機動戦士ガンダムSEED moon light trace   作:kia

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最終話  運命の環の中へ

 

 

 

 

 その日は雲一つない、月明かりに照らされた静かな夜だった。

 

 場所も関係しているのだろうが微かに虫の声が聞こえるのみ。

 

 普段聞こえる街の喧噪とはかけ離れている。

 

 こんな日は音楽を聞きながら星を眺めてもいいし、コーヒー片手に本を読んでも良い。

 

 どちらにしろ心休まる時間になるだろう。

 

 そんな考えが浮かんでくるほど今日は本当に良い夜だった。

 

 頭上を飛び交う銃弾さえ無いならの話ではあるが―――

 

 「こんな夜は星でも眺めてのんびりとしたいんだけどね」

 

 キラ・ヤマトは益体の無い考えをため息を吐きながら振り払い、身を潜めている物陰から周囲の様子を窺う。

 

 そこには男達が顔面や胸に穴を開け血を流しながら床に転がっていた。

 

 先程キラが撃ち倒した者達だ。

 

 完全に絶命し倒れ伏している彼らから視線を外すと、銃弾を撃ち込んでくる襲撃者の方へ目を向けた。

 

 今キラがいる場所はスカンジナビアにある街から離れた郊外にある廃墟の一画だ。

 

 任務でスカンジナビアを訪れたまでは良かった。

 

 空港からストックホルムの軍事基地に車で移動している最中に妙な連中の襲撃に遭い郊外にまで追い詰められてしまった。

 

 一緒に来た『戦友』には連絡済みなので、援護が来るまで時間を稼ぐだけでいい。

 

 「……人数はそう多くは無いみたいだけど」

 

 一体何者なのだろうか?

 

 戦場に身を置いていた以上、自分を恨んでいる者達も大勢いるだろうが。

 

 疑問もあるが、まずはこの場を切り抜ける方が先だ。

 

 襲撃者は入口を抑え、無造作に置かれている物陰からキラを狙っている。

 

 キラは敵の銃撃が途切れたその瞬間を狙って一直線に駆けだした。

 

 狙いは最も近くにいる人物。

 

 敵が銃を突き出した所に握った石を投げつけ、相手の射線を逸らすと懐に飛び込み躊躇わずにトリガーを引いた。

 

 「ぐッ!?」

 

 一発、二発と銃弾を叩き込み、サングラスを掛けた男を撃ち倒す。

 

 そして即座に振り返り、もう一人を排除する。

 

 同時に物陰の近くに飛び込むと今まで居た場所を銃弾が抉った。

 

 「ハァ、ハァ、上手く行った」

 

 これで残る襲撃者は後五、六人と言った所か。

 

 しかしここからが問題である。

 

 数は減った。

 

 だがこの先は簡単にはいかない。

 

 これまで訓練は受けてきたものの、キラは生身での白兵戦の経験は乏しい。

 

 引き換え相手は錬度も高く、場慣れしている。

 

 今の敵を含め、撃ち倒せてきたのは相手の意表を突く奇策を用いたから。

 

 だがそれももう通用しないだろう。

 

 「……無傷って訳にはいかないかな」

 

 多少の負傷を覚悟して物陰から相手の出方を窺おうとしたその時、今度は別方向から銃声が響いてきた。

 

 一瞬、敵の増援かとも思ったが、「うわ!」、「チッ、反撃を」などの声が聞こえてくる。

 

 銃声の方角からして乱入してきた者は襲撃者の背後、つまり入口から奇襲を仕掛けているらしい。

 

 キラはこの好機を逃さないとばかりに物陰から飛び出すと左側から回り込む。

 

 「くっ」

 

 「遅い!」

 

 丁度、乱入者と挟み込む形となり襲撃者が銃を向ける前に銃弾を撃ち込んだ。

 

 最後の一人を倒し、後は乱入者と二人。

 

 僅かでも敵である可能性がある以上警戒を怠る事は出来ず、銃を構えたまま徐々に距離を詰めていく。

 

 そして物陰から出ると同時に銃を突きだした。

 

 奇しくも同じタイミングで飛び出してきた乱入者と銃を突きつけ合う。

 

 その人物の顔を見たキラは頬を緩め笑みを浮かべる。

 

 「やあ、アスト」

 

 「無事なようだな、キラ」

 

 そこにいた乱入者は幾重の戦場を共に潜り抜けてきた戦友アスト・サガミだった。

 

 銃を下ろし安堵したように息を吐き出すと警戒しながら慎重に周囲を見渡す。

 

 そこで二人は気がついた。

 

 近くに止めてあった連中の車や建物から微妙に光が発せられている事に。

 

 「キラ!!」

 

 すぐに廃墟から駆けだすと少しでも離れようと必死に走る。

 

 距離を稼ぎ、頭を抱え込みながらその場に伏せると大きな爆発音と共に衝撃波が二人に襲いかかった。

 

 「ぐっ!?」

 

 「ッ!?」

 

 建物が崩れ落ちる音を聞きながら二人はゆっくりと立ち上がった。

 

 「……大丈夫か、キラ」

 

 「う、うん。なんかヘリオポリスを思い出すね」

 

 「そんな呑気な事を言ってる場合か」

 

 確かにあの時もこんな感じでジンの攻撃に晒された建物から必死に逃げて埃に塗れていたが。

 

 あれからまだ二年くらいしか経っていないかと思うと不思議な気分になる。

 

 少し昔を思い出して感傷的になりかけていたのを切り替えると、改めて崩れ落ちた廃墟を見つめる。

 

 「で、あいつらはなんなんだ?」

 

 「さあね、空港から基地に向かっていたらいきなり襲撃を受けただけだしね。でも個別の高い身体能力にあの動き、コーディネイター……それもかなり訓練も積んでいるみたいだったし、ただのテロリストじゃないと思う」

 

 「ああ。それに用心深く、用意周到みたいだからな」

 

 キラが狙いだったのかは不明だ。

 

 しかし車、廃墟に仕掛けられていた爆弾は連中が失敗した時の保険であり、証拠隠滅の為のもの。

 

 初めからここにキラを誘導する手筈になっていたのだ。

 

