新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完) 作:EKAWARI
今回の話は第四次聖杯戦争編の山場の一つではないでしょうか。
にじファンで連載していた当時、約2ヶ月ほどで全10章仕立てのこの第四次編を書き上げたわけですが、当時の中でも1,2を争う程第四次編の中では思い入れ深い話となっているかなとそう思います。
ではどうぞ。
side.言峰綺礼
この3年、自分に魔術の手解きをした己の師でもあり、亡き父の年若い友だった男を見ながら私はいくつかのことについて回想し、思考をする。
赤いスーツに身を包んだ男は、私が己を害する存在である可能性など欠片も考慮していないかのような無防備さで、私を魔術師の要たる
まず人を疑ってかかるのが魔術師という生き物の
時臣以外の家人が退去してから数週間が経つ遠坂邸ではあるが、私が通された居間は戦争中とも思えぬ遠坂家当主の気配りから、埃一つ落ちていない清潔な姿そのままに私という人間を迎え入れる。
完璧なまでに調和された美。
本当に聖杯を取ろうというのならそんな時でもなかろうに。これだけ見ればなんとも平和なものだ。
そんな風に呆れにも似た感想を胸に宿しつつも、私は勧められるがままにソファに腰かけて、3年間私の本質を見抜くことなど終ぞなかった師・遠坂時臣と二言、三言と会話を交わしていく。
そして次々に私へとかけられる言葉の数々を、私は微笑を浮かべながらも全て肯定してみせた。
師に取ってはそれだけで私を味方と判ずるのは易かったという事なのだろう。
この完璧を取り繕った男は、私の本心を余所に如何にも喜ばしそうに笑んで見せると、信頼と親愛の籠もった眼差しのまま1つの書簡を私へと差し出した。
「…………
「まぁ簡略なものではあるが、遺言状のようなものだ」
その言葉を皮切りに、男は私に頼みたいらしい事を次々と語りだしていった。
自分が死んだ場合、家督は娘の凛に譲ることや、凛の後見人に私を指名していることなどが主な内容だ。
自分がこの家を訪れた目的を思えば、それは皮肉な頼みといえる代物だったのだが……それでも私は聖職者だ。頼まれたことについては責務を果たそう。
例え私の本質がどうであろうと、それでも神の使徒たることに違いはないのだから。
だからこそ、一人の聖職者としての責任感から、誠意のある声音と態度で私は時臣師にこう返した。
「お任せください。不肖ながらも、御息女については責任を持って見届けさせていただきます」
「ありがとう。綺礼」
師は信頼すら込めて私に感謝の言葉を送る。
‘何度見ても、酷い道化だな。そうは思わぬか? 綺礼’
そんな声が頭の中で響くも、私は無視して遠坂師との会話を続けた。
続いて、宝石細工のアゾット剣を一つ、師は私へと手渡してくる。そのことに呆れにも似た感情が沸き上がる。
本当に、この男は……父と同類に過ぎる。
一方は聖職者として、もう一方は魔術師としてとの違いはあるとはいえ、その枠の中でとても正しく善良で……私とはどこまで行っても正反対なその姿と本質が苛立たしくも愛おしい。
これはそう、憧れと共に嫉妬にも似た憎しみすら、私が抱かずにいられない愚かで正しき人間、そういう人種なのだ。とてもよく似た2人。魔術師と聖職者という垣根を越え友情を育めたのも当然のことなのだろう。
そんな師の態度を前に、父上の最期の顔を思い出す。
私という人間を見誤り、その最期の瞬間まで信じられないと目を見開いたまま死んでいったその姿。
思い出すだけで震えるくらいに甘美な感覚が背筋を通り抜けた。
