新・うっかり女エミヤさんの聖杯戦争(完) 作:EKAWARI
ところで今更ですが、何故うっかりシリーズに「ボーイズラブ」と「ガールズラブ」タグがあるのかと言ったら、この作品の主人公である女エミヤさんは、所謂後天的なTSであるため、心は男、体は女なわけで、どっちに口説かれようが「精神的にはBL」「肉体的にはGL」になってしまうから保険のためにつけているので悪しからず。
といっても、明確なカップリングがあるわけでもないし、そういう作品でもないのですが、まあなんだ。エミヤさんはこの物語のヒーローでありヒロインであり、やっぱりヒーローでヒロインな立ち位置なのだよ。
side.言峰綺礼
最初は暗闇の中で誰かの気配を感じているだけだったその夢は、日が経つにつれどんどんと鮮明に進化していった。それに伴い、たった五分目を閉じただけでもその世界が私の前に広がるようになった。
ぼんやりと影が揺れる。はっきりした姿とはいえないが、それでもその正体が黄金のアーマーに包まれた男の姿をしているところまでは見て取れるようになった。
今ならもう言葉を交わせるだろう。根拠がないにも関わらずそう確信さえ出来た。
『お前は誰だ』
‘
くつくつと鼻につくような笑い声。そうその男は笑っているのだと確かにわかる。何を言っているのかもわかるというのに、肝心の声がわからない。どんな声で喋っているのかは、その表情が輪郭しかわからないのと同様に不鮮明なものだ。
『私のことをお前は知っているのか』
その私の質問に、相変わらずカラカラと笑いながら男は言う。
‘ああ、そうとも。知っている。
その笑みと言葉に滲む傲慢の気配。こんなものが只人であるわけがない。嗚呼、これは超越者だ。
『それは私よりも、という意味か?』
けらけらと、男の笑いがより大きく膨れ上がる。それは是。当たり前なのだという肯定。
‘二度目だからな。茶番は嗚呼、いらんだろう? なあ、言峰綺礼。自分の愉悦を認められない歪んだ魂よ。貴様は今日アサシンを使い潰しただろう? 正式に聖杯戦争を脱落できたとでも思ったか?’
『……何を言いたい?』
‘お前は何故聖杯にマスターとして選ばれたかわかるか?’
その男が放った言葉を前に、私は沈黙した。
……判る筈が無い。父と時臣氏は、私がマスターとして選ばれたのは、遠坂陣営を助けるためだと言った。私自身には望みなど何も無い。ならば、半信半疑ながらもそうなのだろうと思った。アサシンが脱落して、ああようやく私も肩の荷がおりたと思ったがそれだけだ。
強いて望みをいうならば、おそらく私が求める答えをもっているだろう衛宮切嗣に問いかけを放ちたい、私と同じ虚無の苦しみを抱えていただろう衛宮切嗣が得たものを知りたいという欲求くらいのものだ。
そんな私を嘲笑い超越者たる魂は言う。
‘綺礼よ。王の言葉だ、よく聞け。お前はな、聖杯に願う望みを既にもっておるのよ。そこから目を逸らし続けているだけに過ぎん’
既にもっている、だと?