 「……それはともかく僕達どうやって帰ろうか?」

 

 「え」

 

 見ればキラやアストの乗りつけた車は爆発に巻き込まれ無残な事になっている。

 

 端末を含めた荷物とかはすべて車の中だ。

 

 「……近くの町まで歩くしかないな」

 

 アストは周りに光一つ見えないこの場所に軽く絶望しながらため息をついた。

 

 

 

 

 「なるほど。詳細は分かりました」

 

 「はい」

 

 キラとアストは軍服を着こみ、指令室の椅子に座るアイラ・アルムフェルトの前に立っていた。

 

 昨夜に突然襲撃を受けた事はすでにアイラには報告済みだ。

 

 それに伴い調査隊も編成された。

 

 しかしあれだけ用意周到な連中が簡単に尻尾を掴ませるとは思えず、大した情報は得られないだろう。

 

 そんな二人の報告を聞き終えたアイラは一層険しい表情で考え込んでいると徐に口を開いた。

 

 「……最初に言っておきますがこの話は他言無用、極秘事項に該当しますので、そのつもりで」

 

 「「了解」」

 

 「二人も知っているとは思うけど、数週間前に月で大規模な戦闘が行われました。その戦いに同盟も僅かではありますが、戦力を派遣し戦闘に加わっています」

 

 机の上に差し出された資料を手にとって目を通す。

 

 オーディン、イザナギといった戦艦と次期主力機開発計画のSOA-Xシリーズも投入されている。

 

 かなり激しい戦いだったようだ。

 

 「その戦いに私の……妹のような子も参加していたの。でも……」

 

 歯切れの悪いアイラの様子にすべてを察する。

 

 手元の資料にも『セリス・ブラッスール』という名と顔写真にMIAという印が押されていた。

 

 「……アイラ様、その」

 

 「ごめんなさい、大丈夫よ。その資料にも書かれていると思うけど、セリスにMIAには少し不可解な点があるのよ」

 

 アイラに促されるようにさらにページを捲る。

 

 ≪セリス・ブラッスールは一度母艦への帰還の報告を上げたものの、途中で味方機を保護、後にテタルトスが建造した監視施設に退避するがそのまま行方不明となる(母艦が駆けつけた際には施設は崩れ落ちており、敵からの襲撃を受けたものと思われる)≫

 

 「この施設を破壊したと思われる敵については?」

 

 「不明よ。今も解析させているけれどオーディンやテタルトスから提供されたデータからは何も」

 

 崩れ落ちた施設は戦域からは随分離れている上にセリス・ブラッスールが施設に向かったのは戦闘終盤。

 

 データではその時に生き残っていたザラ派の連中はすでに撤退を始めていたと記されている。

 

 つまりあの時点で敵がテタルトスの懐である月面の、しかも戦略的に何の意味も無い箇所に対して攻撃を仕掛けるとは考えづらい。

 

 「なるほど、確かに少し気になりますね」

 

 「ええ。それに関する手がかりもあるの。これを聞いてもらえるかしら」

 

 アイラは机の上に端末を取り出しスイッチを入れると録音されたらしい音声が聞こえてくる。

 

 《……ともかく……こちらの予定通りサンプル集まって……後は準備が整い次第……それまでは互いの役目を果たし……》

 

 所々掠れているが、何かしらの会話らしきものが記録されている。

 

 「これは?」

 

 「……スウェアのパイロット、ニーナ・カリエールが持っていたサブ端末の音声記録よ」

 

 「そのパイロットは?」

 

 「……命は取り留めたわ。ただ今後生きていると分かれば狙われる可能性もあるから、現在はヴァルハラで匿っているの」

 

 オーディンが駆けつけた時、セリス達が退避した施設は無残に崩れ落ちていた。

 

 しかし格納庫に運び込まれていたモビルスーツは無事に掘り起こされ回収に成功。

 

 半壊したスウェアのコックピットから重傷を負ったニーナを救出したのである。

 

 ハッチに異常があったのか、非常用のシャッターが作動していたのも幸いだった。

 

 あれが作動していなかったら、ニーナの命は無かっただろう。

 

 「それでこの声だけど、聞き覚えはないかしら」

 

 そう言われて気がついた。

 

 端末から聞こえてくる声は最近メディア等によく顔を出している人物の声にまったく同じだったのだ。

 

 「この声はプラントで会った……確かギルバート・デュランダル」

 

 「その通り。プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルと瓜二つなの。流石に本人ということは考えられないでしょうけど、無関係とも思えない」

 

 「……つまりアイラ様はこのセリス・ブラッスールは戦死したのではなく、何者かによって拉致された可能性があると?」

 

 キラの問いかけにアイラはただ黙って頷いた。

 

 「もちろんセリスに関する事だけで話をしている訳ではないわ。これも極秘事項だけど最近同盟国内、いえテタルトスも含めて、失踪者の数が多い。突発的な戦闘による行方不明者という線もあるけど、それにしては少し気になる数字よ」

 

 戦争は終わったが小競り合いのような小規模戦闘は各地で起こっている。

 

 それでも同盟は降りかかる火の粉を払う程度に武力行使を留め、極力自衛に徹している。

 

 その為被害はほとんど出ていない筈だ。

 

 その中でこの失踪者の数は確かに疑問が残る。

 

 それに昨夜のコーディネイターと思われる者達からの襲撃。

 

 すべてが繋がっているとは思わないが、何かが起こり始めているのかもしれない。

 

 「そこで私は極秘裏に隊を設立し、この件も含めた調査に当たろうと思っています。もちろん貴方達にもその部隊に参加して欲しい。特にキラ君は狙われている可能性もあるのだから、身を隠すには丁度いいでしょう」

 

 「そうですね。このままだと他の皆にも迷惑が掛かってしまうし」

 

 「後、他にも狙いがあるかもしれないから念のため、私の方からカガリやレティシア達にそれとなく警戒を促しておくわ」

 

 「よろしくお願いします」

 

 キラとアイラの話を聞いたアストはこれまでの情報を纏めながらしばらく考え込むように俯いた。

 

 頭に浮かんできたのはヤキン・ドゥーエにおける最終決戦時にユリウス・ヴァリスに言われた事だった。

 