思い出という名の誘惑に駆られている私を前に、客人である私に茶を用意してないだろうことに気付いたのだろう、男は立ち上がり、くるりとその無防備な背を向けた。
そしてそのまま私に振り向くこともなく師は言う。
「ああ、そういえば、君が私に話したいこととはなんだったんだい? 聖杯戦争に関係することなんだろう?」
「はい、そのことですが」
言いながらその時には既に私は行動に移っていた。
それは油断しきっていた男に悟らせる事も難しい、僅か一瞬の出来事で。
ぶしゅっと鈍い音を立てて真っ赤な血がぴかぴかに磨かれた床に飛び散るその様を、綺麗だなと思い眺めた。
「……あ?」
「私に、
言われた男は未だ何をされたのかわかっていないらしい。
己が自慢の
其の様は、突如自分の身を襲った予想外の出来事を前に、痛みさえ麻痺しているかのようだった。
そう、私は男の令呪を宿した腕を、今しがた手に入れたアゾット剣で両断したのだ。
その切り離された腕を掴む。
そして見せ付けるように殊更ゆっくりと、血の滴る師の腕の切断面を舐め上げた。
「……綺……礼?」
このような事態を欠片も想定していなかったらしい男は、へたりこみ、欠けた腕を抱えて呆然と私を見上げている。その顔を見た途端背筋に愉悦の情が走り、私は無意識のうちに笑っていた。
「さて、この舞台を見に観客がやってくるまで、それほど時間があるわけではないでしょう。最期の懺悔はありますか?
どたどたと、少女が立てるには荒々しい音と共に、膨大な魔力の塊が部屋へと近づく。
間違いなくかの最優と名高きサーヴァントだ。
彼女が部屋に到着するまで、3、2、1。頭の中でカウントをとる。
「
バンと豪勢な音を立てて、師のサーヴァントが部屋に駆け込んでくるそのタイミングにあわせ、私は少女の目の前で男の首を斬り飛ばした。
それに合わせ、ぶしゃっと、赤い血がまるで新鮮なトマトジュースのように部屋中に散らばる。
錆びた鉄のような匂いさえ今の私には愛おしく、それを悪しき事だと認識していながらも、その背徳が余計に心を高揚へと導いていく。
そうしてゴロゴロと時臣氏の首は転がっていって少女の足元に辿りついた。
セイバーは緑の目を益々大きく見開いて、その滑稽ともいえる死相を目に焼き付けている。
「ッ……! 綺礼、貴様!」
ギッと私を睨みつけて、少女はすぐさまに紅い大剣を手に私に飛びかかろうと迫ってきた。
「令呪に命ずる」
想像以上にその様子を眺めるのは楽しい。
心が知らぬ侭に躍り出す。嗚呼これほどまでに楽しいものがこの世にあったとは。
そんな感嘆じみた感想を前に、自分の口元が昏い悦びに笑み歪むのを自覚しながら、私は言の葉を紡いだ。
「主変えに賛同せよ」
そう私が告げるなり、少女は顔面を蒼白にして己の胸元を抱きしめた。
自分のレイラインが今どこに繋がっているのかわかったらしい。その屈辱に満ちた目。
いつも傲岸不遜な顔で余裕綽々といった態度をしていたこの美しき少女が、感情を押し殺すようにして唇を噛み締め、視線だけで私を射殺さんとばかりに睨みつけている。
それが酷くたまらない気持ちに私をさせる。
嗚呼、なんてキモチがイイのか。
この憎悪と屈辱に満ちた視線は。
これほどの悦楽がこの世にあったというのか。今すぐにでもイってしまいそうだ。
ぶるぶると、小さな口が震えている。こめかみは引き攣り、青筋すら浮かんでいる。
そんな中で少女は憎しみすら込めて私に言葉を放った。
「……承知した。
「くく……あははははっ」
殺意も敵意も隠そうともせず、しかしその少女の態度こそが私には一番の馳走だ。
ついに耐え切れなくなって、私は大きな声を上げ笑った。
笑いすぎて涙さえ出てくる様だ。こんなにおかしく思えて笑えたのは生まれて初めてに違いなかった。