‘自分の悦楽に目を背けるな。答えは既にお前の中にこそあるのだからな’
にたりと、影が笑う。私の全てを見透かすような言葉に、ぞっと背筋が凍える。
『お前は……』
‘そら、証拠だ。左の上腕を見よ’
その、声ならざぬ超越者の声を合図に、ずきりといつかも味わった痛みが走って……奇妙な暗闇に意識が覚める直前、私が自分の腕に見たものは失くしたはずの二画の聖痕が浮かび上がっていく姿だった。
カラカラ、カラカラと歯車は廻る。
side.エミヤ
元が現代人だというのなら、騎乗スキルをもっていなくても車の運転は出来ると考えていいですか、と黒づくめの女に尋ねられて私は是と答えた。
昨夜の酒宴の件について、
そして今、貸し与えられた
(まいったな)
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
そう、とだけ口にすると彼女はそれ以上追及してはこなかった。気を使わせてしまったか、それとも……追求する元気がないほどに消耗しているのか。
そして私の想像通りの場所こそが、この拠点変えの終着地だった。
「ここが……ふぅん。また随分と不思議な建物ねぇ」
アイリスフィールが素直な感想をもらす。しかし、その言葉もするりと右から左へ私の耳から抜け出していくようだ。
体感としては、たった数週間。
数週間前にも来た筈の建造物、後の衛宮邸の前に私は立っていた。
切嗣に引き取られてから、冬木の街を出て行くまで自分が育った家。
馬鹿な感傷だ。
荒れ放題の前庭、寂れた雰囲気の武家屋敷。これは人が住まないようになってから長い月日を重ねてきた建物だ。決して私が育ったあの家と同じとは言えない。それでも、目を閉じればかつての姿が鮮明に浮かび上がるだろう。
『士郎、いつでも帰ってきていいんだからね。おねえちゃんは待っているから』
そう言ったのは誰だったか。
前回参加した聖杯戦争のせいでというべきか、お陰というべきなのか、顔こそ思い出す事が出来たが、私の記憶は既に摩耗していて、衛宮士郎時代のことはいくつかの事柄を除けばうすらぼんやりとしか思い出せない。けれど、あれはいつもこの家にいた人だったような気がする。そう、きっと衛宮士郎にとっては大切な人だったはずだ。オレが切り捨てた一。
ふと、視線を感じて隣の女性の姿を伺う。アイリはその紅い目で観察するようにじっと私を見ていた。
「アイリ?」
「そっか……ここがそうなのね?」
その悟ったような声に、どきりと、心臓が早鐘を打った気がした。無論、錯覚だ。
「さて、何の話か……」
「とぼけなくても結構よ。ここが、貴女の育った家なんでしょう?」
私は、そんなにわかりやすい反応をしていただろうか。それとも、
「やっぱり! 懐かしいって顔してたもの。でも、ウフフ。なんだか嬉しいわ。私、むかし日本のお屋敷を見て見たいって切嗣に話したことがあったのよ。それで用意してくれたのかしらって思ってたのだけれど、ここが貴女の育った家だなんて、感動が二倍だわ」
そう言いながら彼女は物珍しそうに屋敷中を見て廻った。私はそのあとを三歩分ほど離れてついていく。やがて、一通り見終わると、今度は真剣な顔をしてアイリは何かを思案しはじめた。
「どうかしたのかね?」
「ああ、うん。この家で育って魔術師でもあった貴女ならわかると思うんだけど……、ここ結界の敷設はいいんだけど、工房の設置がね……」
「ああ、それなら庭にある土蔵を使うがいい。私がこの家に住んでいたときは、工房……とまでいえる代物ではなかったが、工房としてあそこを使っていた」
「そっか。なら、案内してくれる?」
ぎぃと、古めかしい鍵を使い土蔵を開く。
長い事誰にも使われていない蔵からは埃と湿った匂いがした。
「ああ、ここなら理想的!」
城の中で育てられた彼女にとってそこは決して快適な場所とは言えないだろうに、アイリは土蔵の中に一歩踏み込むなり、パァと顔を輝かせながらそんな風に満足そうに感想を口にした。
「ちょっと手狭だけれど、ここならお城と同じ要領で術式を組んでも大丈夫ね。とりあえず魔方陣を敷いておくだけで、私の領域として固定化できそう」
魔方陣、とその言葉で私が思い出したのは
「じゃあ、さっそく準備に取り掛かりましょうか。アーチャー、悪いんだけれど車に積んである資材をもってきてくれる?」
「了解だ。と……その前に尋ねたい」
「何?」
「アイリ、君は今、どこまで人としての機能を失っている?」
その私の言葉を前に、ばつの悪そうな顔をしてみせる白皙の麗人。
私の参加したときの聖杯戦争、聖杯であるイリヤは終盤にむかっていくにつれ彼女も人としての機能を失っていった。それでもその身に取り込んだ英霊の数が少ないうちはまだ元気にはしゃいでいたわけだが、人間とホムンクルスのハーフであり、普通のホムンクルスよりはまだ丈夫な上に生まれつき調整を受けていたイリヤと比べるとなると、純粋なホムンクルスであり、
