいつ…。
路地の曲がり角の先から何やら話声が聞こえる。
俺はどうしたものかと考えている間に陽乃さんに引っ張られ前に出る。
二人が抱き合いキスをしている。そんな場面であった。
淡い青春もので見かけるような唇だけを合わせるような軽いものではなく、葉山が三浦の顔を掴むように手を添え、三浦は強張った手で葉山の肩を掴んでいる。何回も唇を重ねる際に漏れる三浦の声がとても艶めかしく、その息遣いまでもが耳に届きそうだ。
ちょっとした体の動き、強く握られた手、漏れる吐息、真っ赤な顔、閉じられた瞳。
そして
ー葉山と目が合った。
笑っているような気がしたー
そのまま立ちすくんでいると腕の裾が引っ張られる感触に気付く。
隣の陽乃さんを見ると思わずその艶のある唇に目がいってしまう。
ーキスしようか?ー
ーもういいからー
頭をよぎった過去の言葉に熱くなるのを感じて慌てて顔を逸らす。
これでは、何というかまるで…。
「隼人…人が…ってヒキオ達だし!」
三浦は真っ赤な顔でこちらに振り返り葉山と距離を取る。葉山と俺たちに視線を右往左往させながら
「だから、ここじゃ…、でもまあ良かったけど…」
と指をモジモジさせながら言う。
「ごめんな優美子。我慢できなかった」
「隼人がそう言うなら仕方ないけど…」
葉山のいつもの笑顔にあっさり折れるあーしさん。
そして葉山は俺たちに向き直り
「覗き見とは人が悪いな比企谷?」
そうやっていつもの乾いた笑顔で語りかける。
「それに陽乃さんもー」
その万人に愛されるいつもの笑顔で話しかける。
おかしい…、何か引っかかる。
その笑顔はいつものスクールカーストの王様の笑顔で間違いない。みんなが求める、100人が100人認めるその笑顔に誰が文句を言えるだろうか。しかし、こいつは彼女に対してはいつもあきらめたような微笑しか受かべていなかった。おそらく俺には分からない彼女と共有してきた何かがあったのだろう。
ならなぜ今さら
葉山隼人は雪ノ下陽乃の対して
万人に対する笑顔をしているのだろうか?
いつの間にか腕の裾は元に戻っていた。
××××
「それにしてもびっくりしましたね」
「そうだね…」
「葉山があんなことするなんて意外でしたよ。もっと冷静なやつだと思ってました」
「隼人はあんなことは…いやでも…やっぱり…そうなのかな…」
「陽乃さん?」
すっかり日が落ちた街の影が俺たちにまとわりつく。
「帰るね、八幡…」
「駅まで送っていきます」
「いいよ、ここで」
「……え?」
「ごめん…八幡。またね」
暮れなずむ街の影に消える彼女を俺はただ茫然と眺めていた。
ー人と人との間にあるのは不確かなものだけだよー
いつか聞いたそんなセリフが思い出される。