side.衛宮切嗣
聖杯戦争も3騎が脱落し、佳境に入ったといっていいのだろう。
けれど、あのアーチャーを召喚したあの日から僕はずっと迷い続けている。
それでも歩む足だけは止めないけれど。けれどそれも習い性のようなもので、僕個人の感情とはまた別の問題だ。
僕の目的を達するには大聖杯までいかずともいい。
そう、アイリが有する小聖杯で事足りる願いだ。
そう思ってアインツベルンの陣営に招かれてからの9年間、大聖杯の事まで僕が気を回す事はなかった。
しかし、聖杯が彼女の宣言通りこの世界でも汚染されていたとしたら、その原因があるのなら小聖杯じゃない、冬木に眠る大聖杯のほうだろう。
そんな風に考えながら、今朝舞弥から仕入れた情報も同時に並行して思考を続ける。
今朝方、漸くこの段になってライダーのマスターの住居が判明した。
なんと、あのイギリス出身の魔術師の青年は、一般人に暗示をかけて極普通の家に紛れ込み堂々と市井で暮らしていたのだ。魔術師らしく結界を張ることや工房の設置といった当然の備えすら度外視して。
その魔術師らしからぬやり口には正直賞賛を覚えたものだ。
聖杯戦争に置いては、それが相手の裏をかく有効な手だと確かに思ったからだ。
しかしいくら住所がわかったところで、サーヴァントを連れていない自分に常にライダーと共に行動している男相手への対抗手段があるわけでもないし、ウェイバー・ベルベットを匿っている老夫婦が、ウェイバーにとって己を孫と思い込ませて利用しているだけの赤の他人であることを考えれば、人質の価値もないだろう。
それに、大聖杯の様子を一度確認したほうがいいのではないかという気持ちもある。
だから、自分の右腕たる久宇舞弥に、そのライダーのマスターが寄生している家を遠くのマンションの屋上から見張らせるだけ見晴らせて、僕自身は大聖杯があるだろう場所を目指して歩を進めていた。
舞弥をわざと窮地に追い込むつもりもないから、ライダーと鉢合わせしても詳細を報告するだけで攻撃はしなくていいと指示を下している。
まぁ、舞弥は僕の右腕でこそあるがマスターでもなんでもない人間だ。
たとえ魔術師であることはばれたとしても、あのサーヴァントの性格を考えればそうそう危険に陥いることもそうないだろう。
それにしても……ライダーのマスターは他の魔術師に比べると利口だな、と思う。
なにせなにをするにもずっとサーヴァントと一緒に行動し、空駆ける戦車にのって移動し続けているのだ。
寄生する先の選択にしても、全くの他人の一般人の家を選んでいる。
その時点でいつだってねぐらに見切りをつけて逃げ出せる足軽さを持っていることに等しく、その見栄より実利を取る有様は他の頭の硬い魔術師連中にも見習わせてやりたいぐらいの手際だ。
はっきりいって
そんなことを思っていると、ざっと、突如念話が僕の脳裏に飛び込んできた。
『…………スタ』
遠く離れているが故に、声はノイズがかかったようにかすれる。
そのどこか少年じみた女の声は、間違いなく自分のサーヴァントであるアーチャーの声だ。
それが、緊迫した硬い声音で僕を呼んでいる。
その只ならぬ雰囲気に、僕は今まで目的地としていたはずの山に背を向け、ばっとくたびれた黒い外套を翻し、車に乗り込んで彼女達がいる武家屋敷へと照準を合わせ、エンジンをかけた。
そして手短に問う。
「何があった!?」
『……襲撃だ。相手は……あれは』
響く声には余裕がない。
襲撃だって?
応戦しながら語りかけているのだろうアーチャーに僕からも許可を取るための念話を飛ばす。
「知覚共有の術を使う! いいな!?」
そうして目に映ったのは……赤毛の大男?