 奴はアストに向かって確かにこう言い放った。

 

 ≪これで終わりではない。むしろこれを切っ掛けに始まると言っていい≫

 

 ≪知りたければプラントを―――ギルバート・デュランダルを調べてみるんだな。奴はこの戦争を切っ掛けに何かをするつもりらしいからな≫

 

 ≪プラントには私達と同じ存在がいる≫

 

 ギルバート・デュランダルの事も気になるが、それ以上に自分達と同じ存在の方が気に掛かった。

 

 同じ存在。

 

 それはアストやユリウスと同じ『カウンターコーディネイター』がプラントにはいるという事になる。

 

 そう考えればこれは良い機会なのかもしれない。

 

 「アイラ様、俺をプラントへ行かせて貰えないでしょうか?」

 

 「アスト!?」

 

 「今回の件、現状得られている情報を照らし合わせるとプラントに疑惑が向かざる得ません。特にデュランダル議長周辺の調査は必須事項です。俺に行かせてください」

 

 確かにアストの言うとおり。

 

 この声の件が無くてもデュランダルに関していつかは探りを入れる必要はある。

 

 「言っておくけど非常に危険よ。貴方は顔を見られているし」

 

 「リスクは承知の上です」

 

 「……分かったわ。プラントに関しては貴方に任せます。丁度、オーブとプラント間の交流が再開されるからそれを利用させてもらいましょう。キラ君、貴方にはヴァルハラに上がって調査隊の母艦であるドミニオンに合流してもらうわ。新型のアドヴァンスアーマーを装備した機体も用意しているから、調整をお願いね」

 

 「「分かりました」」

 

 アイラとの詳しい話を詰め、準備に追われている内に数日が経った。

 

 二人は宇宙に上がり、ヴァルハラの港に降り立っていた。

 

 人に見られないように荷物運搬用の通路を使い進んでいくと途中で分岐路に突き当たった。

 

 ここからは別行動。

 

 キラはドミニオンへ行きすぐに作戦行動に。

 

 アストはプラントへ向かう為のシャトルに乗り換え、デュランダル議長周辺の調査を開始する事になる。

 

 「でも皆には何も言えなかったし、心配かける事になって申し訳ないな」

 

 「そうだな。でも仕方ないさ。極秘任務だしな」

 

 「あはは、後ですごく怒られそうだけど……」

 

 キラの乾いた笑いにアストは思わず顔を引きつらせた。

 

 十分にありそうな怖い話だ。

 

 特にアネット辺りは確実に何かを言ってきそうな気がする。

 

 二人は嫌な予感を振り払うように首を振ると、いつもと同じように軽く手を上げた。

 

 「さて、じゃあ俺は行く。後は頼むぞ、キラ」

 

 「うん。アストも気をつけてね。何かあったらドミニオンへの暗号コードに連絡を入れて」

 

 「ああ」

 

 二人は拳を軽く突き合わせると、特にそれ以上かたることもなくあっさりと別れた。

 

 彼らの間にあったものは信頼。

 

 互いに心配する必要はなく大丈夫であるという確信をもっていたからこそ余計な言葉を持たなかった。

 

 キラが大して物の入っていない荷物を片手に通路を進むと港に接舷する一隻の艦が見えてきた。

 

 黒い船体とキラにとっては馴染み深い造詣。

 

 アークエンジェル級二番艦『ドミニオン』である。

 

 前大戦の最終決戦において同盟に投降してきたこの艦は一番艦であるアークエンジェル同様、改修を施され極秘任務に就くべく出航しようとしていた。

 

 「キラ・ヤマト!」

 

 「あ、ナタルさん!」

 

 ドミニオンの格納庫から乗り込んだキラを待っていたのはこの艦を任された艦長であるナタル・バジルールであった。

 

 「今回の任務よろしくお願いします、ナタルさん」

 

 「ああ、こちらも君が乗り込んでくれるなら心強い」

 

 前大戦から共に戦ってきただけあって互いのことは良く知っている。

 

 極秘任務を行う上でも非常にやりやすい。

 

 これもアイラの采配なのだろう。

 

 握手を交わしながらキラは背後に立つ漆黒の鎧を纏う機体を見上げた。

 

 「あれが……」

 

 「ああ、君の搭乗機だ。後で確認しておいてくれ。それからもう一人紹介したい人物がいる」

 

 キラの前に長い黒髪の少女が歩いてくる。

 

 「君は……」

 

 「初めまして、ニーナ・カリエールです」

 

 「すでに知っていると思うが、彼女は狙われている可能性があるという事でヴァルハラで保護されていた。だが今回からドミニオンに乗り込む事になった」

 

 ヴァルハラならば問題ないだろうが外部からの出入りがある以上は万が一がないとは言い切れない。

 

 その点、隠密で動くドミニオンならば敵に発見されるリスクも減らせるという事だ。

 

 「よろしく、キラ・ヤマトです。怪我はもう大丈夫なの?」

 

 「ええ、戦闘はまだ無理ですが、でも傷が治り次第、戦線に復帰できるようにするつもりです」

 

 その顔からはどこか張り詰めたような危うさが見て取れた。

 

 資料によれば彼女とセリス・ブラッスールは仲の良い友人同士だったらしい。

 

 「カリエールさん、君は……」

 

 こちらの言わんとする事を察したのか、ニーナは唇を噛んで俯くと涙を堪えて口を開いた。

 

 「……ッ、私の所為です。私の所為でセリスは……私が迂闊だったばかりに……」

 

 キラにはニーナが今抱えている気持ちが良く分かった。

 

 かつて自分も同じ気持ちに捕らわれた事があるからだ。

 

 「カリエールさん、君の気持ちはよく分かるよ。僕も昔、同じようなことを考えたことがある。守りたいものが守りきれなくて、仲間を救うことができなくて、自分の無力を呪った」

 

 今でも夢に見る事がある。

 

 救えなかった幼い命と共に戦った仲間の姿。

 

 その光景はきっと一生忘れることなんてできないだろう。

 

 「でもそれを一人で気負っていたって駄目なんだ。僕と共に戦ってくれた、同じく背負ってくれた人達がいたからこそ、ここにいる事ができる。その事を忘れてはいけない。だから、君の背負うべきものを僕にも背負わせて欲しい」

