「ご注文は、以上でよろしいでしょうか?」
そう言って、小学生にしか見えない店員は真尋達のテーブルから去って行った。
現在二人がいるのは、近場にあったファミレスの四人席だ。まずは腹ごしらえ、もっと洒落た店に連れてってやりたいが、悲しいかなバイトもしていない高校生には金銭的に無理な話だ。ところで、真尋とクトゥグア、向かい合って座る二人は、果たして周囲からどう見えるのだろう。
そんな事を考えながら対面のツインテールを見つめていると。
「……今の店員さん、ニャル子に声がそっくり」
「ああ、確かに似てたな」
なんと言うか、美術科で絵を描いていたり、新劇場版で新たな魔法少女でもやりそうな声だ。
魔法少女。ニャルラトホテプ。
「やめとこう、封印していた物を無理に掘り返す必要は無いよな」
まあ、物語のセオリー的には復活してしまうものだが。忍養成学校に眠る妖魔とか。
「……少年、何を考えてるの?」
「いや、ニャル子が魔法少女やった時の事だよ」
あれは珍しく、真尋が暴走した話だった。ニャルラトホテプ本人に話すつもりはまったく無いが、お喋りしたいクトゥグアとなら、笑い話にも出来るだろう。人はいつか時間だって支配できるのだから。
と思ったのだが。
「……ん、少年」
クトゥグアは、形のいい眉を寄せ、無表情なまま表情を強ばらせる。器用な奴だ、指輪か腕輪で補正しているのだろうか?
「どうしたんだよ?」
「……わたしと二人きりなのに、他の女の子の事を話さないでほしい……」
珍しい。というか奇跡に近い。あのクトゥグアが、最愛のニャルラトホテプの話題を嫌がるとは。
「……って言うと、恋人同士っぽく見える?」
「おい」
「……でも、他の女の子の事を話してほしくないのは本当のこと」
そう言われてしまっては是非も無い。炎の神性相手では、本能寺など一瞬で焼失してしまう。
「じゃあ」
だったら聞きたい事がある。話したい事がある。
「クー子の話がいいな」
「……わたし?」
さっきから気になって仕方ないのだ。誕生日に、好きな色、好きな食べ物。クトゥグアの事が知りたくて仕方ない。まだ真尋は、クトゥグアの好きな音楽も知らないのだ。
「……カレルレンの、特に質の悪かった輩を、知り合いのニューロやリアリティーハッカーと一緒にアク禁にした武勇伝とか?」
「ネット上のお前って、基本無双スペックだよな」
「……アヤカシ、マネキン、バサラだと自負している」
いや、わけがわからない。クトゥグアの事が知りたいのに、さらに謎が増えてしまった。
「……じゃあ、クトゥグア・ヴィ・フォーマルハウトには夢がある」
「夢なのはいいが、胸元を広げるなはしたない」
真尋だけならいい……やっぱりよくはないが、公共の場であるここには他にも男性客がたくさんいる、結界があるから大丈夫なのかもしれないが、やはり見られたくない。なるほど、独占欲とはこういうものか。
あ、ヘアピンを着けた店員さんが何故かクトゥグアを見て、ガッツポーズしていた。
「……ん、わかったやめる」
「素直でよろしい。で、夢がなんだって?」
実際興味がある真尋に促され、炎の神性は蕩々と語り始める。
「……そう、わたしは何故か荒野を彷徨っていた。行けども行けども不毛の大地ばかり、口笛も聞こえない」
なんで口笛が関係あるのか分からないが、一生懸命真尋に伝えようとする姿が大変可愛らしいのでよし。
……別人の思考が乗り移った気がする。
「……どれだけ歩いただろう。旅の始まりはもう思い出せない所まで来たとき、わたしは扉を見つけた」
「扉?」
「……そう、荒野には似合わない立派な扉。その怪しさにわたしは直感した」
いったん言葉を切って、お冷やを口にする。
「それで?」
無口系のキャラだと思われがちだが、案外語り手のセンスはあるらしい、真尋はクトゥグアから目が離せなかった。
「どうなったのですか?」
「…………」