「……そっか。やっぱりアーチャーは知ってるのね」
決まり悪そうに苦笑しながら、アイリは私の手をとった。美しく細く滑らかな指がゆるく私の腕を掴みこんだまま、か弱い痙攣だけを繰り返す。
「今の私は全力で掴んで、これが精一杯なの」
……なんてことだ。イリヤよりも人としての機能を失うスピードが早いだろうと予測は立てていたが、一騎取り込んだだけでこれとは、想像以上の早さだ。
「指先に引っ掛けたりするのが精一杯で、握ったり摘んだりするのはとても無理。壊れ物や機械の類の操作は出来ないわ。朝、着替えるのにもかなり苦労しちゃった」
「そうか」
なのに君は、なんでもないかのような顔で私の隣に立っていたのか。
「……そうか」
私は彼女の指示を受けて魔法陣を描きながら、これからの聖杯戦争の行方に思いを馳せていた。
そして、戦局が大いに動き出したのはこの約7時間後だった。
side.ランサー
その気配が突如として現れたのは未遠川付近だった。数十人がかりの多重詠唱儀式と変わらぬその気配に、おそらくは全ての魔術師とサーヴァントは気付いただろう。その外道は川幅の真ん中に悠然と佇んでいた。
おぞましき海魔を足場に、水面の上に立っているその男は
「ランサー、そなたも来ておったか!」
そう言いながら、駆け寄ってきたのは赤いドレスに歪な大剣を携えた少女、
そういえば、この女ともおかしな縁だ。最初に斬り結んだ相手だというのに、対キャスター戦で協力し、共に戦っている回数のほうが多い。だからといって、いざ死合いをするとなれば容赦など互いにしないだろうが。
キャスターは、そのぎょろりと大きな目でセイバーの姿を捉えたからだろう、にたりと表情だけは綺麗に破顔し、どこかうっとりとしたような、酔っているような声で言葉を紡ぎ出す。
「ようこそ聖処女よ。ふたたびお目にかかれたのは恐悦の至り」
「余は貴様などには二度と会いたくはなかったがな!」
セイバーは心底嫌そうな顔でそう吐き捨てる。それをキャスターは気にも止めずに自分の言いたいことだけを言い続ける。先日の戦闘の焼きなおしのようだ。違うことといえばキャスターの危険度が今夜は大幅に上がっているということか。
「申し訳ないがジャンヌ、今宵の宴の主賓は貴女ではない」
「ええい! だから余はジャンヌなどというどこぞの小娘などではないと言っておろうが!! 貴様、見るに耐えぬ醜悪な姿だけでは飽き足らず、余の言葉すら聞かぬとは万死に値するぞ!」
……あの異常な魔力を迸らせている相手に対して、いつも通り上から目線の言いたい放題を貫くとは、いい加減このセイバーも大したタマだな。
まあ、人違いを起こされている上に、あのようなイカレた男に固執されている事を思えば、その怒りもわからんでもないのだが。
しかし肝心のキャスターといえば、人違いを起こして固執しているわりには、こんな風に怒りを見せるセイバーの反応自体には興味がないらしく、こちらもこちらで人の話を聞かず自分の言いたいことだけを思うがままに貫いていた。
「ですが、貴女もまた列席していただけるというのなら、私としては至上の喜びですとも。不肖ジル・ド・レェめが催す死と退廃の饗宴を、どうか心ゆくまで満喫されますよう」
「ふふふ、殺す。今すぐ殺す。このような蒙昧なる汚物、我慢ならぬ」
そんな低く唸るようなセイバーの声の傍から、キャスターは無数の海魔に飲み込まれていく。その光景に思わず俺は目を見開いた。笑いながら、狂人の言葉を吐きながら、キャスターは自身が呼び出した海魔どもに吸収されていき、もはやひとつの肉塊となりながら、巨大に不気味な成長を遂げていった。
「……なんてやつだ」
聖杯戦争の秘匿性など度外視した暴挙。住人のパニックの声がここまで聞こえてきそうだ。
そのとき、聞き覚えのある雷鳴が耳に響き、そちらを振り向く。
「よぉランサー、それにセイバー。良い夜だ……と言いたいところだが、どうやら気取った挨拶を交わしておる場合じゃなさそうだな」
「そうだな。あのような怪物はさっさと退治するに限る」
「ぬ? ライダーよ、そなただけか? アーチャーはおらんのか?」
そんな風に何かを期待するかのような少女の言葉に対し、少しだけため息交じりの困った顔をしながらライダーが回答する。
「余もあのデカブツは放ってはおけんからな。呼びかけてまわろうかと思ったのだが、アーチャーがどこにおるのかはわからんかった。だが何、あのお人よしがこの状況を見過ごすとも思えん。そのうち来るんじゃないか?」
なんとも楽天的な考え方だった。それより、あの夜以来表に出てきていないはずのアーチャーのことをよく知ったような口ぶりだったが、会ったのか?