 

 「えっ」

 

 「僕達は仲間だ。君の痛みを僕も背負う。だから一緒に戦おう」

 

 キラが手を差し出すとニーナは涙を拭きその手を握る。

 

 彼女の顔には先ほどまでとは違い危うさは無く、強い決意が宿っていた。

 

 それを見て取ったキラはそのまま彼女を伴って、ブリッジへ歩き出す。

 

 準備の整ったドミニオンは世界に蠢く陰を追って、ヴァルハラから旅立った。

 

 その後、彼らが表舞台に立つ事になるのはそれから一年以上後の事になる。

 

 

 

 

 テタルトスによるザラ派残党の掃討は着実に成果を上げ、彼らを弱体化させていった。

 

 しかしそれでもいくつか解決していない事象がある。

 

 それが『月面紛争』を引き起こした首謀者の存在の割り出しとモビルスーツや弾薬等の補給路の特定である。

 

 そもそも彼らが操っていた『Fシリーズ』自体どこで手に入れたものなのかさえも不明瞭。

 

 捕虜としたアルド・レランダーの尋問も行っているが、彼自身からまともな返答が返って来ることが無く進展しない。

 

 そうした経緯と月周辺に存在した敵勢力のほぼ殲滅を確認した事で一部の部隊を残した形でザラ派に対する軍事行動は終了する事となった。

 

 

 テタルトス月面連邦国にとって初めてともいえる大規模紛争。

 

 『月面紛争』はこの時をもってようやく終息をみたのである。

 

 

 月面紛争が終結した事で月周辺にも平穏が戻り、軍も平常通りの配置に戻りつつあった。

 

 ただしある程度という言葉が頭につくのだが。

 

 紛争が終結したことで確かにザラ派による襲撃は無くなった。

 

 だが連合、プラントとの関係が修復された訳ではない。

 

 むしろ混乱している今こそが好機であるとばかりに他勢力による介入行動は以前よりも確実に回数を増している。

 

 それに比例する形でテタルトス軍の出撃も増えていた。

 

 そして今日も攻撃を仕掛けてきた地球軍を追い払ったアレックスはため息をつきながらガーネットのコックピットから降りた。

 

 「紛争が終わったばかりでこれとは」

 

 自分は軍人。

 

 役目もやるべきことも分かっている。

 

 しかしこうも戦いが続くというのは流石に少し気が滅入ってくる。

 

 重力のない格納庫を浮遊しながら器用に移動し、床に足をつけると若い整備兵が寄ってきた。

 

 「お疲れ様です、少佐。流石ですね、ガーネットは損傷一つありませんよ」

 

 「そう大したことではないよ」

 

 「ご謙遜を」

 

 「向こうの数もそう多くなかっただけさ。それに……奴ならこのくらい簡単に捌いて見せただろうからな」

 

 「えっ? あのどうかしましたか?」

 

 呟きが聞こえたのか、整備兵が戸惑ったように声を上げる。

 

 よほど怖い顔でもしていたのか、若干の怯えが混じっている。

 

 それに気がついたアレックスは「何でもない」と笑みを浮かべた。

 

 よりによって奴のことを思い出すとは、最悪の気分だった。

 

 「それでどうした?」

 

 「え、あ、はい。実は機体の方は大丈夫だったのですが、エクィテスコンバットの方が問題でして。一度オーバーホールしないと」

 

 元々エクィテスコンバット自体が試験的に開発されたものだ。

 

 交換できる予備パーツなども僅かしか存在しない貴重な装備である。

 

 それが連続した戦闘で酷使し続けた為に一度オーバーホールが必要ということらしい。

 

 「オーバーホールにどのくらい時間がかかる?」

 

 「えっとパーツ交換等も必要かもしれませんから、かなりの時間がかかると思います」

 

 「そうか。しばらくは装備なしで問題ないだろう」

 

 幸いガーネットの性能は非常に高い。

 

 そこらの連中に遅れをとることはあるまい。

 

 整備兵と今後のガーネットに関する詰めを行っていると別の整備兵が近づいてきた。

 

 「少佐、ブリッジから連絡が入りました。軍司令部から帰還命令です」

 

 「分かった、すぐに行く」

 

 受け取ったメモには帰還命令以外の書かれておらず、緊急事態という訳ではないらしい。

 

 どの道装備のオーバーホールが必要なのだし、部下達の休養という意味でも丁度良かったかもしれない。

 

 帰還命令に従い母艦であるクレオストラトスは敵の残骸が広がる宙域を離れ、一路月へと向かって移動を始めた。

 

 幸い敵からの襲撃も無く穏やかな航路が続く中、クレオストラトスの進む先に巨大な物体が見えてくる。

 

 敵にとっての畏怖の対象であり、テタルトスの武の象徴。

 

 巨大戦艦『アポカリプス』

 

 「進路そのまま、アポカリプスに識別信号を送れ」

 

 「了解!」

 

 管制官の指示を待ち、巨大な戦艦の一画に存在する隔壁が開放されたのを確認するとクレオストラトスは内部へと進んで接舷する。

 

 本来、補給等を受けるならば月の防衛拠点の一つである『イクシオン』に行くべきだ。

 

 だが現在あそこには他の艦を受け入れる余裕など無い状態だった。

 

 ザラ派によるイクシオン襲撃の際に使用されたウイルスの影響が未だに残っているからだ。

 

 「艦は任せます。俺はエドガー司令の所へ行くので」

 

 「了解」

 

 艦長にその場を任せ、司令室に向かうため艦を降りると予想以上の喧騒に若干の違和感を持つ。

 

 近くで戦闘が起こっているという話は聞いていなかったので、少し気になったアレックスは荷物の点検をしていた兵士に声を掛けた。

 

 「ずいぶん騒がしいようだが、これは出撃か?」

 

 「ディノ少佐!? いえ、これは『ヴァルナ』に向かう艦隊の準備です」

 

 「『ヴァルナ』に?」

 

 話によれば現在出撃準備中の部隊は地球圏に帰還してきたユリウス達の代わりに『ヴァルナ』に行く者達らしい。

 