あれは、ライダーか。
天までつかんばかりの大男が、アーチャー相手に斬りかかっている。
アーチャーはいつかも見た、黒と白の双剣を手に応戦しているが、膂力その他において明らかに下回る彼女がいつまでも地力で勝る相手を前に持つはずがない。
大男が技を一つ振るうたび、致命傷を避けていても浅い傷が無数に刻まれていく。
そして巨大なその手は、アーチャーよりも、寧ろ彼女が後ろで守るアイリスフィールを狙っているように見えた。
『マスター、これは……ライダーではない。狂化した目……これはバーサー……ぐっ!』
ついに大男に捕らわれ、アーチャーは土蔵の壁へと放り投げられる。
がらがらと壁が崩れ、彼女の体の上に瓦礫が大小問わずに降りかかった。
『……ッ』
体中血塗れになってなお、双剣使いの弓兵はしっかと己の足で立ち上がり、今まさにアイリを連れて去ろうとするライダー、いやアーチャーがいうにはバーサーカーか、にむかって双剣を手に駆け出す。
それを男は、アーチャーに一蹴り、腹部を蹴っ飛ばして壁へ逆戻りさせた。
それでも尚、追いすがるアーチャーだったが、狂った男の眼には最初から彼女は映っていない。
ただ目的を果たさんばかりに、狂人は僕の妻を連れ、この家から自分の主の元へ立ち去ろうとするのみだ。
そのでかく太い足を確かに、血塗れの弓兵は掴んだ。
『……させ……ん』
息を乱しながら、それでもアイリスフィールを取り戻さんとする、白髪の女。
それに、容赦なく男のもつ剣が降りかかろうとしていて……それはまるで死神の鎌のように妙にスローモーションに僕の目に映った。
ドクリ、と知らず心臓が脈打つ。
死ぬ? このままでは、この紅い弓兵は……消滅する。
(……駄目だ! そんなこと、絶対に)
嫌な汗がじっとりと伝う。
もう、時間がない。このままでは、彼女が死んでしまう。
でも、アイリが。
だけど、アーチャーは、僕は……僕は! 何故、僕はここにいる。
どうしてこんな時に二人の傍に僕はいない。2人の側にいないこの身が今は酷く呪わしい。
アイリを連れて行かれるわけにはいかない。
でも、だけど!
『ねえ……お願いよ、キリツグ……アーチャーを、私たちのもう一人の娘を……守ってあげて』
白い
そして、命を奪う凶器が獰猛な口を開けて、
「令呪に命じる!」
side.エミヤ
昨日も今日も、私は昏々と眠り続けている彼女を見守りながら霊体で傍に控えていた。
こうして眠っている姿はまるで白磁の陶器人形のようだ。
その印象もあながち間違ってはいないのだろう。彼女は人工の生命体、アインツベルンの錬金術で生み出されたホムンクルスなのだから。
だけど、ホムンクルスとわかっていても私にとってのアイリスフィールとは、イリヤの母親で、切嗣の伴侶で、無邪気さと母性を併せ持つ一人の人間でしかない。むしろ彼女を本当に人形のように扱うことは許せない、といっていい。
だって彼女は誰よりも人間じゃないか。
どこか壊れ歪んだ生を歩んで一生を終えた自分よりも、よっぽど人間としての生を全うしていた。
冬木の街にたどり着いた時の彼女とのウィンドゥショッピングを思い出す。
見たいものがいっぱいあるのだといって、私の知る切嗣が知りたいのだと語ったその顔。
好奇心に満ち溢れた冬の姫君。現世と人々を愛おしんでいた白皙の貴婦人。
だけど、それももう終わりだ。
まだ、話すくらいなら出来るだろう。アイリスフィールという人格は辛うじてこの世に留められている。
けど、もう彼女があんな風に笑いながら日の下を歩く日は永久にこない。
それ程にサーヴァントを取り込んだアイリの人としての機能は壊れてしまった。
ふっと、銀色の睫毛が震える。
目が覚めようとしているのか。
