序章Ⅰ『境界線前の朝食』
失わないと分からない
その大切さ、愛おしさ
もう、二度と失わない
配点 (日常)
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町並みから遠い林の中で佇む人影が一つ。
「ふむ、半径五百メートルに人がいない場所と言う条件はこれでいいな。……しかし、取り扱い説明書付きの食料とは面白いものもあったものだな」
黒髪に鋭い目の青年。各所に金色の装飾がされた詰め襟型制服をきっちりと着込み、右手には大きな缶詰、左手には『必読!』とでかでかと書かれた紙を持っている。
「『次は付属の術式契約書を用いて自分の周りに結界を展開しましょう』これか。……随分と大掛かりなことだ。」
青年の周りに半透明の結界が展開される。それは、物理的強度は大したことはないが、空気の遮断性にかけてはずば抜けている。
「『最後に汁が跳ばないように気を付けながら缶を開けましょう』やっと最終段階か。販売していた通神サイトでは朝食を食いながらいい修行が出来ると書いてあったが、どんな事が起きるのか実に楽しみだ! ――――ぬぅっ!」
ハイテンションで叫びながら缶を開ける青年だが次の瞬間、缶から溢れ出る強烈すぎる臭いに悶絶する。それは魚を陽当たりの良い所に一ヶ月ほど放置したような殺人的な臭い。
――俗にシュールストレミングスと言われる世界有数の悪臭食物である。
「ぐっ! ……は、ははははは! これは良い! この臭いと戦いながら、朝食と言う安らぎの時間を過ごす……何と、何と言う困難な試練だ! しかし、諦めんぞ! 諦めなければ何事も乗り越えられると信じているのだ!」
困難な試練(朝食)にテンションが上がり過ぎた結果、青年の体から多量の流体が放出され、その流体圧に耐えきれなかった結界が弛み、――そして音を立てて崩れ去った。結界が壊れたためにシュールストレミングスの悪臭が辺り一面に広がっていく。
「おっと、ついやってしまったなぁ! だが、武蔵の住民ならばこれ位の試練、易々と乗り越えられるだろうと信じている! 俺も負けずに乗り越えなくては、武蔵副長の名が廃れてしまうな!」
そう、このノリノリで叫ぶ超弩級の馬鹿こそが武蔵アリアダスト教導院副長、その名を甘粕正彦と言う。
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さて、ちょうど馬鹿が臭いと戦いながら安らぎの時間を過ごす、前人未到のたどり着きたくない境地に至ろうとしているとき。奥多摩から歌声が響いていた。
「――通りませ――」
歌声は大空に響き渡り、やがて緩やかに消えていった。それに代わるように連続する鐘の音が鳴る。そして、それに重なるように放送が掛かる。
『市民の皆様、準バハムート級航空都市艦・武蔵が武蔵アリアダスト教導院の鐘で朝八時をお知らせ致します。本艦は現在、サガルマータ回廊を抜けて南西へ航空。午後に主港である極東代表国三河へと入港致します。
途中、三河の山岳地域の村の上を通過する際に、下の方達をビックリさせては武蔵の名折れですので、情報遮断型ステルス航空に入りますので御協力御願い致します。
なお、只今左舷二番艦・村山の林において甘粕様が朝食と言う名の臭気テロを実行しておりますので近づかないよう勧告致します。――以上』
甘粕についての報告がされた途端に武蔵中、特に勧告された村山の方が瞬時に騒がしくなる。
「また馬鹿がやらかしたか……!」
「総員迅速に退避しろ!」
「おい! 消臭術式が使える奴は全力で撃ち込むぞ!」
それらの掛け声と共に林近くの人間は全速力で退避し、林に向かって消臭術式が無数に撃ち込まれた。
余りにも突拍子もない内容なのに迅速に対応する辺り、馴れというものの恐ろしさがよく分かる光景である。
何が一番恐ろしいと言えば、こんなことが一週間に二回ペースで起きることであろう。
…………朝から武蔵は平常運転である
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一方、そのころ。
「よぅーし。三年梅組集合――」
武蔵アリアダスト教導院の正面、橋の上から声が響く。
そこにいるのは、まず門側には、黒い軽装甲型ジャージを着た黒髪の女性が一人。背中には白塗りの長剣を差している。その彼女の正面には白と黒の制服を着た若者たち。
そんな彼らを見渡して、女性は笑みを浮かべて宣言した。
「では、――これより体育の授業を始めまーす」
「せんせーい、放送にあった副長はー?」
「関わりたくないから、先生今の発言は聞かなかったことにするわねー」
良いのか教職。と言う声が上がるがオリオトライは笑顔でそれを黙殺した。
「さて、今日の授業内容を説明するわよー。いい? ――先生、これから品川の先にあるヤクザの事務所まで、ちょっとヤクザ殴りに行くから、全員ついてくるように。そっから先は実技ね。――ハイ返事は? Jud.?」
「……Jud.」
生徒たちから諦感の漂った答えが返ってくる。
同時に、″会計 シロジロ・ベルトーニ″という腕章を着けた長身の男子が手を上げる。