 紛争が終結した事で軍部も『ヴァルナ』の試験運用を予定通りに進めたいという事のようだ。

 

 外宇宙への進出。

 

 分からない話ではないし、他勢力においても企画、検討されている事だろう。

 

 いずれはすべての勢力が外宇宙への進出を目指して行くことは想像に難くない。

 

 だが同時に未だ世界は不安定な情勢のまま戦いが続いている。

 

 そんな中で外宇宙を目指す事にアレックスはある種の不安を抱かずにはいられなかった。

 

 「ありがとう」

 

 話を聞かせてくれた兵士に礼を言って格納庫を後にすると途中で見知った者達が通路の先から歩いてくるのが見えた。

 

 「リベルト大尉、ランゲルト少佐、ヴェルンシュタイン議員」

 

 リベルトとヴァルターと打ち合わせを行いながら歩いてきていたゲオルクはアレックスの姿を認めると二人を手で制止させて立ち止まる。

 

 「戻ったようだな、ディノ少佐。その様子では特にトラブルもなかったようで何よりだ」

 

 「……はい。ありがとうごさいます」

 

 「その優秀さを私の子供達にも見習わせたいものだ」といいながら笑みを浮かべてこちらに視線を向けてくる。

 

 相変わらずの威圧感、正面に立つだけで手に汗が滲む。

 

 「だが丁度良かったかもしれんな。ディノ少佐、もう聞いているかも知れないが、『ヴァルナ』運用試験の護衛の為に増援部隊を送る事に決まった」

 

 「ええ、先ほど耳にしました」

 

 「そこに私も同行し、その護衛としてこの二人もヴァルナに向かう」

 

 「ヴェルンシュタイン議員だけでなく、少佐達もですか?」

 

 確かに『月面紛争』は終結した。

 

 だが情勢は不安定だ。

 

 そんな中でテタルトスでも屈指のパイロット達が月から離れてしまうのは不測の事態が発生した場合に痛手になるのではと思うのだが。

 

 「君の懸念も分からなくは無いが、だからと言って『ヴァルナ』を何時までも放置する事はできまい。それにエドガー総司令の采配と君もいて、さらにはユリウスが帰還した以上、多少の荒事であれば十分に対応できる筈だ。何にせよ、これはすでに決定事項だ。後は任せるぞ、アレックス・ディノ少佐」

 

 「ハッ!」

 

 敬礼を返すアレックスに頷き返すとゲオルクは格納庫へと歩いてゆく。

 

 リベルトが敬礼の後にゲオルクに続くとその場に残ったのはヴァルターのみだ。

 

 何時も通り何を考えているのか分からない穏やかな笑みを浮かべている。

 

 また妙な事でも言ってくるつもりなのだろうか。

 

 余計な事を言われる前にこの場を離れた方が良いと判断したアレックスはさっさと挨拶を済ませる事にした。

 

 「……ランゲルト少佐、その」

 

 「何かありましたか? いつも以上に顔が強張っていますが。嫌な事でも思い出したとか」

 

 「えっ」

 

 自分では普通にしていたつもりなのだが。

 

 思い当たる事があるとすれば一つ。

 

 直前に奴の事を思い出した所為か。

 

 何であれ奴に関することを口にする気は起こらなかった。

 

 「……いえ、別に大した事ではありません」

 

 「そうですか。何か悩み事があるなら、何時でも相談してください。出来うる限り力になりますから」

 

 予想外の言葉に思わずあっけに取られてしまった。

 

 それを見たヴァルターはクスクスと笑いながら、意地悪い視線を向けてくる。

 

 「私が貴方を気遣う事がそんなにおかしいですか?」

 

 「い、いえ、そんな事はありませんが……」

 

 少なくとも好感を持たれているとは思っていなかった為に正直以外だったと言うだけである。

 

 もちろん本人には言えたことではないが。

 

 「フフフ」

 

 「と、とにかくありがとうございます、ランゲルト少佐。今回の任務、気をつけてください」

 

 「ええ、貴方も」

 

 お互いに笑みを浮かべそのまま別れると思っていた。

 

 だがそこに突然アレックスにとっての爆弾が投げつけられる。

 

 「そうそう。この先何が起こるかは分かりませんが、今度こそ決着がつけられるといいですね。貴方の憎むべき宿敵、アスト・サガミと」

 

 その名を聞いた途端にアレックスの胸中に強い感情がわき上がり、思わず目の前にいる人物を睨み付けた。

 

 「……どこでその名前を」

 

 質問に答えることなくヴァルターは笑みを浮かべたまま背を向けた。

 

 「ようやく貴方の本当の顔が見られました。また会える日を楽しみにしています、『アスラン』」

 

 こちらの疑問には一切答えず、言いたい事だけ言ってヴァルターはゲオルクを追って格納庫へ歩いていった。

 

 残されたアレックスは渦巻く感情を吐き出すようにため息をつくしかない。

 

 「……やっぱり俺はあの人が苦手だな」

 

 まるでこちらのすべてを見透かされているような、そんな気分にさせられる。

 

 そしてもう一つ。

 

 あの朗らかな笑みはどうしても彼女とダブって見えることがあるから。

 

 吹っ切れたはずの事が脳裏に思い浮かび、僅かに顔を顰めるとアレックスもまた指令室の方へ足を向けた。

 

 

 

 

 先ほどヴァルターの言葉の中には一つだけこの先の未来に関する確定事項が混じっていた。

 

 宿敵との決着。

 

 何時になるかは分からないが、それでも何時かは必ず来る。

 

 その時、アレックス―――いや、アスラン・ザラは必ず引き金を引くだろう。

 

 たとえかつての友が、心を寄せた女性が立ちふさがるとしても。

 

 

 

 

 暗がりの執務室、そこはプラント最高評議会議長の為に用意された部屋である。

 

 その部屋に現在議長の任についているギルバート・デュランダルが一人、机に置いてあるチェス盤を眺めていた。

 

 彼の脳裏に浮かんでいたのは常に先のこと。

 

 自身が願う未来にたどり着くまでの過程。

 

 そんな彼の思案を遮るように、秘書官であるヘレン・ラウニスが入室してきた。

 