いや、今の問題はあの怪物だ。忠誠を誓った主君・ケイネス・エルメロイの容態はこれ以上となく悪い。あれ以上悪化する前にさっさとこの化け物を倒して、ソラウ様をつれて拠点へと戻りたい。
「あんたたちは、キャスターと戦ったことはあるのか?」
と、そう訊ねてきたのはライダーのマスターの少年だった。軽く頷いて返事とかえす。
「ともかく速攻で倒すしかないだろうな。今はあのキャスターの奴が手にもっている宝具だろう魔術書で現界を保っているのだろうが、あれが独自に自給自足を始めたら、手に負えなくなるだろう」
「成程な。奴が岸に上がって食事をおっ始める前にケリをつけなきゃならんわけだ。しかし……」
そこでライダーが嫌そうな顔をして一旦言葉を止める、ここにいるものならその意味は皆わかって然りだ。
「当のあの汚物めは穢らわしい肉塊の奥底ときておる。正直余も本当は気が進まぬが、主な方法としては一つだけであろうな」
「引きずり出す。それしかあるまい」
その征服王の言葉を合図に戦闘は開始された。
戦闘方針としては、無限再生を繰り返す巨大な海魔を相手にして、先陣をライダーとセイバーが務め、俺が後方待機。その後キャスターを引きずり出したら、俺のもつ
このままではこの騒動に集まった一般人が、いつあの巨大海魔に捕食され、犠牲になるかわからない。そうなるくらいならと、俺も参戦を考え始めたそのとき光の束のようにそれは遥か彼方からやってきた。
化け物の手足急所など重要な箇所全てに、普通の人間なら目視すら適わぬ速度で飛んで来た36連撃が貫く。即座に再生されるとはいえ、それは確かに海魔の動きを数瞬止めた。
「何?」
矢が飛んで来たであろう方向を一瞥する。そこに矢を射掛けた存在の姿は見えない。これほどの正確射撃を、サーヴァントの視力でもっても捕らえきれない彼方から果たすとは、間違いがない。射手の正体は疑うまでもなく、アーチャーだろう。
しかし、ここまで正確な射撃を果たすとは、厄介な敵となるな、あの女。まあいい。今は一時的とはいえ味方だ。あの外道を相手にするには弓兵の援助は正直頼もしい。
アーチャーの矢は前に出て戦う二人を綺麗に避けて、海魔の動きを止めるように貫き続ける。アーチャーの援護はありがたいが、しかし、このままでは埒が明かないことにも気付かずにはいられなかった。
俺と同じことを考えたのだろう、ライダーとセイバーは揃って戻ってくると、時間がないとばかりに征服王が早急に言葉を切り出す。その間の海魔の侵攻はどこにいるのかも知らぬアーチャー1人で食い止めていた。
「いいか皆の衆、この先どういう策を講じるにしろ、まずは時間稼ぎが必要だ」
「そなた、あれを使う気か?」
そのセイバーの言葉に、是とばかりに赤毛の大男は緊張感を孕んだ顔でにっと笑みを浮かべる。
「ひとまず余が『
「その後は、どうする?」
「わからん」
あっけらかんとそんな言葉を放ちつも、その顔はあくまでも真剣だ。事実どう対応していいのかわかっていない中、それでもそれが最善策だと思って口にしたのだろう。
「あんなデカブツを取り込むとなれば、余の軍勢の結界が持つのはせいぜい数分が限度。その間にどうにかして……英霊たちよ、勝機を掴みうる策を見出してほしい。坊主、貴様もこっちに残れ」
言うなり、己が主の少年を御台からライダーはつまみ出した。
「お、おい!?」
「いざ結界を展開したら、余には外の状況が解らなくなる。坊主、何かあったら強く念じて余を呼べ。伝令を差し遣わす」
そして一言二言言葉を交わし終えるとライダーは立ち去り、そして先の話通り固有結界を展開して、海魔共々この世界から姿を消した。さて、任されたはいいが、あまり時間はない。これからの方針をどうするか話し合おうとした矢先、それを遮るように一匹の蝙蝠がこちらへとやってきた。
『聞こえるか?』