私はそれを合図に、目覚めた彼女が寂しさを覚えないよう、実体を形作って彼女の傍に寄り添う。
同時にアイリの印象的な紅色の瞳が、微睡むように微笑んで私を見つめた。
出来るだけ優しげな声音と表情を意識して、私はそんな彼女に少しだけからかうような言葉をかける。
「よく、眠れたかね?」
「ねえ、アーチャー。私、どれくらい眠ってた?」
時間の感覚もわからなくなっているのだろう。無理もない。
それほど、彼女の人としての機能は削ぎ落とされ続けているのだ、アサシンが脱落したあの日を皮切りに、小聖杯として機能し始めてからずっと。
「1日半といったところかな」
「……そっか。動きとか……その様子じゃなかったみたいね」
頷いて返事と代えた。
そんな私の様子を悉に確認した白皙銀髪の美女は、抜けるような色をした形の良い指をそっと私の褐色の腕に重ねる。彼女には既に感覚などないのだろうが、それでも私はその白いたおやかな手を自分の手で包み返した。
私はここにいるから、安心しろというように。
そうしてアイリスフィールはややあってから言葉を紡いだ。
「ねえ、アーチャー……私の、最期のお願い聞いてくれる?」
愁いを帯びた紅色の瞳が私の姿を捉えて、懇願するように細められる。
「……聞こう」
「一度だけでいいの……私をお母さんと呼んで」
そう慈愛に満ちた母の瞳でアイリは言った。
思わず唾を飲み込む。
その衝撃をなんと名づけたらいいのだろう。
嗚呼、これまでも彼女は何度か私に言ってきたことじゃないか。
だけど、からからと、喉が渇く。言葉を失う。息が苦しいような錯覚を覚える。
「アイリ、それは……」
オレに許されることじゃないんだ、とそう言ってしまえば、彼女はきっと傷つくのだろう。
でも、だけど、拒絶も肯定もどちらも選べない。
彼女の願いは叶えてやりたいと、そう思う気持ちは嘘じゃない。
だが、それはその名称はイリヤにだけ許されたものだ。私にはふさわしくない。
そんな資格、私には有り得ない。
「どうしても駄目?」
「……」
アイリスフィールの言葉を前に、下唇をぎゅっと噛み締める。
「そんな顔をしないで……貴女にそんな顔をさせたいわけじゃないのよ」
そう困ったような悲しげな声で言葉を紡ぎ、彼女の白い手が彷徨う。
「私ね……アーチャー……貴女が私の子で……」
そんな風な語らいの最中だった。
膨大な、暴力的ともいえる魔力の塊が屋敷の結界を破って侵入してきたのは。
確信と同時に続きの言葉を聞く事もなく、私は瞬時に白と黒の夫婦剣、干将莫耶を投影して土蔵の外へと駆け出す。しかし敵のもつ武器を防いだ瞬間、その来訪者が放った攻撃の重圧に耐え切れず、ガッと鈍い音を立てて幻想は霧散した。
土蔵にむかってきた敵の姿を真っ直ぐ見上げると同時に、
『聞こえるか、マスター』
ガギリと、再び男の剛剣が唸りを上げて私に迫り来る、それを新たに投影した双剣で防ぐ。
が、その重さゆえに私の身体は土蔵の中へと後進する羽目となった。
こっちの事情を察したのだろう、切嗣は感情そのままの声で『何があった!?』と問うてくる。
それを男の攻撃を受け流しながら、念を飛ばして返事を返す。
『……襲撃だ。相手は……あれは』
それは赤毛の大男の姿をしていた。
その屈強な身体も、真っ赤なマントも、同じく赤い剛毛そうな髭も、どれもが寸分違わず
だから告げるべき敵の名に戸惑う。
『知覚共有の術を使う! いいな!?』
焦るような声と同時に、私の目と
その間も、干将莫耶を手に私はこのライダーの姿をとった何者かの攻撃を受け流していく。
が、致命傷をいくら避けていても、元来の埋められない実力の差が故か、逃れきれぬ浅い傷が無数に我が身に刻まれていくことまでは避ける事は出来なかった。
これは、この相手は相当な手練だ。