 「失礼します、議長」

 

 「ヘレンか。どうした?」

 

 「押さえた施設の改修が完了いたしました。準備が整い次第、稼働させます。それからテタルトスで動きがありました。ゲオルク・ヴェルンシュタインが移動型軍事ステーションである『ヴァルナ』に向かうという報告が上がってきました」

 

 「ふむ」

 

 デュランダルは最終的な障害となるのはテタルトスであると考えていた。

 

 その中でも要注意人物として考えていたのがユリウスとエドガー、そしてゲオルクであった。

 

 特にゲオルク・ヴェルンシュタインはこちらの動きに気が付いていた節ある。

 

 それがすでに地球圏から離れたとなれば、ある意味で朗報かもしれない。

 

 しかし―――

 

 「ふむ、少し引っかかる。リベルトは?」

 

 「彼の役目はゲオルク・ヴェルンシュタインの監視でしたから、共に『ヴァルナ』へと向かう予定にしていますが、変更しますか?」

 

 「いや、それでいい」

 

 テタルトス方面の駒が減ってしまうが、妙な疑いを持たれるよりはいい。

 

 「それからもう一つ、オーブからの移住希望者の中に気になる者がおりました。これをご覧ください」

 

 手渡された端末に映し出された顔を見た瞬間、デュランダルは僅かに驚いたような表情を見せた。

 

 「なるほど、そう来たか」

 

 端末に映っている人物の名は『アレン・セイファート』となっているが、間違いなくアスト・サガミであろう。

 

 「キラ・ヤマト襲撃も失敗したと報告が上がっていますし、そこから嗅ぎ付けられた可能性があります。どういたしますか?」

 

 「このままでいい。泳がせておけ」

 

 「良いのですか?」

 

 「重要な駒が一つ手元に来てくれたんだ。喜ぶべき事だろう。ティアにとっても良い話さ。ただし『彼女ら』には接触させないように配慮してくれ」

 

 「了解いたしました」

 

 『カウンターコーディネイター』

 

 最強の敵を倒す可能性を最も秘めた駒がわざわざ来てくれた。

 

 せいぜい役に立ってもらうとしよう。

 

 デュランダルは思わぬ収穫に笑みを浮かべ、より確実に事を運ぶために思案を始めた。

 

 

 

 

 暗い闇がどこまでも広がる宇宙の海を複数の人型が駆け抜けてゆく。

 

 スラスターを噴射させ、手に持った突撃銃を構えるその機体は世界で最も知られるモビルスーツ『ジン』だった。

 

 ただその機体は通常のジンとは背中のウイングバインダー等に違いがあり、色合いもまるで違うもの。

 

 所謂プロトジンと呼ばれる機体であり、今ではジントレーナーの名で呼ばれ訓練機として活用されている機体である。

 

 つまり今この場で行われているのは、命を掛けた戦闘ではなく訓練機を用いた模擬演習であった。

 

 「今日こそ負けないからね!」

 

 ジントレーナーを駆る少女ルナマリア・ホークは不敵な笑みを浮かべながら視界の先にいる機体に向けて宣戦布告する。

 

 相手の実力は分かっているし、凄いとも思うが何時までも負けっぱなしというのはやっぱり悔しい。

 

 たまには土でもつけて、成長しているという事を分かってもらうとしよう。

 

 「そこよ!」

 

 突撃銃を構え、先行するジントレーナーを狙撃する。

 

 当然の事ながら銃には実弾ではなく練習用の模擬弾が装填されており、直撃したとしても機体には影響が無い。

 

 遠慮なく発射された模擬弾が狙い通りに相手の機体に迫る。

 

 しかしそれも見透かしていたかのように、スラスターを使い機体を逸らす形で回避する。

 

 「流石ね、今のを避けるとか!」

 

 嫌になるくらいの反応速度だ。

 

 まともに狙っていたのでは絶対に当てられない。

 

 鳥のように自由自在に飛び回るジントレーナーを誘導するように突撃銃を連射する。

 

 それすらもひらりとありえない軌道で回避して見せた。

 

 「もう、埒が明かないわね! なら!!」

 

 ルナマリアは機体の速度を上げ、相手の機体に接近戦を仕掛ける。

 

 元々ルナマリアは射撃戦が苦手であり、どちらかと言えば接近戦の方が得意だった。

 

 最近は毎日のように行われる『彼女の訓練』のおかげかさほど苦手では無くなりつつあるのだが。

 

 「これでどう!!」

 

 懐に飛び込みトリガーを引く。

 

 しかしジントレーナーは弾が発射される瞬間に上昇、宙返りすると逆さまのまま突撃銃を発射。

 

 ルナマリア機の背中に銃弾が直撃した。

 

 「きゃあ!」

 

 《撃墜、二機とも交代だ。帰還しろ》

 

 「「了解!!」」

 

 教官の指示に従い、ルナマリアは反転して相手の機体と共に帰還の進路を取った。

 

 「まったくアレをかわすとか、アンタはどんな反応してんのよ」

 

 感心しつつも、やや呆れ気味に隣に並ぶ機体へと話しかける。

 

 すると通信機から明るい声が聞こえてきた。

 

 「違う、ルナが遅すぎるだけだよ。でも訓練の成果出てたよね、射撃もずいぶん良くなってたし。この調子で今日も頑張ろ」

 

 「……この実機訓練の後でまだやらせるつもりなわけ。セリス、アンタは鬼か」

 

 「明日は休日だし大丈夫だよ」

 

 「……アンタだけだからそれは」

 

 やや顔を引きつらせながら、無駄であるとは分かっているが友人であるセリス・シャリエに苦言を呈した。

 

 ルナマリアとセリスはアカデミー入学してからの出会った気の合う友人ではある。

 

 だが、一つだけルナマリアが辟易しているのがこの居残り訓練だった。

 

 セリスは元々面倒見の良い性格でレポートや訓練にも付き合ってくれる。

 

 しかしその訓練は苛烈を極めるというか、相当きついのである。

 

 無論、セリスに悪意が無いことは理解しているし苦手分野の克服も必要なことだと分かっている。

 

 でもこれに付き合うと次の日が厳しい。

 