その蝙蝠から響いた声、それは間違いなく、以前俺とセイバーの戦いにわって入った
side.エミヤ
巨大な海魔が出現した未遠川よりkm単位で離れた、建設途中の高層ビルの屋上部にあたる鉄骨の上、そこが
異変に気づいたあの時、まっさきに伝わってきたのは明らかに異常な魔力だった。
それはどう考えてもキャスターが原因であり、なにをしようとしているのかは知らないが、これまでの経緯から考えてあのキャスターが魔術の秘匿や住民への配慮など考えているはずはないこともまたわかっていた。そして、奴の目的が多くの人を犠牲にしようとしているような内容であることは、これまでの経緯から考えて想像に難くないことでもある。
正義の味方……という言葉には未だに抵抗が残っている私であるが、それでも正義の味方になりたかったのだとかつて私に語ったあの男が、いくら平行世界存在とはいえ、大勢の人間が犠牲になるようなことを黙認するはずがない。きっと私にもキャスターを止めるよう今度ばかりは命じるだろう。と、私は直前まで信じていた。
しかし
だから私はしびれを切らして、「これは流石に放っておくわけにはいかないだろう。マスター、戦闘への許可を」と機械越しに詰め寄り、
この一刻の猶予すらない状況でも私を動かそうとしないとは本当に何を考えているのか。
あの人が異常者のサーヴァントを相手に自分ひとりでどうにかできる……などと論外なことは流石に思ってはいないと信じたいのだが。
通信機ごしの切嗣への説得にかかったロスタイムもあり、他の者より出遅れたがまだあの海魔が浅瀬の内側に留まっていたことに内心ほっとする。
そして、私は矢を放った。
放たれた矢でおった傷はすぐさま塞がられるが、足止めくらいにはなる。
目の前には海魔と戦うライダーとセイバーの姿と、後方で槍を構えて待機するランサーの姿があった。思わずため息を吐きたくなる。後方支援の重要性は承知していても、気分としては自分も今すぐあそこに乗り込んで、直接戦いたいぐらいだ。それは叶わないことだが。
切嗣が私が参戦するにあたって言い渡した条件は二つある。
一つは、あくまで遠距離攻撃にのみ徹して敵とは1km以上距離を離して戦うこと。二つ目は、その間私と視力の共有をするということ。
まあ、どちらも納得できる条件といえば条件だ。
凛と共に行動していたときは、白兵戦を行うことのほうが弓で戦うよりも多いくらいだったが、本来アーチャーのクラスの正しい運用法としては敵の反撃も届かぬ超遠距離射撃にのみ徹するほうが賢明なのである。
その意味では凛よりずっと真っ当な使い方だろうよ。それに視力を共有するのも、戦局を私の千里眼を使ってくまなく見渡せるのだから、戦場を正確に把握するのには一番確かな方法だ。ああ、全くもって正しい判断だとも。
それでも不満に思ってしまうのは、最終的に戦闘を許可されたとはいえ、あのような巨悪そのものの存在が住民を食らおうとしているのに、私を使うという選択肢を最後まで渋っていたあの男の態度そのものだ。いくら私のことを信用出来ないからってこんな時まで何を考えているんだ。
そんなことを思いながら弓を射掛けていると、セイバーとライダーが一度ランサーの元まで戻り、何事かを言い合っている。ここからじゃ顔や姿はわかっても声までは流石に聞こえない。だが、マスターである小柄な少年をおろし、ライダー一人だけであの海魔に向かった時点で何をしようとしているのかはわかった。
私は久宇舞弥に先日借りた使い魔たる蝙蝠を彼ら三人の元に飛ばす。蝙蝠が彼らの元についたと同時にライダーと海魔は姿をこの世界より消した。
「聞こえるか?」
使い魔を通して声をかけると一部で驚いたような声と息を呑むような音が聞こえた。
全く、
とはいってもこの身はただ一点に特化した魔術回路。オーソドックスな魔術は一応習得しているとはいえ、こういうことが不得手なのもまた確かなんだが。