「………………直感、そして確信した、何かレアアイテムがあると。突撃決定」
「危ないだろ、おい」
戦闘民族クトゥグア星人ならば、虚弱貧弱無知無能な地球人よりも安全かもしれないが、もうちょっと自重してほしいのだ。心配で仕方ない。
悪魔は泣かないと言うが、邪神は泣く事を真尋はよく知っているし、自分が泣く事など言わずもがなだ。
「……一ターンの間、命中百パーセント。どんな攻撃でも一回は必ず避けて、移動後に使えない武器も使えるから大丈夫だと思った」
「それに、夢の中では突拍子も無い事が起こるものですから、クー子さんを怒らないであげてください真尋さん。ふふふ、心配なのはわかりますけどね」
確かに過保護だったと反省する。自分はこんなキャラだったか、と思うが、今日の真尋は紳士的なのだ。多分。
「ああ、話の腰を折って悪かったな、僕から話を振ったのに」
「……ううん、少年が心配してくれて嬉しかったからいいよ。ありがと、少年」
「う」
静かだが、はっきりとした言葉に、またも頬が熱くなるのを感じる。今日何度目だろうか。火事と喧嘩は江戸の花と言うが、赤面と溜め息は真尋の花となるかもしれない。
「……それで、扉に入ったわたしは……絶叫した」
「え、なんで?」
「……その声で目が覚めたから分からない。明らかに喉のリミットをオーバーした声だった。声優さんって凄い。あとなんでか、とりあえず幻夢境のヒュプノスの子供に会いたくなった。不思議」
首を傾げるクトゥグアの疑問には残念ながら答えられない。
「……ドリンクバー取ってくるけど、少年の分はどうする?」
「あ、悪いな、適当でいいぞ」
二人分のグラスを持って、小走りで行く後ろ姿を見ると、自分が行くべきだったか、と反省する。
「いいえ真尋さん、殿方のなんでもしてあげたい、という心理も理解できますが、女の子の何かしてあげたい、という邪炎心(おとめごころ)も理解してあげてください」
「…………」
「……お待たせ少年」
真尋がぼおっとしているうちにクトゥグアが、飲み物が注がれたグラスをテーブルに置いた。
真尋の目の前に、チョコレートが薄まったみたいな飲み物が鎮座している。
「適当に、って言ったけど、これなんだ?」
パッと見はココアかチョコレートミルクに見えるのだが、それよりなんというか水っぽく感じる。
クトゥグアの事だから、宇宙SANの変な食材を混入させたりはしていないと思うのだが、ドリンクバーに備え付けられている商品にも見えない。
「……少年は、ドリンクバーでオリジナルブレンドとかやらない?」
「ああ、あんまりファミレス来ないから、最近はやってないけど、昔は色々やったな」
「飲み物で遊んじゃいけない、と思う一方、普通に美味しいのが出来るんですよね。カルピスソーダとオレンジジュースで、ビール。とかニャル子がよくやっていました」
「…………」
「…………」
「で、これは何を混ぜたんだ?」
オリジナルブレンド。その言葉に憧れるのは子供だとも聞くが、なら真尋は子供のままでもいいと思う。遊び心を失ったら、きっと人の心の革新などあり得なくなる。ただ必要な所だけ大人になればいい。
「……ココア☆ソーダ☆クエン酸」
「いや、おかしいだろ、特に最後」
あと、なんで歌うように言ったのかも小一時間。可愛かったので、真尋の心は和んだが。
「……まずは飲んでみてほしい。外見だけではリアルさは伝わらない、味もみておこう。の精神が必要」
「あ、ああ、別に飲めない物が入ってるわけじゃないしな」
せっかくクトゥグアが作ってくれたのだ、変な材料が入っているなら別だが、ここで飲まなきゃ男が廃る。
クトゥグアの気合いのレシピから伸びるストローに口を付ける。初めにキノコを食べた人間を尊敬しながら。
「ん、これは……」
「……どう?」
「うん、予想外にいいんじゃないか? ココアのコクとあと二つの酸味がいい感じに混ざって、ハーモニーって言うのか?」