 彼女曰く「苦手分野は今のうちに克服しておかないと戦場ですぐに撃墜されるよ」との事。

 

 実戦にでた事も無いはずなのだが、やたら説得力のある声に拒否する事も出来ない。

 

 「明日は買い物行きたかった」と呟きながらルナマリアは大きなため息をついた。

 

 

 

 

 その騒ぎを聞きつけたルナマリアは思わず呆れた表情を浮かべた。

 

 無事に訓練を終え、パイロットスーツから着替えたセリスとルナマリアは休憩室に向かっていた途中で取っ組み合いの喧嘩に遭遇した。

 

 とはいえこれも日常茶飯事というか、どうせ『アイツ』なのだろう。

 

 隣に立つセリスにも騒ぎの中心にいる人物を確信しているようで「しょうがないなぁ」なんて苦笑している。

 

 「ふざけるな!」

 

 「そっちこそ!」

 

 騒ぎの中心にいた人物はやはり二人の思ったとおり、黒髪の少年シン・アスカだった。

 

 同期の少年とお互いに服の襟元を掴み上げにらみ合っている。

 

 「やっぱりね。レイ、なにがあったの?」

 

 ルナマリアは近くに立つ金髪の少年レイ・ザ・バレルに話しかけた。

 

 「……大したことじゃない。ただの口論だ」

 

 詳しい事を話す気にもならないらしくレイは行ってしまった。

 

 「あ、ちょっと、レイ! ハァ、まったくもう」

 

 口論という事はきっかけ自体は大したものではないのかもしれない。

 

 シンは本人が意識しているのかどうかは知らないが、普段から挑発的な言動や態度が目立っており教官達に対しても反抗的だ。

 

 その所為か、こうした喧嘩染みた騒ぎの中心には大体シンの姿がある。

 

 「どうする、セリスって、いない!?」

 

 隣に立っていた筈のセリスはいつの間にか二人の間に立ち、喧嘩の仲裁に入っていた。

 

 「はい、そこまで。二人とも喧嘩はやめなさい」

 

 「「セリス!?」」

 

 喧嘩をしていた二人はいつの間にか間に入ってきていたセリスの存在に驚きつつも、気まずそうに視線を逸らした。

 

 「まったく、こんなところで喧嘩なんて皆の迷惑だから。それからシン、ちょっと付き合ってね」

 

 「お、おい」

 

 セリスはシンの腕を掴むと有無を言わせず、歩き出す。

 

 「ルナ、先に行ってて」

 

 「え、あ、うん」

 

 呆然とする皆を尻目に、セリスはシンと共に行ってしまった。

 

 「おい、ちょっといい加減離してくれって」

 

 「駄目、シンはすぐ逃げるから」

 

 シンの思惑は見透かされているらしくセリスは誰もいない場所まで引っ張ってくるとようやく手を離した。

 

 「で、何があったの?」

 

 「いや、別に」

 

 「シン?」

 

 「うっ」

 

 セリスは怖い笑みを浮かべて、顔を覗き込んでくる。

 

 黙っていても無駄だと思ったシンはバツが悪そうに話し始めた。

 

 「……ホントに大したことじゃなくて、訓練の事で少し揉めただけだよ」

 

 セリスの顔を直視することができず、視線を逸らす。

 

 「……そっか。また見たんだね、昔の夢」

 

 その言葉にビクッとシンの肩が僅かに跳ねる。

 

 やはり彼女にはバレバレだったようだ。

 

 シンとセリスはアカデミーに入る前からの知り合いだ。

 

 お互いの事情を知っているので当然といえば当然である。

 

 彼女と初めて会ったのは病院だった。

 

 オーブ戦役で負傷したシンは気がつくとプラントの病院のベットの上にいた。

 

 最初こそ混乱したものの、主治医の先生や看護士、そして自分を保護してくれた人の使いなる人物の話からすべてを知った。

 

 オーブ戦役の顛末。

 

 ヤキン・ドゥーエ戦役と呼ばれた大戦の終結。

 

 そして自分の家族は―――

 

 自分はすべてを無くしてしまったのだと、現実感もないまま突きつけられてしまった。

 

 茫然自失。

 

 そんな状態で日々を過ごし、眠れば嫌が応にも見せられる悪夢。

 

 その度に奪った者達。

 

 そして守りきれなかった者達への怒りと失った悲しみが増してゆく。

 

 彼女と出会ったのはそんな時だ。

 

 自分を苛む悪夢に目覚めたシンは眠る気にもならないと部屋を抜け出した。

 

 密かに病院内を散策し、何となく今まで行った事のない屋上に上った。

 

 気分を変えようと外の空気でも吸いたかったのかもしれない。

 

 そしてそこにいたのがセリスだった。

 

 その場に呆然と立ち尽くし、正直に言えば見惚れてしまっていたのがいけなかったのだろう。

 

 シンを見つけたセリスに手招きされ、雑談する事になってしまった。

 

 話をする内にセリスの穏やかな雰囲気に警戒心も何時しか薄れ、話題はお互いの身の上にまで及んだ。

 

 自分の事情を話すのは失った事を認める作業のようでつらかったが、彼女の事情はシンの想像以上に厳しいものだった。

 

 彼女は笑顔で家族を亡くし、そして過去の記憶をも無くした。

 

 それが彼女セリス・シャリエであると。

 

 彼女は殺した誰かを憎む事も、家族の死を悲しむ事もできないのだ。

 

 それに比べてシンはまだマシな方だとその時は思えた。

 

 病院にいる間は何度も彼女と話をした。

 

 気分転換にも良かったし、互いの事情を知っているから気を使う必要も無い。

 

 何よりもその時間だけがシンを癒し、心から安らぐ時間になっていた。

 

 間違いなく彼女の存在が救いだった。

 

 その中で燻っていた思いがシンをザフト入隊を決意させた。

 

 もう失いたくなかったし、彼女や自分のような人間を出したくなかったから。

 

 流石にセリスもザフトに入隊するとは思っていなかったのだが。

 

 とにかくセリスはこのプラントにおいて自分の状態を誰より知っている人物。

 

 悪夢を見た日は、すこぶる機嫌が悪くなる事も知っている。

 