『アーチャーよ、そなた今どこにおるのだ?』
「君たち全ての姿を見れる場所にいるのは確かだがね、今はそんなことを悠長に話している時ではなかろう。ライダーの作戦は固有結界で足止めをし、その間になんらかの策を講じる……というもののようだが、固有結界ほどの大魔術ともなれば精々もつのは数分というところだな。率直に聞こう。君たちに策はあるのかね?」
『それを今から考えようとしていたところだ』
そう答えたのは魔貌の槍兵だ。
「なら、私のプランで進めさせてもらう」
『方法があるのか?』
少年の驚いたような声に、そんなときでもないのに苦笑染みたものが浮かぶ。
「先ほどまでの戦いで、キャスターのいる大凡の位置は把握した。今から私は私のとっておきを使う。魔力を充填するのに少し時間をとらせてもらうことになるが、準備が出来次第合図を送る。そうしたら、消えたときと寸分たがわぬ位置で固有結界を解くようにライダーに伝えてくれ、ライダーのマスター」
『わかったけど、大丈夫なのか?』
まあ、あれだけ何度も敵の超再生をする様子を見てきたのだから、その心配は当然だろう。
「何、他に手をもてあましている英霊が二人もいるのだ。心配いらんだろう。セイバー、私が奴を狙撃した後、キャスターを薙ぎ払うのを任せてもかまわんかね?」
『うむ、任せよ』
えっへん、とそんな擬音が聞こえてきそうなくらい自信満々に赤いドレスの少女は言った。
「ランサーはセイバーがキャスター本体を攻撃している隙に、あの馬鹿でかい怪物を召喚した奴の宝具の破壊を頼みたい。出来るだろう?」
『ああ、任せておけ。俺はあのキャスターを許せない。いずれお前とも敵になるのだろうが、今はあの外道を倒すための同士だ。奴を倒す術があるというのなら、喜んでその策受け入れよう』
魔力を充填する。自己に埋没する。世界ではなく自分に問いかける言霊を紡ぐ。
「
その言葉と共に捩れた剣を弓に番える。
『まだか、まだなのか!?』
少年の焦る声が遠く響く。今はライダーのマスターの肩にのっている
「
蝙蝠が飛び立ち、手はず通り現れたのはライダーと醜悪なる怪物。放った矢は私が「視た」通りに真っ直ぐキャスターのいる肉塊の奥底へと向かう。
しかし、いくら真名開放した
「
瞬間、魔術師のサーヴァントを包み込んでいた周囲の肉塊が爆破した。直後、赤い衣が舞うように走る。
『
金糸髪の少女のその言葉と同時に、キャスターの体は真っ二つに切り裂かれた。
side.ランサー
どこにいるのかも知らぬ弓兵の女の言葉に従い、俺は赤き愛槍をいつでも放てるよう構えて待機していた。
「まだか、まだなのか!?」
ライダーのマスターの少年が焦った声を上げる。固有結界の足止めも限界なのだろう。赤いドレスの少女は対照的に自信満々に不敵な笑みを携えて、赤い大剣を構えている。
「随分余裕だな」
「ふん、惚れた
てらいもなく返される。惚れた女、か。そういえば初めてアーチャーに会ったときに「気に入った」だの「余のものになれ」だのと言っていたな。
聖杯戦争に召喚される英霊は互いに互いが敵同士であり、それが常識だ。にも関わらず、敵サーヴァントを相手にして惚れただのなんだのと言い出すとは俺にはこの女の考えは理解し難いが。
そういえば、理解し難いといえばあの白髪の女弓兵もそうだ。
出会った当初、アーチャーは俺の生まれ持った呪いである愛の黒子に魅了され、この俺を相手にまるでそこらの普通の小娘のように赤面しながら狼狽えた姿をさらしていた。
だが、それを最後にまるであの時の姿は幻か嘘だったかのように、あの女は冷静に戦局を把握する。
こうして使い魔ごしに声のみを聞いていると、少年のような印象の声質もあいまってその女らしからぬ喋り方や物言いといい、凛とした雰囲気といい、女というよりは男と話しているような気分になってくる。