思わず舌打ちをしそうになる。
こんな化け物染みた剣の達人を前に、私はこの時代に召喚されてから今まで気づいてなかった不都合に、うかつにも今、気付かされていた。
この世界の切嗣に召喚された時から、私は男から女へと肉体性別が変更された状態でこれまでを過ごしてきた。
その性の変更による最たる弊害について、風呂も排泄も必要としない性別も関係ないサーヴァントだからこそ見逃してしまっていたのだ。
当然ながら性別が変わったということは、体格その他も変更された事を示す。
腕の長さも足の長さも、私が感覚として知っているその間合いとは異なるし、目線も男であった本来より10cm強程低い。
それでも第五次聖杯戦争に参加した衛宮士郎時代の自分よりは、この体のほうが背が高いわけだが、既に守護者へと至り、全盛期の姿としてあの体格の侭数えきれぬ永劫の刻を過ごしてきた身には、そんなもの慰めにもならない。
おまけに戦闘ではこのやたらでかいだけの胸は邪魔だし、男のときの感覚のまま剣を振るうとイメージとのズレが酷くなるという体たらくだ。
幸いにも腕力その他は英霊だからか、あまりさしたる変化は記していないわけだが、凛がマスターであったときに比べて、今の私は耐久力がワンランクばかり落ちている。
つまりは男として凛をマスターに召喚されていた時程、長くはもたないということだ。
こちらに召喚されてからは、弓ばかりを使い、剣を振るう機会がなかったが故に気づかなかった盲点ともいえるのだが、体格が違う故に男時と動きに齟齬があるなど、そもそもそんな考えればすぐにわかるような問題点の数々について、今まで気付かずにここまできた時点で自分がどうかしていたとしか言えない。
しかし、なにもかも今更だ。
これもまた遠坂のうっかりの呪いだといえばそこまでかもしれないが、戦場でそんな甘えが許されるわけがない。だからこそ間違いなくこれは私の落ち度だ。
故に己を呪わしく思いつつも、知らず荒い息を吐きながら眼前の大男をぎっと睨みつけ、剣を休む間もなく振る舞い続ける。そしてその間も相手の隙を探りつつ観察を続けた。
赤く燃える怨念を孕んだこの不気味な双眸、これは以前も見た覚えがある。
あれは確か、キャスター以外のサーヴァントが全て揃った夜。私の解析魔術でも一切がわからなかった相手。
……そうか。この英霊は。
『マスター、これは……ライダーではない。狂化した目……これはバーサー……』
「ぐっ!」
大男の姿をした狂人に首下を捉えられ、渾身の力で壁へとぶん投げられる。
がらがらと壁が崩れて私の上へと大小さまざまな瓦礫が降りかかった。
「……ッ」
身体はその衝撃とダメージを前に悲鳴を上げている。
だがそれらを無視して即座に立ち上がる。
赤い大男の姿をしたバーサーカーは今まさにアイリスフィールを連れ去ろうとしている。
それは何があろうとさせるわけにはいかない。
夫婦剣を再度投影、我武者羅に狂人へと立ち向かう。
けれど奮戦虚しく男は私の腹部へと正確無慈悲な一蹴りを食らわし、私の身体は再び壁まで吹き飛ばされた。
だが、こんな痛みがどうした。
あの男の目的はアイリだ。
たとえ片足がもげ、片腕がとられる羽目になろうと構うものか。もとよりこの身は
「……させ……ん」
男の太い足首を掴みこむ。
男は私など眼中になく、ただ邪魔者とだけ認識して剣を振り上げる。
(たわけ。私がただで、死ぬと思うな)
身体は剣で出来ている。
男が切り込むその刹那に、この身の剣製でもって男を諸共滅ぼす。
それは一か八かの賭けでしかない。だが、勝率がたとえ一割でもあるのだとしたら、その勝利を見事引き寄せて見せよう。
男の黒い剣が私に迫る。
ぎっとライダーを模った狂戦士を鷹の目で見据える。
(今か……!)