なお、この感想は個人のものです。同様の感想を得られなくても、当局は一切責任を負いません。
「……本当、よかった。じゃあわたしも」
朗らかに微笑んだクトゥグアは、身を乗り出して。
「あ」
つい数瞬前まで真尋が口付けていたストローを、ためらいなく口に含んだ。
「お、おい! 何やってんだよ」
グラスの水位が五センチほど下がった。
「……おいしい。あ、わたしのブレンド別のだから、気になった」
「いや、そうじゃなくて」
男が口にした物を口にするというのは、その、立派なカップル的な行為に思えて、頭が茹ってしまう。
「いえいえ、むしろワンランク上のバカップル的な行為ですよ。ふふふ微笑ましい」
「…………」
「………………これは中々上手くいった。ココアにソーダが加わって倍、予想外にクエン酸が働いて更に倍の四倍……決めに少年の味もして三倍されて、美味しさ十二倍。ハス太君特製の、バッファローミルクスペシャルを上回る」
どうして、こいつは、真尋の理性をガリガリ削ろうとするのか。もう自分の理性がゼロになっても、狂戦士の魂を胸に突貫して来るのだろうか? その結末をなるべく頭の隅でぼっちになってもらいながら、多少意地悪な口調を意識する。
「クー子、せっかく僕と二人きりなんだから、他の男の事を話すなよ」
「……あ」
熱はどんどん高まって、真尋を侵していく。けれど、その熱がだんだんと気持ち良くなってきた。熱狂+アドレナリン+オーバードーズと言ったところか。
「こう言ったら、恋人同士に見えるんだろ?」
「……ん、ごめんなさい少年」
心地よい沈黙が数秒、このまま時が止まればいいのに、と思いながらどちらからともなく笑いあう。
そんな真尋とクー子だけの世界は。
「お待たせしました」
店員さんが運んできた料理に打ち砕かれた。別に恨みはしないが。
「申し訳ありません、前よろしいでしょうか?」
「あ、はいぃ?」
思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。何故か店員さんの腰には、日本と……いや気のせいだ、もしくは何かの企画なのだろう。
「ご注文の品、以上でよろしいですか?」
流石はプロ、真尋の奇声にも反応せず、てきぱきと料理をテーブルに並べ終えていた。
「はい、大丈夫で……」
「すみません、追加よろしいですか? このキノコ祭フェアの、キノコ尽くしセットをお願いします。あと、キノコの丸焼き盛り合わせの三人前も」
「…………」
「…………」
店員さんは、そのまま去って行った。
「今の方、真尋さんに声が似てらっしゃいましたね。ああ、わたくしの事は気にせずに、お先に召し上がってください」
「いただきます」
「……いただきます」
フォークとナイフを手に、二人は食事を開始する。やはり熱々のうちに食べるのが一番だ。
「……少年、こうしてるとスッポンを捕りに行った時を思い出す。二人で作ったから、とても美味しかった。あの時少年に助けてもらった事、忘れてないよ?」
そうはにかむクトゥグアが、可愛らしくて、真尋はただ正直な気持ちを告白する。
「なあクー子……スッポンって、なんの事だ?」
嬉しそうなのはいいのだが、真尋の記憶にはガオンされたみたいに引っ掛かる物がない。
「……あ、ごめん。これ虚憶だった。あれも媒体が小説だったから、基本世界と勘違いしてた」
「お前らは、別世界の話をしないとどうにかなっちゃうのか?」
「……次元の壁を越えれるエネルギーは、わたしたちの宇宙CQCだけだから」
「ああ、わたくしの初出もそれの本体でしたね」
「……クー子」
「…………何?」
「そろそろいいと思うんだ」
思えばよく我慢してきたと思う。
「「なんでいるんだ(の)? アト子」」
せっかくの二人きりを邪魔されて、多少不機嫌に睨み付けると、この和服美邪神は。
「そういうところです」
その微笑みを見て、真尋は蜘蛛の巣に絡め捕られる獲物の気分を理解した。