おまけにこんな短時間で敵を仕留める方法を的確に指示し、弓の腕は百発百中ときている。正直あの女に内心舌を巻く思いだ。
今は味方だからこそありがたいが、敵としてはこの最優と名高き剣使いの少女よりも、計算高い分戦うには厄介な相手だ。それだけの腕をもつのに一番解せないことは、ずっと閉じこもったままあの夜と今日以外全く表に出てきていないということだが。
臆病風に吹かれた……とかそういう手合いでもあるまい。
弓兵のクラスといえば、こそこそ隠れて陰から狙い打つしか能がないイメージもなくもないが、あの白髪赤い外套の女戦士はあまりに堂々とし過ぎている。
そういえばセイバーに剣を向けられた時には、あの女も弓ではなく黒と白の双剣を手にしていたな。いかにも握りなれたような立ち姿といい、堂に入っていた。近接戦の心得もあるのか。一体どこの英霊だ。
そんなことを考えているとライダーのマスターの少年の肩から蝙蝠が飛び立ち、そしてそれと入れ替わるように固有結界に消えていたライダーと巨大海魔が現れた。
ゴゥッ! と、そんな物騒な音を立てて遥か彼方から飛翔する巨大な光の塊。おそらくはアーチャーが言っていたとっておき……奴の宝具なのだろう。が、海魔の足元を抉るようにして斬り進み、その後轟音を立てながら爆発した。
思わず目を見開く。
なんて威力だ。あれならいくら超再生能力をもっていようとも即座には回復出来まい。それと入れ替わるように赤い衣を靡かせながら少女が駆ける。
「
セイバーの放つ高速剣戟、それはアーチャーの攻撃によって衰弱し、全身血まみれになっていたキャスターの体を両断するには十分な代物だった。
すかさず奴の手を離れた人皮製の邪悪なる魔道書を
ああ、終わったな。そう思い満身創痍な征服王のほうへと視線を向けた、まさしくその刹那だった。
「……ぁ?」
ぬるりと血が手に伝い落ちる。ぽたぽたと紅い血が止め処なく流れて、命の息吹が失われていく。
己の胸には黄色い見慣れた何かが突き刺さっている。
なにか? 正体など考えるまでもないではないか。これは
「ランサー!?」
誰かの声が聞こえる。見れば呆然と自分を凝視している4対の瞳。だけど、そんなことはどうでもいい。俺はどうして自分の心臓を貫いているのか。何故なんだ。何故、何故、何故。
それが俺の意志によるものでないのなら、答えは一つしかない。
この聖杯戦争における最大の要、三度限りの絶対命令権、令呪はサーヴァントが望んでいない命令だろうと、その膨大な魔力でもって実行してしまうのだから……。
side.エミヤ
異変が起きたのは海魔が消滅したすぐ後だった。
ああ、終わった。そう思いやれやれと肩を竦めたそのときに起きた衝撃の瞬間。
邪悪なる魔道書を槍の投擲で貫いた魔貌なる槍兵は、突然何の前触れもなく自分の胸をその呪われた黄槍で貫いていた。
「何?」
驚き、急いで川辺へと向かう。
一瞥すれば、全員が予想外の事態に呆然としながら、信じられないような顔をして自分の胸に刺さった槍を見つめている美貌の槍兵を見ていた。
「……ぜ……だ……」
がは、と血を吐き出しながら、幽鬼のように男が目を見開いて、わなわなと全身を痙攣させながら言う。
「……何……故、……俺は……俺は……!!」
ランサーは壮絶な形相で必死に言葉を紡ぎながらも、それでも彼が黄槍を握った左手は、無情にもランサー自身の想いを無視して、より体の奥へと愛用の得物を飲み込ませていく。此度の聖杯戦争でランサーのクラスとして呼び出された英霊である、ディルムッド。
それ以外の誰もが声を出せない。声をかけられない。
「主、よ……何故こん、な………何故……なぜ、何故だあぁあああ!!」
狂おしいほどの絶望の声。それを最期に、深緑を纏った美貌の槍兵は完全に姿を消滅させた。
NEXT?