 だから何を話してもよいように、誰も居ないこんな人気のない場所にシンをつれてきたのだ。

 

 「……セリスは何とも思わないのか?」

 

 気が付けばシンはそんなことを口にしていた。

 

 彼女もまた自分と同じくすべてを無くしている。

 

 記憶が無いという意味ではある意味自分よりも辛い筈だ。

 

 分かっている、そんな事は。

 

 それでも―――

 

 いつも笑っているセリスの姿が眩しくもあり、腹立たしいという気持ちも確かにある。

 

 「ん~そうだなぁ。確かにたまに昔はどうだったのかなぁって思う事もあるけど、でも私は一人じゃないからね」

 

 「えっ」

 

 「ルナやメイリン、レイだってそうだし―――シンも居るじゃない。だから大丈夫かな。それはシンも同じ、貴方は一人じゃない。私達がいるよ」

 

 思わぬ返答にシンは思わずセリスの顔を見つめる。

 

 美人というか可愛いという印象の方が強いセリスであるが、今は自分よりも大人の顔をしているような気がする。

 

 何と無くバツが悪くなり、顔を逸らそうとするがその前に伸びてきた手がシンの体を包み込む。

 

 「セ、セリス!?」

 

 「大丈夫だよ、誰も居なくなったりしないから」

 

 セリスに抱きしめられ、シンを包み込む暖かさはどこか懐かしい気がした。

 

 本当に彼女は自分を照らす光そのもの。

 

 まるで陽だまりの中にいるかの様な暖かさに何時しかシンの心に巣食っていた冷たく暗い炎を鎮めていく。

 

 「うん、顔色も良くなったね」

 

 セリスが抱擁を解くとなんとなく寂しいような妙な気分になってしまう。

 

 それが抱きしめられていたという事実と相まって余計に照れくさくなり、シンは今度こそ顔を逸らした。

 

 そんなシンを見てセリスは楽しそうに笑みを浮かべるとこちらに向けて手を差し伸べてくる。

 

 「さ、そろそろ行こうか、皆のところに」

 

 差し伸べられる手。

 

 それを取ろうとして一瞬躊躇する。

 

 また無くすかもしれない、そんなこの先で十分にあり得る未来を想像して。

 

 そんなシンの手をセリスは躊躇わず握り締めた。

 

 「大丈夫、行こう」

 

 穏やかな笑みと暖かな手。

 

 シンはその顔を見つめ、手を握りながら決意を固める。

 

 もう二度と失わない。

 

 その為に―――

 

 「セリス」

 

 「うん?」

 

 「君は俺が守る。何があっても」

 

 その為なら誰とでも戦おう。

 

 その為に強くなろう。

 

 赤い瞳でまっすぐにセリスを見つめると、嬉しそうに笑顔を浮かべ彼女は頷いた。

 

 「うん。私もだよ、シン……でも告白みたい」

 

 「えっ、ち、ちが―――」

 

 「違うの?」

 

 「うっ」

 

 顔を赤くしながらそっぽを向くシンを愛しそうに見つめるセリス。

 

 二人は手を握ったまま、歩き出す。

 

 その先が暗闇だとしても今日の決意が思い出せるなら、この光があるのなら大丈夫だと。

 

 そんな確信を抱きながら。

 

 

 

 

 

 機動戦士ガンダムSEED moon light traces END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 C.E.75

 

 そこは地球と火星の狭間。

 

 地球から運ばれたテタルトス移動型軍事ステーション『ヴァルナ』がこの位置にたどり着いて二年以上の時が流れていた。

 

 ここには地球圏にあった騒がしさはなく、静かに時間が流れてゆく。

 

 そんな場所に身を置きながら、ゲオルク・ヴェルンシュタインはかつての覇気を全く衰えさせることなく、地球圏の様子を眺めていた。

 

 自身に宛がわれた部屋の中で、報告書に目を通すとやはりという確信を持って端末のスイッチを切る。

 

 「デュランダルは敗れたか」

 

 これは予想通りとも言える結末だった。

 

 自分の所属する国が奴の掲げる未来に賛同する筈はなく、そして負ける筈もない。

 

 特にユリウス・ヴァリスがいる限りは。

 

 「そのようですね」

 

 ゲオルクの正面に立つのは彼の腹心の一人ヴァルター・ランゲルト少佐である。

 

 短くそろえていた髪は腰まで伸び、もはやヴァルターの性別を女と言われ疑うものは誰もおるまい。

 

 「それでお前はどうするのだ、リベルト?」

 

 ゲオルクは正面に立つもう一人の人物に声を掛けた。

 

 そこにいたのは何時も通り特に表情を変えることの無く佇む男リベルト・ミエルス大尉だった。

 

  彼がデュランダルの命を受け、テタルトス内を監視していた事をゲオルクは最初から承知済みであった。

 

 むしろ好都合。

 

 向こうから情報を得る事ができる手がかりを提供してくれたのである。

 

 利用しない手はない。

 

 情報を得る為にリスクを犯して彼に接触し、デュランダル達からの解放を約定として情報の提供と同時にこちら側に引きこんだ。

 

 すべてはいざという時に供える為に。

 

 それも徒労に終わったようだが、それはそれで構わない。

 

 「別にどうもしません。すでに私は彼らから解放されているのですから」

 

 ゲオルクらの研究によって解放されたリベルトには彼自身を縛っていた枷はすでにない。

 

 元々好きでデュランダル達の言いなりになっていた訳ではないし、彼らに対する感傷など持ち合わせてはいないのだ。

 

 「そうか、ではこの先も期待させてもらうぞ」

 

 黙って頷くリベルトに満足すると今度はヴァルターが報告書を手渡してきた。

 

 「一つ報告がありました。ザフトが使用していたらしいモビルスーツを回収したと連絡が入っています」

 

 報告書には頭部など幾つか損傷はあるが、ほぼ原形を留めたままの機体が写し出されている。

 

 「なるほど。これに関しては工廠の方に任せよう。……では我々も帰還しようではないか。懐かしい我らが地球へ」

 

 「「了解」」

 

 そして争いを招く一つの星が地球圏に向けて動き出した。




本編はこれで終了となります、ありがとうございました。

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