「教師オリオトライ、――体育と品川のヤクザとどのような関係が。金ですか?」
「馬鹿ねぇシロジロ、体育とは運動することよ? そして、殴ると運動になるのよね。そんな単純なこと、――知らなかったら問題だわ」
シロジロと呼ばれた男子の袖を、″会計補佐 ハイディ・オーゲザヴァラー″と名札をつけたロングヘアの女子が引っ張る。その女子は笑顔のまま、
「ほらシロ君、オリオトライ先生、最近表層の一軒家が割り当てられて喜んでたら地上げに遭って最下層行きになったんだよ。
それで不貞腐れてビール飲んでたら、甘粕くんが店にスチュワーデス探しに来たから吹っ飛ばしたら、壁をおもいっきり割っちゃって教員課にマジ説教食らったから。
――つまり、序盤以外ヤクザ関係ないけど初心を忘れず報復だと思うのよね」
「……途中に出たバカの行動には触れないでおくが、本当にヤクザ関係無いな」
「だから報復じゃないわよー。先生、ただ単に腹が立ったんで殴りに行くだけだから」
「「「通り魔かよ!!」」」
皆から突っ込まれるが、オリオトライは気にしていない。
そして彼女は背中の長剣を鞘ごと外して脇に抱えた。
「さて、休んでるの、甘粕の他に誰かいる? ミリアム・ポークウは仕方ないとして、あと、東は今日の昼にようやく戻ってくるって話だけど、他は――」
「ナイちゃんが見る限り、セージュンとソーチョーがいないかなあ――フクチョーは放置するけど」
黒い三角帽を被った金髪少女″第三特務 マルゴット・ナイト″が背中の金の六枚翼を揺らしながら報告をした。
その声に、彼女の腕を抱いている黒翼の少女″第四特務 マルガ・ナルゼ″が首を傾げた。
「正純は小学校の講師をしに行ったるし、午後から酒井学長を三河に送りに行くから、今日は自由出席のはず。総長……、トーリは知らないわ。――副長に関しては……知りたくもないわね」
「んー、じゃあ″不可能男″のトーリについて知ってる人いる?」
その問いかけに答えるように、人を掻き分けながら茶色いウェーブヘアの少女が前にでる。
「フフ、皆、うちの愚弟のトーリのことがそんな聞きたい? 聞きたいのよね? だって武蔵の総長兼生徒会長の動向だものね。フフ、でも教えないわ! だって私が朝八時に起きたらもういなかったから、知らないわ!
――それと、誰か甘粕についても気にしてあげなさいよ。しょうがないから私が気にしなきゃいけないなんて、何これ複雑っ!」
「「「お前何が言いたいんだよ!」」」
「と言うか喜美、あなた起きるの遅すぎないですか?」
「フフフ大丈夫、メイクはしたし、朝から余裕をぶちまけてるだけよ。それと浅間、今の私はベルフローレ・葵よ! 断じて青い黄身なんてイカさない名前じゃないわ!」
「ナイちゃん思うんだけど、三日前はジョゼフィーヌじゃなかったかな?」
「あれは三軒隣の中村さんが犬に同じ名前をつけたから無しよ! 今度名前料として抱かせてもらうのよ! ねえ、これって負け惜しみ? 負け惜しみなの!?」
「えっと、とりあえずトーリは遅刻かな? ――総長と副長が揃っていないとかダメねー」
「――おはよう、諸君。遅れて申し訳ない」
オリオトライが出席簿片手に言ったと同時に、門の方から声が掛かった。
皆がそちらを見るとそこには、――菩薩のような慈愛に満ち溢れた顔をした、甘粕正彦が立っていた。
「今日もいい天気ですね、体育をするのに最適な日だ」
「「「誰だよ、お前!?」」」
思わずオリオトライを含めた全員が突っ込んだ。
「いやなに、臭いに耐えながら安らかな気持ちになるために悟りと言うものを開いてみてな!」
「あっさりと、とんでもないことしてやがる……!」
安らかに朝食を食べるためだけに悟りを開くとは、仏陀涙目である。
「まあ、甘粕も来たことだしそろそろ始めましょうか」
そう言いながら女教師はわずかに身を低くした。
その動きに瞬時に反応した生徒が複数いるのを見て、
「いいねえ、戦闘系技能を持ってるなら、今ので″来″ないとね。だから――、ちょっと死ぬ気でついてきなさい。」
「ルールは簡単、事務所にたどり着くまでに先生に攻撃を当てることが出来たら、出席点を五点プラス。意味わかる? ――五回サボれるの」
「ハイ! 先生、攻撃を″通す″ではなく″当てる″でいいので御座るな?」
「それでいいわよ? 手段も構わないわ」
「では、先生。先生のパーツでどこか触ったり揉んだりしたら減点されるところはあり申すか? またはボーナスポイントが出るところとか」
「あはは、授業前に死にたいのか、お前」
半目で言ったオリオトライは甘粕の方を向いて、
「ああ、甘粕。遅刻の罰として、あんたは攻撃を当てたとしても加点はなしね」
「了解した、全力で挑ませてもらおう!」
「はは、かかってきなさい。――んじゃ」
その言葉に皆が反応するよりも早く、オリオトライは背後に向かって跳んだ。
一拍ほど遅れて戦闘系の生徒たちが続く。
「さあ、死ぬ気で追ってきなさい」
「ははははは、では挑ませてもらおうか!」
甘粕の高らかな笑い声が青空の下に響き渡った。
後悔はしていない、反省はしている
申し訳ありませんでしたー!(土下座
ここの甘粕は夢界に挑んでないため、邯鄲法は使えません。
と言うか、使えたらチート過ぎるわ!