そう剣製を繰り出そうとしたその時だった。
『令呪に命じる!』
ラインを通じて流れ込む声に、びくりと、身体が固まった。
『この場において自分の命を最優先せよ!』
何を……。
(この男は何を命令した!?)
次の瞬間令呪の命を受けて、ぐん、と強制的に霊体に戻らされた。
男の黒い凶器は空を切り、それきり私への興味を失って、アイリを抱えたまま土蔵から去っていく。
「待っ……」
我が身の緊縛が解けるや否や即座に実体に戻った。
だけど、もう遅い。
伸ばした手が掴む先に何者もない。
全てが遅すぎる。
元よりスピード勝負に出たら私に勝ち目などない。
この手はアイリに届かない。
結界から連れ去られた姫君は元の人形に戻ったかのように狂人の腕の中で昏睡に落ちる。
それを、目の前で連れ去られていくのを、何も出来ずただ指を銜えて見つめるしかないということなのか?
ふざけるな。
だけど、令呪は絶対だ。今男を追えば私が返り討ちになる可能性が高い。
そのことを指摘するかのように、身体は重く私を縛り、動けない。動かない。
ぎちぎちと剣が蠢く、足は縫い付けられたように止まったままだ。
「……アイリ!」
待ってくれ。
行くな。
銀色の髪が空を揺れる。
イリヤと同じ髪。
衛宮士郎の、義姉であった少女とそっくりの……。
あの人はイリヤの母親なんだ。たった一人の母親なんだ。
此度の聖杯、だからなんだ。
人間だ。
生きた。誰よりも人間だった!
夫を愛して、娘を慈しんで、こんな私さえ我が子のように扱った。
「アイリスフィール!」
無邪気な顔、母親としての顔。気品とお淑やかさと柔らかさ、全て内包しながら、市井の人々の営みを物珍しげに愛しんでいた。そんな女性だった。
たとえこの聖杯戦争で失われる命だろうと、それまでは私がきっと守り抜いて見せるのだと、そう誓っていた。
どうして、この手は彼女に届かない。
どうしてこの手は何も守れない。
こんな時に何も出来なくて、何が英雄だ。
何故オレは肝心な時にいつだって無力なんだ。
動け、動け、動け。
何故だ、どうして。魔術師殺しと呼ばれた貴方が、誰よりも冷酷無比な魔術師だったと称される貴方が、何故オレにあんな命を下した。なんでだ、
貴方なら、優先順位はわかっている筈だろう!?
なのに何故、どうして、よりにもよって貴方が私から戦う術を奪う!?
貴方はアイリスフィールを愛していたはずじゃなかったのか。
慈しんでいたあの姿は嘘だったのか。
そんなはずがないだろう、大切にしていた、あの姿こそが素の貴方だったはずだ。
だというのに何故だ、どうして。何故オレから、オレは、オレは……たった一人の女すら守ってやれないんだ!?
何故、他の誰でもない
遠い。
もう追いつけない。
行ってしまう。
彼女が、自分を私の子供だと呼んだ女性が。
『一度だけでいいの……私をお母さんと呼んで』
何故私は躊躇したのか。
「……かあさんっ……」
禁忌を破って叫んだ声、それに返事が返ることなんてありえないのだと、知ってて頬が熱く濡れた。
自分が泣いていることにすら気付かず、ただ私は令呪に縛られたまま、案山子のように地面に足を縫い付けていた。
続く